九十二話 あまのじゃく
あれから、考えれば考えるほど胸が苦しくなった。どれだけ彼を求めても、届かないこの想いに。
手に入らないからとその想いに蓋を閉じて、好きでもない麻沼からのアプローチに敢えて乗って話をしてみたり、雫くんを避けるようにルートを選んでみたり。
自分の感情に振り回されている中、当の雫くんは楓と楽しそうにしている。
そんな光景を見ては嫉妬に心を焼かれ、いつも通りの態度をとれずにいた。みっともないのはアタシで、情けないにも程がある。
一歳だけとはいえ、アタシは年上なのだ。分別をつけなければならないというのに、むしろ被害者意識だけがアタシを取り巻く。
そんなアタシの未熟さが、とんでもない罪を犯してしまう。許されないほどの大罪だ。
楓が連れてきたのだろう、家に帰るとそこには雫くんがいて、楓と楽しそうに歓談していた。少し前ならばそれに楽しく混ざれたのだろうが、あの時、麻沼と一緒にいる雫くんを見てからじゃあ、そんなことできるはずもなく。
またも冷たい態度で、そっぽを向いてしまった。本心とは裏腹に、衝動だけで突き動く。
部屋に戻って着替えるも、過るのは雫くんの姿。せっかく家に来ているのならば、できるだけ同じ部屋で一緒にいたい。
でも、今のアタシに前のようなラフな格好はできなくて、ほんの少しだけ気取った格好でリビングに向かう。
"いらっしゃい、よくきたね"
いつもみたいに笑いながら、雫くんにそう言ってあげたかった。せっかくなら隣に座って、楓をからかってやろうかと思った。
ドキドキしながら彼の元へ向かうと、どうしようとない気持ちの胎動が再び始まって、またも出てくる天邪鬼。
どうしたのかと心配する彼に一瞬だけ喜びつつも、そんな自分にも能天気な彼にもピリピリとしてしまい、余計なお世話だと思ってもいないことで返してしまう。
それだけじゃ飽き足らず、ベラベラと口から出てくるのは憎まれ口で、ダメなことだと思いながらも、それを制御できないまま傷付けるような言葉だけを口走る。
どれだけ心の中でごめんなさいを唱えようと、その言葉は声にならないまま、酷い言葉で彼を罵り傷付ける。
気が付けばその言葉に心を隠している自分がいて、それからのことはもう、よく覚えていない。正確には、考えるより先に言葉を並べているために、その内容は空虚なものだった。
咄嗟に口走ったというだけで、そこに伝えたい意思や意図がないのだから、覚えようがない。しかし、本気で言っているわけじゃないと、それが雫くんに伝わらないことには、本心だと思われても仕方ない。
調子に乗っていたアタシはハッとして、彼の顔を見た。
その表情は、無表情とも笑顔とも悲哀ともつかない、見たことのない表情。パッと見は無表情、でも良く見ると口角は上がっているように見え、纏う雰囲気は悲しみそのもので。
全身から冷や汗が吹き出て、やってしまったと頭が白くなる。まるで親の大切な物を壊してしまったかのような、そんな稚拙な焦り。
しかしそんな幼さが生んだトラブルと違い、アタシがしたのは、取り返しの付かないこと。
傷付くのはアタシじゃない、雫くんと楓だ。
「あ、いっいやなんていうか、言い過ぎてしまったね、ごめん」
「いえいえ、おかげで目が覚めました。ありがとうございます」
ヤバイと思ってすぐに頭を下げるものの、返ってきたのはいつも雫くんが見せる愛想の良い表情。でもどこか、その表情が冷たい感じがして。
見慣れた様子のはずなのに、その姿を見ていると焦りが止まらない。
最後にアタシはなんて言ったっけ?どうやって突ついたっけ?たしか、彼の幼馴染を引き合いに出したような気がする。
「おまたせ雫くん。待たせちゃった……あれ、どしたの?お姉ちゃん?」
焦りを感じている中、やってきたのは楓だ。事態を把握していない楓が、トコトコと椅子に腰かける。
「なんでもない。ちょっと話をしてただけだよ」
いつの間にか立ち上がっている雫くんと、リビングに来ているアタシを見た楓が、コテンと首を傾げる。しかし、何事もなかったかのように答える雫くんに対し、アタシはなにも答えることができなかった。
どうかいつも通りであってくれと願うものの、その光景とは裏腹にアタシの頭が警鐘を鳴らす。
「……ねぇ雫くん。お姉ちゃんになにか言われた?」
「ん?特にはないけど、どうかした?」
「え、ん?ほんとに?ねぇお姉ちゃん、雫くんに変なこと言ってないよね?」
楓が雫くんの向かいに座ると、じっと彼の顔を見て尋ねる。
やめてくれと、バレないでくれと願うばかりのアタシは、楓の言葉に頷いしまった。嘘を吐いたんだ。素直に謝りもせず犯した罪から目を逸らし、自分は関係ないと言い聞かせて。
しかし、楓は違和感を感じ取っていた。纏う雰囲気がガラリと変わってしまった雫くんを見て、瞳を揺らす。
困惑をする楓と、愛想よくも冷たい雫くん。そんなチグハグな様子が見てられなくて、逃げるようにアタシは部屋へと戻る。
それから二人が別れたと知ったのは、その翌日のことだった。




