第051話 極振りヒーラー、水の神殿2
階段を上り切った瞬間、空気が変わった。
第一層と同じく冷たいはずなのに、どこか張りつめている。
水音はある。だが規則的だった下層と違い、こちらは不揃いで、あちこちから微かに響いてくる。
「……なんか、さっきより静かじゃない?」
ステラが小声で言った。
「静かすぎる、かな」
ヒマワリは剣を握り直し、周囲を見回す。
第二層は、天井が低めだった。
壁は白い石だが、ところどころに苔のようなものが付着し、水が染み出している。
床は浅く水に覆われ、歩くたびに小さな波紋が広がった。
「足音、目立ちそうだね」
「うん……」
ステラは無意識に歩幅を小さくする。
少し進んだところで、ヒマワリが手を上げた。
「止まって」
ステラは足を止める。
「前に何かいる」
指差す先。
柱と柱の間、水面の向こうに――何かが、ゆっくりと動いていた。
人型に近いが、輪郭が曖昧。
水と影が混ざり合ったような、不定形の存在。
足音はない。ただ、水が揺れる。
「……敵、だよね?」
「たぶん」
ステラは杖を構えた。
「今なら、気づかれてない……よね?」
「うん。距離もある」
一瞬の沈黙。
「じゃあ――」
ステラは息を吸い込む。
「《フェニクス・フレア》!」
炎の鳥が生まれ、一直線に飛ぶ。
水面を焼き裂き、モンスターへと直撃――
……したはずだった。
炎は、すり抜けた。
「え?」
命中音がない。
ダメージ表示も、浮かばない。
しかし、その瞬間――
モンスターが、こちらを向いた。
水面が揺れ、低い音が響く。
同時に、周囲の通路から、別の影が動き出した。
「……増えた!?」
一体、二体。
柱の影、水路の奥、天井近くの暗がり。
同じ存在が、次々と姿を現す。
「ステラ、下がって!」
ヒマワリが前に出る。
「ちょ、ちょっと待って、今の攻撃……!」
「考察は後!まず距離!」
水面がざわめき、影たちが一斉にこちらへ向かう。
直接攻撃はしてこない。
だが、近づくにつれて水流が乱れ、足場が不安定になる。
「引き寄せ系、かな……!」
ヒマワリはステラの手首を掴み、来た道へと走る。
「ご、ごめん!私、先に撃っちゃって……!」
「いい判断だよ。試した結果が分かった」
背後で、水音が強まる。
だが、一定距離を取ると、それ以上は追ってこなかった。
二人は角を曲がり、柱の陰に身を寄せる。
「……はぁ……」
「ふぅ……」
しばらく待つ。
水音は、やがて元の静けさに戻った。
「今の……倒せなかったよね。不死鳥の炎がすり抜けたように見えたよ」
「ステラ、さっきの敵……HPバー見えた?」
「え?えっと……」
ステラは記憶を辿る。
「……見えなかった、かも」
「やっぱり。普通の敵なら必ず表示されるはずなのに」
ヒマワリは小さく息を吐く。
「攻撃も通らなかった。ダメージ表示すら出なかった」
「じゃあ、あれって……」
「倒せない敵、だと思う」
ステラは目を丸くする。
「倒せない……でも、敵なんだよね?」
「うん。でも、倒す対象じゃない。たぶん、このダンジョンのギミックの一部だと思う」
ヒマワリは周囲を確認しながら続ける。
「見つかったら、増える。近づいてくるけど、直接攻撃はしてこない。でも、足場を乱して動きを封じてくる」
「……ああ、なるほど」
ステラは納得したように頷く。
「つまり――」
「見つからないように進め、ってことだね」
ヒマワリが苦笑する。
「隠密ダンジョン、か」
「私、そういうの苦手なんだけどなぁ……」
ステラが困ったように笑う。
「大丈夫。私が先導する。ステラは私の後ろをついてきて」
「うん、お願い!」
第二層の探索は、そこから慎重になった。
柱の配置、水路の流れ、天井の高さ。
二人は周囲を観察し、小声で情報を共有する。
「……あの柱、影が濃い」
「水音、そっちの方が小さい」
徘徊するモンスターは、視覚よりも音や水流に反応しているようだった。
水を蹴立てると、わずかに動きを止め、こちらを向く。
「なるべく、水を揺らさないように」
「忍び足、だね」
二人は歩調を合わせ、ゆっくりと進む。
時折、影が近づく。
そのたびに柱の裏に隠れ、水流が落ち着くのを待つ。
「……なんか、かくれんぼしてるみたい」
「ダンジョンでそれ言う?」
小さく笑い合うが、油断はしない。
通路を抜けると、視界が少し開けた。
天井が高くなり、水の流れも緩やかになる。
そして――
「……あれ」
ステラが立ち止まった。
通路の中ほど、水路の脇に――青白く発光する何かがいる。
クラゲのような形状で、水面から半身を出し、ゆっくりと浮遊している。
「今度のは……色が違う」
ヒマワリも気づく。
それは徘徊していた影とは明らかに異なっていた。
人型ではなく、クラゲのような形状。
水面から半身を出し、ゆっくりと浮遊している。
「HPバー、ある?」
「……うん。ある」
ヒマワリが確認する。
「倒せる敵だ!」
ステラの表情が明るくなる。
「よし、じゃあ――」
「待って」
ヒマワリが手を上げる。
「音、立てたら徘徊モンスターが来る」
「あ……そっか」
ステラは周囲を見回す。
幸い、今は影の姿は見えない。
「じゃあ、素早く倒そう。私が先制する」
ヒマワリは《加速》を発動し、一気に距離を詰める。
「《サンダーラッシュ》!」
雷を纏った三連撃が、クラゲの柔らかい体を切り裂く。
電撃が水を伝い、大きなダメージが入る。
「効いてる!」
ステラも即座に詠唱する。
「《フェニクス・フレア》!」
炎が直撃し、モンスターは光の粒となって消えた。
「……よし」
二人は息を整える。
周囲を確認するが、影は現れない。
「音を立てすぎなければ、大丈夫みたいだね」
「うん。じゃあ、見つけたら倒していこう」
探索を再開してしばらく進むと、今度は水路の中に、魚のような形をしたモンスターが泳いでいた。
「水中にいるから、近接は厳しいかな」
「じゃあ、私が――」
ステラは杖を向ける。
「《フェニクス・フレア》!」
不死鳥の炎が水面を叩くと、静寂を破る鋭い蒸気の音が立ち上った。
水面を這う白い霧の向こう側で、魚型のモンスターが銀色の腹を露わにし、力なく跳ねている。
「追撃!」
ヒマワリは《ウィンドスラッシュ》を放ち、風の刃が水を切り裂く。
魚は光となって消えた。
「いい連携だね」
「うん!」
徘徊モンスターの影を避けながら、倒せる敵を確実に撃破していく。
水の結晶でできた人型、天井から落ちてくるスライム、水の渦から現れるエレメンタル――
様々な水属性のモンスターが現れるが、二人の連携で次々と倒していく。
「ステラ、だいぶ慣れてきたね」
「うん!ヒマワリちゃんの動き、見てたら分かるようになってきた」
「……そっか、分かってきちゃったか」
ヒマワリはいたずらっぽく目を細めると、隣で夢中になっているステラの様子を満足げに眺めた。
自分の動きを「見てくれている」という事実が、胸の奥をじんわりと温める。
ステラがこの世界を楽しんでくれていることが、何よりも自分の勝利であるかのように、ヒマワリは幸せを噛みしめながら微笑んだ。
探索を続けるうち、視界がゆっくりと開けた。
天井はさらに低くなり、光はほとんど届かない。
水面は鏡のように静まり返り、足元の波紋さえ吸い込まれていく。
「……ここ、なんか変だね」
ステラが小声で言った。
「うん。広いのに、敵がいない」
ヒマワリは周囲を見渡しながら、違和感の正体を探す。
徘徊モンスターの影は、どこにもない。
水音すら、遠くへ退いているようだった。
「さっきまで、あんなにいたのに」
「意図的に、避けてる感じがする」
二人は慎重に中央へ進む。
そのとき――
「……あ」
ステラが足を止めた。
円形広間の奥。
壁だと思っていた部分に、わずかな段差が見える。
近づくにつれ、それが"階段"だと分かった。
白い石で造られた階段。
水に濡れながらも崩れず、上へ、上へと続いている。
「これ……」
「第三層、かな」
ヒマワリは階段の下に立ち、上を見上げた。
水の神殿は、さらに深部へと続いている。
「まだまだ先は長いのかな……」
「そうだね。探索を始めてからだいぶ時間も経ったし、そろそろボスも近いかもしれない。一度しっかり準備を整えてから行こうか」
二人は一度腰を下ろし、装備の緩みを締め直し、アイテムの残数を念入りに確認した。
見上げる階段の先は、冷たく澄んだ空気が漂い、これまでの階層とは違う威圧感を放っている。
「よし、行こう!」
「うん、行こう!」
二人は、第三層へ続く階段に足をかけた。
水音が、再び形を変え始める。
――本当の試練は、まだ先にある。
次は2/27 21時投稿予定
お楽しみに!




