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第四十九章「静寂の先に、未だ見ぬ神」

夜明けのローマは、日差しを浴びて輝きを増していた。テルマエの湯気は穏やかに立ち上り、人々は日々の生業へと戻っていく。元老院への報告を終えた月影(つきかげ)シズカ(しずか)とウァレリウスは、地下の隠密の拠点から、帝都の活気を取り戻した街並みを静かに見守っていた。

元老院の評定の間では、シズカとウァレリウスの報告が、再び議論の的となっていた。羅刹の企み、『虚空の意思』の顕現と封印、そしてユスティティアのシステム浄化。元老院議員たちは、奇跡的な事態の収束に安堵しつつも、シズカとウァレリウスの言葉の真偽を巡り、意見を交わしていた。

「『虚空の意思』だと? それは、古き神話に登場する存在ではないか。これを、単なる高度な電脳攻撃と見なすべきではないのか?」

老議員の一人が、眉をひそめて言った。

「しかし、帝都の電脳網全体を覆ったあの『ノイズ』、そしてユスティティアのシステム変質は、これまでの電脳攻撃とは比較にならぬ。我々は、この事実を受け入れ、真剣に対策を講じるべきだ」

別の議員が、それに反論する。元老院は、シズカの言葉の真実性を疑いつつも、帝都の平和のために、彼女の力を借りる決断をしたのだ。廃競技場の封印は厳重に行われ、ユスティティアのシステムは、シズカが浄化した新たな『理』に基づき、帝都の秩序を維持し続けていた。

地下の拠点では、アヤメが電脳端末のディスプレイを凝視していた。ユスティティアのシステムは完全に浄化され、帝都の電脳網から「ノイズ」は消失した。しかし、アヤメの羅針盤は、微かな、しかし確実に存在する「歪み」の痕跡を捉えていた。それは、羅刹が最後に語った『神』の存在、そして『虚空の意思』の、まだ解き明かされていない深奥を示唆していた。

「シズカ様……この『歪み』は、羅刹の意識の残滓ではありません。より根源的な……まるで、この世界の基盤そのものに存在するような『歪み』です。もしかしたら、羅刹が語った『神』とは……」

アヤメの声は、深い懸念を含んでいた。彼女の羅針盤が指し示す先は、特定の場所ではない。それは、帝都の電脳網全体に、均等に、しかし微かに存在する、見えざる「何か」であった。

シズカは、羅針盤を握りしめた。彼女の瞳には、夜明けの光と、そして新たな戦いへの決意が、静かに、しかし力強く宿っていた。羅刹は消え去った。虚空の意思も浄化された。だが、羅刹が最後に語った『神』の存在。それは、単なる狂言だったのか。それとも、まだ見ぬ、より高次の『虚空の意思』の現れなのか。

ウァレリウスは、静かに羅針盤をシズカに差し出した。

月影(つきかげ)殿。貴様の戦いは、まだ終わっておらぬようだ。だが、貴様には、この羅針盤がある。そして、貴様の一族に伝わる『真実の言霊ことだま』の力がある。この帝都を……そして、この世界の『理』を、護ってくれ」

彼の声は、長きにわたる守り手としての重責から解放された安堵と、シズカへの確かな信頼に満ちていた。

シズカは、羅針盤を受け取った。その水晶は、微かな光を放ち、シズカの手に温かく馴染んだ。夜明けのローマは、見かけ上は平穏を取り戻しつつあったが、その深層では、新たな戦いの兆しが、静かに、しかし確実に姿を現し始めていた。シズカの使命は、羅刹が最後に残した問いかけ──『神』の存在、そして帝都の「秩序」と「自由」を巡る、永遠の課題──を解き明かすことだ。

彼女の戦いは、今、真の意味で始まったばかりであった。



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