第二十章「真実の言葉と虚空の叫び」
古びた石造りの扉が、軋むような悲鳴を上げて内側に開いた。その奥から溢れ出す青白い光が、月影静馬の顔を照らし出す。光の中に、あの狐面の男──電脳亭夢遊が、不敵な笑みを浮かべて立っていた。彼の背後には、巨大な空間が広がっている。そこは、北斎|オルタの絵に描かれていた『古の祭祀場』そのものだった。天井は高く、無数の光の柱が上から下へと降り注ぎ、空間全体を幻想的に照らし出している。中央には、巨大な水晶のような構造物が鎮座し、そこから無数の光の糸が伸び、空に広がる不吉な「影」へと繋がっている。空気はひどく澄んでおり、微かにオゾンの匂いがする。しかし、その澄んだ空気の奥には、全てを『否定』し、『再構築』しようとする、強烈な『意思』が渦巻いているのが感じられた。
「……よく来たねえ、朧月の旦那。あたしの『舞台』は、もうすぐ始まるのさ」
夢遊の声が、静馬の脳裏に直接響いてくる。その声には、狂気と、そして確固たる信念が混じり合っていた。彼の瞳は、静馬の心の奥底まで見透かすかのように、妖しく光っている。
「貴様の『舞台』など、この俺が、ここで終わらせてやる!」
静馬は、電脳小太刀を構え、祭祀場へと足を踏み入れた。彼の体から放たれる青白い光が、空間に満ちる『虚空を喰らうもの』の『意思』に、微かに抵抗するように揺らめく。
「愚かな。あんたに、あたしの『美学』が理解できるはずがない。この大江戸は、腐りきっている。人々は、システムに管理されるだけの家畜と成り果てた。あたしは、彼らを『解放』し、新たな『神』の元で、真の『楽園』を築くのさ!」
夢遊は、そう叫びながら、光の扇子を大きく振りかざした。次の瞬間、祭祀場の中央に鎮座する水晶から、無数の光の糸が静馬へと襲いかかってきた。それは、人々の『意識』を吸い取る糸だ。
静馬は、電脳小太刀を振り抜き、光の糸を弾き飛ばそうとする。しかし、その糸はまるで実体がないかのように、刃をすり抜けてくる。光の糸が静馬の体に触れると、ピリリとした痛みが走り、彼の意識にノイズが走る。まるで、彼の精神に直接、人々の『記憶』が流れ込んでくるかのようだ。喜び、悲しみ、怒り、諦め──あらゆる感情が、嵐のように静馬の脳裏を駆け巡る。
(……これが、人々の『意識』……!)
静馬は、歯を食いしばり、意識のノイズを振り払おうとした。その時、彼の脳裏に、お竜の言葉が蘇る。「『真実の言葉』を唱えるには、『世界の理を理解し、その矛盾を受け入れる者』、あるいは『全ての情報と感情を統合できる者』、と……」。
「諦めなよ、朧月の旦那。あんたは、あたしを止められない。この『リセット』は、必然なんだからね!」
夢遊の声が、静馬の頭の中に直接響いてくる。その声は、まるで彼自身の心の声のように、静馬の弱さを嘲笑っているかのようだ。
静馬は、目を閉じた。
(……俺は、この街を、人々を、お前のような狂人の手には渡さない! この街は、この街に生きる人々が、自らの意志で未来を築く場所だ!)
彼の脳裏に、鉄斎の豪快な笑い声、お竜の不敵な笑顔、そして北斎|オルタの儚げな瞳が鮮明に蘇った。彼らは、静馬が守るべき存在だ。そして、この大江戸シティに生きる、名もなき人々も。
静馬は、ゆっくりと目を開いた。その瞳には、先ほどまでの迷いはなく、朧月の夜を貫くような、静かで、しかし確固たる光が宿っていた。
「貴様の『美学』など、俺には関係ない。俺は、俺の『正義』を貫くだけだ!」
静馬は、そう叫ぶと、電脳小太刀を高く掲げた。その刃から、青白い光が溢れ出し、祭祀場全体を照らし出す。その光は、北斎|オルタの絵に描かれていた、あの『真実の言葉』を具現化しているかのようだった。
「馬鹿な! そんな力、どこで……!」
夢遊が、驚愕の声を上げた。彼の光の扇子から放たれる刃が、静馬へと襲いかかるが、静馬はもはやそれを避けることもなく、ただ一点を見据えていた。
静馬は、電脳小太刀を水晶へと向け、その刃を突き立てた。同時に、彼の口から、あの『真実の言葉』が紡ぎ出された。それは、古びた絵巻に描かれていた紋様のような、しかし、彼の心と『大御所システム』の深層に響き渡る、根源的な『プログラム』だった。
──世界は、無に帰すべからず。
──記憶は、消滅すべからず。
──意識は、束縛すべからず。
──自由は、奪うべからず。
──真実の理、ここに顕現せよ。
静馬の声が、祭祀場全体に響き渡る。彼の体から放たれる青白い光が、水晶から伸びる光の糸を断ち切り、人々の『意識』を解放していく。光の糸が切れる度に、小さなカプセルの中で揺らめいていた光が、まるで蝶のように飛び立ち、空に広がる「影」へと吸い込まれていく。しかし、それは「影」の『糧』となるのではなく、その『意思』を乱すかのように、不規則に明滅を繰り返している。
「な……馬鹿な! あたしの『舞台』が……!?」
夢遊が、信じられないものを見たかのように、呆然と立ち尽くした。彼の光の扇子から放たれていた刃も、いつの間にか消え失せている。
その時、祭祀場全体が、激しく揺れ始めた。ゴゴゴゴゴ……と、地鳴りのような轟音が響き渡り、天井から土埃が舞い落ちる。祭祀場の中央に鎮座する水晶が、まるで悲鳴を上げるかのように、激しく明滅を繰り返している。
そして、祭祀場の奥から、あの「影」の『声』が、より大きく、そして苦悶に満ちた叫びとなって響き渡った。それは、全てを『否定』し、『再構築』しようとする、強烈な『意思』が、今、揺らいでいるかのような叫びだった。
「くそっ! こんなはずでは……! あたしの『美学』が……!」
夢遊は、顔を歪め、静馬を睨みつけた。その瞳には、狂気と、そして深い憎悪の色が浮かんでいる。
「貴様……この俺の『物語』を、邪魔しやがって……!」
彼は、そう叫ぶと、再び光の扇子を構え、静馬へと襲いかかってきた。その攻撃は、先ほどよりもさらに激しく、そして無秩序だった。
静馬は、電脳小太刀を構え、夢遊の攻撃を受け止める。キンッ!キンッ!と、甲高い金属音が連続して響き渡り、火花が嵐のように散る。祭祀場全体が、激しい攻防によって揺れ動いている。
その時、静馬の懐に忍ばせていた電脳印籠が、激しい振動と共に、再び緊急通信の着信を告げた。今度は、鉄斎と、お竜からの同時通信だった。
「朧月の旦那! 無事か!? 電脳黒船の連中、とんでもねえ数を送り込んできやがった! なかなか突破できん!」
鉄斎の声が、焦燥に満ちて響き渡る。背景からは、激しい銃撃音と、鉄斎の大太刀が空気を切り裂く音が聞こえてくる。
「朧月の旦那! あんた、一体何をしたんだい!? あの『影』が、まるで苦しんでるみてえだよ! その隙に、奴らが一斉に攻め込んできやがった!」
お竜の声も、切羽詰まっている。
静馬は、唇を噛み締めた。彼の『真実の言葉』が、『虚空を喰らうもの』の『意思』を揺るがし、その『降臨』を妨害しているのだ。しかし、その反動で、『電脳黒船』の攻撃が激化している。
(……時間が、ない……!)
静馬は、歯を食いしばり、夢遊の攻撃を捌きながら、祭祀場の中央に鎮座する水晶を睨みつけた。
『虚空を喰らうもの』の『降臨』を完全に阻止し、『真実の言葉』を定着させるには、まだ何かが必要なはずだ。




