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「それでは、端末を開いて、会長補佐としての登録をしておけ」
「……はい」
僕は仕方なく、右手を目の前に出し、人差し指をすっと横にスライドさせ、端末のウィンドウを開いた。
今現在、世界中のすべて国で、『エアコム』という汎用端末がひとりにひとつずつ支給されている。
国民ひとりひとりの名前や年齢などの個人情報を初め、職場や学校での役割、友人関係、果ては所持金まで、ありとあらゆる情報がこの端末によってデータ管理されている。
実際には、この端末は中央コンピューターに登録してある情報の呼び出しと、情報の書き換えなどを行うためのツール、ということになるわけだけど。
ウィンドウは目の前に半透明の状態で現れる……ように見える。
ように見える、と表現しているのは、物理的にモニターが出現するわけではないからだ。
利き腕に巻きつけられた腕輪……というよりも、昔流行ったミサンガに似た形状と言ったほうがわかりやすいだろうか。
これが、支給されている端末――エアコムの本体だ。
指先の動きに応じて、ウィンドウを出現させたり消したり、各種ウィンドウ内での操作を行ったりする機能がある。
腕を媒介として脳に微弱な電気信号を送り、目の前にあたかもウィンドウが出現したように見せる能力とセットになったこの端末を通して、様々な個人情報が管理されている。
正確に言えば、個人情報の管理だけに留まってはいないのだけど、その辺りは必要になったらおいおい語ることにしよう。
そういった様々な情報が扱え、また、電話やメールなんかの機能もあり、お店では電子マネーとしての役割も担う、生活の必需品と言っても過言ではない端末、それがエアコムだ。
なお、このエアコムによって目の前に開かれるウィンドウは、『エアウィンドウ』と呼ばれている。
通常は単にウィンドウと呼ばれることも多いのだけど。
僕はそのエアウィンドウを開き、自分自身の情報の中から、関係性のカテゴリーを選択する。
そこには、現在の自分の立場などが登録されている。
今表示されているのは、都立神龍学園一年、というデータのみだ。
目の前に出現した(ように見える)ウィンドウの中で、表示されている情報の辺りを軽く人差し指で触れる。
すると、詳細な情報として、生徒会長補佐という役割のデータが追加された。
どうやら頭の中で考えていることを脳の電気信号から読み取り、追加されるシステムになっているらしい。
自動的に情報が追記されるということはなく、エアウィンドウを開いてデータにタッチするなど指先の動作が必要となっているのは、誤った情報追加を防ぐためなのだとか。
考えたことがすべてデータとして中央コンピューターに登録されるとしたら、妄想なんかまで追加されてとんでもないことになってしまうだろう。
そうならないための配慮だった。
「よし、登録完了したみたいだな。こちらからも確認した」
「はい」
会長の言葉に頷く。
登録された個人情報には公開レベルというのが設定されていて、顔見知り程度以上の関係性であれば、名前や年齢といった基本情報は誰でも参照することが可能となっている。
そのとき、不意に騒がしい声が風に乗って漂い始めた。
視線を巡らせてみると、体育館から出た生徒たちが渡り廊下を通って校舎へと向かって並んで歩いていく姿が確認できた。
体育館の出口からは、入学式を見に来た新入生の親御さんが出てくるのも見える。
「どうやら、入学式が終わったようだな」
「そうですね」
果たして僕は、今ここに居ていい身分なのだろうか?
「とりあえず、補佐の件は了解しました」
というよりも、拒否権なんてなさそうだし。
心の中で愚痴をこぼしつつ、僕は会長に言う。
「うむ」
「そういうわけで、僕はこれで失礼します。さすがに教室には顔を出さないと……」
「おお、そうだな。それでは、私も同行しよう」
「え?」
どうして二年生の会長が僕のクラスにまで同行しようとするんだ?
疑問は顔に表れていたと思うけど、会長は意に介することもなく、
「ほら、行くぞ」
と僕の手を取り、スタスタと歩き始めていた。
「ふむ、除夜は……一年C組だな」
会長はエアコムのウィンドウを操作し、神龍学園の情報サイトからクラス分けを確認していた。
全世界のほぼすべての情報が、このエアコムで管理されている現在、学園のクラス分けもこうして端末から確認できるということを、僕はすっかり忘れていた。
もっとも、機能や情報量の多さから、エアコムを使いこなせない人も中にはいる。
そういう人のために、体育館横の掲示板にはクラス分けの紙が貼り出されているのだけど。
「私は二年A組のようだな。ま、あまり興味はないが」
「いや、そこは興味を持ちましょうよ……」
クラスメイトが聞いたら不快に思いそうなセリフを放ちながら、会長はさっさと昇降口へと向かった。
「お前も早く上履きに履き替えて準備しろ。一瞬だけとはいえ、クラスに顔を出すわけだからな」
「え? 一瞬だけ? それってどういう……」
「なにをグズグズしている。早くしろ」
僕の質問の言葉なんて、会長にとっては雑音の一種でしかないのだろうか、まったく答える気配さえ見せず、ただただ急かされるばかりだった。