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第十二章「決戦前夜の三つの誓い」

飛燕(ひえん)のお(りゅう)の隠れ家である、錆びついたコンテナハウスの中は、三人の男女の熱気と、壁一面を埋め尽くすモニターの青白い光、そして電子タバコの甘ったるい煙で、むせ返るようだった。床に散らばる電子部品やジャンクフードの空き箱が、彼らの足元でカサリと音を立てる。外は、大江戸シティの深い夜。時折、遠くでサイバー同心の巡回ドローンが、低い駆動音を響かせながら頭上を通り過ぎていくが、それ以外は不気味なほど静まり返っている。まるで、嵐の前の静けさのように。

「……よし、これで役者は揃ったわけだ。で、朧月(おぼろづき)の旦那。江戸城の地下水路への殴り込み、具体的にはどういう段取りでいくんだい?」

(りゅう)は、腰に差した長尺の電磁ロッドの柄を、指先で弄びながら、月影(つきかげ)静馬(しずま)に問いかけた。その紫色の髪は、モニターの光を浴びて妖しく濡れそぼり、大きく開いたサイバー着物の胸元からは、胡蝶(こちょう)のタトゥーが挑発的に青白い光を放っている。彼女の瞳は、獲物を前にした女豹のように爛々と輝き、静馬の言葉を待っていた。

「うむ。朧月(おぼろづき)の旦那の言う、その地下水路とやらが本当に使えるんなら、確かに大御所システムの中枢への最短ルートかもしれねえ。だが、油断は禁物だぜ。電脳黒船の連中が、そんな見え見えの抜け道を見逃すタマかねえ」

熊のような巨躯の電脳浪人・鉄斎(てっさい)が、腕を組みながら唸った。その厳つい顔には、無精髭が伸び放題だが、鳶色の瞳の奥には、鋭い知性の光が宿っている。彼が持参した大太刀「黒鋼(くろがね)」は、鞘に収められたまま、部屋の隅に立てかけられているが、それだけで部屋の空気をピリリと引き締めるような威圧感を放っていた。床には、彼が持ってきたヘルメット型の解析装置や、何やらごついバッテリーパックのようなものが無造作に置かれている。

静馬は、部屋の中央に浮かび上がらせた大江戸シティの地下構造のホログラムディスプレイを指し示した。そこには、江戸城本丸の地下深くに存在する、忘れられた地下水路のルートが、赤い線で示されている。

鉄斎(てっさい)殿の言う通り、油断はできない。だが、このルートが最も可能性が高いと俺は見ている。公式の記録からも抹消され、物理的にも老朽化が進んでいるこの水路は、奴らにとっても盲点となり得るはずだ」

静馬の声は低く、しかし確信に満ちていた。その切れ長の瞳は、ホログラムディスプレイに映し出された複雑な地下迷宮を、食い入るように見つめている。

「作戦はこうだ。まず、お(りゅう)、あんたに先行してもらう。その『目』と『耳』で、水路内のトラップの有無、警備状況を確認し、安全なルートを確保してほしい。あんたのハッキング能力なら、多少の電子的トラップは無効化できるはずだ」

「へえ、あたしが露払いってわけかい。いい度胸じゃないか、朧月(おぼろづき)の旦那。ま、嫌いじゃないけどね」

(りゅう)は、不敵な笑みを浮かべた。その指が、目にも止まらぬ速さで小型のデータ端末を操作し始める。おそらく、地下水路に関する古い情報を、自身のデータベースから検索しているのだろう。

「ただし、もしヤバそうなブツを見つけたら、あたしは遠慮なくトンズラさせてもらうからね。あんたたちのために、犬死にするつもりは毛頭ないんでね」

「それで構わん。無理は禁物だ」

静馬は頷いた。

「お(りゅう)がルートを確保した後、俺と鉄斎(てっさい)殿が突入する。鉄斎(てっさい)殿には、物理的な障害物の破壊と、万が一の戦闘になった場合の火力支援を頼みたい。そして、これが最も重要な任務だが……」

静馬は、鉄斎(てっさい)が持参したヘルメット型の装置に視線を移した。

「その『電脳干渉(かんしょう)(かぶと)』とでも呼ぶべきか。それを使って、大御所システムの中枢……電脳黒船のビーコンが集中しているポイントの、セキュリティシステムを一時的にでも無力化してほしい。時間は、おそらく数分もないだろうが、その間に俺がシステム内部に侵入し、奴らの企みを阻止する」

「ほう、『電脳干渉(かんしょう)(かぶと)』とは、旦那もなかなか面白いネーミングセンスをしてるじゃねえか」

鉄斎(てっさい)は、顎の無精髭を豪快に扱きながら笑った。

「こいつは、俺が長年改良を重ねてきた、指向性の高出力EMPジェネレーターと、大御所システムの行動パターンを予測するAIを組み合わせた、いわば『電脳の破城槌』みてえなもんだ。確かに、短時間なら、あの鉄壁のセキュリティに風穴を開けることも可能だろう。だが、反動もデカい。下手をすりゃ、俺の脳みそが焼き切れるかもしれねえが……まあ、朧月(おぼろづき)の旦那のためなら、一肌脱いでやろうじゃねえか!」

彼は、そう言うと、ドンと自分の胸を叩いた。その瞳には、困難な任務に挑む武人のような、潔い覚悟が宿っている。

「……感謝する、鉄斎(てっさい)殿。だが、決して無茶はしないでくれ。あんたの知恵と腕は、この先も必要になる」

静馬の声には、仲間を気遣う温かみが込められていた。

「へっ、朧月(おぼろづき)の旦那にそう言われちゃ、死んでも死にきれねえな!」

鉄斎(てっさい)は、照れ隠しのように頭を掻いた。

三人は、その後もホログラムディスプレイを囲み、潜入ルートの細部、合図の方法、緊急時の脱出経路などについて、綿密な打ち合わせを続けた。部屋の中には、モニターの冷却ファンの低い唸り声と、時折交わされる三人の低い声、そしてお(りゅう)の電子タバコの煙が紫色の軌跡を描きながら立ち昇っては消える音だけが響いている。窓の外の大江戸シティは、相変わらず眠らない街の光を放っているが、その光はどこか虚ろで、まるで巨大な張りぼてのようだ。この街の本当の心臓部が、今、得体の知れない脅威に晒されようとしていることを、一体どれだけの人間が気づいているのだろうか。

やがて、作戦の最終確認が終わると、部屋にはしばしの沈黙が訪れた。三者三様の表情。静馬は、固く唇を引き結び、その瞳には朧月(おぼろづき)の夜を貫くような鋭い光を宿している。お(りゅう)は、不敵な笑みを浮かべてはいるものの、その指先は微かに震え、胸元の胡蝶(こちょう)のタトゥーの明滅が心なしか速くなっている。鉄斎(てっさい)は、どっしりと胡坐をかいたまま目を閉じ、まるで嵐の前の古木のように静まり返っているが、その全身からは、抑えきれない闘志がオーラのように立ち昇っていた。

「……さて、と。そろそろお開きの時間かね」

最初に沈黙を破ったのは、お(りゅう)だった。彼女は、すっくと立ち上がり、電磁ロッドを肩に担ぐと、悪戯っぽく静馬にウィンクしてみせた。

「首尾よくいったら、例の電脳鰻、三人前だからね! 忘れるんじゃないよ!」

「ああ。とびっきり美味い店を予約しておこう」

静馬も、微かに口元を緩めた。

「うむ! 儂も相伴に預かるとしよう! 久しぶりに、腹一杯美味いものを食いたいもんだ!」

鉄斎(てっさい)も、目を開き、豪快に笑った。

三人は、互いの顔を見合わせ、そして、言葉には出さずとも、固い決意を胸に頷き合った。それは、まるで決戦前夜の、三つの誓いのように見えた。

静馬は、腰の電脳小太刀の柄を握りしめた。その冷たい感触が、彼の心を落ち着かせる。懐には、影蝶(かげちょう)が静かにその時を待っている。

(りゅう)は、電磁ロッドの出力を確認し、指先には小型のハッキングツールを装着した。その動きには一切の無駄がない。

鉄斎(てっさい)は、ゆっくりと立ち上がり、部屋の隅に立てかけてあった大太刀「黒鋼(くろがね)」を手に取ると、その重みを確かめるように、一度、二度と軽く振るった。風を切る音が、低く唸る。

「……行くか」

静馬が、短く告げた。

「おう!」

「ああ!」

三つの影が、錆びついたコンテナハウスのドアを開け、再び大江戸シティの深い闇へと踏み出していく。

月は、いつの間にか厚い暗雲に完全に覆われ、星々の光も見えない。

まさに、朧月(おぼろづき)の夜。

しかし、彼らの心の中には、それぞれの誓いが、小さな、しかし消えることのない灯火のように、確かな光を放っていた。

その光が、この絶望的な夜を照らし出し、未来への道を切り開くことを信じて。

大江戸シティの運命を賭けた、静かで、しかし熾烈な戦いが、今、始まろうとしていた。

そして、朧月(おぼろづき)の夜は、まだ終わらない。


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