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第十七章「古き神話と新たな脅威」

北斎(ほくさい)|オルタのアトリエは、夜明けの光が差し込むにもかかわらず、どこか薄暗く、そして張り詰めた空気に包まれていた。壁一面に並べられた絵画たちは、強烈な色彩とエネルギーを放ちながら、まるで彼らの議論を見守っているかのようだ。油絵の具とテレピン油、そして満開の夜来香(イエライシャン)のような甘く妖しい花の香りが、部屋の空気に重く漂い、静馬たちの思考を刺激する。

「……『虚空を喰らうもの』……。そして、この『虚空の眼差し』か……」

月影(つきかげ)静馬(しずま)は、北斎(ほくさい)|オルタが描いた巨大な絵を食い入るように見つめながら、低く呟いた。絵の中の無数の「目」が、まるで生きているかのように輝き、街を見下ろしている。その光景は、彼らが直面している脅威が、単なるサイバーテロの範疇を超えた、途方もないスケールのものであることを示唆していた。

鉄斎(てっさい)殿、解析の状況はどうだ?」

静馬は、解析機器に向かって集中している電脳(でんのう)浪人(ろうにん)鉄斎(てっさい)に問いかけた。彼の厳つい顔は、困難な課題を前に、職人のように真剣な表情をしていた。

「うむ……。あの『影』から発せられる信号は、やはり既存のネットワークプロトコルとは全く異なる。だが、その深層に、奇妙な『パターン』を見つけた。それは、まるで、生命体の『波動』のような……。そして、その『声』は……」

鉄斎(てっさい)は、唸るように言葉を詰まらせた。彼の額には、脂汗が滲んでいる。

「その『声』は、まるで、この世界の『根源』から語りかけてくるような……。全てを『無』に帰し、そして『再構築』しようとする、強烈な『意思』を感じるんだ……」

彼の声は、わずかに震えていた。あの豪放磊落な鉄斎(てっさい)が、ここまで動揺するとは、よほどのものなのだろう。

「あたしも、あの『虚空を喰らうもの』に関する、古い『伝説』をいくつか引っ張り出してきたよ」

飛燕(ひえん)のお(りゅう)は、電脳(でんのう)印籠(いんろう)を高速で操作しながら、静馬たちに視線を向けた。彼女の瞳は、情報という獲物を見つけたかのように輝いている。

「この『虚空を喰らうもの』は、古くから語り継がれてきた『神話』に登場する存在らしい。世界が混沌に満ちた時、全てを『喰らい』尽くし、新たな世界を創造すると言われる。それは、破壊と再生を司る、両義的な存在だ」

(りゅう)は、そう言うと、静馬の電脳(でんのう)印籠(いんろう)に、数枚の古びた絵巻のデータを転送してきた。そこに描かれているのは、北斎(ほくさい)|オルタの絵と酷似した「影」と、その下で恐怖に怯える人々、そして、その「影」を崇めるかのような奇妙な『儀式』の様子だった。

「そして、この『虚空を喰らうもの』を呼び出すには、膨大な『情報』と『意識』が捧げられる『儀式』が必要だとされている。まるで、生贄のようにね。その『儀式』が成就すれば、この『虚空を喰らうもの』は、この世界に『降臨』し、新たな『神』となる、と……」

(りゅう)の声は、静かに、しかし重く響いた。

「……つまり、(ゆめ)(ゆう)は、大御所(おおごしょ)システムを『初期化』することで、その『種』を覚醒させ、この『虚空を喰らうもの』を呼び出し、新たな『神』として降臨させようとしていた、と。そして、その『暗号落語』は、人々の意識を誘導するための『触媒』だった……」

静馬は、全ての情報が一本の線で繋がったことに、愕然とした。彼の脳裏に、(ゆめ)(ゆう)の狂気に満ちた笑みが蘇る。奴は、この世界の『終焉』と『再生』を、自らの『美学』として実行しようとしていたのだ。

「……『虚空を喰らうもの』は……全てを『視て』います。そして……全てを『喰らい』尽くそうとしています……」

北斎(ほくさい)|オルタが、静かに、しかし確かな声で言った。彼女の大きな瑠璃(るり)色の瞳は、絵の中の無数の「目」と同じように、不吉な光を湛えているように見えた。

「くそっ! そんなとんでもねえ化け物を呼び出して、一体どうするつもりだ!?」

鉄斎(てっさい)は、怒りに震え、拳を机に叩きつけた。ガシャン!と、解析機器が音を立てて揺れる。

「奴らは、この『虚空を喰らうもの』を『新たな神』として崇め、その力によって、人類を『真の自由』へと導こうとしているのだろう。彼らにとって、今の大御所(おおごしょ)システムによる管理社会は、人類の可能性を奪う『鎖』に過ぎないのだ」

静馬は、そう言いながら、北斎(ほくさい)|オルタの絵の中の、狐面の男の姿を見つめた。彼の表情は、満足げな笑みを浮かべているが、その瞳の奥には、どこか深い孤独のようなものも感じられた。

「……この『虚空を喰らうもの』の『降臨』を阻止する方法は、ないのか?」

静馬は、お(りゅう)に問いかけた。その声には、わずかな、しかし確かな希望が込められている。

「それが……伝説には、それを『封じる』ための『鍵』がある、とされている。それは、『失われた真実の言葉』、あるいは『世界の理を書き換える力』……と、曖昧にしか書かれていないんだ」

(りゅう)は、眉をひそめながら答えた。

「『失われた真実の言葉』……『世界の理を書き換える力』……」

静馬は、その言葉を口の中で転がした。それは、あまりにも抽象的で、手がかりを掴むのが難しい。

「だが、一つだけ、気になる記述があった。それは、『虚空を喰らうもの』は、完全な『無』からは生まれない、と。何らかの『媒介』が必要だとされているんだ」

(りゅう)は、そう言うと、再び電脳(でんのう)印籠(いんろう)を操作し、別の絵巻のデータを静馬の画面に転送してきた。そこには、巨大な「影」が、まるで胎児のように、何かを包み込んでいる様子が描かれている。

「この絵巻では、その『媒介』は、『世界の中心』に存在する『根源の器』だとされている。そして、その『器』が、今回の『大御所システム』の中枢を指している可能性が高い」

(りゅう)の言葉に、静馬はハッとした。彼が電脳(でんのう)小太刀(こだち)を突き立てた、あの巨大な水晶のような構造物──まさか、あれが『根源の器』だというのか。

「つまり、あの狐野郎は、大御所(おおごしょ)システムを『初期化』することで、あの水晶を『根源の器』として覚醒させ、そこに『虚空を喰らうもの』を降臨させようとしていた、と……」

鉄斎(てっさい)は、唸るように言った。その顔には、怒りと、そして事態の深刻さを理解した色が浮かんでいる。

「そして、あの『影』は、その『降臨』の準備段階……。人々の『意識』を吸い取り、『虚空を喰らうもの』の『糧』としているのかもしれない……」

静馬の脳裏に、北斎(ほくさい)|オルタの絵の中の、人々の頭上へと伸びる光の糸が蘇った。

鉄斎(てっさい)殿! あの『影』から発せられる信号の解析を急いでほしい! 特に、その『声』の周波数パターンと、人々の『意識』を吸い取るという光の糸の関連性を調べてほしいんだ! そして、その『声』が、どこから発せられているのか、その『根源』を突き止めるんだ!」

静馬は、鉄斎(てっさい)に指示を飛ばした。

「おうよ! 任せとけ! てめえら、この鉄斎(てっさい)様が、きっちり暴いてやるぜ!」

鉄斎(てっさい)は、そう言うと、解析機器に再び向かい合った。彼の瞳には、困難な課題に挑戦する職人のような、力強い光が宿っていた。

「お(りゅう)! あんたは、この『虚空を喰らうもの』を『封じる』ための『鍵』……『失われた真実の言葉』、あるいは『世界の理を書き換える力』について、さらに深く調べてほしい! 何か、具体的な手掛かりはないか!」

「へいへい。あたしは、あんたたちの便利屋じゃねえんだけどね。ま、面白くなってきたから、付き合ってやるよ」

(りゅう)は、そう言いながらも、その指先は既に電脳(でんのう)印籠(いんろう)を高速で操作し始めていた。彼女の瞳は、情報という獲物を見つけたかのように輝いている。

静馬は、最後に北斎(ほくさい)|オルタに向き直った。

北斎(ほくさい)|オルタ殿。貴女の『目』は、この世界の真実を映し出す。もし、新たな『景色』が見えたら、すぐに教えてほしい。それが、この街を救う手がかりになるはずだ。特に、『虚空を喰らうもの』を『封じる』ための『鍵』について、何か視えるものはないか?」

「……はい。わたくしは……『描く』ことを、やめませんから……」

北斎(ほくさい)|オルタは、静馬の言葉に小さく頷いた。その瞳には、わずかな、しかし確かな決意の光が宿っていた。彼女は、再びイーゼルに向かい、新たなキャンバスに筆を走らせ始めた。サラサラと、微かな音がアトリエに響く。

アトリエの中は、鉄斎(てっさい)の解析機器の駆動音と、お(りゅう)のキーボードを叩く音、そして北斎(ほくさい)|オルタが筆を走らせる微かな音だけが響いている。窓の外の大江戸(おおえど)シティは、夜明けの光に包まれ、その日常を取り戻しつつあった。しかし、その日常の裏で、古き神話が現実となり、新たな脅威が、静かに、しかし確実にその牙を剥こうとしている。

虚空(こくう)を喰らうもの』──そして、『新たな神』。

月影(つきかげ)静馬(しずま)たちの戦いは、今、その核心へと迫ろうとしていた。



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