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第五十一章「深淵への誘いと、覚醒の予感」

夜明けの光が、地下の隠密の拠点へと差し込み、電子部品の微かな匂いと、集中によって生まれた熱気に満ちた空気を淡く照らしていた。月影(つきかげ)シズカ(しずか)は、深い呼吸を繰り返し、自身の精神を研ぎ澄ませていた。ユスティティアの意思決定核の『歪み』は完全に浄化され、帝都の電脳網を覆っていた「ノイズ」も消失した。しかし、アヤメが捉えた新たな「歪み」の痕跡と、ウァレリウスが語った「見えざる神」の存在が、シズカの心に重くのしかかっていた。

アヤメの電脳端末からは、解析作業の微かな電子音が響き、ディスプレイには、帝都の電脳網全体に広がる新たな「歪み」の波形が、目まぐるしくスクロールしている。それは、特定の場所を示すのではなく、帝都の記憶の深層から、まるで脈動するように発せられているかのようだ。

「シズカ様、この『歪み』は、ユスティティアのシステムに直接的な影響を与えているわけではありません。しかし、帝都の電脳網全体に、微細な不協和音を広げ、人々の無意識に作用している可能性があります」

アヤメの声は、深い懸念を含んでいた。羅刹が最後に求めた『神』──それは、ユスティティアのような管理AIとは異なる、より根源的な存在なのかもしれない。

ウァレリウスは、羅針盤を握りしめ、目を閉じていた。彼の羅針盤は、この新たな「歪み」の波動を、明確に捉えているかのようだ。その顔には、疲労と、この困難な状況への焦燥が滲んでいた。

「羅針盤が、『記憶の深淵』へと通じる新たな経路を示しておる。それは、帝都ローマの最も古い地下水道網のさらに奥深く……人々の記憶の断片が、意識を持ったかのように蠢いている場所だ」

ウァレリウスの声は、重々しく響いた。彼の羅針盤が指し示す先は、これまで誰も足を踏み入れたことのない、帝都ローマの「魂」が眠る場所。

シズカは、静かに頷いた。羅刹が抱いた『神』への歪んだ信仰、そして『虚空の意思』が説いた「秩序」と「自由」の問い。その答えは、この「記憶の深淵」に隠されているのかもしれない。

「アヤメ、この『記憶の深淵』へと通じる電脳的な経路を確保せよ。ウァレリウス殿は、羅針盤で、その深淵の『歪み』のパターンを解析し、ユスティティアに認識させるための最適化されたパターンを構築してください」

シズカの声は、静かに、しかし確かな命令に満ちていた。物理的な侵入は不可能に近い。この戦いは、帝都の「魂」を巡る、知的な攻防となるであろう。

「はっ! 御意のままに!」

アヤメは、そう言うと、電脳端末を操作し始めた。彼女の指が、目にも止まらぬ速さでキーボードを叩く。その瞳は、新たな謎の解明へと、強く輝いていた。

シズカは、深い呼吸を繰り返し、自身の精神を研ぎ澄ませていた。羅針盤を握りしめ、その水晶から放たれる光が、シズカの意識をユスティティアのシステム深層へと導く。そこは、羅刹の残滓も、虚空の意思も存在しない、清らかな電脳空間。しかし、その奥には、未知なる「歪み」が、静かに脈打っている。

シズカの意識が、ユスティティアのシステム内部へと深く潜り込んでいく。無数の光ファイバーが、まるで血管のように張り巡らされ、その一つ一つが、帝都のあらゆる情報を伝達している。コロッセオの剣闘士の歓声、テルマエの湯気、元老院の議論、市民のささやき──あらゆる情報が、光の粒子となって空間を駆け巡る。そして、その情報の一つ一つに、微かな「歪み」が混じっている。それは、まるで、見えざる「神」が、その息吹を世界へと送り込んでいるかのようだ。

シズカは、羅針盤の光を追うように、ユスティティアのシステム内部のさらに奥深くへと進んでいく。そこは、情報の海。羅刹が最後に求めた『神』の姿が、今、まさに顕現しようとしている場所。シズカの精神は、この膨大な情報量に耐えながら、その「歪み」の根源へと迫っていた。夜明けの光が、地下の隠密の拠点へと差し込み、その光は、シズカの精神の戦いを静かに見守っていた。



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