プロローグ
よろしくお願いします。
深夜、イガント王国国境沿いの山奥にある大きな館の主人は、重くなる瞼を擦りつつ少し大きめな独り言を呟いていた。
「これで、あちらとの予定調整も完了するか。やっとここまで漕ぎ着けた。あとは、こっちの王様に勘付かれないよう、予定日まで大人しくしておけばっ…?」
館の主人がなんの警戒もせず、気楽に背伸びをしていると、突然部屋の扉が開き、そこから黒いボロ布を纏った男が飛び込んできた。その手には刃渡り50cmほどの短剣。使い込まれた様子のそれは、数多の血を吸ったような、独特の雰囲気を醸し出していた。あまりに突然のことに館の主人は驚き、机の上のものを投げつけてわずかな時間を稼ぎつつ誰何する。
「何者だ!私をこの地を治めるものと知っての狼藉か!」
しかしそれを言い切った時には、ボロ布の男は目の前から姿を消していた。おかしい、一瞬たりとも目を離していないはずなのに。その思いが思わず言葉に出る。
「なっ!どこに!?……っ!?」
静かな部屋に主人の倒れる音が響く。いつのまにか背後に回った男によって喉元から脳天までを貫かれた彼は、大きな血溜まりを作りつつ命の灯火を消した。
「この国を治めるのは国王であって、貴様ではないだろうに。」
この惨状を作り出した男が、短剣を拭いつつその傲慢さに呆れ、無表情で呟いた。
首などを触って主人の死亡を確認した男は、そのまま周囲を見渡して自身が証拠を残していないことを確認し、立ち上がった。そして窓際までいき、館の外壁にある装飾を掴んだ。
「……」
それを手がかりとして壁に張り付いた男は、するすると地面へと降りていき、そのまま闇へと姿を消した。
誰にも気配を悟らせない、その手慣れた様子はその男が尋常ならざるものであることを示していた。
近くの森にたどり着いた男は、館の方を見る。
「一応、様子を見ておくか。」
暗殺には成功したものの、その後何が起こるかを確認しておきたかった男はそのまま、木のそばに座って観察する。
しばらく時間が経ち、そろそろ日が明けようかとするとき、館が騒がしくなり出した。館の護衛役兼国境の警備役であったであろう兵士たちが飛び出し、狂った犬のようにあちこちを探し出していた。また、主人がいた部屋の窓からは多くの人影が見え、家臣たちが集まっているのがわかった。
「問題なさそうだな。兵士たちがこっちにくる前にさっさと帰りの足確保しに行きますか。」
そう言って、男は木の下から離れ山奥へと入っていった。
館から山を2つほど超えた先、そこには街道が通っており、その近くの森に男はやってきていた。人が住むには不適格に思えるそこにはそこそこ大きな小屋があり、近くの木には馬が繋がれていた。その小屋の扉をおもむろにノックすると、バタバタと慌てたような音があったのち、中から3人の男が顔を覗かせた。
「おい、どうしたよあんちゃん?1人かい?」
「ああ、すまない。道に迷ったところにちょうど小屋が現れてね。誰かいないかとノックしてみたんだ。」
不可解そうな男たちにそう返すと、男たちは顔を見合わせて笑い出す。
「ははは!そう言うことか!客の予定なんかなかったからびっくりしたぜ!」
「それにしてもあんちゃん危ねぇな!こんなとこ一人でいると、やばい奴らに捕まっちまうからなぁ?」
「そうそう、俺たちみたいな奴らに!」
そうして態度を急に変えた男たちは背中から鉈を取り出し、ボロ布に刃を向けつつ続ける。
「おいおい焦ったぜ!俺たちのアジトが憲兵にバレちまったかと思った!」
「ビビらせやがって。さっさと金目のもん出しな。そしたら楽に殺してやるよ!」
「とか言って、お前はねっとり殺すだろ!」
「「「ぎゃはははは!」」」
どうやらこの3人は盗賊だったらしい。下卑た笑い声を上げる彼らに、ボロ布の男が場違いに明るい声で聞く。
「普通金目のものを置いたら生かして返すんじゃないかい?」
「アジトの場所知られて生かしておくわけないだろ!」
「落ち着いてるのが気にくわねぇな。とりあえずどっか切って、この余裕無くしてやるか?」
「そうだなっ、と……?」
ボロ布の男に飛びかかろうとした彼らは違和感を覚える。体がぴくりとも動かない。まるで、そう、脳と体が切り離されたように…。
ずるりと3人の頭がズレ、落ちる。常人には認識できない速度で3人の首を落とした男は、その様子を見届けて短剣をしまった。そして、何事もなかったかのように木に繋がれていた馬の手綱を解いて引きながらいう。
「君たちが盗賊で助かったよ。行きの足は確保できたけど、帰りの分は確保できなくてね。」
行きの際に目星をつけていた場所、そこが案の定盗賊たちの住処だったことに喜びながら、盗賊たちの死体をそのままに、街道の方向へと歩いていった。
その後、何事もなく街道にたどり着いた男は、道沿いに馬に乗って移動し、ある程度進んだところで来た道を振り返りって呟く。
「それにしても、あれほど騒いでいた割に街道の封鎖とかはしないんだな。まあ楽だから助かるが。」
今朝の、館から兵士が飛び出していった様子から、一応は少し離れた街道に出たが、それでも検問はあるんじゃないかと覚悟していた男。あまり起きたことを広めたくないためかと考えつつ、面倒を回避できたことに安堵し、また街道を進み始めた
「ご苦労であった。面をあげよ。」
重苦しい声が玉座から響く。そこは謁見の間。壁沿いに近衛騎士が並んでおり、王座の左右には将軍と宰相が立っていた。そして、玉座で頬杖をついて座っている彼こそがこのイガント王国の国王であった。
「はっ」
玉座の前に跪いていた男が顔を上げる。街道を通って、王が住まうこの王都まで帰ってきた男は、そのまま王への謁見に向かった。黒いぼろ布を羽織るその男は、とても謁見に相応しい格好ではないように見えたが、それを問題とするものはこの空間には一人もいなかった。
「この暗殺の成功によりあの貴族による国境での不穏な動きは潰せたであろう。隣国が動き始める前に潰せたのは貴様のおかげだ。」
「ありがたきお言葉。」
館の主人であった貴族には、隣国と内通し、その兵を王国へ導こうとしているという疑惑があった。しかし、館を山奥に立て、自身の家の情報が外に出るのを極端に嫌っていたその貴族は、王国側からの調査要求をのらりくらりとかわしていた。
内通の証拠を正規の手段で集め、正面から追及しようとした場合、その頃にはすでに敵兵が国内へ入り込んでしまうと判断した国王は、迅速な対応のために非正規の手段で情報を集めた。そして内通が確定した段階で、ボロ布を纏った彼を遣わし処理させたのである。
「今回ばかりは無茶を通して決行したからな。万全を期して、後処理はこちらで済ませておく。」
下手な貴族に非正規手段を使ったと知られたら反感を買ってしまうため、後処理は他の人員を十分に割くと言う国王。それに対して‘名無し’は申し訳なさそうな顔をしつつ答える。
「感謝いたします、陛下。それと、誠に身勝手ながら、もう一つお願いしたいことがあるのですがよろしいでしょうか。」
「なんだ?申してみよ。」
「館から南に2つほど山を超えた街道沿い、そこで、帰りの馬を確保するため盗賊を3人処理しました。そちらについてもお願いしたく。」
「そうか。ではそちらにも人をやろう。して’名無し’よ、最近は働き詰めであっただろう。しばらくはこの仕事に暇をやろうと思うが。」
「再度のご厚意、痛み入ります。それでは、また何かあればお呼びください。」
’名無し’と呼ばれた男は申し訳なさそうな顔をしたまま、そう言って謁見の間から退出し、とある人物に会うために城の中を歩き出した。
‘名無し’と呼ばれるボロ布を纏った男、彼はイガント国王の懐刀である暗殺部隊’黒指’の一員であった。
彼の仕事は正確かつ慎重なものであった。対象となる人物のみの前に姿を現し、他の人間は暗殺があったことに気が付かないほど静かに仕事を終わらせる。一切の証拠を残すことはなく、人々は消去法的に彼の存在を認識する他なかった。
その上、自らの手柄を示すために名を語るようなことはせず、国王の敵を淡々と、そして徹底的に排除するその仕事ぶりは、国内だけにとどまらず近隣の国にまで届き、いつしか’名無しの暗殺者’と恐れられるようになっていた。
しかし、その正体を知るものは少なく、彼がいま会おうとしている人物はその限られたうちの一人であった。
「失礼致します。」
目的地に着く前に着替えを済まし、こぎれいな格好になった’名無し’は、目的地の扉をノックして部屋に入る。そこには、銀色の長い髪を持ち、それがよく映える白いドレスを着た女性が微笑みを浮かべて待っていた。
「おかえりなさい’名無し’。もう少しでお茶ができるから、あなたも一緒にどう?」
「ありがとうございます。しかし殿下、第二王女であるあなた様が執事である私にそのような扱いをなさるのはお控えください。あと、お茶を淹れるのは侍女にお任せください。何かあったらどうするのですか。」
「もう!わたくしだってお茶を淹れるくらいお茶の子さいさいです!それにわたくしの従者をどう扱おうがわたくしの勝手でしょう?」
ぷりぷりと怒ったその女性は、イガント王国王位継承権第三位を持つ第二王女であった。そんな彼女が、表情を穏やかな顔に変え、自らの手でお茶をカップにうつしながら言う。
「はい、そこに座ってお飲みなさい。それで、お仕事はどうだったの?お父様はなんて?」
それを受け取りつつ、‘名無し’は答える。
「ありがとうございます。仕事は問題なく終わりました。陛下には、しばらく本業の暇を頂きまして。」
「あら!それならしばらく執事として過ごすのかしら。いくつかお願いしたいこともあったし助かるわ。」
‘名無し’は、暗殺者としての正体を隠しつつ城に出入りするため、執事として第二王女に仕えていた。しかしあくまで本業は暗殺であるため、何かあれば執事としての業務をほっぽり出してそちらに向かうことが多かった。そういった事情から彼女は、何かと便利な執事がしばらくの暇になると聞いて喜ぶ。
その様子を見た‘名無し’は、変なお願いをしだす時の雰囲気を感じ取り、今回は何をお願いされてしまうのだろうと少し覚悟を決めながら答える。
「ええ、そうなりますね。ご要望があればいつでもお申し付けください。」
「わかったわ。それじゃあ早速なんだけど…あなたの今回の仕事について、どんな感じだったか詳しく教えてちょうだい?今まで聞いたことがなかったなと思って。」
「……私の仕事、ですか?聞いてもあまり面白いものでもないと思いますが。」
想像していなかった内容に、少し戸惑いつつそう答えると、第二王女は笑いつつ首を振る。
「いえ、いいのよ。従者のやってることも知らないなんて主人失格だし、興味もあるから。」
「そうですか。もし気分を害されるようでしたらおっしゃってください。では何から話しましょうか………」
その日、王城のとある部屋では楽しそうな女性の声と落ち着いた男性の声がしばらく響いていたという。
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