第2話
お久しぶりです。
それから半年ほどの時が経った。すぐに出来るようなものではないとはいえ、自国で完結する食料の安定供給の目処はいまだ立たず、それでも姿勢を変えようとしない国王に、一部のものたちは不満を募らせ続けていた。
「父上!何故かの国に攻め込まないのですか!あの土地が手に入りさえすれば、民たちが飢えに怯えることはなくなります!」
激昂した様子の第一王子、アレクサンドロスが王に詰め寄る。食料供給を他国に依存していることを憂慮した王子が、豊穣な土地を持つ隣国に攻め入ろうとしない国王に対してそのことを提案したのがきっかけだった。何度言っても頷かない国王に、ついに王子の怒りか頂点に達したのだ。もはや掴み掛かろうかというような勢いで詰め寄る王子を止めに入ろうとした近衛騎士に、国王は手を振って制し、王子に対して諭すように言う。
「先から言っているように、他国からの輸入で、民たちも十分な食料は確保できておるだろう。それにな、アレクよ。現状に満足している民が多い今、そなたのようなやり方には誰もついて行こうとしない。誰しもが不要な争いが怒らないことを願っておる。」
「だから、他国との関係が悪化したらどうするのです!現状だと、他からの供給が止まればすぐに民が飢えますよ!安定した食糧自給が必要なのです!」
さらに自分の言いたいことが伝わっていなさそうな様子に、王子の感情がさらに昂る。
「他国と良好な関係を築き続けるのが王の仕事だ。これも重要な責務のうちの一つなのだぞ。しっかりと頭に叩き込んでおきなさい。それと、現状では確かに国内のみで食糧を賄うのは難しいだろう。それでも国内で、自給率を上げようと研究が盛んに行われているではないか。そう事を急くな。」
「お兄様。どうか落ち着いて。」
そばにいたレイチェルにまでたしなめられて、アレクサンドロスは少し冷静さを取り戻す。
「そう、だな。感情的になりすぎた。申し訳ない父上、今日はこれで失礼する。」
そう言って、レイチェルを従えてアレクサンドロスは謁見の間から退出していく。
「よろしいのですか?陛下。」
心配げに聞いてくる宰相に対して、国王は深く頷く。
「アレクも聡い子だ。無理があることは承知で言っているのだろう。しかし、レイチェルは兄を尊重しすぎるきらいがあるな。優秀なだけに、王位に興味がないのが勿体無い。」
彼らに王位を譲りたくない意思は隠しつつ、あくまで中立的な立場でそう呟く。
「そう、でございますね。しかしそれでも感情的になりすぎるのも良くない。まだまだ教育しがいがあると言うものです。」
先ほどまでの雰囲気とは打って変わって、和やかになった場では、ほとんどの人が笑みを浮かべていた。
しかしそんな雰囲気の中、いまだに険しい表情をしている将軍の様子には、誰も気づくことがなかった。
謁見の間から退出した兄妹は、そのまま第一王子の執務室へと向かった。
「お兄様。どういたしますか?そろそろ計画も動かせる段階になります。あとは命令を待つのみですわ。」
その問いに対して、アレクサンドロスは覚悟を決めた様子で頷く。
「父上の方法を愚かとは思わない。しかし、私の方法でしか現状を確実に打破することはできないだろう。国のために、父上には礎になっていただく。」
「頑張りましょう、お兄様。この国をより発展させるために。」
「ああ。それでは計画通りに、協力予定の貴族に通知を出したのち、行動を開始する。」
こうして、国を2つに分ける戦いが、静かに始まろうとしていた。
「父上!」
「お父様!!」
「王よ!!!」
王家と貴族たちが集まった晩餐会で、食事をしていた国王が突然苦しそうに胸を抑える。急に倒れた国王に、周囲にいた人間は全員が駆け寄る。
「今週も父上の健康状態は医者が確認していたはずだ!毒でも盛られてしまったのか?まずい、早く医者を呼んでこい!吐瀉物か何かが喉に詰まったら危ない。王の姿勢を変えるぞ!手伝ってくれ!」
テキパキと指示を出すアレクサンドロスは、まるで予定調和のように、この状況を収束させようとしていた。
「お父様‥!」
‘名無し’は突然の事態に驚きを隠せない第二王女を支えつつ考える。
(おかしい。変な動きがないかは私がチェックしていた。とすると、急病か?いやそれとも私以上に優れた暗殺者が動いている…?)
もし仮にそのような存在がいるとしたら、そう言った考えが頭をよぎり、第二王女を守るため‘名無し’はその場から動けずにいた。その様子を見て、第二王女が伝える。
「わたくしのことはいいです!あなたにできることをなさい!」
それを聞いた‘名無し’は、一度脳裏に現れた危惧を忘れ、即座に行動を開始する。まずは王が食していた食べ物の回収し、それをポーチに入れていた簡易的な毒の検査管に入れる。その反応を待つ間に、王に駆け寄り吐瀉物がつまらない姿勢に変えさせる。そして、脈拍などを測り、国王の状態を判断する。
「おい君は何者だ?任せてもいいのかい?」
そう問いかける第一王子に対し、王から目を離さず‘名無し’は答える。
「第二王女殿下の執事でございます。こう言ったことには心得がありますので、医者が来るまでお任せください。」
そう言いつつ、検査結果を見て渋い顔を一瞬して、嘔吐薬を王に飲ませようとする‘名無し’を見て、アレクサンドロスは違和感を覚える。
(ただの執事にしては手慣れすぎている。毒に関わるような何かをしている?と言うことは、これまで尻尾を出さなかったが、こいつはやはり…。)
そして、核心を捉えようとした時、広間に医者が駆け込んでくる。
「失礼します!これより処置を開始いたします!一旦皆様には広間の外に出ていただきたい!」
邪魔になると考えたのだろう。医者がその場にいた全員を外に出そうとする。その医者に‘名無し’が近づく。
「申し上げたいことがございます。王の症状は未知に毒物によるものである可能性があります。これが簡易的なものですが検査の結果です。」
そう言って検査管を医師に渡す。それを見た医師は驚きつつ答える。
「すまない助かる!」
それに頷いた広間の外に出ていく。そこへ第一王子が近づき声をかける。
「君はいつもそんなものを持っているのかい?」
「検査管の話でしょうか?第二王女殿下に何かあった時のためにいつも持ち運んでおりますよ。」
突然話しかけてきた王子を訝しみつつもそう答える。すると、王子は笑みを浮かべて、さらに近づいてきて耳元で囁く。
「‘名無し’君が付いてくれるのなら、妹も安心かな。」
背筋に冷たいものが走りつつも、冷静を装う。
「第二王女殿下がそう呼んでいるところをお聞きになったんですか?それに私はしがない執事でございます。そこまでのことは。」
「はは、そうだね。もし君がただの’ナナシ’だったらそうかもね。」
そう言って‘名無し’にわざとアクセントを加えた王子は離れていった。
そこに第二王女が近づき、心配そうに訊ねる。
「お兄様に何を言われたの?内心すっごい焦ってるようだけれど。」
「殿下にはお見通しですか。ここでする話でもありません。場所を変えましょう。」
そう囁いて、2人は移動し出した。
いつもの部屋に帰ってきた途端、‘名無し’は切り出す。
「私の正体がバレたかもしれません。少なくとも第一王子殿下は気付いていそうな雰囲気でした。」
「そう、まあわたくしの呼び方があなたの通名と被ってたのも災いしてって感じかしら。いいわ、ことここに至って、切り札を隠し続ける理由もありませんし。はあ、あまりお兄様たちとは争いたくないのだけれど。」
第二王女はこれを皮切りに、王座獲得戦が加速することを察しているようであった。少し辟易とした様子で言う第二王女に‘名無し’は問いかける。
「本当に今更ですが一つ、お聞きしたいことがあります。まだ逃げようと思えばなんとかなる段階です。その前にあなた様の真意を知りたい。….殿下、あなた様はなぜ王になろうと思ったのですか?」
「あら、心外ね?このわたくしが逃げるような女とでも?それにね‘名無し’、わたくしは今までのような平和なこの国が好きなの。それを守るためならば、この身を捧げても構わないと思っているわ。あまり深い理由ではないように聞こえるかもしれないけれど、これがわたくしの、王座を狙うものとしての存在理由よ。」
「…いえそのような理由だからこそ、私も全てを投げ出す覚悟ができます。」
「ええ、期待しているわ。では早速行動を始めましょうか。一応根回しはしてきたつもりだけれど、優秀なお兄様のことですから、何か予想もしないような奥の手で全て終わらされてしまう可能性もありますから、注意していきましょう。」
手を叩いて気合いを入れる第二王女に、‘名無し’が先ほど感じた危惧を第二王女に伝える。
「そのことでお伝えしたいことが。先ほどの件について、暗殺者が国王陛下の毒殺を試みた可能性があります。私の警戒を潜り抜けたことから考えても相当な手練、私以上の能力を持ったものであると見ていいでしょう。」
「あなた以上の実力となるとかなり数が限られると思うのだけれど。何か心当たりはない?」
「私に存在を一切感知させないというのは、知る限り1人を除いていません。その1人が今回の下手人であるとは考えにくいため、今までただひたすら実力だけを伸ばし続けた全く未知の存在だと思われます。」
「あら、なぜその人は違うと言えるのかしら?」
「ええ、その人というのは私の師匠のことなのですが、彼女は以前、暗殺業を辞めたいといったことを何度も口にしていました。それに実際、私の教育を始めた頃から請け負う仕事の数を一気に減らしていたようでしたし、もう引退したものとして見てもいいと考えています。」
そういう‘名無し’に対し、諌めるように第二王女が言う。
「はっきりとした証拠がないのなら、師匠が敵になる可能性も頭に入れておきなさい。お互い知らない同士の敵よりも、癖を知り尽くされてる知り合いのほうが何倍も厄介なんだから。」
「…っ!そうっ…で、ございますね。申し訳ありません、師匠と戦いたくないと言う思いを無意識に持ってしまったようです。以後気をつけます」
「本当に無意識だったのね。そんなに動揺しているあなたを見るの初めてかもしれないわ。でもちゃんと、そんなことで足元を掬われないようになさい?
さて、それでは、あちらにも優秀な暗殺者が付いたということを念頭に計画を立てなおしましょうか。こちら側の人間の護衛の方法も変更しないとね。みんなを連れてきなさい。」
「はっ!こちら側の主要な協力者を集めてまります。」
こうして、第二王女陣営も王座獲得のための歩みを加速させた。
イガント王国某所にて
女は小瓶を手の中で転がしつつ、気だるげに、しかしその瞳には鋭さを宿してつぶやいた。
「本当に大丈夫かねぇ我が弟子は。気配を感じてる様子もなかったけど。大して成長してないんだったら私が殺すことになりそうだねぇ。」
——パンッ!
ころがされていただけだったはずの小瓶は、何かに耐えかねるように弾けるのだった。
感想いただけると嬉しいです。




