三十七話 お願い
"俺に降りかかったトラブルを、楓に巻き込まないか"
美白さんのその質問に、俺は答えることができなかった。実際、俺が結々美を脅したという噂が出た時、ソレをネタに楓にとやかく言った女もいた。
その時は楓に害を成すようなことはなかったが、最悪なことを考えると、俺に対する報復の矛先が楓に向かわないとも限らない。
噂だって、その真偽を問う前に行動に出たような連中だ。ネジの一本どころか、二本三本と外れた奴が一人でもいれば、それは杞憂に留まらないだろう。
そういう意味では、楓を巻き込む可能性はないだなんて、そんないい加減なことは言えなかった。
「正直、全くないとは約束できないです。もしかしたら楓に手を出すような、言ってしまえばそんなキチガイみたいなヤツがいないとは限りません。もしなにかするような奴がいれば、命かけてでも守るつもりはありますけど」
俺の身に何があろうと今更だ。複数人で滅多打ちなんて慣れたもんだし、刺されたこともない訳じゃない。
打たれ強いわけではないけど、楓の無事のためなら俺がサンドバッグになんて喜んでなってやる。
ただ、そう事は上手くいかない。
「まぁ、結局そうなんだよねぇ……そもそも、通り魔だっているこの世の中、なんの縁もゆかりもない相手から殺される話だってあるし、そういう意味では、楓が巻き込まれないだなんて運だから、それで雫くんを責めるのは違う。楓を守ろうとしてくれるって言ってくれるだけで、アタシは安心だよ」
「でも、俺が守るっていっても、気休めにしかならないですよ」
「じゃあ一つここで聞こうか。雫くんって、前にお付き合いしてた女の子いるよね」
美白さんが言ったのは結々美のことだろう。綾坂やあの後輩の口から乗り換えの話が出たように、彼女もそのことは知っているようだ。
いったいどれだけその話が広がっているのか、辟易するばかりである。
「まぁ、いましたけど……それがどうかしました?」
「ごめんね、変な話ばっかりで。それでその子ってさ、誰かに酷いこととか、されたりしたかな?」
「それは……」
事実の話をするならば、結々美は軽田に目をつけられたものの、されたのは告白だけだ。加害と言うより利用されたということだろう。
意外と矛先は俺にフォーカスしてくれているのかもしれない。
「別に、されたってわけじゃないでしょ?」
「そう、ですね……」
「だからさ、結局タラレバと同じなんだよ。可能性をいくら語っても仕方ないし、できることをするしかない。そういう意味では、雫くんなら安心できるかなって思うよ。まぁアタシもまだ学生の身分だから、人を見る目なんて未熟だけどさ……さっきの雫くん、良い目をしてたよ♪」
頬をほんのりと朱に染めながら、美白さんは告げる。もしかしたら俺は、少し悲観的になりすぎていたのかもしれない。
誰かから悪意を受けることが当たり前になりすぎていた……かもとは、思う。
「楓を、お願いね」
さっきまでの余裕のある表情を真剣な表情へと変えた美白さんが、俺の目を真っ直ぐ見てそう言った。
その真っ直ぐな気持ちが、いつしか忘れていた温かさを感じさせる。それは恋慕とも違う、純粋な信頼の情だ。
それを向けてくれていた瑞稀とは疎遠だったし、和雪は心配と後悔の情になっていた。だから、久しぶりにその視線を受けた。
「──はい」
俺は、もっと胸を張って良いのかもしれない。そう思って、しっかりと頷いた、
「ごめーんお待たせ!お姉ちゃん雫くんに変なこと言ってない?」
「いやぁ性癖を少々……」
「何話てんの!っていうかソレは聞いたのか言ったのかどっち!」
「どぉっちでしょーかぁ♪ところで随分と長かってけど、あれかいウンコかい?」
「ヴァカ!」
楓をからかう美白さんに、さきほどの真剣な雰囲気はない。きっと、楓に悟られまいと誤魔化しているのだろう。
ただ、彼女も薄らと気付いているはずだ。
多分 楓は、俺たちの話を聞いていた。ほんの少しだけ、持ち前の明るさにほんの少しの翳りが感じられるし、なにより戻って来たタイミングが丁度良すぎる。
「もう、雫くん!お姉ちゃんのことは相手にしなくていいからね!」
「えっ、あー、うん」
「うぇっ、雫くん?二人してアタシをいじめるの?泣いちゃうよ?」
「変なことばっか言った罰!」
だけど、楓も美白さんも何も言わないというのなら、わざわざ言うのも良くないだろ。気付かないフリをするのが必要な時だってある。
今はただ、二人と楽しくお喋りする時間を楽しむことが、やるべきことだから。