九十話 予兆
ついに、文化祭の出し物を決める日がやってきた。クソほど興味もない、つまらないイベント。
どうせ家族の誰もやってくるわけでもなければ、特に楽しむこともない。それが去年までの考えだった。
和雪は友人たちと遊ぶから、俺の相手は結々美だけだった。結々美の立ち位置は楓に変わりはしたが、変わったのはそれだけじゃない。
クラスメイトとの関係も、去年と比較して大分良くなったのだ。それが、多少なりとも前向きに考えられる理由になった。
それに、今年は父さんや華純さんもいるし、関係が良好に戻りつつある瑞稀だって来るだろう。
ほんの少しだけ、楽しむことができそうだ。
文化祭でうちのクラスがなにをやるか、そんな内容で盛り上がりを見せたHRと、残りの授業を終わらせて放課後を迎えた。
しかし、やれメイド喫茶だのお化け屋敷だの定番が好き過ぎないか?実行委員会の二人も困っていただろう。
ちなみに実行委員についてだが、一人は特に関わりのない関わりのない男だったのだが、その相方は結々美になった。もし楓がやったら必然的に俺も相方になるが、その必要はないみたいで安心である。
結々美の相方は鼻の下を伸ばして嬉しそうにしていたが、噂とはいえあれだけ渦中のど真ん中に立たされた結々美相手に、よくもまぁデレデレとできるものである。
巻き込まれるかもとは思わないのかね。
そんなこともあったが、只今向かっているのは俺の家である。今日はバイトが休みなので、楓と二人の時間を過ごすのだ!そんな意気込みの中、彼女と手を繋いで、未だ残暑の厳しい道を歩く。
しかし、先ほどのことが忘れられずにいた。
帰り際に廊下で出会った美白さんの、その表情や態度が、前よりも冷たく感じたのだ。いつもなら笑顔を向けてくれるはずなのに、どこか壁を感じる態度が、やけに記憶に残った。
そんな美白さんに楓も首を傾げていたが、その理由は分からないまま外に出てしまったので、なんともモヤモヤが残ったものだ。
何事もなければいいけどな、不安だよ。
そんなこともあったが、結局美白さんの様子について訳が分からないまま数日が過ぎた。
うちのクラスの文化祭の出し物は、焼きそばに決まり、普段から料理をしている俺は料理担当となった。
量が量だけに鉄板で焼きそばを作ることになりそうだが、鉄板で料理なんて作ったことないんだけどなぁ。
仕方ないので、今度鉄板焼の店でも食べに行こうかしら?
そんなことを考えたときに、ピーンと音を立てて閃いた。せっかくならば、彼氏先輩に相談してみれば良いではないか。
せっかくだし、楓も誘った四人でBBQとかやってみるのも楽しいかもしれない。
それはまた今度 先輩たちと話をするとして、今はなにをしているのかというと、学校終わりに楓の家にやってきて、彼女とお喋りをしている。
なぜこちらに来たのかと言えば、特に理由があるわけでもなく、楓がたまには遊びに来てほしいからというところだ。
まぁ、俺の家なら家族を気にすることもなく、夜の営みも楽しめる。のびのびといられるのだから、予定でもない限り楓の家に来ることはない。
とはいえ、まだ彼女のご両親とは顔を合わせていないので、ぜひ挨拶をさせていただきたいところだ。
冷たいお茶を飲みながら、リビングにて楓と歓談しているところで美白さんが帰ってきた。そういえば、彼女が帰ってくるタイミングに出くわしたことはなく、いつもより低く聞こえるその声がいつものものなのかが分からなかった。
「おかえりお姉ちゃん」
「ただいま。あ、雫くん……」
「おじゃましてます、美白さん」
「あぁ、うん。ごゆっくり」
帰ってきた美白さんにぺこりと頭を下げるも、彼女はやはりどこかそっけない。もしかして、文化祭前だから忙しいのだろうか?
実行委員会だけでなく、生徒会も忙しなく動いているのだろう。そういうことならば美白さんの様子も納得できるが、だとしたら楓が首を傾げるだろうか?
文化祭は去年も一昨年も当然あったわけで、もしその時から美白さんが生徒会に所属していたならば、楓も美白さんの様子から忙しい時期を読み取れるはずだ。
まさか、なにか大変なことをやらかしてしまったのだろうか?杞憂だと良いのだが。
「……うーん、お姉ちゃんどうしたんだろ?っと、ちょっとお手洗い行ってくるね」
「うん」
楓がトイレに行ってしまい、ポツリとリビングに残される。美白さんもすぐに部屋に戻ったからか、ここには一人しかいない。
そういえば、前に俺の家で楓を一人で待たせていたことがあったが、彼女もこんな気持ちだったのだろうか?
ちょっと落ち着かなくて、そわそわとしてしまう。
そんなときに、誰かが戻ってくる足音が聞こえてきた。楓が戻ってきたかと思ったが、向こうから顔を出したのは、やけに露出度の低い服を着た美白さんだった。
いつもなら半袖ショーパンというラフな格好なのだが、今は長袖の白シャツにデニムという、外に出てもおかしくない格好だ。
エアコンの効いている室内とはいえ、まだ残暑のキツイこの時期には、少し暑そうにも見えてしまう。
「雫くん、来てたんだね」
「はい、楓に誘われましたから」
「ふぅん」
そんな短いやりとりをして、美白さんは興味なさげに目を逸らしてソファに座った。なんとなく彼女の様子が気になって、俺は思いきって尋ねてみる。
「美白さん、なにかありました?」
「なにって?」
俺の質問に、苛立ちを孕ませたような声で美白さんは返す。そちらを横目で見るその眼差しは、前に麻沼に向けたようなキツイ雰囲気を漂わせていた。
「いや、なんとなく、疲れているように見えましたから」
それはちょっとオブラートに包んだ言葉。疲れているというより、苛立っているという方が正しいが、直接言うのは良くないだろう。
「別に、君が気にすることじゃないよ。それともなにかい?不機嫌なアタシがいると邪魔だとでも言うつもりかな?」
「そんなわけないじゃないですか。ただ困ってることがあるのなら、せめて話だけでも聞こうって思っただけです」
とんでもない誤解に、思わず立ち上がってしまう。俺にとって楓は大切な恋人で、その家族である美白さんだって、俺には大切な人だ。
そんな彼女には笑顔でいてほしいと思うのは、嘘偽りのない気持ち。だからこそ、少しでも力になりたいと思うのは、なんらおかしい話でもないと思う。
「余計なお世話だ」
そんな俺の気持ちは、そんな不快感を帯びた言葉で一蹴されてしまった。




