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第三十九章「皇帝の招集と、不吉な予感」

帝都ローマは、夜明けの光に包まれ、その活気を取り戻しつつあった。テルマエの湯気は穏やかに立ち上り、人々は日々の生業へと戻っていく。しかし、月影(つきかげ)シズカ(しずか)の電脳印籠は、依然として微かな「ノイズ」の波紋を捉えていた。それは、元老院への報告を終え、地下の隠密の拠点に戻った後も、街の電脳網の深層から聞こえてくる、かすかな不協和音であった。

シズカとウァレリウスは、アヤメが解析した新たな「ノイズ」のパターンに頭を悩ませていた。その「ノイズ」は、帝都の治安維持システム『ユスティティア』の基幹コードに酷似しており、このシステムが『虚空の意思』によって侵食され始めている可能性を示唆していた。

「この新たな『ノイズ』は、羅刹の残滓ざんしが引き起こすものとは異なる。より巧妙で、より根源的な『虚空の意思』が、姿を変え、帝都に根を下ろそうとしている」

ウァレリウスの声は、重々しく響いた。彼の羅針盤は、この新たな「ノイズ」の発生源を、特定の場所ではなく、帝都の電脳網全体に均等に、しかし微かに存在していることを示していた。

その時、シズカの電脳印籠が、再び通信の着信を告げた。今度は、元老院ではなく、直接皇帝からの招集であった。画面には、皇帝ハドリアヌス(はどりあぬす)おごそかな顔が映し出されている。

月影(つきかげ)シズカ(しずか)殿。至急、余の元へ参るように。帝都に、新たな異変の兆候が見られる」

皇帝の声は、普段の威厳に加え、微かな不安と焦燥が混じっていた。

「皇帝が直接……」

シズカは、息を呑んだ。皇帝が自ら招集するということは、事態が元老院の認識よりも深刻であることを意味する。

ウァレリウスも、皇帝の通信を聞き、険しい表情を浮かべた。

「皇帝が直接動かれるとは……おそらく、この新たな『ノイズ』が、『ユスティティア』を通じて、帝都の中枢にまで影響を及ぼし始めたのだろう」

シズカは、アヤメに、引き続き「ノイズ」の解析を続けるよう指示を出した。そして、ウァレリウスと共に、皇居へと向かった。夜明けのローマは、見かけ上は平穏を取り戻しつつあったが、その深層では、見えざる脅威が、帝都の中枢へと静かに、しかし確実に迫っていた。

皇居の大理石の廊下は、朝の光を浴びて白く輝いていたが、その空気は、張り詰めた緊張感に満ちていた。からくり鎧を纏った近衛兵が、厳重な警戒態勢で廊下に立ち並び、彼らの瞳の奥には、かすかな不安の色が浮かんでいる。

皇帝ハドリアヌス(はどりあぬす)の執務室は、簡素ながらも荘厳な空間であった。壁には、古代ローマの歴代皇帝の肖像がホログラムで映し出され、中央の巨大なディスプレイには、帝都の電脳網の状況がリアルタイムで表示されている。皇帝は、執務机に座し、その顔は、夜通しの事態への対応で疲労の色を濃くしていた。しかし、その瞳には、帝国の安寧を願う、確かな光が宿っていた。

「よく参った、月影(つきかげ)シズカ(しずか)殿。そして、ウァレリウス殿」

皇帝ハドリアヌスの声は、普段の威厳に加え、重い響きがあった。

「はっ。御前おんまえに召し上げられましたこと、光栄に存じます」

シズカは、深々と頭を下げた。ウァレリウスもまた、静かに頭を垂れた。

「貴殿らの報告は、元老院より受けている。廃競技場での『虚空の意思』の顕現を阻止したこと、帝都の危機を救ったこと、まことに見事であった。しかし……」

皇帝ハドリアヌスは、そう言うと、ディスプレイの特定の箇所を指差した。そこには、帝都の電脳網全体に、微かに、しかし確実に広がり始めている新たな「ノイズ」のパターンが表示されていた。それは、アヤメが解析したものと同じであった。

「この新たな異変は、何なのだ? 元老院は、これを単なる残滓ざんしと考えているようだが……」

皇帝ハドリアヌスの声には、元老院への不満と、この事態への深い懸念が混じっていた。

シズカは、ウァレリウスと顔を見合わせ、静かに頷いた。

「はっ。この『ノイズ』は、『ユスティティア』のシステムに侵食を始めております。もしこのまま放置すれば、帝都の秩序そのものが、見えざる脅威によって操られることになりかねません」

シズカは、慎重に言葉を選びながら、この新たな脅威の深刻さを語った。皇帝ハドリアヌスの顔には、次第に険しい表情が浮かんでいく。

「『ユスティティア』に侵食だと……! それは、まさしく帝都の心臓を狙うに等しい……!」

皇帝ハドリアヌスの声は、怒りに震えていた。彼の拳は、机の上で固く握りしめられている。

月影(つきかげ)シズカ(しずか)殿。貴殿に命ずる。この新たな脅威の真の発生源を突き止め、それを完全に排除せよ。帝都の兵力は、貴殿の指揮下につけよう。いかなる難儀も、申し付けよ」

皇帝ハドリアヌスの声は、重々しく、しかし確かな決意に満ちていた。彼の瞳には、帝国の安寧を護るためならば、いかなる犠牲も厭わないという覚悟が宿っている。

シズカは、深々と頭を下げた。

「はっ! 御意のままに!」

シズカの心臓は、新たな使命感に燃え上がっていた。羅刹が最後に語った『神』の存在。それは、この新たな『ノイズ』と、どのように関連しているのか。夜明けのローマは、見かけ上は平穏を取り戻しつつあったが、その深層では、見えざる脅威が、帝都の中枢へと静かに、しかし確実に迫っていた。



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