八十九話 美白の陰
「今日はありがとう」
「こちらこそ、ごちそうさまでした」
美白さんのことが好きだという先輩、麻沼がカフェコーヒー代を出してくれたので、彼に頭を下げる。ちなみに今は二人で家に向けて歩き、交差点で話をしているところだ。
彼はこの交差点を右に曲がるみたいなので、ここでお別れだ。俺はまっすぐなのでね。
麻沼が、相談に乗ってくれたからということでコーヒーを奢ってくれた。話をしていて思ったが存外律儀な人である。ただ恋愛に対してはポンコツという印象を受けるが。
まぁ、すでにチャンスが薄いことも本人は分かっている様子だ。それを漠然と感じていたからこそ、無意識に焦りを抱いてポンコツぶりを発揮したのかもしれないな。
「もし困ったことがあったら、ぜひ俺には相談してくれ。できるかぎりのことはするよ」
「ありがとうございます。受験、上手くいくといいですね」
「そうだな。米倉のことはぼちぼちと頑張って、受験を中心にね」
カフェにて連絡先を交換しておいたので、それに連絡してこいということなのだろう。もちろんするつもりはないが、断るのも悪い気がしたので交換してしまったのだ。
相談を受ける前に比べて、麻沼の表情は明るい。なんとなく自信も感じるし、その雰囲気でいけばチャンスはありそうだけどな。
そんなことを考えつつ、彼と別れて家に帰るのだった。
ある人物が、先ほどの光景を見ていたことも知らずに。
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今日は家族でのお出かけだ。本当は雫くんと会いたかったのだが、用事があったのだから仕方ない。彼は楓の恋人だから、その気になればいつでも会えるけどね。
最近、雫くんに向ける想いが強くなっているように感じる。どうしてか分からないけど、好きで好きで仕方ない。
麻沼に絡まれてイライラしてるときでも、雫くんとほんの少しでもお話ができると、それだけで嬉しい気持ちでいっぱいになる。
だけど、これだけ好きだと思ったとしても、絶対に報われないのは分かってる。妹ながら楓は良い子だし、そんな楓が選んだ雫くんだってとっても素敵な男の子だ。
良くないことなのは分かっているのに、どうしても彼を求めてしまう。一晩くらいは一緒にいたいものだけど、それはわがままというものだろう。
麻沼が雫くんにも劣らない男だというのなら、もしかしたら新しい恋ができたのかもとおもうけれど、残念ながらそうはいかない。
あんな薄いだけの男に興味は抱けない。他の出会いが欲しいものだ。
そんなことを考えながら、父の運転する車に揺られてボーッと外を眺める。用事も終わって、今は帰っている途中だ。
沢山の店や人々が、ガラス越しに横切っていく。車酔いをしやすい私からすると、ずいぶんと退屈な時間だ。楓は隣で寝ているし、両親は二人で話をしている。
こんなときに雫くんがいたら良いのにな……と考えていると、ふと視界に入ったのは彼の姿だった。
まさかの光景に目を見開くが、その奥にはなぜか麻沼がいた。接点のないはずの二人がどうして?
偶然会ったにしては、なにやら仲の良さげに歩いているところを見ると、強い違和感に襲われる。もしかして、私の知らないところで関わりがあったとでもいうのか?
雫くんは私が麻沼に苛立っていることは知っているずだ、それなのにどうしてあんなに仲が良さそうなんだ?
まさかとは思うけど、雫くんが麻沼をけしかけたとでもいうのか?いや、彼がそんなことをする意味もないだろう。
さすがに邪推がすぎるよね、もしかしたら本当に偶然会っただけかもしれないし、案外趣味が合ったのかも知れない。
そもそも、雫くんからすれば私は恋人の姉だ。気を遣う相手ではあっても、私の好みや人間関係を意識する必要はない。
私が麻沼を嫌っていても、雫くんには関係がない。楓に比べればその程度の存在なんだ。
至極当然の話なのに、それは分かっているというのに、心を陰が支配する。心が締め付けられて仕方ない。
雫くんだって、別に真性のクズとは距離を置くはずだ。それだけ悪意に苛まれてきただろうから。
そう考えると、麻沼は腐った人間ではないのかもしれない。でも、嫌なものは嫌だ。
アイツに話しかけられるとイライラするし、その声が不愉快だ。でも、そんな相手と雫くんは隣り合って歩いてた。
たった一瞬の光景が、やけに頭にこびりつく。
思えば、私は雫くんのことをあまり知らない。その隣には当然楓がいて、私が彼と関わるのはいつも楓のついでだから。
そうじゃなかったら、それこそ雫くんが元カノと別れていなければ、言葉を交わすことも、名前を知ることも教えることもなかった。
雫くんとの関係はただの偶然なんだ。
彼がどうしようと勝手だし、私がそれを咎める権利はない。それこそ麻沼のように、私が嫌がる相手と友人になったところで、それは私の問題で彼は部外者であるべきなんだ。
巻き込んじゃいけないのに、私はそれを望んでる。
諦めないといけないのに、どこか期待してる。雫くんが私を選んでくれる日が来るかもしれないという、まるで宝くじの一等でも狙うかのように。それだけ無謀ともいえる未来を、宛もなく願っている。
もっと自分を律しなければ、このままでは……




