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第十三章「夜明けの報告と新たな影」

大御所システムの中枢区画を後にした月影(つきかげ)静馬(しずま)、電脳浪人・鉄斎(てっさい)、そして飛燕(ひえん)のお(りゅう)の三人は、江戸城の地下通路を抜け、地上へと続く階段を上っていた。春の夜明けは、まだ冷たい空気を纏っているが、東の空は微かに白み始め、夜の闇を押し返そうとしている。地下通路の奥から漂ってくる、埃と機械油の混じったような淀んだ空気とは対照的に、地上に近づくにつれて、清々しい朝の気配が静馬の鼻腔をくすぐった。

「……やれやれ、ようやく日の目を見るってわけかい。あたしゃ、もう二度とこんな薄暗い場所はごめんだね」

(りゅう)は、大きく伸びをしながら、腰に差した電磁ロッドを軽く叩いた。その紫色の髪は、地下の湿気で僅かに乱れているが、その瞳には、夜の喧騒を乗り越えた者だけが持つ、確かな光が宿っていた。

「へっ、姐御もまだまだ若いな! この鉄斎(てっさい)様は、これくらいじゃへこたれねえぜ!」

鉄斎(てっさい)は、豪快に笑いながら、大太刀「黒鋼(くろがね)」を肩に担いだ。その巨躯は、夜通しの激闘を終えてもなお、揺るぎない存在感を放っている。

静馬は、二人の軽口を聞きながら、階段を上り続けた。彼の心には、安堵と共に、新たな使命感が芽生えていた。大御所システムの『初期化』は阻止できたものの、電脳亭(でんのうてい)(ゆめ)(ゆう)の言う「新たな神」の存在、そして電脳黒船の真の目的は、まだ明らかになっていない。この戦いは、まだ終わっていないのだ。

やがて、三人は江戸城の通用門から外へと出た。城下町は、まだ夜明け前の静けさに包まれているが、遠くからは、朝市を準備する人々の微かなざわめきや、魚を運ぶ荷車の軋む音が聞こえてくる。街のネオンサインは、夜の間に起きた混乱の余韻を残すかのように、不規則に明滅を繰り返しているが、その光は、東の空から差し込む夜明けの光によって、次第にその輝きを失いつつあった。

「まずは、若年寄様への報告だな」

静馬は、電脳印籠を取り出し、柳生(やぎゅう)十兵衛(じゅうべえ)への通信を試みた。

「おうよ! 大御所システムを救った英雄様のお出ましだ! 若年寄様も、さぞかし驚かれることだろうよ!」

鉄斎(てっさい)は、得意げに胸を張った。

「ま、あたしは裏方だからね。あんたたち、せいぜい褒美をたっぷり貰いな」

(りゅう)は、そう言いながら、静馬の背中を軽く押した。

通信はすぐに繋がった。画面には、普段と変わらぬ冷静な表情の柳生(やぎゅう)十兵衛(じゅうべえ)の顔が映し出された。しかし、その瞳の奥には、夜通しの緊張と、そして安堵の色が微かに見て取れる。

朧月(おぼろづき)! 無事であったか! 大御所システムの稼働状況は安定を取り戻した。貴様の報告通り、異常は収束したようだ。一体、何が起こっていたのだ?」

柳生(やぎゅう)の声は、普段の重厚さに加えて、安堵の響きが混じっていた。

静馬は、簡潔に、しかし詳細に、これまでの経緯を報告した。電脳亭(でんのうてい)(ゆめ)(ゆう)と電脳黒船による大御所システムの『初期化』計画、そしてそれを阻止したこと。電脳亭(でんのうてい)(ゆめ)(ゆう)が語った「新たな神」の概念、そして電脳黒船の真の目的はまだ不明であること。

柳生(やぎゅう)は、静馬の報告を黙って聞いていた。その表情は、次第に険しさを増していく。

「……なるほど。事態は、我々が想像していた以上に深刻であったようだな。電脳黒船……そして、『新たな神』か。……貴様の言う通り、このままでは、また同じような危機が訪れるであろう」

柳生(やぎゅう)は、深く息を吐いた。その声には、重い決意が込められている。

朧月(おぼろづき)、貴様には引き続き、この件の調査を命ずる。特に、『新たな神』の正体、そして電脳黒船の真の目的を突き止めるのだ。幕府も、この件を重く受け止め、早急に対策を講じるであろう。貴様には、そのための先陣を切ってもらいたい」

「はっ! 承知いたしました!」

静馬は、力強く応じた。彼の胸には、新たな使命感が燃え上がっていた。

「それと、今回の貴様の功績は、幕府として最大限に評価する。貴様と、その仲間たちには、相応の褒美を用意する故、後日、改めて登城せよ」

「恐悦至極に存じます」

静馬は、深々と頭を下げた。

通信を終え、静馬は顔を上げた。部屋の障子からは、夜明けの光が差し込み、彼の疲れた顔を優しく照らしている。遠くからは、朝市を準備する人々の賑やかな声が聞こえてくる。それは、まるで何事もなかったかのような、この電脳江戸の日常を象徴しているかのようだった。

(……『新たな神』……そして、『虚空を喰らうもの』の『再来』か……)

静馬の脳裏には、電脳亭(でんのうてい)(ゆめ)(ゆう)の言葉が繰り返し蘇っていた。奴は、最後に「あたしの『物語』は、まだ終わらない」と言い残して消えた。それは、単なる捨て台詞ではないだろう。

静馬は、窓の外を見上げた。東の空は、既に淡い水色に染まり、太陽がその姿を現し始めていた。しかし、彼の瞳には、その光の向こうに、まだ見えぬ「闇」が横たわっているのが感じられた。それは、北斎(ほくさい)オルタが言っていた「まだ消えていない闇」なのだろうか。

その時、静馬の研ぎ澄まされた感覚が、微かな異音を捉えた。それは、風の音でも、街のざわめきでもない。まるで、遠くで、何かが蠢いているかのような、不気味な音だった。それは、彼の脳裏に響く『虚空を喰らうもの』の『声』の残響と、どこか似ている。

静馬は、顔を上げた。夜明けの光に包まれた空に、微かに、しかし確かに、新たな「影」が、まるで墨を流したかのように、ゆっくりと広がり始めているのが見えた。それは、西の空に現れたあの「影」とは異なる、もっと小さく、しかしより緻密で、そして不吉な「影」だった。その「影」からは、微かに、しかし確実に、不協和音のような電子音が聞こえてくるような気がした。それは、大御所システムのネットワークとは異なる、未知のプロトコルが発する音のように感じられた。

(……これは……)

静馬の全身に、緊張が走る。彼の疲労困憊の顔に、再び険しい表情が浮かんだ。

「まだ、終わらない……」

静馬は、静かに呟いた。その瞳には、夜明けの光と、そして新たな戦いへの決意が、静かに、しかし力強く宿っていた。

朧月(おぼろづき)の夜は、終わりを告げた。

しかし、新たな夜明けが、今、まさに始まろうとしていた。

そして、その夜明けの光の中に、彼らの新たな戦いが、静かに、しかし確実に姿を現そうとしていた。



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