第9話 その日の前日
私は心路が入院してから週に三回のペースでお見舞いに来ていた。
理由はもちろん、学校を休んでいる間の授業内容を教えるためだ。
……表向きの理由は。
え、本当の理由?
そんなの決まっている。心路に会うためだよ。
入院してすぐの頃、心路から電話があった。
「授業の内容、教えに来てくれない?」
そう頼まれて、私は迷わず引き受けた。
それからは、学校帰りに病院へ寄って、まとめたノートを渡し、難しいところだけを説明する。
それが終わると、三十分くらい他愛もない話をして帰る。
これが最近の私のルーティンとなっていた。
心路の話では、症状はどうやらただの貧血だったらしい。
……”ただの”にしては、大げさな気もするけど。
そんな、ある日のことだった。
いつも通りの簡単な授業を終えて、教科書を鞄にしまいながら、私は言う。
「いつも思うんだけどさ、病院って暇じゃないの?」
「たしかに暇だったけど、りかっちがたくさん来てくれるからね〜
私は週一でいいよって言ったのに」
心路がそう言って笑う。
「い、いや〜……そのほうが一回で教える量少なくて済むし」
本当はもっと行きたいぐらいなんだけどね。
荷物をまとめ終えて、ベッドの横の椅子に座る。
「りかっち」
心路が、ふと私の名前を呼ぶ。
「ん?」
椅子に座ったまま、顔を上げる。
心路は、天井を見てから、ぽつりと口を開いた。
「もしさ」
「うん」
なんとなく、膝の上に置いていた鞄を床に下ろす。
カーテンが風で揺れていた。
「もし、私の寿命が、あと一年しか無いって言ったら、どうする?」
え。
唐突な言葉に、一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。
「え、心路、死ぬの?」
「いやいや、もしの話だよ。まだ私は死なないよ」
そういって、少しだけ笑う。
……そう、だよね。
そんな、急に、死ぬわけないよね。
「だよね。いや〜、本当の話かと思ってびっくりした〜」
まだ少し、私の言葉が上滑りしていた気がする。
小さく息を吐く。
「もし、そう言われたらか」
「うん。」
少し考える。
「分かんないな、いざ、そのときになってみないと」
視線を少し落とす。
「泣くかもしれないし、何も考えられなくなるかもしれないし」
少し言葉を探す。
「でも……なんとなくだけど、”そっか”って言っちゃいそう」
心路は黙って頷く。
「というか……」
続きを言おうとする。
けど、うまく言葉がまとまらない。
さっきから胸の奥で何かが引っかかっていた。
いや、それはずっと引っかかっていたのかもしれない。
それに今まで気が付かなくて、ようやく今気づいたのは、私がずっと、臆病だったからだ。
その現実から、なんとなく目を逸らしていたからだ。
胸の奥に引っかかっていたのは、『不安』という感情だった。
「心路……死なないよね」
気づけば、私は口を開いていた。
私は知っていた。心路には何かしらの持病があるということを。
このことを最初に知ったのは偶然だった。
毎年4月に担任に提出する保健調査票がちらりと見えたのだ。
本当に一瞬だったので詳しくは分からなかったが、病気のところに何かが書かれていた気がした。
でも、なんとなく、気のせいだろう、と思うことにしていた。
心路が本当に病気を持っているということを確信したのはこの前の修学旅行のことだった。
のどが渇いたと言って自分のベッドに戻り、鞄の中から水筒を取り出したときに、水筒の裏で一緒に薬を取り出していたのを知っている。
そして、水を飲むふりをして、薬も飲んでいた。
誰にも見られないように、隠すみたいに。
その時に心路は本当に誰にも知られたくない持病があるんだ、ということを知った。
私にも隠し事はあるんだし、別にそれについてどうこう言うつもりはない。
だけど、死ぬ、となったらまた別の問題だ。
「ねえ」
私は、少しだけ前のめりになる。
「まだ……死なないよね?」
止まらなかった。
「ちゃんと、いるよね、これからも」
心路は、少しだけ黙る。
それから、ふっと笑った。
「大丈夫だよ」
でも、
「……ほんとに?」
どうしても、引き下がれなかった。
そう言ってから、はっと我に返った。
「ごめん……もし、本当にそうだったら、と思っちゃって。」
自分でも、情けないなって思う。
でも、それが一番正直な気持ちだった。
「……りかっち」
心路が、静かに名前を呼ぶ。
「ちゃんと話すよ」
「……え?」
私は顔を上げる。
心路は今までにないくらい真剣な表情をしていた。
「さっきの話も含めて、今まで言ってなかったこと」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
やっぱり、そうなんだ。
「でも、この続きは明日でいい?」
心路が、もう一度こっちを見る。
「ちょっとだけ、考えをまとめたい。」
「……うん」
私はゆっくりと頷く。
心路は、ほっとしたように笑った。
でも、その笑顔が、どうしてか、少しだけ寂しそうに見えた。
帰り際。
ドアに手をかけて、一度だけ振り返る。
心路は、また窓の外を見ていた。
声をかけようとして、やめた。
なんて言えばいいのか、分からなかった。
ドアを閉める。
そして、静かな廊下に出る。
胸の奥が、ずっとざわついていた。
明日、心路は「本当のこと」を話すと言った。
それが何なのかは、まだ、分からない。
でも、きっと、軽い話じゃないだろう。
歩きながら、考える。
もし、本当に。
もし、あの話が、“もし”じゃなかったら。
そのとき、私は……
足が止まる。
「……だめだ」
小さくつぶやく。
こんなふうに考えても、何も変わらない。
でも、もし、本当に時間が限られているんだとしたら。
私は、このままでいいの?
言いたいことがあるのに、ずっと言えないままで。
今日も、今までも、結局、何も言えなかった。
胸の奥が、じんわり痛くなる。
多分、ここで言わなきゃ、私は一生後悔する、そんな気がした。
昔読んだ本の言葉をふと思い出す。
告白できないのは、相手より自分の心を優先してるからなんだって。
改めて、自分が臆病だったことを思い知らされる。
息をゆっくり吸って、吐く。
明日、心路が、本当のことを話す。
だったら、私も、逃げない。
「……よし」
明日、ちゃんと伝えよう。
ずっと言えなかったこと。
「好き」って。
ちゃんと、自分の言葉で。




