七十話 危機
瑞稀が俺と一緒に父さんの方に籍を移すことが決まって二日経ち、遂に母さんにその話をする時がやってきた。俺は先に一人で実家へ向かい、父さんは後から車でやって来る。
そう時間の掛からない内に来てしまう予定なので、それまでには話をしておくつもりだ。母さんが父さんの顔を見て、ヒステリックを起こされたら面倒だしな。
それに、できるだけ俺一人で話を終わらせたいんだ。そう上手くいくかは分からないけどね。
父さんが実家に到着する予定時間から逆算して家から出る。瑞稀が荷物をまとめている筈なので、話を終え次第父さんの車にそれらを積み込む。
あの男が来ても嫌なので、早いとこ事を済ませてしまいたい。昨日の奴は実家に止まってはいない筈なので、最悪の事態にはならないはずだ。
それなのに、どうしてこうも嫌な予感がするのだろうか。
今までの事を考えれば、昼間に奴が来ることはなかった。それは今日もだろうし、実際 瑞稀からそれらしい連絡もない。
ただの考えすぎだと信じたいが、どうしても気になって瑞稀からの連絡がないかを確認してしまう。
そんな状態が続いて、実家へと残り三分の二というまだまだな時間を残しているそんな折、瑞稀からメッセージが届いた。
最悪なことに、嫌な予感が的中してしまったらしい。
奴が実家に来たとのメッセージが届いたのだ。
今さら急いだところで何ができるわけでもないが、それでも何もしないわけにはいかないと、歩く足を速める。さすがに部屋に行くことはないと思うけど、嫌な想像が脳裏に過ぎった。
あまりにも落ち着かないので、駆け足気味で向かうことにした。
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今日はお母さんとお別れをする日だ。正確には、私がお父さんと一緒に暮らすことになる。
私の記憶の中にあるお父さんは、とても優しかった。なんとか思い出せたのはそれだけで、やっぱりそれ以上鮮明には思い出せない。
だから少しだけ不安はあるけど、それでも今のお母さんについていくよりはずっとマシだ。めちゃくちゃにされるかもしれない未来を、座して待つだなんて考えられないから。
お兄ちゃんが今からこちらに来るとの連絡が来て、部屋で荷物をまとめていた時に聞こえてきたのは、誰かが家に入ってくる音だ。
玄関からガチャリと扉の音が聞こえたけれど、お兄ちゃんが来るにはまだ早い。まさかと思いそっと部屋から出て玄関の方を窺うと、そこには母さんが愛してやまないあの人……葛彦がいた。
ビクリと心臓が跳ね上がり、怖くなって咄嗟に部屋に逃げ込む。どうせ私がここにいることは葛彦も知っているだろうし、意味のないことだろうけど、どうすれば良いのか分からなかった。
お兄ちゃんにこの事は連絡はしたけど、予定の時間まではまだまだかかるハズ。私はただ部屋で震えながら待つことしかできなかった。
もしあの人が部屋に来れば、私は逃げることができない。でも迂闊に外には出られないし、どうすれば良いのかと、不安と恐怖心に苛まれていた。
とはいえ、私も人間だ。生理現象には逆らえず、訪れるのは用を足したいという感覚。お兄ちゃんに一言メッセージを送って、その後にコソッとトイレで用を足し、手を洗って部屋に向かう。
するとその途中で、あの人と顔を合わせてしまった。最悪だ。
「やあ、おはよう瑞稀ちゃん」
「おはようございます」
ニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべながら、私に手をヒラヒラと振って挨拶をしてしてくる。葛彦と関わりたくない私は、軽く挨拶を返してその隣を通り抜ける。しかし彼は、私の肩を掴んで引き止めた。
ゾワリと、背中に酷い寒気を感じる。
「ちょっと待ってよ、そんなに嫌がらないで欲しいな。よかったら俺と話さないか?」
「嫌です、離してください」
気持ち悪いので、その手を払おうと身を捩るも、手首を捕まれてしまい逃げられなくなってしまった。
跡になりそうなくらいにガッシリと握られたことで痛みを感じ、思わず顔を歪めてしまう。
「おいおい、そこまでノリが悪いのはさすがに失礼じゃないか?」
「嫌なものは嫌です。痛いので離してください」
笑ってはいるものの、どこか苛立ちを孕ませた態度の葛彦に、できるだけ毅然とした態度で返す。しかし、相手は大人の男性だ。学生で、かつ女性である私が力で敵う筈がなく、離してもらえなければずっとこのままだ。
「そんなこと言われてもな。瑞稀ちゃんが少しでも相手してくれたらいいけど」
葛彦はそう言って、ニチャリと口角を上げた。その表情に凄まじい不快感を抱き、鳥肌が立つ。
身が竦んで思うように動けず、拒否の言葉さえ上手く話せない。
「取り敢えずちょっと来いよ。こないだも舐めた口きいてたし、二度とそんな態度ができないようにしてやる」
「いやっ!」
そう言って、私の手を無理やり引っ張る葛彦に対して、私は咄嗟に抵抗しその手を振り払って玄関へと走り出すが、すぐに捕まってしまった。
そのまま押し倒されて、私は身動きがとれなくなる。
「やだ、やめて!お兄ちゃん!」
「アイツは来ねぇよ!一回やるだけだ、黙ってろ!」
馬乗りになった葛彦は、抵抗する私の服を捲って、身体を弄る。お母さんはこれだけ騒いでも尚こちらにやってこない。
このままお兄ちゃんが来なければ、私は……




