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僕と会長は今、廊下を歩いていた。職員室から戻るところだ。
もちろん、先生に呼び出しを食らって怒られた帰り、というわけではない。
昨日の全校お花見大会は、一部(会長に)トラブルがあったものの、大盛況のうちに幕を閉じた。
そのお花見大会の準備や後片づけは、先生方がすべてやってくれた。
生徒会長の権限で決めたことに関しては、先生方も積極的に協力する。それがこの学園のルールではある。
それでも、感謝の意を伝えるべく、職員室へお礼参りに行ってきたのだ。
……お礼参りという言い方だと違う意味にも聞こえそうだけど、本当に文字どおりの意味で、各先生方に頭を下げて回った会長。
こういうところは、意外に律儀な人なんだよね。
どうしてそれで、僕に対しては強制的に拒否権なく補佐をさせるのか、そして洗濯やら掃除やらも含めて問答無用で雑用係をさせるのか、はなはだ疑問ではあるのだけど。
「除夜、どうした?」
「いえ……お花見大会のときは大変だったな~と思って」
若干意地悪かもしれないとは思ったけど、僕は昨日の話を蒸し返すことにした。
「……すまなかったな……」
会長はまだ昨日のことを多分に引きずっている様子だから、ちょっと話題に出すだけで、こうしてしゅーんとなってしまう。
普段どおりなら高圧的な態度で命令されるだけの僕としては、とても爽快な気分だった。
この状態の会長に言えば、補佐の役目から解放してもらえたりするだろうか?
ぼんやりとそんなことを考えていると、会長からこんな質問が飛んできた。
「ところで、昨日の件だが……。あまり覚えていないのだがな、お前に向かって吐いてしまう前に、他にもなにかやらかしたような記憶も、おぼろげながらあるのだが……。なにか、わかるか?」
…………。
僕としても、そのあとのことが衝撃的すぎて、すっかり忘れていたけど。
そうだった。会長から吐きかけられる前、甘酒で酔った会長は僕にキスを……。
思い出してしまい、顔が熱くなる。
「ん? どうした? いったい、なにがあったんだ?」
そうやって語りかけてくる会長のふたつの綺麗な瞳は、僕のすぐ目の前にあって。
そこまで身を乗り出して訊いてこなくても……。
「い……いえ、なにもなかったです!」
両肩をつかまれていて完全に逃れることまではできなかった僕は、焦りまくりながらも視線だけ逸らす。
そんな僕を、会長は首をかしげながら見つめてくる。
「どうしたというのだ? 顔が真っ赤だぞ? 熱でもあるのか?」
そう言ったかと思うと、会長は前髪をかき上げ、こつんと額をくっつけてきて……。
「…………!」
至近距離に会長の顔。
くっついている部分は違えど、状況的にどうしても昨日のキスが思い出され、僕の顔はさらに赤みを増す。
「どうした? 熱はなさそうだが、真っ赤だぞ? 大丈夫か?」
なんて喋りかけてくれる会長の艶やかな唇は、僕の唇や鼻先から数センチ程度の距離しかなくて。
言葉とともに吐き出される会長の息が――ほのかに甘く感じられるような吐息が、僕の鼻腔をくすぐる。
考えてみたら、昨日のアレ、僕にとって初めてだったんだよね。
甘酒の味しか覚えていないってのは、なんだかちょっと納得のいかない部分ではあるけど……。
それに、ちまきにまで見られてしまったんだよね。僕以上に驚いているようだったけど。
それなのに、昨日の帰りとか今朝とか、登下校で一緒に歩くあいだ、意外なほど静かだった気がする……。
あれは嵐の前の静けさで、僕は近いうちにちまきに殴り殺されたりとか、そんな未来が待っていたりはしないだろうか?
……なんというか、ありえそうで、とっても怖い。
それにしても、会長の瞳、すごく綺麗だな……。
あまり気にしてはいなかったけど、美人だしスタイルもいいし、見た目だけならモデルとしても通用するくらいだろう。
そんな会長が今、僕のすぐ目の前にいて、額の距離は完全にゼロで……。
会長の全身から漂う爽やかな香りと至近距離から放たれる吐息の影響で、思考回路にも異常をきたして始めているのだろうか、僕はいつも以上にぼーっとしながらも、あれやこれやと考えが頭の中をよぎっていく。
そんな様子を、具合が悪いと勘違いしたのか、会長は心配そうな瞳を向けてくれている。
まだ額はくっついたまま。キラキラの瞳の中に、僕の瞳が映り込んでいるのが、しっかりと見て取れた。
今いるのは特別教室棟の廊下だから、人通りが少ない場所ではある。
とはいえ、もう放課後。正確に言えば掃除の時間だから、たまに通りかかる生徒がいてもおかしくはない。
ここまで誰も人が通らなかったのは、ラッキーだったと言わざるを得ない。
「会長……」
至近距離にいるわけだから、逆もしかり。僕が喋ればその吐息も会長にかかる。
……口臭とか、大丈夫かな……。
ちょっと気にはなったけど、会長の表情が変わったりもしなかったから、とくに問題はなかったのだろう。
「除夜……」
なぜか会長の口調も、温かさというか、穏やかさを含んだ優しげなものへと変わっているように感じた。
いや、もともと心配してくれていたのだから、最初から優しい口調だったのは変わりない。
だとすると変わったのは、僕の気持ちのほうか……。
……僕の、気持ち……?
ぼんやりと考える。
僕は会長にとって、単なる雑用係の補佐でしかない、はず……。
だけど……。
ドキンドキン。
胸の鼓動が、やけに大きく感じる。
この鼓動は僕自身のもの。
でも、ほとんど距離がないくらいに密着している会長の鼓動も、僕とシンクロするように高鳴っているのかもしれない。
つながったままの額から、温もりと同時に会長の鼓動も感じられる、そんな気さえしてくる。
廊下は時間が止まったかのように静まり返っている。
僕と会長、ふたりだけの世界。
そんなふたりきりの世界の壁を打ち破って入り込んでくる侵入者が、突如として僕たちのもとに襲来した。