一目惚れしたのは花であって、君だった。
「婚約破棄にはアネモネを添えて、」のシグルド視点のお話。
未読の方は、さきに前作をお読みいただけますと幸いです。
また、楽しんでいただけたら⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎での評価やリアクション、ご感想等いただけると嬉しいです!
母は花が好きだった。
屋敷の庭園には鮮やかな花々が年中咲いていたし、定期的に庭師に花を植え替えさせては景色を一新させ、屋敷の中は至る所に花瓶が飾られていた。
毎日飽きずに花を眺める母の、穏やかで慈しみ深い眼差しが好きだった。
そんな母に一度だけ、花を贈ろうとしたことがある。
十にも満たない幼少の頃の話だ。
一人で乗馬が出来るようになって、初めて屋敷から少し離れた野原へと遠乗りに出た。
初めて見た花。
屋敷に溢れる花とは異なる姿をした花。
母に見せたいと思った。
知ったら気にいると思った。
喜んでもらえる確信があった。
花の種類が違うことは分かっていながら、母は花が好きだと一括りにしていた。
「貴方の部屋に飾りなさい」と言われた言葉に首を振って。
「私はいいの」と続いた言葉で諦めきれなくて。
困ったように受け取った母の表情が予想とは真逆の反応だと気づきながらも、見て見ぬふりをした。
そうして、屋敷を華やかにする様々な花瓶のどこに生けられたのかと密かに探し回って。
花瓶の花が二度、三度と変わってようやく諦めがついた。
だからだろうか。
大人になって振り返れば些細な出来事なのに、 私は女性に花を贈るという行為への抵抗が残った。
花にはそれぞれ花言葉があり、それを重視する女性が多いと聞き知り、花を愛でる母は私が手渡した花の花言葉を知っていたのだろうと想像がついたというのに。
きっと、好まない花だったのに私の子どもながらの好意を無下にせず受け取ってくれたのだ。
けれど、他の花のように花瓶に生けて大切に眺めることはできなかったのだろうとも、憶測ができた。
あの日、私が摘んできた花を母が拒絶したり、目の前で捨てたりしたなら、私は花を全面的に拒絶していたことだろう。
母に当時の真相を尋ねる気にはならなかったけれど、その点においては感謝をしていた。
花を愛でる習慣はなくても、視界に入る花に嫌悪は湧かないし、むしろ純粋に綺麗だと思えた。
女性が花を好むことを理解もできる。
しかし、香り良く綺麗に花弁を広げて咲く姿は同じなのに、花言葉が気に入らないから愛でないというのは、どうしても違和感が付き纏った。
その花を巡って嫌な思いをした過去があるのなら話は変わるが、もし花言葉ありきで考えているのなら――勿体無い思考ではないだろうか。
そう思わずにはいられない。
「お前さー、また花束ねだられたのに贈らなかったんだってな?」
様々な情報交換や交流が目的で貴族男性が日夜訪れる紳士用のクラブでは、古い付き合いの友人が開口早々に野次を飛ばした。
「いつの話だ、それは」
「なんだよ、ひでぇな。この前の夜会でだって親しそうに話してただろ。欲しがってた菓子をお前が贈ってくれて? そのうち花束ももらえるかもって茶会で盛り上がってたって噂だったみたいだぞ」
友人の茶化す物言いに思い当たる節はある。
溜息を吐きそうになって瞼を閉じると、代わりとばかりに目頭がじわりと痛む。
気持ちを切り替えてクラブのホールに視線を走らせた私は、用心する人物が見当たらないことを確認して、友人を通路の隅へと連れ出した。
「お前は知っているだろう、父の交渉相手の娘だってこと」
「まあな。でも、お前はご令嬢方の標的にされてるんだから、菓子を一回貰っただけでも自慢になるんだよ。そんで、先週の夜会で花束を強請ったのに、待てども待てども届くことはなかったってこともな」
「訂正しておくが、強請られてはいない。好きな人からは薔薇の花束がほしいという話を聞いていただけだ」
「いや、そりゃお前に言ってんだよ。気づいてんだろ」
「私が彼女に贈る理由にはならないだろう」
堪えていた溜息が思わず零れる。
領地運営上の交渉が、ご令嬢の色恋に結果を左右されるとは思いたくもない。
何度が顔を合わせて会話した印象では物事を的確に判断していそうな当主だったが、娘が泣きついても変わらぬ態度を通していてくれるだろうか。
こちらが下手にでる必要はないのだから、交渉が決裂すれば、また別の相手を探せば良い。 そうは思っていても、父の意向は分からない。
「お前、そのうち政略結婚させられかねないぞ。さっさと良い相手見つけて来いよ」
――そんな、不吉にも思えた友人の忠告を聞いた翌朝のことだった。
アネモネの花束を大事に抱えた彼女に出逢ったのは。
色鮮やかで丸みを帯びた姿が可愛らしいのに、貴族の屋敷の庭園には植えられていない花。
貴族があまり通らない地区や裏通りでは、時折見かける花。
陽の目が当たらずに勿体ないと思っていた花だけで構成された花束を慈しむように見下ろす彼女の眼差しが、思わず目に焼き付いた。
人の流れに沿って歩いていた私とは反対に、人並みを掻き分けるように歩いていた彼女から目が離せなかった。
通りを歩く人々が慌てて彼女のために道を譲る様子や、遠目からでも分かる仕立ての良いドレスから貴族令嬢であることは直ぐに分かった。
そして、誰から見ても彼女が幸せそうには見えないということも気づいてしまった。
勿体ない、と思ってしまった。
何か辛いことがあっただろう彼女が大事に抱える花束に向ける眼差しですら惹きつけられるのだから、心穏やかな日にはどんな顔を見せるのか。可愛らしい花で埋め尽くされた花束を抱えて、どのように笑うのか。
そんなことを考えていたものだから、人の流れに逆らって歩く彼女と同様に人の流れを止めるように立ち止まってしまった自分自身に気づいていなかった。
だから、必然だったのだろう。
抱える花束で隠れた靴先が石畳の窪みに引っ掛かり、バランスを崩して倒れそうになった彼女を助けられたのは、偶然ではなかった。
彼女の手から離れて地面へと落ちていく花束を受け取れたのも、ただの幸運ではなかった。
あの日の私の目には、彼女しか映っていなかったから――
◆◆◆
「最低……か」
呆気にとられていた私は、そう呟いて去って行った彼女と、彼女を追って現れては嵐のように引き返していった彼女の兄の姿が消えたことで、ようやく我に返った。
(私は彼女に何を言った?)
最低、と評されるほどの何かを口走ってしまったのか。
思い当たる節のない言われように、数分にも満たない間のことを丁寧に思い返していく。
転倒しそうな彼女を右手で支え、反対の手で投げ出された花束を取った。触れたのは彼女の肩だ。咄嗟に助けに入ったとはいえ、やましい場所には触れていない。
怪我がないか確認をし、感謝を述べてくれた彼女に花束を返すまでも良かった。転びそうになる恐怖が安心に変わって、ぎこちなくも笑みを浮かべてくれていた。
問題はその後だ。
――貴女によく似合っていますね。どちらも無事で安心しました。
そう、私は口にした。
あの花へ向けらていた柔らかな眼差しをもう一度見たいと。
私にも向けてほしいと、つい口走ってしまった。
普段なら決して口にはしない、花と絡めた女性への賛美が、意図せず飛び出してしまった。
(あの花には、どのような花言葉があるのだろう)
もし彼女が花言葉に重きを置く女性で、辛そうに見えた彼女の現状に重なる花言葉だったのなら。
長年避けていた事態になった可能性に思い至った私は、通りの先にある花屋へと駆け出していた。
そうして知ることになる。
彼女が抱えていたのはアネモネの花束で、花言葉は悲恋にまつわるものなのだと――……
◆◆◆
彼女に直接謝罪をしたいと思ったものの、まずは彼女を探すところから始めなければならない。
彼女が「お兄様」と呼んだ人物が彼女を「ハンネ」と呼んでいた。
身なりからして貴族なのは確定だが、高位貴族ではなさそうに思う。それか、身を隠しての外出か。
年は社交界デビューしたばかりか、良くて二、三年といったところか。大人になりつつあるが、あどけなさが残る少女のような雰囲気が彼女にはあった。
容姿も分かるのだから、数人にまでは絞れるだろう。あとは社交の場で直接顔を合わせれば分かるはずだと、最初のうちは高を括っていた。
人探しをする私を面白がって協力的な友人の助けも得ながら『ハンネ嬢』を探しては、彼女と思しき女性が参加していそうな夜会に顔を出した。
名を尋ねて回ったあげく人違いであれば不本意な噂が広がることが明白だったので、記憶にある彼女とその兄の顔を自力で見つけ出そうと、何度も会場内を歩き回っていた。
「お前、本格的に婚約者探しをしてるんじゃないかって噂が立ち始めてるぞ」
昼になると、クラブに顔を出すことが多い。
私に関わる噂を仕入れた時は決まって挨拶がわりにする友人を一瞥した。
「そうか。それで、お前の方は何か手掛かりが見つかったか?」
「ないない。もう調べ尽くしたよ。どのご令嬢もお前が探してる人とは違ったんだろ? 金持ちな中流階級のご令嬢なんじゃねーの」
そうかもしれない。
諦めが口を吐きそうになって、きつく瞼を閉じる。
脳裏に浮かんだのは、あの日の別れ際に見た彼女だった。
きつく眦をつり上げて、涙を湛えていた彼女の瞳。
両腕に抱いたアネモネの花束へ向けていた眼差しとは程遠い表情への罪悪感が、今でも胸に残っている。
同時に湧き上がる焦燥が、彼女を渇望していた。
(もっと手を広げて探さなければ)
何か他に手掛かりはないかと瞼を開けて、壁に貼られたポスターが目に飛び込む。
「クラブの夜会……兄の方を探してみるか」
食事や喫煙の片手間にビリヤードやカードゲームで賭け事を楽しめる紳士用のクラブは店舗によって客層が異なっていて、同年代の若者に人気な店が幾つかある。
多くの貴族令嬢が参加するパーティーの方が可能性は高いと踏んでいたが、彼女の兄に焦点を絞るなら、クラブを渡り歩いた方が良いかもしれない。
そうしてようやく、同様に考えていたらしい彼女の兄と再会を果たすことになったのである。
◆◆◆
彼女の兄に場を設けてもらい彼女に謝罪をしてからというもの、週に1度、土曜日の朝10時に欠かさず通う店ができた。
私が好きなアネモネを知りたくなったと話した彼女と偶然を装って会えるその店は、王都で一番大きな花屋らしい。
表通りと裏通りの両方に面した花屋で、彼女は決まって裏通りに顔を出した。
店の内側では店員が様々な花を束ねて包装紙で包んでいる。
彼女が選んだ淡いピンクのアネモネが丁寧に包まれていくのを眺めながら、私は長年の疑問を尋ねることにした。
「花言葉を重視するのはどうしてなのでしょう」
隣に立つ彼女が私を見上げる気配に、顔を下げる。
陽の光を溜め込んだガラス玉のような瞳が、疑問符を浮かべて瞬きを繰り返していた。
「花言葉の由来に思い入れがあるのなら分かりますが、全員が全員そうではないと思いませんか?」
思わず緩んだ口元を隠すように手の甲を鼻に当てると、蔓延する馨しい甘い花の香りに意識が向く。
この空間は何もかもが甘い。
そう感じてしまうのは私だけのようで、彼女は至って真面目に私の問いかけに向き合っていた。
「由来への思い入れ……ですか。シグルド様は難しいことを考えていらっしゃいますね」
「つい、勿体ないと思ってしまうんです。アネモネもそうですが、悲しい花言葉のせいで選ばれない花が他にもあるのなら、ああして綺麗な花を咲かせても報われないでしょう」
店員の手によって、見ごたえのある花束に整えられていくアネモネの花。
彼女とこうして会話する時間が残り僅かになっていく様を、私は遠目に見て把握できてしまう。
「花言葉を大切にされている方を否定するつもりはないので口にしたことはありませんでしたが、ハンレーネ嬢はどのように思われているのか、知りたくなりました」
目線を合わせて微笑むと、彼女は戸惑いながら視線を伏せた。
「私は単純なので、お恥ずかしいのですが」
そうして言葉を区切ってから私を見上げる彼女の頬は、仄かに赤く色づいている。
「嬉しいじゃないですか。こういう意味を込めて、私にこの花を選んでくださったのかなと思うと、より嬉しくなります。少しでも長く、枯れずに咲いてほしいと願います。花を見ると、その人のことが思い浮かびます。――幸せを、感じられたんです」
婚約者だった男を思い出しているだろうか。
店先に並ぶ満開の花々へと流れた眼差しは、彼女の長年の想いが詰まっているようだった。
彼女との婚約を破棄して早々に他の女との婚約を発表した男からも、何かしらの花を贈られたことが分かる眼差し。
受け取った花をどのように扱い、眺め、その男を想い続けていたのかが良く分かる。
伏せられた瞳から伸びる睫毛の震えで、彼女の心が今も泣いているだろうことも分かってしまうから、問いかけたことを後悔した。
(嫉妬は醜いな。どうにも勝てる気がしない……)
急いてはいけないと思いながらも、欲が勝ってしまう。
貴女を知りたい――そうした想いを込めた遠回しな告白に気づいてもいない彼女に、私の存在を植え込みたい。
店員の指先が二本の紐飾りを選んでいく。
巻きつけられたリボンを引っ張り、長さを揃えて切り離していく。
もうすぐ終わってしまう、週に一度だけの彼女との時間を引き延ばしたい。
彼女の傷が癒えるまで待てると思えていたのに、たった数分の、偶然を装った時間では物足りなくなっていく。
冷静になるために閉じた瞼の目頭が、じわりと痛みを生んだ。
「――ですが、シグルド様のおかげで、気づけたことがあります」
けれど、底抜けに明るい彼女の声音に、些細な痛みはあっさりと吹き飛ばされていく。
「大切なのは花言葉ではなくて、その花を選んでくださった理由でしたね」
「気持ち、ですか」
「はい。それを知れたら、花言葉に関係なく、好きになってしまうと思います。嬉しくて、枯れて捨てなければいけなくなるまで、大切に飾って、その方との思い出を振り返ると思います」
過去にはなかった日々を想像する彼女が私に笑いかける。
つられて微笑んでしまう彼女の心からの笑みは、私にだけ向けられている。
「ただ、誰しもが贈り物の意図を教えてくれるとは限りませんから。恋愛が絡むと特に、気恥ずかしくなりませんか? 言葉にしなくても心の内を知らせられる。それが花言葉の素敵なところではないでしょうか」
「――確かに、素敵ですね。花言葉の大切さがよく理解できました」
教えてくれてありがとうございます、と感謝を伝えると、タイミングを見計らったように店員が彼女へ花束を手渡した。
「請求はいつも通りに」と彼女が伝えると、店員も心得たとばかりに頷いて、私たちが店から離れるまで笑顔で見送ってくれる。
それから近くのカフェで時間を潰していた彼女の兄の元へ送り届けたら、互いに帰路につく。
ある程度歩いて距離が開いてから振り返り、彼女の後姿を見送るまでが週に一度だけの日課だった。
毎週こうして彼女と会うけれど、彼女が大事に抱える花束の請求は、いつも彼女の家に届いている。
いつの日か。
彼女が負い目なく受け取ってくれるようになったら、贈り物をしたい。
そして、それは花でありたいと思った。
女性への贈り物にするのを避けていた花。
彼女への初めての贈り物は、それ以外考えられないと、今日思った。
彼女が想像した未来に、私が存在していてほしい。
私が贈る花を枯れるまで大切にして、いつだって私を思い出してほしい。
私だけを、記憶に留めていてほしい。
きっと近づきつつある、いつの日か。
その願いは、彼女を家族としてしかみれないと振った元婚約者が姿を現したことで、半ば強引に叶い始めるのだった――……
◆◆◆
(あの花束は贈り物に含まれるのだろうか?)
あの場でお金を払い、受け取ったのは私だ。
けれど、花束の組み合わせを選んだのは彼女自身で、過去の婚約者が姿を現さなければ、彼女の親元へ費用請求されるはずだった花束である。
成り行きでお金を払ったからと言って、果たしてそれが私からの贈り物になるのか。
――――そうはしたくない。
そう思うと同時に、私からの贈り物は、彼女にとっても初めてであってほしいという願いが強まった。
明日には、初めて彼女と約束をした土曜日が訪れる。
彼女の兄が同伴するのではなく、私が彼女を迎えに行き、行きつけの花屋以外にも出歩く日。
いわゆる初デートというものだ。
いつになくゆっくりと進む時計の針を見遣る。
こうして考えても何が変わるでもないのに。
どうか間に合ってほしい。
それだけの気持ちも抑えきれなくなるから、冷えたコーヒーを飲み干した。
父から任されている仕事も手に付かないまま、時間は刻々と過ぎていく。
「――若旦那様」
注意を払ったノックに続く執事の静かな声掛け。
瞬時に立ち上がった私は、驚きで眉を引き上げた執事に視線で続きを促す。
「お品物のご用意ができたと連絡がございました。一時間ほど後にこちらに伺えるようですが、いかがなさいますか」
「今から私が向かうと伝えてくれ。その方が早い」
言うなり、背もたれに掛けていたジャケットを手にして、足早に自室を後にする。
皺とともに笑みを深めた執事のどことなく喜んだ見送りの言葉は既にか細く、途切れ途切れに届いていた。
「店頭に並んでいるのは遅咲きの品種なので、アネモネの花が咲く季節はもうそろそろ終わりそうなんです」
そう店員から聞き知ったのは、花言葉の大切さを学んだあの日。
帰路に着く彼女を遠巻きに見送った私は、花弁を広げて咲いたアネモネが枯れていくまでの日々を彼女のように身近で感じてみたくなって、再び花屋を訪れた。
「また来てくださったんですね」と笑顔で迎えてくれた店員に、彼女が選んだ淡いピンクのアネモネを一輪注文して。彼女が手にした花束と同じ包装紙とリボンで包まれた花を受け取った時、残念そうに知らせてくれた。
毎週訪れては変わらぬ距離感で過ごす私たちに笑顔で接してくれる店員からの予告は、見せかけの余裕で流れる月日を甘く見ていた私に期限を突きつけた。
その日以降、自室に甘い彩りを与える一輪のアネモネによって、平坦でいれた日常は揺り動かされた。
彼女の面影がありありと感じられる日々は、彼女が話したように私を幸福にさせたけれど、花弁のハリが弱まって萎れていく姿は彼女との終わりを予見しているように見えて、一層強く私を急き立てたのである。
ドアにつけられたベルがカランと甲高い音を鳴らす。
「ああ! ようこそお越しくださいました、シグルド様!」
大きく両手を広げては胸の前で握りしめて歓迎を告げる店主に、私は微笑んだ。
長い前置きが続きそうな雰囲気を一刻も早く切り替えたい。
「頼んでいた商品が用意できたそうですね。見せていただけますか」
「ええ、はい。もちろんでございます。うちの職人の最高傑作と言える出来栄えでございますよ」
案内された席につくなり、背筋を正した店員が質の良い小箱をのせたトレーを運んでくる。
その小箱を受け取った店主は、勿体ぶるように時間をかけて、丁重に蓋を開けていく。
隙間から徐々に姿を表すそれを目にする私の脳裏では、彼女の潤いに満ちた眼差しが浮かんでいた。
頬を赤く染めて、抱えたアネモネの花束に顔を埋める彼女に似ている気がした。
「いかがですか? アネモネをモチーフにしたブローチですが、髪飾りにも使える留め具にいたしました。中央はムーンストーン、周りの雄蕊はレッドダイヤモンドを用いまして、花弁は――……」
自信に満ちた口調で事細かに説明していく店主に耳を傾けながらも、明日への期待で溢れていた。
明日。
花屋へ行く前に、彼女に渡そう。
決して枯れることのないアネモネの花。
季節が移り変わっても、彼女の手元で咲き続ける花。
(私がこの贈り物に意味を持たせるとしたら)
一目惚れ――――そう言葉を付けて、彼女に贈るだろう。
君の視界を私で埋めたい。
そんな醜い独占欲は、彼女に伝えはしないけど。




