九十六話 少しだけ元に?
学校から帰宅した私は、着替えを終えてお姉ちゃんを待つ。生徒会の仕事があるから一、二時間は遅いので、今のうちに雫くんに電話をかける。
もしかしたら出ないだろうけどと思ったけど、どうしても声が聞きたくて、自分でも止められなかった。
スマホから響くコール音、不安に苛まれながら待っていると、三コール程度で応答があった。胸に去来する安心感。
「もっもしもし雫くん、いきなりごめんね……」
『大丈夫だよ。俺こそ昨日は、いきなりごめん』
抑揚のない声が返事として聞こえてくるけれど、別れたことに比べれば些事に等しい。大事なのは、まだ拒絶されているわけじゃないということだ。
「ううん、雫くんにも理由があるのは分かってるから、大丈夫……って訳じゃないけど、でも我慢するよ。だからせめて、なにがあったか教えてほしいの。お姉ちゃんからなにか言われたんでしょ?」
『それは……』
雫くんのことだから、答えないことは分かってる。でもせめて、別れる前に相談してくれたら良かったのにという気持ちが強い。
とはいえ、彼の中で結論づけてしまったのなら、私にできることはないかもだけど。
せめて、理由が知りたい。
「実を言うとね、お姉ちゃんから聞いてるの。酷いことを言っちゃったって反省してたよ?」
『え、美白さんが?』
当然そんな話はしていない。昨日か今まで、お姉ちゃんと顔を合わせたのは朝だけで、言葉ひとつも交わしていない。
でも私たちは姉妹なのだから、雫くんからすればそんなことは証明しようのないことだろう。
彼を騙すのは心苦しいけれど、私だって少しくらい身勝手にさせてほしいな。一方的に振られたわけだし。
「うん、さっきちょっとね。本当にごめんね、お姉ちゃんのせいで辛い気持ちにさせちゃったよね」
『え、いや……えっと?いつその話を?』
たった一日だというのに、感情を露にした声を出す雫くんに懐かしさを感じてしまう。本当は顔を見ながら話をしたかったけど、そうなれば彼に見抜かれてしまうかも知れないし、それはまた今度だ。
「さっきだってば、このあとまたちゃんと話をするつもりだよ。もしかして、信じてない?」
『信じてないっていうか、イメージが沸かなくて……それで、美白さんが反省してたの?』
「うん、すごい落ち込んでたよ」
雫くんの質問に答えてみるけど、彼は沈黙で返す。もしかして疑ってる?カマかけただけじゃバレちゃうかな?
『ごめん楓。俄かには信じがたいというか、どうしてもありえないって思うな。だって美白さん、俺のこと嫌ってたし』
「え?お姉ちゃんが?雫くんを?」
信じられない返答に思わず聞き返すと、雫くんはうんと返事をする。あれだけ好き好きアピールしておいて嫌い?そんなことはありえない。
ふつふつと、私の中に怒りの情が渦巻きはじめる。
『言ってなかった?俺のことを八方美人して媚を売ってるとか、マッチポンプで好かれようとしてるとか、いつか楓に振られるとか言ってたんだけど……』
雫くんから語られる、信じられない言葉の数々。どうしよう、お姉ちゃんを見て正気でいられるかな?
いくらなんでも言って良いこと悪いことがある。
それなのにお姉ちゃんはその地雷を踏み抜いて、雫くんの心に傷を付けたということだろうか。許せない。
『……やっぱり、聞いてなかったんだ。美白さんから』
「うん、嘘ついたの。どうしても理由が知りたくて……ごめんなさい」
『怒ってないよ。いきなり振り回して辛い思いをさせたのは俺だから。それに、別に楓のことが嫌いになったわけじゃないし』
優しい声の雫くんの言葉に、少しだけ安心する。もしかしたら私がなにか、嫌われるようなことしてしまったのかもという考えもあったけれど、どうやらそういうわけじゃなさそう。
「ありがと……私は雫くんのこと、まだ大好きだよ。嫌いになんてなれない、だからまた話してほしいんだ、どうして別れようと思ったかって」
『うん。必ず話すよ、だから今度、金曜日に家に来てほしい』
その言葉に、私は思わずドキッとムラついてしまった。年ごろの男女がひとつ屋根の下、しかも元恋人とだなんてなにもない方がおかしい。
なんなら私はまだまだ関係を続けたいのだ、既成事実でも作ってやろうかしら?もちろんやらないけど、でも求められたら喜んで受け入れる。
「そんなこと言って、実はエッチしたいんじゃないの?」
『あ、ごめん。無神経だったな。じゃあ──』
「金曜日ね分かったよ絶対に行くからね」
『あ、はい』
雫くんと話ができたことで浮かれた私は、思わずからかうようなことを言ってしまい、せっかくのチャンスを逃すところだった。すかさず予定を取り付けて、有無を言わせず約束を取り付ける。
絶対抱き着いてやる。セックスは無理でもキスやハグくらいはさせてもらう。もちろん、雫くんが嫌がらなければだけど。
「とりあえずそんなとこかな、ありがとね。雫くんの声が聞けて良かった」
『それなら良かったよ。じゃあ、またね』
「うん」
名残惜しさを感じるものの、知りたいことは聞けた。あとはお姉ちゃんと話をしようと、電話を切ろうとしたところで、ちょっと待ってと声がかかる。
「なになに?私のこと好き?」
『いやそうじゃなくて……好きなのは好きだけど』
「えへへ、嬉しい」
好きだと言ってくれる雫くんに、思わずニヤけてしまう。友達として好きだったとしても、好きというワードに胸が温かくなる。
『それでなんだけど、美白さんを怒らないでくれ』
「ん?どうして?」
『たぶん、美白さんにも色々あったんだよ。そんな時に俺が無神経なことをして、嫌な思いをさせたんだと思うから』
優しい雫くんのことだ、きっとお姉ちゃんを庇っているのだろう。それに、その自責も本気なんだと思う。
彼は、理不尽なことにも自責を感じる人だから。
「うん分かった……でも、怒らないのは約束できないかも」
『それは……分かってる。だからこれは、ただのお願いだ。俺だって悪いとこらがあるから』
「その話は、また今度にしよ。その時は嘘なしで正直にね」
私の言葉に、雫くんはうんと返した。




