第五章「黒い影の襲撃と韋駄天お竜」
月影静馬の全身の神経が、まるで張り詰めた琴線のように鋭敏になる。障子の隙間から漏れ入る、月明かりとネオンの反射光が混じり合う薄闇の中に、複数の人影が蠢いていた。その数は、ざっと見て五、六人。一様に黒い外套のようなものを深く被り、顔の判別はつかない。だが、その立ち姿や動きには、素人ではない、訓練された者の気配が濃厚に漂っていた。そして何より不気味なのは、彼らが手にしているものだった。旧式の火縄銃に似た形状でありながら、銃身の先端が青白い燐光を放ち、微かなモーター音のような駆動音を発している。それは、静馬が見慣れたどの武器とも異なる、明らかに大江戸シティの裏社会でもそうそうお目にかかれない代物だった。チャージされた電磁エネルギーが、周囲の空気をピリピリと震わせているのが、肌で感じ取れる。
(……電脳黒船の手の者か、あるいは……。いずれにせよ、穏便に済む相手ではなさそうだ)
静馬の額に、冷たい汗が一筋伝う。豆吉に仕掛けさせた侵入検知からくりは、いまだ沈黙を保っている。つまり、奴らは物理的な破壊を伴う侵入ではなく、もっと静かで、そしておそらくは電子的な手段でこの長屋のセキュリティを突破しようとしているか、あるいは既に突破しているのかもしれない。
「豆吉! 状況は!」
静馬は、声を潜めて自動掃除小僧に呼びかけた。
「ゴ主人サマ! 外周セキュリティニ、微弱ナ電磁パルスヲ感知! 防壁ガ……アアッ! 強行的ニ解除サレマス!」
豆吉の普段は愛嬌のある電子音が、珍しく甲高く、そして狼狽したように響いた。その円らなセンサーライトが、激しく赤く点滅し始める。
次の瞬間、長屋の入り口の引き戸が、何の前触れもなく、スパンッ!と乾いた音を立てて内側に吹き飛んだ。木っ端が部屋の中に飛び散り、土埃が舞い上がる。その向こうから、黒い外套の男たちが、まるで闇そのものが具現化したかのように、音もなく部屋へと雪崩れ込んできた。先頭の男が、手に持った電磁銃の銃口を、無言のまま静馬へと向ける。そのフードの奥で、ギラリと光る冷たい眼光が、静馬を捉えた。
「……何の用だ。人違いではないのか」
静馬は、内心の動揺を押し殺し、努めて冷静な声で問いかけた。同時に、腰の電脳小太刀の柄に右手を添え、いつでも抜き放てるように身構える。部屋に充満する土埃の匂いと、男たちの纏う外套から発せられる微かな機械油のような匂いが、静馬の鼻腔を刺激した。
黒い外套の男たちは、静馬の問いには答えず、ただ無言でじりじりと間合いを詰めてくる。その動きは統制が取られており、明らかに手練れだ。彼らの足音が畳を擦る音、そして電磁銃から漏れる低い駆動音が、部屋の静寂を不気味に切り裂く。
「……朧月だな。我々と共に来てもらう」
やがて、先頭の男が、フードの奥からくぐもった、感情の感じられない声で言った。その声は、まるで合成音声のようだ。
「生憎だが、俺は月見にはあまり興味がないんでね。それに、あんたたちのような物騒な連中と夜遊びする趣味もない」
静馬は、軽口を叩きながらも、全身の神経を研ぎ澄ませ、相手の隙を窺っていた。男たちの外套の裾が、彼らの微かな動きに合わせて揺れている。その下には、おそらく何らかの強化装甲か、あるいは特殊な装備が隠されているのだろう。
「抵抗は無意味だ。我々の目的は、お前を生け捕りにすること。だが、必要とあらば……」
男は、言葉を途中で切り、電磁銃の銃口をさらに静馬へと突きつけた。銃口の先端の青白い光が、まるで生き物のように明滅し、静馬の顔に不気味な影を落とす。その光からは、微かに焦げたような匂いがした。
(……問答無用、というわけか)
静馬は、覚悟を決めた。次の瞬間、彼は床を蹴り、電光石火の速さで黒い外套の男たちへと躍りかかった。
「ならば、こちらも手荒にいくまでだ!」
電脳小太刀が鞘走る甲高い音と共に、青白い閃光が闇を切り裂く。チリリ、と電磁ブレードが空気を焦がす音が響き渡り、部屋の温度がわずかに上昇したのを感じた。
黒い外套の男たちも即座に反応し、数人が電磁銃の引き金を引く。ビシュン!ビシュン!と、青白いエネルギー弾が静馬を掠め、背後の障子や壁に焦げ跡を残しながら突き刺さった。畳が焼ける異臭が、部屋に立ち込める。
静馬は、紙一重でエネルギー弾を避けながら、男たちの中へと深く斬り込んでいく。彼の動きは、まるで舞を舞うかのようにしなやかで、それでいて一撃一撃が恐ろしく鋭い。電脳小太刀が黒い外套を切り裂き、火花を散らす。しかし、男たちの動きも素早く、容易には致命傷を与えられない。彼らの外套の下には、やはり何らかの防御機構が施されているようだ。
「チィッ、硬えな!」
静馬は、舌打ちしながら、さらに踏み込み、一人の男の電磁銃を持つ腕を切り払った。男が苦悶の声を上げ、銃が畳の上に転がる。
だが、多勢に無勢。次々と繰り出されるエネルギー弾と、連携の取れた男たちの攻撃に、静馬は徐々に追い詰められていく。作務衣の袖が焦げ、頬には浅い切り傷が走った。鉄錆のような血の味が、口の中に広がる。
(……まずいな。このままではジリ貧だ)
静馬の額に、脂汗が滲む。その時だった。
「――朧月の旦那! いつまで油売ってんだい! さっさとずらかるよ!」
突然、長屋の外から、甲高い、しかしどこか聞き覚えのある女の声が響き渡った。次の瞬間、バリケード代わりにされていた長屋の窓が、内側から蹴破られ、派手なサイバー着物をまとった女が、まるで韋駄天のように部屋へと飛び込んできた。その手には、改造された短銃型のスタンガンが握られ、バチバチと青白い火花を散らしている。
「お竜!? なぜここに!」
静馬は、思わぬ援軍の登場に目を見開いた。
「あたしの勘が騒いだんでね! どうやら、あんた、とんでもねえ厄ネタに首を突っ込んじまったらしいじゃないか! ま、詳しい話は後だ! とっととこのドンパチからおさらばするよ!」
お竜は、そう叫ぶなり、黒い外套の男たちに向かってスタンガンを乱射した。青白い電撃が走り、数人の男たちが「グッ!」という呻き声を上げてその場に崩れ落ちる。彼らの体からは、パチパチと火花が散り、焦げ臭い匂いが先ほどよりも強く漂った。
「こいつら、電脳黒船のチンピラだよ! しつこい蠅みてえに湧いてきやがる!」
お竜は、吐き捨てるように言った。その顔には、怒りと興奮が入り混じったような、獰猛な笑みが浮かんでいる。彼女の紫色の髪が乱れ、胸元の胡蝶のタトゥーが青白く明滅していた。
「助かったぜ、お竜!」
静馬は、お竜が作った隙を逃さず、残りの男たちを電脳小太刀で牽制しつつ、彼女の元へと駆け寄った。
「礼は後でたっぷり貰うからね! さあ、行くよ!」
お竜は、静馬の手を掴むと、蹴破った窓から再び外へと飛び出した。静馬もそれに続く。
長屋の外は、既に大騒ぎになっていた。近隣の住民たちが何事かと遠巻きに見物し、中には「サイバー奉行所に通報しろ!」と叫んでいる者もいる。黒い外套の男たちの仲間と思しき数人が、静馬たちを追って長屋から飛び出してくるのが見えた。
「こっちだ、朧月!」
お竜は、路地の闇へと静馬を導きながら叫んだ。彼女の足は驚くほど速く、その動きはまるで猫のようにしなやかだ。
「お前のその足、どうなってやがる!」
静馬は、息を切らしながら、お竜の背中を追った。
「企業秘密だよ! さあ、振り切るよ!」
お竜は、楽しそうに笑いながら、さらに速度を上げた。二人の姿は、大江戸シティの複雑に入り組んだ路地の闇へと、瞬く間に吸い込まれていった。背後からは、黒い外套の男たちの怒号と、電磁銃の発射音が、まだ微かに聞こえてきていた。
春の夜の騒乱は、まだ始まったばかりだった。そして、静馬の運命の歯車もまた、この夜を境に、大きく軋みながら回転を始めていた。