中編
『――そうよ。だって、私が彼の一番になりたかったんだもの』
アレはいつだったか。面会に訪れた住人に対して、膨れた腹を撫で、彼女――『元』生徒会長は愉快そうに口角を上げた。
『出し抜かなきゃ、出し抜かれるの。分かるかしら? 皆ね、水面下では同じ腹積もりよ。誰が最初に動くか、けん制し合ってた』
言葉が出ない。だって皆、楽しそうだった。幸せそうに笑っていた。西城を囲んではしゃぎあっていたのを、住人は見ていた、のに。
『貴方の時とはね、違うの。アレはそう、部活動みたいなものだった。同じ目的に対して、仲良く挑めた。負けても、たぶん納得できたから』
でもね、と。彼女はどこか寂しそうに笑って言った。
肉体の交わりがあれば、話は変わる。その先を望んでしまう。
だから、彼女は避妊具に穴を空けて。その後も、ピルを飲んだとウソを吐いて。
彼との子供を、授かろうとしたのだった。
そうして、その選択により……地獄が、幕を開けた。
彼女の動向に目を配っていた他の女子たちが、こぞって同じように避妊を拒み、あるいは虚偽を述べて――次々と西城の子を妊娠していった。
その頃になると、傍から見ていた住人も気づくくらい、険悪な雰囲気が漂い始めていた。
西城の元に集った女の子たちは、互いを罵り、足を引っ張り、醜悪な様をこれでもかと露出させる。
彼もまた、事態の危うさに気づいたのだろう。収集しようと奔走するも、既に手遅れで。
そうして、決定的な事件が起きる。妊娠初期だったハーレムメンバーの一人が、他の女子と揉めて、階段から転げ落ちたのだ。結果は流産。被害者の少女も、少なからず肉体に傷を負った。
状況的に加害者となってしまったのは、住人の後輩だった少女。快活で、底抜けに明るくて無邪気で。皆に妹みたいに可愛がられていた女の子。
『そんなつもりじゃなかったんです。でも、魔が差したんじゃないかって言われたら……否定できません。だって、先輩のお嫁さんになれるのは、たった一人だけだったから』
彼女もまたストレスと罪悪感に押しつぶされ、自傷行為に走り……そうして、お腹の子は流れた。
ここに至り、もはや情報を遮断することは出来ず、事は全て公の元に明かされてしまう。
特に娘の妊娠を知った、彼女たちの両親は大激怒。手に手を取って西城への報復として法的処置を行うこととなる。
西城はこの時点で十八歳。既に成人を迎えていた。
「……いい気になっていたんだろうな、俺。普通では手に入らないような、極上の美少女たちが俺一人に奉仕してくれる。皆さ、仲良く幸せそうに笑ってて。ほんと、夢みたいな光景で……」
そのどこまでも身勝手な言葉は、しかし住人の胸にも突き刺さる。形こそ違えど、自分もまた同じことをしていたのだと、改めて自覚せざるを得なかったから。
「俺が、皆の人生を台無しにしちまった。普通に考えれば、あんな日々が永遠に続くはずがないって、分かってたのに」
期間限定の甘い夢。彼は迫りくる現実を拒み、それに溺れた。
『穂村くん、貴方が悔やむことは無いのよ。それに西城くんも。一番悪いのは、私。良い年をした大人なのに、現実から目を背けて生徒たちを傷つけた……馬鹿な教師』
指導は厳しくも、朗らかで優しい女性教師。彼女に住人は、密かに亡き母親の姿を重ねていた。
虚ろな目でため息を吐くその姿は、とても痛々しくて見ていられなかったのを思い出す。
「なんだったんですかね、アレ。今考えれば、異常過ぎた。誰もが皆、熱に浮かされたように……いえ」
住人は頭を振った。
「熱狂するように、情欲の赴くまま身を躍らせた。まるで、恋愛こそがこの世の真理で。全てに先んじる、唯一絶対の価値観だとでもいうように」
阿鼻叫喚の炎は、住人の周囲すら巻き込んで広がり、飲み込んで――そうしてある時、パタッと消えた。まさしくそれは、夢から醒めるように。愛欲に狂った思考から、女性たちは次々と目覚めていった。
それが、第二の地獄の始まりであった。
「……ぜんぶ、俺のせいだ。俺が、ぜんぶ」
歯を食いしばり、西城は拳を握りしめる。その手が添えられていたズボンは引きちぎれんばかりに歪み、そこから赤い染みが広がってゆく。
「すまなかった……!」
西城は思い切り頭を下げる。住人に、かつて彼が見下していた男に向けて。
「止めてください。俺はその謝罪を受ける資格はありません。あなたが謝る相手は、彼女たちだけだ」
それが残酷な宣言であると知りながら、あえて住人はそう告げた。
彼女たちへの接近禁止が言い渡され、慰謝料なども西城の父親が全てを支払ったと聞く。
生まれた子供と会う事すら許されず、近況を知ることさえ叶わないのだ。
「……アイツらは、その後」
「なんとか、なりましたよ。ええ、気休めやウソではなく。皆、自分の人生をちゃんと歩んでいます」
西城が刑に服して、夢から醒めさせられてしまった彼女たち。その反応は様々だった。泣きじゃくる者、閉じこもる者。世を儚み、身を投げようとした者まで居た。
そんな彼女たちに、少しでも救いを捧げたくて。住人は文字通りに駆けずり回った。
所詮は、単なる高校生。何が出来るわけでもない。それでも、周囲の大人たちと相談し、自分のやれる範囲で彼女たちを支え、社会復帰に尽力した。善意からではない、もっと汚い感情。単なる贖罪に過ぎなかった。だが、もう二度と後悔したくないと、自分の学生生活すら投げ出す勢いで彼女たちと向き合い、そして。
「奇跡的に、上手く収まりました。今でもたまに、連絡を取り合ってますよ。直接顔を合わせはしませんが、年一くらいで集まってリモート会話もしています」
便利な世の中になりましたよね。そう笑ってやると、西城は体を脱力させてしまった。
ベンチからずり落ちそうになる体を、住人は咄嗟に手を伸ばして支えてやる。その腕は、微かに震えていた。
「ちょ、大丈夫ですか!?」
「ああ、ああ……大丈夫、大丈夫だ……ありがとう……」
泣き笑いのような表情を見せ、西城は両手で顔を覆う。すすり泣くような、嗚咽が響く。
彼のしたことは、恐らく許されないことだろう。苦しんだのは彼女たちで、それを本当の意味で償うことなど出来やしないのだ。西城にも、そして住人にも。
あんなにも想い人との子を望み、彼の一番の座に執着したというのに、結局は結婚も子供を押し付けることもせず、家族の手を借りて育児に励んでいる元生徒会長たちを思い出す。
『最近はもうね、生意気でしょうがないのよ』
そう言いながらも。彼女らは幸せそうに、笑っていた。
「――やっぱり、主人公には敵わないか」
やがて、ぽつりと。西城が奇妙な言葉をつぶやいた。
そういえば、高校時代。住人はフッと思い出す。彼は何度か、こちらを指してその単語を吐き出していた、ような。
「なあ、もしもだ。もしもの話だ」
西城は俯きながら、急くように口を開く。
「この世界が、作り物だとしたら――どうする?」
「どうするって……そんなことを言われても」
仮想現実空間とか、SF映画みたいなものを指して言っているのだろうか。いまいち、意図が読めない。つかめない。
「ああ、そういえば。昨夜もアイツがなんか、その手のアニメを見てましたね。なんでしたっけ、ゲームとか小説の世界に生まれ変わって大活躍する、みたいな」
「……っ!!」
はっきりと、西城が顔を青ざめさせる。その様子は真に迫っていて、とても演技や冗談には見えない。
誇大妄想を患っている狂人とも思えず、続く言葉をどう紡ぐべきか、住人は迷ってしまう。
そのためらいに滑り込むように、西城は震えながら口を開く。
「俺はな、お前らの物語が幸福に成就するのを観たかった。最初はただ、それだけだったんだ。お邪魔の敵役に生まれ変わったからって、そんな風に生きたくはなかった。だから、真面目に誠実に日々を過ごそうとして」
「先輩……」
「でも、お前は不甲斐なくて。少なくとも俺にはそう見えて。とてもヒロインたちを任せられないと、そう思って」
そこで、彼は大きく息を吐いた。まるで、溜め込んだ泥を、己の罪を吐き出すように。
「でも、そんなのは俺のエゴだった。なにも、なにもしなければ良かったんだ。結局俺は、なにも変わっちゃいない。いつもそうだ、余計な事ばかりして叱られて。そうして人生に失敗した、前のオレとなにも――」
「パパ!!」
不意に、甲高い声が響く。明るく喜びに満ちた、幼い子供の声。
「舞……」
駆け寄ってくる女の子を、西城は抱き上げた。
口元を僅かに緩ませ、彼は困ったように目尻を下げていて。
父親の顔をしていると、住人は直感的にそう思う。
「可愛いなあ、あの時のお子さんですね」
「ああ、今年で五歳になる……ほら、舞。覚えているかい? あの時に車から助けてくれたお兄さんだよ」
はぁい、と。可愛いお下げの髪を振りながら、少女はぺこりと頭を下げる。
「さいじょう、まいです! ごさいです! おくるまからたすけてくれて、ありがとうございます!」
「えらいね、ちゃんとご挨拶できるんだね」
「えへへ……!」
住人が頭を撫でてやると、幼子は頬を紅潮させて笑う。
「おじさんはね、お父さんの昔のお友達でね。穂村っていうんだよ」
「ほむら、おじさん?」
「ああ、そうだよ。ほむらおじさんだ」
体を屈めて、目線を合わせる。大きな丸い目が、恥ずかしそうに揺れている。
彼の下にかつて集った女性たちの、その誰とも似ていない顔立ち。心当たりのある面影すら見えない。
ふと視線を感じて頭を上げると、やや離れた場所に女性の姿があった。焦ったように、小走りにこちらへ近づいてくる。
「カミさんだよ。七年前に知り合った。職場の同僚で……」
「あの人は、その。先輩の」
「知っている。それでも、受け入れてくれた。受け入れて、くれたんだ……こんな、俺を」
泣きそうな顔で、西城は娘を抱きしめる。少女は父親の様子に戸惑いつつも、その小さな手を彼の頭に乗せた。
「パパ、泣いてるの? おなかいたいの?」
「違うよ、痛いのは……」
啜り泣き始めた西城を横目に、住人は立ち上がる。
「それでは、俺はこれで」
「ま、待てよ。カミさんも、お前にお礼が言いたいって」
「そういうの、苦手なんですよ。それにそろそろ、待ち合わせの時間なんで」
関係を変に勘繰られない方が良い。それがお互いの為だろう。空になったコーヒーの缶を二つ揃えて持ち、住人は歩き出す。
恐らく、西城と会うのはこれが最後だろう。そんな予感があった。
「俺の推しはな、お前たちだったんだ!」
「え?」
意味の分からない叫びに、住人は振り返る。
西城は、あの傲岸不遜ともいえる無敵だった先輩は。
両目から大粒の涙を溢れさせ、ただ真摯にこちらを見つめていた。
「愛歌――姫島と、お前が! お前たち二人の物語が、大好きだったんだ!」
その手で破壊しておいて、何をいまさら。そう思わなかったわけではない。かつての怒りと、憎しみ。どうしようもない自身への不甲斐なさと絶望。それらが脳裏を駆け巡る。
掛けるべき言葉を悩んだのは、ほんの一瞬だった。
「……彼女はもうね、姫島じゃないですよ」
「あっ」
西城の顔が、くしゃりと歪む。
その表情に喜びが浮かぶのを見て、住人は微笑んだ。
それだけで、今日。ここに来た甲斐があると、そう思えたから。




