第001話 極振りヒーラー、初ログイン
「……よし、やるしかないか」
灯里はVRゴーグルを頭に装着し、ハードの電源を入れた。
顔にひんやりとした感触が張り付き、耳元で静かな起動音が聞こえる。
これで、仮想空間に旅立つ準備は整った。
深呼吸をひとつ――目を閉じてから、そっと開ける。
すると真っ暗な視界に淡い青のラインが走り、次の瞬間には自分の体が仮想空間に映し出された。
『Arcadia Online』では、最初にキャリブレーションを行う。
これは現実世界の自分の体型や身長をアバターに反映させるための重要な手順だ。
全身を軽くたたき、腕を伸ばす。
目の前に浮かぶ半透明のパネルに指先が触れると、そこにじんわりと電気が走るような不思議な感覚がした。身長、肩幅、腕や脚の長さが逐一表示され、間違いなくリアルの自分がアバターに再現される。
「ふぅ……これで私の体型そのまま……かな」
小さな安心と、まだ現実とゲームの境目に立つ不思議な感覚。
アバターは肩まで届く黒髪、華奢で標準的な体型
――そして、胸も現実とほぼ変わらない控えめなものだった。
理想はもう少しふっくらした女性らしい体型なのに。
少しだけでも理想に近づけると思ったのに、結局は変われないんだと、ため息とともに肩を落とす。
だが、そのまま次の項目に視線を移したとき、ふと画面に「外見カスタマイズ」の文字が浮かんだ。
「……そうだ、髪と目の色くらいなら変えてもいいよね」
試しにスライダーを動かすと、アバターの黒髪がゆっくりと白銀に変化していく。
光を受けるたびにやわらかくきらめくその髪は、まるで月明かりを編みこんだかのようだった。
さらに瞳の色を赤に設定すると、深紅の光が瞳に灯り、現実の自分とはまるで違う幻想的な印象を放つ。
「わぁ……なんか、別人みたい」
思わず笑みがこぼれる。
現実ではありえない色なのに、なぜかこの姿はしっくりきた。
白と赤――光と情熱。
どこか、自分の中の“なりたい自分”が形になったような気がした。
灯里は目の前の文字入力欄に視線を落とした。
ここで自分のアバターの名前を決める。
「……プレイヤー名、か」
小さくつぶやき、指が止まる。
普段なら適当に決めてしまいそうなところだが、この世界では自分の名前はすべての冒険の入り口になる。
誰かに呼ばれ、誰かに覚えられる
――そんな存在になるための名前。
色々な名前が頭をよぎる中で、ふと本名である『灯里』の文字が浮かんだ。
明かり、光を意味する名前。
それは、自分の中にあるほんの少しの勇気や優しさを思い出させてくれた。
「……よし、ステラにしよう」
心の中でつぶやき、指が文字を打つ。
星を意味する“ステラ”は、光のイメージを持つ本名に寄り添いながら、でもゲームの中ではもっと自由に輝ける名前。
現実の自分より少しだけ背伸びをして、大きく明るくなれるような気がした。
「これで決まり……!」
名前の登録を終えた瞬間、目の前に七つの光が舞い踊り、七つの武器となって浮かび上がった。
それは、まるで伝説の武具がそこに集結したかのような光景だった。
「……武器選択、か」
思わず口から漏れた独り言が、がらんとした空間に響く。
私は、画面に表示された説明文を、食い入るように見つめた。
「死ぬのは怖いもんなぁ……。」
例えVRMMOだと言われても、やっぱり死ぬのは怖い。
モンスターの爪に貫かれてHPがゼロになった瞬間、目の前が真っ赤に染まる。
そんな光景を想像しただけで背筋がぞっとする。
だから、私の武器選びの基準はただ一つ。
この中で、一番安全に生き残れる道はどれか。
片手剣
初心者にも最適な攻防バランス。
説明文を読んだだけで、心臓がドクンと跳ねた。
剣を振るう自分を想像するだけで、敵の鋭い爪が喉元に迫り、あっけなく命を刈り取られる未来しか見えない。
両手剣
豪快な一撃の威力は、全武器中トップクラス。
論外だった。
重厚な刃を持つ大剣を両手で構える姿は、まさに戦場の英雄。
そんな豪快な戦いなんて、運動が苦手な私にできるはずがない。
魔導書
火・氷・雷など、強力な魔法を操る。
これは少し興味を引かれた。
遠くから攻撃できるなら、敵に近づかずに済むかもしれない。
でも、ヘイトシステムという言葉を日葵……いや、ネットの掲示板で読んだことがある。
強力な攻撃をすればするほど、敵の怒りを買い、集中攻撃を受けるという仕組みだ。
強力な魔法を放った瞬間、敵の群れが一斉に私に向かってくる……
そんな光景が目に浮かび、背筋が凍りついた。
「もうやだ、どれもこれも死ぬ可能性しかないじゃん……」
震える声で呟いたその時、私の視界の端でひっそりと輝く、一本の杖が目に入った。
杖
回復や強化などの支援に特化。直接の攻撃力は控えめ。
「……これだ」
その一文に、私の心は鷲掴みにされた。
直接の攻撃力は控えめ。
それはつまり、敵を倒すための武器ではないということ。
誰かを攻撃する必要なんてない。ダメージを受けた仲間を癒し、強化する。
そうすれば、私は敵からターゲットされることなく、安全な場所にいられるんじゃないか?
それに、回復ができるなら、仮にダメージを受けても、すぐに治せる。
HPがゼロになることはない。
まるで溺れかけていたところに、一本の救命浮き輪が差し出されたかのような感覚だった。
「これに決めた!」
私は迷わず、その光り輝く杖を初期装備に選んだ。
死にたくない。その一心で選んだ杖。
初期装備の選択が完了したことを告げる電子音が響き、目の前の世界がシステムの画面に切り替わる。
私は、与えられた初期ポイント「100」の数字の並びを見つめる。
その数字の並びを見つめているだけで、なぜか心臓が激しく高鳴った。
「どうしよう……」
画面には、7つの項目が並んでいる。
STR――筋力。物理攻撃力。
VIT――耐久。HPと防御力。
AGI――敏捷。移動速度。
DEX――器用。生産系の成功率。
INT――知力。魔法攻撃力。
WIS――知恵。回復魔法や支援魔法の強さ。
LUK――幸運。ドロップ率や会心率。
私は、息を飲む。
この100という数字を、どう割り振るか。
それは、この世界での私の生き方を決めることと同義だ。
(攻撃力は……杖を選んだから、いらないかな。直接の攻撃力は控えめって書いてあったし......)
まずSTRとINTの項目から、そっと目を逸らす。
(VITに振れば、打たれ強くなる。でも、防御力だけで敵を倒せるわけじゃない。いつか突破されて、死んでしまうんじゃないか……?)
VITの項目に一度触れかけるが、その指先が震える。
HPが増えたところで、いつか回復が追いつかなくなるかもしれない。
それに、攻撃手段がないまま敵に囲まれたら、HPが増えたところで、それはただの時間をかけた「死」に過ぎない。
(じゃあ、AGIは?素早く動ければ、敵から逃げられるかもしれない。でも……もし、逃げきれなかったら?)
迷いが、思考を支配する。
どのステータスも、私を死の淵から遠ざけてくれるように見えて、結局は危険と隣り合わせに思えた。
「死にたくない……絶対に、絶対に、死にたくない……!」
小さくつぶやいた瞬間、指先が吸い寄せられるようにWISの項目へと滑った。
杖は、攻撃力を持たない。ソロでの戦闘は苦手。
だからこそ、絶対に生き残るためには、回復力を極限まで高めるしかない。
どんな致命傷を受けても、すぐに回復できるほどの力があれば、もはや死は怖くないはずだ。
「100……全部、WISに振ったら……どうなるんだろう」
そんな無茶な選択を思いつき、恐怖で震える指を動かす。
画面の数値が一気に上がり、回復魔法の威力が格段に強化される。
これで、序盤の弱い敵相手なら、致命傷を受けてもすぐに立て直せる。
それが、小さな安心となり、胸を満たす。
残りのポイントは、STRもAGIもINTもLUKもすべて0のまま。
私のキャラクターには、戦う力も、逃げ足も、運も、何もない。
守り特化のヒーラー――いや、違う。
生き残り特化の回復職。それが、私だ。
「よし……」
震えが止まった指先が、画面の確定ボタンに触れる。
選んだステータスは、WISに全振り。
これ以外に私の生きる道はなかった。
目の前の仮想空間が、呼吸するように光り輝き始める。
これが、灯里のーー
いや、ステラの、最初の一歩だった。




