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感情という錘  作者: 隆頭
第三章 家族

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七十九話 迂闊かもしれないが

 楓を家に送ったあとは、自宅に戻る。いつも通りのルーティンだが、今日は少し遅くなってしまった。美白さんとお話してたからね。


 今日は何を食べようかとぼんやり考えながら、家まで残り一分二分といったところ。すでにアパートが視界にちらりと見えるくらいの距離だ。

 そんな時に気になったのが、向こうから誰かが走ってくる様子。必死に逃げているようなその姿は、なんとなく心配になった。


 ただ、その人物が例の女であったことに、俺の心臓はドクンと跳ねる。警戒しなければ……と思ったが、明らかにその姿は異常だった。

 服と髪は乱れており、顔を見れば泣き腫らしたような痕がある。しかも殴られたのか頬が赤く、口元は血を滲ませていた。

 


 構いたくないが、見捨てるのも気分が悪いだろう。そう思ったところで、あちらが先に気付いてしまった。これで逃げるという選択肢は無くなったか。


「寺川くん……」


「どうした、何があった」


 できればそのまま立ち去って欲しいと願いつつ、彼女はヨロヨロと俺の前にへたり込む。そう都合よくはいかないみたいだ。

 仕方ないのでこちらも膝を折り、できるだけ視線を合わせる。


 よく見ると、その口元は血以外にも汚れていた。いつかの瑞稀の姿がダブる。これは警察沙汰だな。


「大丈夫じゃなさそうだな、家は?」


 ハンカチで彼女の顔を拭い、そう問いかける。

 もしかしたら、帰っている途中に何かあったのかもしれない。そう思って言ったのだが、彼女は首をフルフルと横に振った。

 まさか、家に誰かヤバイ奴がいるってことか?


 しかし、俺の家に上げるわけにはいかないし、どうしたものか……

 取り敢えず、道の真ん中では目立って仕方ないので、彼女の手を取って道の端によける。少しでも落ち着かせようとその背中を撫でるが、一向に落ち着く様子を見せない。


 相当ショックを受けたのか、顔色も悪い。すると、彼女は突然口元を押さえて、俺の服を握った。あっ、これやばい。


 強い嗚咽をした彼女は、そのまま胃の中身を出してしまった。なんてことだ……

 嘔吐物特有の匂いが鼻を突くが、かと言って無視するわけにもいくまい。とはいえ、どうすればいいんだこんなの。


「ごっごめん、なさい……」


「仕方ないだろ、気にするな」


 気にしろ!とは言えなかった。服にもちょっと付いたし、どうしてくれんねん!仕方ないので、彼女に断りを入れてすぐに救急車を呼んだ。

 こういうのは学生にゃ荷が重いのだ。



 迂闊だったかもしれないと思うが、これを無視できなかったのは俺が優しいからだと言い聞かせ、やっとのことで帰宅した。


 本当に疲れました、今日はゆっくり休もう……




 そんなことがあった数日後、例の女が学校にやってきた。その間ずっと休んでいたので、周囲の連中は心配していた。

 俺は複雑な心境だったがな。


 そして予想通り、彼女は放課後に声をかけてきた。


「この間はありがとね、寺川くん」


「あいよ、どういたしまして」


 いつになくしおらしくお礼を言われ、ただ普通に返す。しかし、お礼を言って終わりではなさそうだ。


「それでね、今から話がしたいから、聞いてくれるかな?二人きりでなんて言わないし、カフェでも良いからさ」


「俺は構わないけど、そんなに人に聞かれて良い話なのか?特に喫茶店とかじゃ話しにくい事とか」


「まぁ、ないわけじゃないけどさ。もし私を信じてくれるなら、違う方が嬉しい」


 あくまで任せるという返答に、楓に視線を送ると、彼女は優しく微笑んで首肯した。

 それを受けて向き直り、返事をすることにした。


「分かった。じゃあ別のところで話そう。だけど、楓は一緒にいてもらってもいいか?」


「ありがとう」


 彼女は、嬉しそうに頷いた。

 なんとなく、今の彼女には警戒する必要がないと思った。もしあの一件がなければ、話をしようとは思わなかったろうな。



 場所を変えて、今は近くの公園だ。できるだけ人から離れた場所を選び、三人でベンチに腰掛ける。

 その間もその後もずっと、楓は俺の手を握ってくれていた。


「改めて、この間は本当にありがとね。それと、迷惑かけちゃってごめんなさい」


 改めての感謝と謝罪を受け取り、俺は素直に頷いた。それを見た彼女は話を続ける。


「それで、取り敢えずあの日のことなんだけどさ。実は私、前からお父さんのことで色々とあったんだ。あの日もそうで、ただちょっと許せないことがあって……」


 どこか言葉を選ぶような、要領を得ない言い方だった。それのせいでなんとなく、察してしまう。

 そういう言葉選びをしているんだろう、隠しているようで、探らせる感じのフレーズ。


「それで家から出てとにかく走ってたら、寺川くんがいたの。別に狙ったわけじゃないんだ……ただね、あの時吐いちゃったじゃん。私」


 吐いちゃったと、一段と暗い雰囲気で言われ、相槌を打つ。この先は、なんとなく聞きたくなかった。


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