第三十章「古の祭祀場へ──地下の記憶」
北斎|オルタのアトリエを飛び出した月影静馬、電脳浪人・鉄斎、そして飛燕のお竜の三人は、夜明けの光に包まれ始めた大江戸シティの裏路地を、一目散に駆け抜けていた。春の夜風は、まだ冷たく肌を刺すが、彼らの胸には、新たな決意と、そして迫りくる脅威への焦燥感が燃え盛っていた。西の空には、未だ不吉な「影」が広がり続けている。その「影」から発せられる異質な電子音は、まるで彼らを嘲笑うかのように、静馬の脳裏に響き渡っていた。
目指すは、江戸城の地下深くに存在する『古の祭祀場』──『虚空を喰らうもの』の『降臨』の地であり、そして『真実の言葉』を唱えるための最後の『舞台』。そこは、公式の地図には存在しない、忘れ去られた場所だ。
「鉄斎殿! ルートは正確か!?」
静馬は、先頭を走る鉄斎に問いかけた。彼の巨躯は、狭い路地をものともせず、まるで戦車のように突き進んでいく。
「おうよ! この鉄斎様が、長年培ってきた『裏』の知識を舐めるんじゃねえ! この道は、大御所システムが管理する表のネットワークからは完全に遮断された、いわば『死んだ回線』だ! 奴らもそう簡単には嗅ぎつけられやしねえ!」
鉄斎は、豪快に笑いながら、路地の奥にある古びた下水溝の入り口を指差した。そこからは、澱んだ水の匂いと、微かな土の匂いが漂ってくる。入り口は、錆びついた鉄格子で塞がれているが、その隙間から、暗く湿った地下へと続く階段が見えた。
「ま、あたしに言わせりゃ、こんな薄汚え場所、二度と通りたくないけどね」
お竜は、顔をしかめながら、腰に差した電磁ロッドを軽く叩いた。彼女の紫色の髪は、地下の湿気で僅かに乱れているが、その瞳には、いつもの不敵な光が宿っている。
「文句は後だ、お竜! 行くぞ!」
静馬は、そう言うと、電脳小太刀の柄を握りしめ、鉄格子をこじ開けた。ギイィィ……ン、と錆びた金属音が響き渡り、暗く湿った地下への入り口が現れた。
三人は、地下へと続く階段を降りていった。空気は、地上とは打って変わってひどく冷たく、湿っている。壁には、苔が生え、水滴がポツリポツリと滴り落ちる音が、静寂に包まれた空間に響き渡る。足元はぬかるんでおり、静馬の草履が、泥水を跳ね上げる音がやけに大きく聞こえた。そこは、大江戸シティの華やかさとは無縁の、忘れ去られた場所だった。
「ここは……かつて『江戸』と呼ばれていた頃の、下水路の跡か……」
静馬は、壁に刻まれた古びた文字や、崩れかけた石積みを眺めながら呟いた。そこには、大御所システムが管理するデータには残されていない、この街の『記憶』が、静かに眠っているかのようだった。
「ああ。この地下には、表には出てこねえ、様々な『記憶の層』が積み重なってるんだ。喜びも、悲しみも、怒りも……。全てが、ここに眠ってる」
鉄斎は、そう言いながら、壁に手を触れた。彼の瞳には、遠い過去を見つめるかのような、複雑な感情が宿っていた。
しばらく進むと、通路はさらに狭くなり、空気は一層重苦しくなった。微かに、しかし確かに、人々の囁き声のような電子音が聞こえてくる。それは、鉄斎が解析した「影」の『声』の残響なのだろうか。
「……これは、何だ?」
お竜が、警戒するように呟いた。彼女の電磁ロッドの先端から、青白い光が放たれ、暗闇を照らし出す。
その光に照らされたのは、通路の壁一面にびっしりと張り巡らされた、無数の細い光の糸だった。それは、まるで蜘蛛の巣のように複雑に絡み合い、微かに明滅を繰り返している。そして、その光の糸の先には、無数の小さなカプセルが繋がれており、その中には、まるで人間の意識が閉じ込められているかのように、微かな光が揺らめいていた。
「これは……人々の『意識』か!?」
静馬は、愕然とした。それは、北斎|オルタの絵に描かれていた、人々の頭上へと伸びる光の糸そのものだった。
「おそらくはね。あの『虚空を喰らうもの』が、人々の『意識』を吸い取るための『装置』だろう。まるで、生贄のように……」
お竜の声は、怒りに震えていた。
その時、通路の奥から、複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。そして、暗闇の中から、黒い外套を身にまとった「電脳黒船」の連中が、電磁銃を構え、静馬たちを取り囲むように現れた。その数は、ざっと見て十人以上。彼らのフードの奥で、冷たい眼光がギラリと光る。
「まさか……こんな場所まで、奴らが!」
静馬は、電脳小太刀を抜き放ち、構えた。
「朧月……そして、その仲間たちか。よくぞここまで辿り着いた。だが、ここまでだ。これ以上は、我々の『神』への冒涜は許さん!」
電脳黒船のリーダーと思しき男が、フードの奥からくぐもった声で言った。その声には、狂信的な響きが込められている。
「貴様らの言う『神』とやらは、この街を、人々を喰らい尽くす化け物だ! 誰が貴様らの好きにさせるものか!」
静馬は、叫ぶなり、黒い外套の男たちへと躍りかかった。
狭い地下通路での攻防が始まった。電脳小太刀の青白い閃光が闇を切り裂き、電磁銃のエネルギー弾が壁や天井に焦げ跡を残す。鉄斎は、大太刀「黒鋼」を豪快に振り回し、敵を薙ぎ払っていく。お竜は、電磁ロッドを巧みに操り、敵の電磁銃を無力化しながら、静馬と鉄斎を援護する。
しかし、電脳黒船の連中も、この地下通路の地形を熟知しており、連携の取れた動きで静馬たちを追い詰めてくる。彼らは、人々の『意識』を吸い取る光の糸を盾にするように、静馬たちを誘い込もうとする。
「くそっ! この糸が邪魔だ!」
鉄斎が、光の糸を斬り払おうとするが、その糸はまるで実体がないかのように、刃をすり抜けていく。
「触れるな! その糸は、人々の『意識』を吸い取っている! 下手に触れれば、あんたの意識も……!」
お竜が、警告するように叫んだ。
その時、静馬の脳裏に、北斎|オルタの絵が蘇った。絵の中の静馬は、電脳小太刀から青白い光を放ち、『真実の言葉』を唱えている。
(……この刃は、『真実の言葉』を具現化している……。ならば……!)
静馬は、光の糸が張り巡らされた通路の奥へと視線を向けた。その先には、微かに、しかし確かに、巨大な空間の気配が感じられた。そこが、『古の祭祀場』なのだろう。
「鉄斎殿! お竜! 俺は先に進む! ここは任せた!」
静馬は、そう叫ぶと、電脳小太刀を構え、光の糸の隙間を縫うようにして、通路の奥へと駆け出した。彼の体から、電脳小太刀の刃と同じ、青白い光が微かに放たれている。その光が、光の糸に触れると、パチリ、と微かな音を立てて、糸が一時的にその輝きを失う。
「な……何だと!?」
電脳黒船の連中が、驚愕の声を上げた。
「朧月の旦那! 無茶しやがって!」
鉄斎の声が、背後から響く。
静馬は、光の糸の隙間を駆け抜け、通路の奥へと進んでいった。その先には、古びた石造りの扉が、まるでこの世界の終わりを告げるかのように、重々しく鎮座していた。扉には、無数の紋様が刻まれ、その中心には、鉄斎が解析したチップの紋様と酷似した、巨大な紋様が描かれている。
静馬は、扉に手を触れた。その表面はひどく冷たく、微かに振動しているのが感じられた。
「……ここが、最後の舞台か……」
静馬は、静かに呟いた。彼の瞳には、夜明けの光と、そして新たな戦いへの決意が、静かに、しかし力強く宿っていた。
扉の向こうから、微かに、しかし確かに、あの「影」の『声』が、より鮮明に聞こえてくる。それは、まるで深淵から語りかけてくるかのような、全てを『否定』し、『再構築』しようとする、強烈な『意思』だった。
静馬は、電脳小太刀を構え、扉に向かって、その刃を突き立てた。
ギイィィィィィン!
甲高い金属音が、地下通路全体に響き渡り、扉の表面に亀裂が走った。
そして、その亀裂の奥から、青白い光が溢れ出し、静馬の顔を照らした。
その光の中に、静馬は、あの狐面の男──電脳亭夢遊の姿を見た。彼は、扉の向こう側で、静馬を待ち構えていたかのように、不敵な笑みを浮かべていた。
「……よく来たねえ、朧月の旦那。あたしの『舞台』は、もうすぐ始まるのさ」
夢遊の声が、静馬の脳裏に直接響いてくる。
『虚空を喰らうもの』の『降臨』を巡る、最後の戦いが、今、まさに始まろうとしていた。




