序章「暁闇(ぎょうあん)に蠢(うごめ)く影」
大御所システムが管理する電脳の世は、深く、静かな眠りの中にあった。大江戸シティを包む暁闇は、まだ星の瞬きを宿し、遠く東の空には、夜明けを告げる仄かな東風が吹き始めていた。その風は、サイバーネットワークの微かな電子音を運び、街の隅々にまで張り巡らされた光ファイバーの網が、まるで血管のように青白い光を明滅させている。御触書のDX化により、瞬時に配信される情報が人々の電脳印籠を彩るこの時代に、効率と安定の陰で失われゆくものがあることを、誰もが漠然と感じながらも、その深淵を覗こうとはしなかった。
早春の湿り気を帯びた空気は、街灯の僅かな熱を吸い上げ、アスファルトの路面を濡らし、遠くのネオンサインを淡く滲ませる。その光は、幻想的な朧月の夜を思わせるも、どこか現実離れした冷たさを孕んでいた。電脳長屋の軒先では、電脳瓦版が報じる定型的なニュースが静かに流れ、人々の夢を侵食していく。そんな平穏な日常の裏側で、システムの深層、あるいは人の意識の奥底で、何かが静かに、しかし確実に蠢動を始めていた。それは、やがて来るべき「騒乱」の予兆を、仄暗く、しかし確かな形で示しているかのようだった。