第050話 極振りヒーラー、水の神殿1
神殿の扉が背後で静かに閉じた瞬間、外の世界の気配がすっと遠ざかった。
「……空気、冷たいね」
ステラが小さく息を吐く。
白い息が、ほんの一瞬だけ宙に浮かんで消えた。
神殿の内部は、外観以上に静謐だった。
天井は高く、淡い青の光を放つ結晶が一定間隔で埋め込まれている。
壁や床は白い石で統一されているが、ところどころに水が流れる溝が彫られており、さらさらと小川のような音が響いていた。
「音が反響してる……ちょっと幻想的だね」
ヒマワリが周囲を見回しながら言う。
「うん。敵が出てきそうなのに、なんだか落ち着く」
ステラは杖を胸元で抱え、きょろきょろと視線を動かす。
緊張はしているが、巨大魚の体内にいたときのような不安感はない。
「まずは、構造把握かな」
ヒマワリが地図ウィンドウを開く。
「……やっぱり未踏エリア扱いだね。マップ、真っ白」
「え、真っ白?どういうこと?」
ステラが不思議そうに首を傾げる。
「ダンジョンって、最初から地図が表示されるわけじゃないんだ。歩いた場所から少しずつ地図が埋まっていくタイプもあるんだよ」
「へぇ……そうなんだ。じゃあ、歩きながら地図を作っていく感じ?」
「そうそう。だから、慎重に行こう」
「わかった!」
二人は並んで、第一層の奥へと足を進めた。
最初に現れたのは、広い回廊だった。
左右に分岐があり、中央には浅い水路が走っている。
「分かれ道だね」
ヒマワリが立ち止まり、ステラを振り返る。
「どっちに行く?右と左、ステラはどっちがいいと思う?」
「えっと……」
ステラは両方の通路を見比べる。
ヒマワリが床に刻まれた模様に目を落としているのに気づいた。
「……右の方、何かあるの?」
「足跡がある。誰かが通った跡だね」
よく見ると、水に濡れた床に、かすかな足跡のような跡が残っている。
「あ、ほんとだ。じゃあ、誰か先に入ってるってこと?」
「そうだね。でも、このダンジョン、1パーティーしか入れないはずだから……」
ヒマワリが少し考える。
「おそらく、私たちより前に入った人がいて、もう出て行ったんだと思う」
「なるほど……じゃあ、右は探索済みかもしれないんだね」
「可能性は高いかな。どうする?」
ステラは少し考えてから、左の通路を指差した。
「じゃあ、左に行ってみよう!誰も行ってない方が、なんか楽しそう」
「了解。じゃあ、左で」
二人は左の通路を選び、歩き始めた。
通路を進むにつれ、床の水位が少しずつ上がっていく。
足首、くるぶし、やがてふくらはぎの下あたりまで。
「だんだん深くなってきたね」
「でも、泳ぐほどじゃないかな」
ステラがローブの裾を持ち上げながら言う。
「……あれ?」
しばらく進んだところで、ステラが足を止めた。
「どうしたの?」
「今、床……ちょっと揺れなかった?」
ヒマワリも足元に意識を集中する。
「……うん。微妙に、水の流れが変わった気がする」
次の瞬間。
通路の奥から、水音が強まった。
「来るよ」
ヒマワリが短く告げる。
水面が盛り上がり、人型に近い形を取る。
透き通った水の身体を持つ魔物――《ウォーター・スピリット》だ。
「数は……三体!」
ステラは即座に杖を掲げる。
「《プロテス》」
「ありがとう!」
ステラがプロテスをかけると同時に、ヒマワリは地面を蹴り、《加速》を発動させて一気に距離を詰める。
「《サンダーラッシュ》!」
雷を纏った三連撃が、水の身体を切り裂く。
電撃が水を通じて広がり、ダメージが表示される。
「雷、効いてる!」
「じゃあ、続けて!」
ステラが詠唱する。
「《フェニクス・フレア》!」
不死鳥の炎が水精に叩き込まれ、蒸気が激しく立ち上る。
一体が光の粒となって消えた。
「残り二体!」
ヒマワリは《ストームスタンス》を発動させ、風と雷を纏う。
「《ウィンドスラッシュ》!」
風を纏った斬撃が、残りの水精を切り裂く。
ステラも《ヒール》を連打し、バリアを維持しながら支援する。
「《サンダーラッシュ》!」
最後の水精が、光の粒となって消えた。
「……ふぅ」
「連携、いい感じだね」
戦闘後、水位がすっと下がった。
「倒すと水が引くんだ……」
「この神殿、水と連動してるっぽいね」
ヒマワリは周囲を見渡す。
「進行に応じて、環境が変わるタイプか」
「分かりやすくて助かるかも」
ステラは前向きだ。
さらに奥へ進むと、円形の広間に出た。
中央には、大きな石像が立っている。
水を抱えた女神の像で、足元から清らかな水が湧き出していた。
「……きれい」
ステラが思わず呟く。
「触ると何か起きそうだね」
「うん。でも、いきなり触るのはやめとこう」
ヒマワリは周囲の壁に目を向ける。
「……四方向に小道がある」
「全部調べる感じかな」
二人は頷き合い、まずは一番近い通路へと向かった。
そこには、床一面に薄く水が張られ、一定間隔で石柱が立っていた。
「足場、少ないね」
「落ちても即死はなさそうだけど……」
ステラが水を覗き込む。
「……なんか、吸い込まれそうな流れしてない?」
「……確かに」
水面が、中心へ向かって微妙に渦を巻いている。
「端を通ろう」
「了解」
ヒマワリは《跳躍》で軽やかに石柱を渡り、ステラも慎重に続く。
途中、水の流れが強まるが、踏み外すことなく渡り切った。
「ステラ、大丈夫だった?」
「ちょっとヒヤッとしたけど、大丈夫」
通路を抜けた先、小さな空間の隅に、何かが光っているのが見えた。
「あ、あれ……宝箱?」
ステラが駆け寄る。
小さな宝箱が一つ、静かに佇んでいた。
「やった!戦利品だ!」
「中身は……」
ヒマワリが蓋を開ける。
中には、青い宝石が埋め込まれたアクセサリーが入っていた。
「水耐性のアクセサリーだ」
ステラが嬉しそうに笑う。
他の通路も調べ、同様に小規模な戦闘や環境変化を乗り越えていく。
神殿は静かだが、確実に試されている感覚があった。
「なんというか……」
「うん?」
「敵より、地形の方が印象に残るね」
「分かる。戦ってるっていうより、観察して進んでる感じ」
ステラは笑う。
「でも、こういうの嫌いじゃない」
「私も」
最後に残った通路を進むと、広い空間へと出た。
そこは中央に浅い水路が走る広めのホールで、奥へ続く道が暗く広がっていた。
二人が足を踏み入れた瞬間、床がわずかに沈んだ。
「え?」
ステラが声を上げた、その直後――
広間の中央に設置された噴水のような構造物から、水が静かに湧き上がり始めた。
「スイッチ、踏んだみたいだね」
「今のが!?」
水は床の溝を伝い、広間全体へと流れていく。だが水位は膝にも届かない程度で、危険というほどではない。
――その時だった。
水面が、不自然に揺らいだ。
「……ヒマワリちゃん?」
「来るよ」
水の中から、ぬるりとした影が浮かび上がる。
丸みを帯びた胴体に、何本もの触手。だが、その姿は完全には見えない。水が、意図的に輪郭を隠しているかのようだった。
「……あれ、何?」
「さあ。見た目だけじゃ、判断つかないね」
名前の分からない"何か"が、ゆっくりと動き出す。
次の瞬間、水が渦を巻いた。
「うわっ、吸い込まれる!?」
ステラの足元の水流が強まり、体が前に引かれる。
ヒマワリはすぐさまステラの腕を掴み、踏ん張った。
「落ち着いて!引き寄せる動きがメインみたい!」
敵は直接攻撃してこない。
代わりに、水流で二人の体勢を崩そうとしている。
「こういうの、どうすればいいの!?」
「無理に近づかない。流れを切る!」
ヒマワリは近くの柱の影に回り込み、《加速》で水流が弱まる位置を瞬時に見極める。
ステラも必死に真似をし、柱にしがみついた。
しばらくすると、水の渦は収まり、影は再び水中へと沈んでいった。
「……い、いなくなった?」
「一時的に引いた、かな。たぶん倒す対象じゃなくて、無理に抵抗すると、逆に飲み込まれるタイプなんだと思う」
「え、じゃあさっきの戦い、意味あったの?」
「意味はあるよ」
ヒマワリは床の溝を見る。
水の流れが変わり、別の通路へと水が導かれていた。
「仕掛け解除、ってやつ」
「へえ……」
ステラは感心したように息を漏らす。
「なんか、ゲームっぽいね」
「今さら?」
二人は笑い合い、先へ進む。
広間の奥、これまで水に隠されていた場所に、白い石で造られた階段が姿を現していた。
ゆるやかに上へと伸び、その先は淡い光に包まれていて、先が見えない。
「……階段だ」
「二層、かな」
「多分ね」
ヒマワリは剣を下ろし、息を整える。
「第一層、制覇って感じかな」
「うん。今のところ、危ないところはなかったね」
ステラは階段を見上げる。
「上、どんなところなんだろ」
「水の神殿だし……もっと水、かも」
二人は顔を見合わせ、苦笑した。
「よし、行こう。次は2階だね」
「うん、行こう!」
二人はもう一度、顔を見合わせて頷き合うと、迷いのない足取りで段を上り始めた。
次は2/26 21時投稿予定
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