第005話 極振りヒーラー、小さな成長と油断の痛み
ナンバリングした方が見やすいかなと思ったので、1話~4話までのタイトル名だけ変更しました。
ログインの光が晴れ、ゆっくりと視界が開けていく。
ステラは両手を軽く広げながら、朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
昨日よりもずっと鮮やかに見える街並み。
屋根の上では白い鳥が羽ばたき、石畳には朝日が反射してきらめいている。
NPCの商人たちが露店の準備を始め、焼きたてのパンの香りが風にのって漂ってきた。
「……やっぱり、いい世界だなぁ」
昨日は初めての戦闘に緊張して景色を楽しむ余裕もなかった。
でも今は違う。
ほんの少しの経験が、すべてを新鮮に、そして優しく見せてくれる。ステラは右手を見つめた。
その薬指には、淡い青に輝く《蒼流の指輪》がはまっている。
「この指輪のおかげで、MP切れの心配は減ったかなぁ」
小さく微笑んで、そっと指輪を撫でる。
戦闘中でもMPが回復するようになったおかげで、《ヒール》を使うタイミングを焦る必要がなくなった。それだけでも、心の余裕がまるで違う。
ただ――完全に安心というわけではない。
「でも……防御がほぼゼロなのは、やっぱり怖いなぁ」
歩きながら、ステラはメニューを開き、自分のステータスを見つめる。
WISに全振りしたことで、回復力とMPは飛躍的に伸びた。
けれどVITは、いまだに初期値のまま。
思い出すのは、昨日の戦闘。
ブラックスライムの一撃で、HPが一気に半分まで削られたあの瞬間だ。
(ヒールで立て直せたけど、もしあの一撃の前に、もう一発受けていたら……)
背筋が冷える。攻撃が重い相手、あるいは敵が二体同時に襲ってきたら、《ヒール》を唱える猶予もなく、瞬殺されるかもしれない。
「回復だけじゃ、受けきれないかもしれない……」
そんな不安が、胸の奥に強く灯る。
攻撃を受けるたびに《ヒール》を使うのは、いくらMPが回復しても効率が悪い。
一時的にでも、このVITゼロの身体の防御力を上げられるようなスキル――何か、ないだろうか。
ステラはそんなことを考えながら、街の門を抜けた。
朝の光が彼女の髪を照らし、草原の方角に続く小道が伸びている。
「うん、とりあえず、今日も花咲きの草原から、だね」
指輪を確かめるように一度握りしめてから、ステラは歩き出した。
青空の下、花々が風に揺れる――昨日と同じ景色。
けれど彼女の胸の内は、もう昨日とは違っていた。
「もっと強くなる方法を見つけよう」
小さくつぶやいたその声は、風に溶けて、草原の彼方へと消えていった。
花咲きの草原へと続く道は、朝露に濡れてきらめいていた。
ステラは杖を片手に、昨日よりも軽い足取りで歩いていく。
ゲームとはいえ、こうして草の香りを感じながら進むのは不思議な気分だった。
小鳥のさえずり、遠くで流れる小川の音――この世界の空気が、彼女を包み込む。
「さて、今日もがんばろっか」
そんな独り言を口にした途端、道端の茂みがぷるりと震えた。
淡い青色のスライムが、ころんと転がり出てくる。
「よし、昨日より早く倒せるかな?」
ステラは一歩下がり、魔法詠唱を始めた。
敵の攻撃を受けるたびに《ヒール》で回復しながら、じっくりと距離を取る。
それはもはや昨日のような必死さではなく、呼吸のように自然な動きだった。
攻撃の合間、彼女は思う。
ヒールを唱えるタイミング――少し早く唱えすぎると無駄になる。
けれど、遅すぎればHPがゼロになる危険。
この絶妙な駆け引きが、少しだけ楽しくなってきていた。
やがてスライムは光の粒となり、草の上に消えていく。
「ふふ、いい感じ」
経験値が通知ウィンドウに表示される。
小さな達成感が、胸の奥をくすぐった。
その後も、何度か戦闘を重ねながら進んでいく。
花粉をまき散らしてくる《ポレンバグ》や、群れで飛び回る《ミニホーネット》。
どの敵も、攻撃力こそ高くはないが、被弾すると地味に痛い。
VITゼロのステラには、油断が命取りだ。
「うっ……っ、やっぱり硬い防具ほしいなぁ……!」
敵の攻撃を受け、慌てて《ヒール》を唱える。
詠唱のたびに杖の先が光を放ち、そのたびに彼女の身体が柔らかく癒えていく。
戦闘に慣れるにつれ、彼女の動きにはリズムが生まれていた。
ヒールの発動間隔、敵との距離の取り方、MP残量の感覚。
昨日の彼女とは、明らかに違う。
……だが、その“慣れ”が、ほんの少しの油断を生んだ。
ふいに、空が陰る。
ついさっきまで澄み渡っていた青空に、灰色の雲が流れ込んできた。
冷たい風が吹き、草花がざわめいた。
「天気、変わるの早いな……」
そんな呟きをした次の瞬間。
足元で、ぐにゃりと何かが動いた。
「え……?」
視線を落とした時にはもう遅かった。
地面の下から、どろりとした半透明の塊が飛び出す。
《スライム・アサルト》――草原の奥に生息する、奇襲型のモンスターだ。
「きゃあっ!?」
ステラはとっさに身を引いたが、足元の土が滑り、バランスを崩す。
そこへ勢いよく体当たり。
HPバーは一気に赤色に変わり、点滅を始める。
「っ、ヒール!」
反射的に詠唱するも、胸の鼓動が早まって止まらない。
――怖い。
ほんの数秒の油断で、命を落としかけた。
杖を構え直し、震える声で呟く。
「……防御がないって、こういうことなんだ」
奇襲型スライムは再び跳ね上がる。
ステラは、本能的な恐怖に突き動かされ、ほぼ反射で《ヒール》を重ねた。
スライムの体当たりが腹部にめり込む。
瞬間、HPバーが赤くなるまで再び大きく減る。
ステラは、HPバーの減少を視界の端に捉えた直後、息をするように「《ヒール》」の詠唱を放ち、回復の光でダメージを相殺する。
スライムは休みなく、間髪入れずに次の攻撃を仕掛けてきた。今度は右肩に衝撃を受ける。
(このままじゃ、連続でやられる!)
「ヒール!」
彼女のWISが叩き出す圧倒的な回復量は、スライムの連続攻撃によるダメージを瞬時に上書きする。
まるで、水槽に穴が開くのと同時に、ホースで水を注ぎ込んでいるかのような、無茶な相殺戦術だった。
ステラは、この回復の連鎖が切れたら終わりだと理解し、恐怖を回復魔法の連打でねじ伏せた。
そして、回復の合間のわずかな隙を逃さず、渾身の力を込めて杖を突き出す。
杖がスライムの核を貫き、光の粒となってスライムが弾け飛ぶ。
荒い息を吐きながら、ステラは胸元の指輪を押さえる。
指輪から淡い光が漏れ、MPがゆっくりと回復していく。
「……もう、こんな戦い方は、いつか限界が来る」
視界の先に広がるのは、雨雲に覆われた花咲きの草原。
全身の緊張が解けないまま、彼女は強く杖を握りしめる。
VITゼロの身体で被弾を許容し、回復量で無理やり押し切る戦法は、あまりにも危険すぎる。
《ヒール》の連打で命を繋ぐのは、まさに綱渡りだ。
(一時的にでも、一瞬だけでもいいから、この被弾を耐えられる手段があれば、どれほど楽になるだろう)
そんな切実な願望が、胸の奥で渦巻く。
それでも、彼女の足取りは止まらない。
不安も、恐怖も、ひとつの“経験”として前へ進むために。
そして――この先、彼女が“防御”という新たな力を得るとは、まだ知らなかった。
何事も油断大敵ですよね。
次は11/20に投稿予定です。




