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「ちょっとあんた! お姉様から即刻離れるのだ!」
突然、静かだった廊下に、耳がキーンとなるほどの高音で大音量の声が響き渡った。
廊下の壁に反射して共鳴しているからなのか、鼓膜が破れるのではないかと思うほど。
ひと言で表せば、凄まじくうるさい声だった。
視線を向けてみると、左手を腰に当て、右手をビシッと前方――すなわち僕と会長のほうへと伸ばし、人差し指を向けている女の子がいた。
怒りの度合いを示そうと大きな音を立てるように高く足を上げながら、ずんずんとこちらに向かって歩み寄ってきている。
もっとも、とっても小柄で小学生と見まごうほどの体格だから、ドシンドシンといったような大きな音なんて立つはずもなく、ぺたん、ぺたんと、上履きの音が鳴り響くだけだったのだけど。
たまに若干滑るのか、きゅっ、きゅっと摩擦音が鳴るのも、なかなかに愛らしさを助長させる。
思いっきり怒りの表情を形作っている様子ではあるものの、眉も細く童顔なことから、それすらも可愛らしく感じてしまう。
女性に感じる可愛いという気持ちよりは、むしろ小動物に感じる気持ちに近いだろう。
ボリュームのあるウェーブがかった髪の毛を両サイドで束ねてツインテールにしているのも、小型の室内犬を彷彿とさせ、ピンク色のリボンで束ねていることも相まって、子供っぽさを際立たせていた。
そんな彼女の容姿については、この際置いておくとして。
とりあえずは彼女の声のせいでキンキンと痛む耳を押さえながら、僕はその声よりもさらに気になった単語をオウム返しする。
「お姉様……?」
「そう、お姉様よ!」
断言。
「……妹さんなんですか?」
会長に向き直って、僕は質問してみた。
なお会長の顔は、さっきよりは少し離れた位置にある。
このうるさい女の子の声で、会長のほうも我に返ったのだろう。
「いや、妹ではない。クラスメイトだ」
「二年A組、雛松里菱餅だじょ!」
答える会長の声にかぶせてくるかのように、女の子(先輩だから、こう呼ぶのは悪いかな?)が自らの名前を名乗る。
どうでもいいけど、「だじょ」って……。
なんというか、声質だけじゃなくて喋り方までうるさいというか、ウザい感じの先輩だ。
「クラスメイトが二年A組……って、そういえば会長、三年生じゃなかったんですね」
「……今さらか? まぁ、そうだ。最初にも言ったと思うが、私は二年だぞ」
「そのわりに、全校生徒の中で一番偉そうですよね」
「偉そうというか、偉いのだ」
「断言しますか」
「断言するぞ。それがこの学園のルールだからな」
「やっぱり会長は会長ですね」
「うむ、私は私だ」
「ちょっと……ひーちゃんを無視するにゃ~!」
いきなり蚊帳の外に追い出された菱餅先輩が、怒りの声を上げる。
ひーちゃんって、自分のことをそう呼んでるのか、この人は……。
先輩ではあるけど、とっても子供っぽい人だな~。胸もぺったんこだし……。
僕の視線を感じ取ったのか、菱餅先輩は両手を胸の前でクロスさせるポーズを取る。
「な……なにをじろじろ見てるのだ、いやらしいじょ!」
「ん~……」
べつに、これっぽっちもいやらしい気持ちになんかなっていなかったのだけど、いくらこんな見た目とはいえ一応仮にも女性なのだから、恥じらいくらいはあるのだろう。
僕は頭の中で反省する。
「とにかく! デュエルを申請するじょ! 会長補佐である、あんたに!」
ビシッ!
勢いよく突き出された菱餅先輩の人差し指は、まっすぐに僕を突き刺す。
「痛たたたた……」
距離を見誤ったか先輩の指は僕の顔面、というか口の辺りに見事にヒット、閉じていた唇から割り込んで歯に当たってしまい、激痛を受ける結果となっていた。
当然ながら、突きを食らった僕のほうも痛かったわけだけど。
「っていうか、汚っ! 男のだ液がついちゃったじょ! 指が腐る!」
そう言って、必死に僕の制服で指を拭っている先輩。
指が腐るとまで言われるのは、さすがにちょっと心外だけど……。
それはともかく。
「デュエルって、僕に……?」
「そ……そう、あんた! 生意気にもお姉様の補佐をやってやがる、射干玉除夜、お前にだじょ!」
フルネームで僕の名前を呼びながら、再びビシッと人差し指を僕に向ける菱餅先輩。
さっきと位置関係が変わっていないのだから、言うまでもなく、その指先は僕の前歯に二度目の突きを食らわせることになってしまう。
「痛たたたた……。そして汚っ!」
……ダメだこの人、学習能力ゼロだ。
「勝ったら、ひーちゃんが代わりに補佐になるんだにょん!」
菱餅先輩は涙目になりながらも、堂々と宣言する。
どうでもいいけど、「にょん」って……。ほんとに高校生なのだろうか、この人は。
だんだんとウザさを通り越して、逆に愛らしささえ芽生え始める。
まぁ、それはいいとして……。
「会長、それってアリなんですか?」
「ナシだな」
そう、生徒会戦挙は、会長に対してのみ認められていること。
補佐という立場にあるとはいえ、僕に対してデュエルを申請して役職を奪い取る、なんてことは認められていないのだ。
「ええええ~~~っ!? ふにゅ~……」
しおしおと風船がしぼんでいくように、ふにゃりと力が抜け、菱餅先輩はその場に倒れ伏す。
「あ……でも、会長を引きずり下ろして自分が会長になってからサクラン会長を補佐にする、って手はあるような……」
ぼそっと、声に出してしまってから、僕はハッとして口を押さえるも、時すでに遅し。
「そ……それだぁ~~~~!」
意気揚々と立ち上がり、そしてビシッと人差し指を僕に向ける。
「痛たたたた……。そんでもって汚っ!」
……三度目ですか……。
「と、とにかくっ! やっぱりデュエルを申請するじょ! お姉様に対して! ふっふっふ、首を洗って待ってるがいいにゃ~!」
すぐに立ち直った菱餅先輩は、そんな言葉を残し、廊下を走り去っていった。
廊下は走るな! と、先生に見つかって注意され、ぺこぺこ頭を下げている姿が見えたりもしたけど。
それにしても……。
「もしかして僕、ものすごく余計なことを言っちゃいました?」
「まったく、お前は……。ま、どうせ戦うのはお前だからな。せいぜい負けないように頑張れ」
ポン。
会長はため息を伴いつつ、僕の肩にそっと手を乗せるのだった。