第009話 極振りヒーラー、蒼の深淵へ挑む
昼下がりの陽光が、街の外れを淡く照らしていた。
ステラは杖を握り直し、遠くに霞む青い洞窟――《蒼の深淵洞》へと足を踏み出す。
その足取りの奥底で、ふと脳裏に浮かぶのは、出発前に聞いたリリアの忠告だった。
『このダンジョンの魔物はね、HPを吸い取ってくるの。攻撃職なら吸われる前に倒せるけど、回復職はちょっと相性が悪いかも』
「……うん、わかってる。けど、やってみなきゃ」
自分に言い聞かせるように呟き、蒼く光る闇の中へと足を踏み入れる。
洞窟の中はひんやりと湿っており、壁面に埋め込まれた青い鉱石が淡く光を放っていた。
静寂の中、水音がぽたり、ぽたりと響く。
その瞬間、ぬるりと何かが姿を現した。
それは、水を纏うような半透明の魔物――《アクア・ドレインスライム》。
ぷるん、と跳ねるたびに淡い光を反射し、見た目だけなら少し可愛らしい。
「スライムなら……大丈夫、きっと」
そう思った瞬間、スライムの触手が腕に巻きつく。冷たい感触と共に、HPバーがじわじわと削られていく。
(HPを……吸われてる!?)
慌てて《ヒール》を唱えると、傷がすぐに癒えた。
だがスライムは、まるでその回復の光に引き寄せられるように、さらに勢いを増して迫ってくる。
(やっぱり、リリアの言ってた通り。攻撃職なら吸われる前に倒せるけど……私はそうはいかない!)
ステラは一歩も退かず、ヒールを重ねてバリアを維持しながら杖で応戦する。
《リストア・ヴェール》による防御の合間を縫い、杖の先端で核を狙う。
地道な戦い。だが確実に、光が敵を削っていく。
数十回の打撃の末、スライムは霧のように溶け消えた。
「ふぅ……勝てた。バリアと回復、ちゃんと使えばなんとかなるね」
ステラは息を整えながら、ひとり微笑んだ。
――けれど、胸の奥に残るのは、わずかな違和感。
この洞窟には、確かに“生きた魔”が棲んでいる。そんな気配だった。
奥へ進むにつれ、空気は冷たく重くなっていった。
壁の青い鉱石の光も減り、周囲は薄暗くなる。
ステラは壁に沿って慎重に進む。足元の水たまりには、微細な泡が絶えず浮かんでは消え、得体の知れない気配が満ちている。
次の通路に出たとき、ステラの動きが止まった。
「……っ、何かいる」
ステラの足元を、かすかな影が這った。
次の瞬間、頭上から“ぬるっ”とした音――。
見上げた瞬間、天井の岩陰から太い触手が音もなく降りてきた。
それは、岩肌と同化するような色をした待ち伏せ型の魔物――《ケーヴ・ストーカー》。
「うっ……!」
ステラは杖を盾に、迫る触手を受け止める。
その一撃ごとに、バリアが削れ、画面端に【毒】のアイコンが点滅する。
(落ち着け。毒も、連撃も、全部回復とバリアで耐えられるっ!)
ステラは《ヒール》を連続詠唱しながら、触手の付け根を狙って攻撃をし続ける。
地道な戦術だが、STRゼロのステラが何度もスライムを倒してきた経験が、彼女に粘り強さを与えていた。
回復によって形成される《リストア・ヴェール》のバリアが何度も彼女を守り、その都度、魔物の攻撃は勢いを失っていく。
やがて、ストーカーの動きが一瞬、鈍った。
まるで何かに戸惑ったように、触手が止まる。
(今しかない!)
ステラは杖を振り抜き、付け根を叩き込む。
鈍い音。
それと同時に、魔物は光の粒となって霧散した。
「……よかった。どんなに攻撃されても、私の回復が上回れば負けない」
そう呟いた直後、ステラは背筋が冷えるのを感じた。
(待って。さっき、あれは天井から待ち伏せてた……!)
彼女は周囲を見渡し、改めて洞窟の壁や天井を注視する。
通路の暗がり、岩の窪み、どこに敵が潜んでいるかわからない。
「……ただ強いだけじゃない。このダンジョン、待ち伏せの敵もいるんだ」
単調なフィールドとは違う、魔が棲む場所の恐ろしさを再認識したステラは、一層慎重に岩壁の間を抜けていった。
さらに奥に進み、やがて空間が少し開けた場所に出た。
壁に反響する水音。
それが、次第に羽ばたきの音へと変わっていく。
バサッ――。
黒い翼、赤い瞳、鋭い牙。
洞窟の天井から、吸血型の魔物――《ブラッド・バット》が舞い降りた。
「うそっ……飛んでる敵!?」
ステラは杖を構えたが、AGIゼロの彼女には狙いをつける暇もない。
飛び回るブラッド・バットに攻撃は当たらず、逆にHPをどんどん吸われていく。
ステラは必死に《ヒール》を重ね、バリアを張り直す。
そのたびにHPバーは回復と減少を繰り返し、戦況は拮抗していた。
そのとき――ブラッド・バットの動きが一瞬、鈍ったように見えた。
空気の流れが変わったのかもしれない。
けれど、ステラの本能が告げた。
(今だっ!)
ステラはとっさに杖を振り抜き、渾身の一撃を叩き込む。
ブラッド・バットは光の粒となって霧散し、再び静寂が訪れた。
荒い息を吐いた瞬間、視界に淡いウィンドウが浮かぶ。
『スキル《リジェネ》を習得しました』
「……リジェネ?」
ステータスウィンドウを開いて、スキルを確認する。
新スキル:《リジェネ》
習得条件:HPドレインで吸収されたHPを、回復魔法で累計1000回復する。
効果:使用すると、10秒ごとに小回復。持続時間は10分。WISの値で回復量が上昇。
「HPドレインって……さっきの吸収攻撃のことだよね」
半信半疑のまま唱えてみる。
柔らかな光が体を包み、傷がゆっくりと癒えていく。
その光はすぐには消えず、内側から鼓動するように穏やかに輝き続けた。
(これが……リジェネ)
さらにその光がゆらりと揺れ、彼女の周囲に《リストア・ヴェール》のバリアが形成されていく。
癒しの力がそのまま守りに変わる――まるで生命が彼女を包み込むようだった。
「ヒールで立て直して、リジェネでバリアを維持する……これなら、長期戦でも負けないかも!」
ステラは小さく拳を握り、奥の通路を見据えた。
リジェネを身に着けたステラは、続く戦闘は時間はかかるものの余裕をもって勝利し、やがて洞窟の最奥部へと辿り着いた。
洞窟の最奥、冷たい風が吹き抜けた。
闇の先に、重厚な石扉が現れる。
古びた紋章が刻まれ、わずかに青く脈動していた。
扉の向こうから漏れ出す冷気が、頬を刺すように冷たい。
「……なんだろう、この感じ」
好奇心に負け、ステラは扉に手をかけた。
ギィィ……と軋む音とともに、石扉が開く。
同時に、周囲の音がふっと消えた。
ただ、青白い光と、心臓の鼓動だけが響いていた。
――蒼の光に包まれた広間が、静かに彼女を迎える。
そして、彼女の知らぬ“試練”が、今まさに目を覚まそうとしていた。
待ち伏せ系の敵は何かと厄介ですよね。
次は11/29日に投稿する予定です。




