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感情という錘  作者: 隆頭
第四章 胸の痛み

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九十三話 望まぬ別れ

 リビングから美白さんが立ち去り、再び楓と二人で向かい合う。相変わらず素敵な女性だが、どうしてか前ほど愛おしく感じられない。

 そもそも、俺が彼女を好きでいる必要はないし、彼女を幸せにできる人間は山ほどいるはずだ。


 それに美白さんの言う通り、こうして付き合っていたとしても、結々美と同じ結末を辿ることは明らかだ。だって、今までそれを繰り返してきたのだから。

 そう考えると、別に誰かと恋仲になる必要もない気がしてくる。友達でも良いじゃないか。


 例えば結婚して家族になるったって、別に俺には父さんや華純(かすみ)さんがいるし、瑞稀もいる。そうなれば必要なのは友達だけだ。

 それだって和雪やバイト先の先輩たちがいるし、そこまで困ってはいないのだ。


「ねっねぇ、今から雫くんの家に行ってもいいかな?その、エッチしたいなぁって、思って」


 震えた声で、楓がそう尋ねる。別に本気でそういうことをしようってわけじゃないだろう。なにやらを心配しているような、いつも通りの俺を求めているような、そんな感じ。 

 でも、今の俺にそんな気持ちはなくて、楓が嫌だと言うわけじゃないけれど、その関係に違和感を抱いている今、身体を重ねる気分にはならなかった。

 本当ならば俺にそんな権利はなかった、ただ彼女を無為に汚しただけの、最低な男。本気で好きだったからこそ心の底から求めたが、今となってはあまりにも浅はかだった。

 遊んでいるつもりはなかったが、こんな結果じゃ否定はできないな。

 

「んー、でももう時間も遅いし、ご両親も帰ってくるだろ?それなのに楓がいなかったら、心配するでしょ」


「いっ良いよ別にっ。今までだってそういう時はあったんだから、心配することじゃないよ。せめてその、ハグくらいはしても良いでしょ?」


 不安に苛まれたような楓が、縋るように問いかける。こんなに心配をかけてしまうというのなら、俺が彼女の恋人になる資格はないだろう。


 苦しめるだけだというのなら、俺が傍にはいない方が良い。


「……ねぇ楓、今から少しだけ散歩しよっか」


「えっ、うっうん」


 楓の質問に答えられなかった俺は、それを誤魔化すために立ち上がって散歩を提案する。彼女はすぐに受け入れて、玄関に向かう俺についてきた。

 先に靴を履いて、鍵を開けて外に出る。日が落ちかけた夕方という時刻だが、まだまだ暑さは収まりを見せない。


 楓が出てきたのを確認して扉を閉めると、彼女が鍵をしめて俺の隣に立った。それでも、いつものように手を繋ぐことはなく、互いに距離を空けていた。

 いつもなら触れるほどの距離も、頭ひとつ分程度の距離が空いていて、まるで付き合う前の距離感だった。でも、そこにないはずの見えない壁は、やけに重厚に感じる。


 どちらともなく歩き出して、二人してなにも言わないまま足音だけが鼓膜を震わせる。楓は俺の顔をチラチラと見ているが、なにもできずにいた。

 これでは彼女があまりに不憫だろう。解放してあげてという、美白さんの言葉の通りにすることにした。


「なぁ楓」


「あっうん、どうしたの?」


 足を止めた俺の呼び掛けに、作り笑いの楓が反応する。しかし彼女は不安そうで、見ているこちらが辛くなりそうだ。

 これ以上彼女を困らせてはいけない。だからもう、終わらせよう。


「別れよう」


「え……どうして……?」


「これ以上、楓の足を引っ張りたくない」


 実際は好意が失せたと言った方が正しいのかもしれないが、別に全く好きじゃないってわけじゃない。ただ、前ほど好きじゃなくなってしまったのだ。

 それに、美白さんにあれだけのことを言われたわけで、それを聞いて辛くないかと言われたらそんなことはないし、かといって楓にそのことを伝えれば、姉妹仲を壊す羽目になる。そんなことを望みはしない。


 どうせ別れるというのに、付き合う意味が分からない。実際、美白さんにも嫌われてしまった。

 きっと楓もその轍を踏むはずだ、それならばスッパリと関係を終わらせた方が良い。


 恋人でいることにただ失うものがあるだけと、ネガティブなイメージしかなくなって。楓と一緒にいることに、どこか違和感を感じてしまう。


 別れるのが遅いか早いかの違い。どうせ訪れる拒絶だというのなら、いっそのこと自分から受け入れてしまった方がずっと楽なのだ。

 言ってしまえば、逃げでしかないけどな。


「ねっねぇ、お姉ちゃんに何言われたの?足を引っ張るってなに?私、雫くんになにかしちゃったの?それとも私、気が利かなかった?」


「違う、違うんだよ。楓は悪くない。ただ俺が臆病なだけなんだ。こんなことじゃきっといつか、また同じことになる」


「分からない!分かんないよ!同じことってなに?海木原(みきばら)さんのことなの?」


 要領を得ない俺の言葉に、ポロポロと楓は涙を流しながら縋るように目を向ける。自分の服の裾を握り、堪えようのない悲しみに抗っているその姿を見ていると、申し訳ない気持ちになってくる。


「違うってわけじゃないけど、それは楓に関係ないんだ。俺の問題で、成長できなくて甘えてばかりだから」


「いいよ、甘えてよ……雫くんのためならなんだってするから、考え直してっ。お願い……」


 涙ながらに俺を触れようとする楓。しかし彼女が俺の顔を見た時、その手は止まってしまう。俺がもっと立派な人間だったなら、その手が止まることもなかっただろうし、握り返すこともできただろう。


 しかし、彼女の想いが叶うことはなく、俺の身勝手で悲しませてしまった。だけどこの関係を終えてしまえばきっと、楓に似合う相手が現れるはずだ。


「ごめん」


「っ!」


 俺の謝りの言葉ひとつ、それを別れに楓は踵を返して、逃げるように走っていった。その背中を見た俺の心は、不気味なほどに動かなかった。


 やれやれ、俺も結々美と同じだな。


 最低だよ、ほんと。

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