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第二十六章「新たな兆しと影の誘い」

夜明けの光が大江戸(おおえど)シティを包み込み、その喧騒が再び息づき始めた頃、月影(つきかげ)静馬(しずま)の脳裏には、若年寄(わかどしより)柳生(やぎゅう)十兵衛(じゅうべえ)の重い言葉と、窓の外に現れた新たな「影」が、不吉な予兆として響いていた。疲労困憊の体は、からくり長屋の床に沈み込むように横たわっていたが、彼の心は休まることなく、新たな脅威への焦燥感に苛まれていた。頬の切り傷が微かに疼き、それが昨夜の激闘が夢ではなかったことを告げている。

静馬は、ゆっくりと体を起こした。冷めた茶を一口含むと、その苦みが思考を研ぎ澄ませる。電脳(でんのう)印籠(いんろう)を取り出し、西の空に現れたあの「影」の通信記録を再度確認する。それは、大御所(おおごしょ)システムのネットワークとは異なる、未知のプロトコルが発する不協和音のような電子音を伴っていた。鉄斎(てっさい)とお(りゅう)からの連絡を待つ間、静馬の瞳は、朝の光に照らされた街の日常を、まるで別の世界を見るかのように眺めていた。人々は、昨夜の混乱を「一時的なネットワーク障害」として受け入れ、何事もなかったかのように振る舞っている。その「安堵」が、静馬にはかえって不気味に感じられた。

(……『新たな神』……そして、この『影』は、何をもたらすのか……)

彼の脳裏には、(ゆめ)(ゆう)の言葉と、北斎(ほくさい)|オルタが示した「まだ消えていない闇」のイメージが、繰り返し蘇っていた。大御所(おおごしょ)システムの『初期化』は阻止できたものの、その真の目的は未だ謎に包まれている。

その時、電脳(でんのう)印籠(いんろう)が微かに振動し、鉄斎(てっさい)からのコールサインが点滅した。

鉄斎(てっさい)殿! 何か掴めたか!」

静馬は、焦る気持ちを抑えきれずに、通信を開いた。

「おうよ! 朧月(おぼろづき)の旦那! やはり、あの『影』はただの雲じゃねえ! とんでもねえ代物だぜ!」

鉄斎(てっさい)の声は、興奮と、そしてわずかな恐怖で上ずっていた。背景からは、彼の隠れ家である廃道場の、サーバーの冷却ファンの音がいつも以上に大きく聞こえてくる。

「あの『影』から発せられてる電磁波のパターンを解析したんだが……こいつは、既存のいかなるネットワークプロトコルとも違う。まるで、この世のモンじゃねえみてえな、異質な信号だ!」

「異質な信号……?」

静馬の眉がひそめられた。

「ああ。だが、その信号の中に、奇妙な『パターン』を見つけたんだ。それは、電脳(でんのう)黒船(くろふね)のビーコンが発していた信号と、一部が酷似している。いや……酷似しているどころじゃねえ。まるで、あのビーコンが、この『影』の信号を『模倣』しているかのようだ!」

鉄斎(てっさい)の言葉に、静馬の背筋に冷たいものが走った。模倣。それはつまり、この「影」が、電脳(でんのう)黒船(くろふね)よりも上位の存在である可能性を示唆している。

「そして、さらに驚くべきことに、その『影』の信号の深層から、奇妙な『声』が聞こえてくるんだ……。それは、まるで、無数の声が重なり合ったような、しかし、どこか単一の意思を感じさせるような……。まるで、深淵から語りかけてくるような、不気味な『声』だ……」

鉄斎(てっさい)の声は、恐怖で微かに震えていた。あの豪放磊落な鉄斎(てっさい)が、ここまで動揺するとは。

「『声』だと? それは、何を言っているんだ?」

静馬は、息を呑んで問いかけた。

「それが……言葉になってねえんだ。ただ、脳に直接響いてくるような、感覚的なものだ。だが、その『声』は、まるでこの世界そのものを『否定』し、『再構築』しようとしているかのような……そんな『意思』を感じさせるんだ……」

鉄斎(てっさい)は、唸るように言った。

「『再構築』……まさか、それが(ゆめ)(ゆう)の言う『新たな神』の正体だというのか……」

静馬の脳裏に、あの狐面の男の言葉が蘇った。「このシステムを『初期化』し、新たな『神』を降臨させようとしている……」。

その時、静馬の電脳(でんのう)印籠(いんろう)が、再び振動した。今度は、お(りゅう)からだった。

朧月(おぼろづき)の旦那! 鉄斎(てっさい)の旦那から、あの『影』の解析結果が送られてきたよ! まったく、とんでもねえモンを掴んじまったもんだね!」

(りゅう)の声は、興奮と、そしてわずかな畏怖が混じっていた。

「お(りゅう)、何か分かったのか!?」

静馬が問いかける。

「ああ。あたしの情報網で、あの『影』に関連する、古い『伝説』を見つけたよ。それは、大江戸(おおえど)シティがまだ『江戸』と呼ばれていた頃の、ごく一部の隠密や陰陽師の間で密かに語り継がれていた『伝説』さ」

(りゅう)は、そう言うと、静馬の電脳(でんのう)印籠(いんろう)に、一枚の古びた絵巻のデータを転送してきた。画面に表示された絵巻には、墨で描かれた巨大な「影」が、空を覆い尽くし、その下で人々が恐怖に怯えている様子が描かれている。そして、その「影」の中心には、奇妙な紋様が描かれていた。それは、鉄斎(てっさい)が解析したチップの紋様と、酷似している。

「この『影』は、『虚空(こくう)を喰らうもの』と呼ばれていたらしい。全てを無に帰し、新たな世界を創造すると言われる、伝説の『存在』だ」

(りゅう)の声が、静馬の耳に響く。

「『虚空を喰らうもの』……それが、『新たな神』の正体だとでもいうのか……」

静馬は、絵巻の「影」を見つめながら、呟いた。その瞳には、驚愕と、そして、この世界の根幹を揺るがすような、途方もない真実が映し出されていた。

「そして、その『影』を呼び出すには、特定の『儀式』が必要だと言われている。その『儀式』には、膨大な『情報』と『意識』が捧げられるらしい。まるで、生贄のようにね」

(りゅう)の言葉に、静馬はハッとした。膨大な『情報』と『意識』──それは、大御所(おおごしょ)システムが管理する、この街の全ての人々のデータと、その意識そのものではないのか。

「まさか……(ゆめ)(ゆう)は、大御所(おおごしょ)システムを『初期化』することで、その『種』を覚醒させ、この『虚空を喰らうもの』を呼び出そうとしていたというのか!?」

静馬の声は、怒りで震えていた。

「おそらくはね。そして、あの『暗号落語』は、その『儀式』のための、一種の『触媒』だったのかもしれない。人々の意識を誘導し、特定の方向へと向かわせるための……」

(りゅう)は、静かに言った。

静馬は、窓の外の西の空を見上げた。茜色に染まる空に、ゆっくりと広がる黒い「影」。それは、もはやただの雲ではない。この世界を『否定』し、『再構築』しようとする、恐るべき『意思』の顕現だった。

(……『虚空を喰らうもの』……。そして、『新たな神』……。奴らの目的は、この世界の『終焉』、そして『再生』か……)

静馬の胸に、新たな戦いへの決意が、静かに、しかし力強く湧き上がってきた。

鉄斎(てっさい)殿! お(りゅう)! 奴らの目的が分かった! 今すぐ、北斎(ほくさい)|オルタのアトリエに集まってほしい! 奴らの次の動きを予測し、この『影』を止める方法を探すんだ!」

静馬の声は、夜明けの空に響き渡る。

朧月(おぼろづき)の夜は終わりを告げたが、新たな「影」が、夜明けの空に、その姿を現し始めていた。

そして、その「影」の正体を突き止めるため、月影(つきかげ)静馬(しずま)の新たな戦いが、今、本格的に始まろうとしていた。



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