十七話 駄々
母さんとの話を終えた俺の部屋に、妹の瑞稀がやってきた。
目には涙を浮かべ、どこか悲壮感漂う雰囲気に少しだけ心配になってしまうが、関わるのも面倒かとその思考を他所にやる。
「なに?」
返事を待たずに扉を開けられたことに、チラリと不愉快な気分が顔を覗かせるも、とりあえず用事を聞いてみた。
要件を言われなければ、何が何だか分からないままだ。
「お兄ちゃん、いなくなっちゃうの?」
さきほど声をかけてきた時と違い、間を置かずにそう問いかけてきた。
きっと母さんとの話を聞かれたのだろうが、だとしたらなぜ泣いているのだろうか?母さんもそうだが、今までの事を鑑みれば悲しむようなことはないはずなのに……
「いなくなるっていうか、一人暮らしをするだけだよ。住む場所ももうある程度決まってるし、後は手続きするだけだから──」
「いかないで」
まだこちらが話しているというのに、瑞稀はそれを遮ってそう言った。
そんなことわ言われても困るので、思わずピクリと眉が動く。
「そう言われても──」
「行かないでっ」
──困る、と言おうとしたところで瑞稀はまたも遮る。今度は少しだけ語気を強くして。
有無を言わせない……そんな意志を感じた。
「だから困るって。家じゃ居心地が悪いし、別に俺がいてもなにがある訳でもなかったろ。今更そう言われても困るんだよ」
この一、二年……俺は家にいるのにずっと一人だった。いきなり瑞稀が関わるようになってきた時は疑問を抱いたが、それでも過去の出来事が消える訳でもなし。
ただ疑問を抱いただけで、今更仲良くする気なんてサラサラなかった。
だから、もう放っといて欲しいんだ。これ以上無駄な関わりを増やしたくない。
「ごっごめんなさい……私、お兄ちゃんが助けてくれたのにずっと──」
「それはもういいんだ、そんなことはどうだっていい。今更謝れなんて言わねぇよ。反省してるのならそっとして欲しい」
所詮は過去の話。今はもう瑞稀にも母さんにも特に信頼はないし、感情が動くこともない。
別に拒絶されていたことに関してどうこう言わないし、謝れとも言わない。謝ったところで、今までのことはなにも変わらないのだから。
瑞稀がふと顔を上げて、キョロキョロと部屋を見渡す。まるでなにかを見失ったように。
「おっお兄ちゃん……そういえば、この部屋って色々置いてなかった?結々美ちゃんの写真とか……」
なにかと思えば、そんな事だった。瑞稀がどうして、俺の部屋に置いてある結々美との思い出の品については知っているんだろうと疑問がよぎる。
俺の知る限り、瑞稀と関わらなくなってから増えた物の割合が随分と多いはずだ。全部ではないが、それでも大半だろう。あれから何かにつけてお互いにプレゼントを贈ったりしていたしな。
そんなに気になるものでもあったのだろうか?
「捨てたよ」
なにやらよく分からないが、俺に言えるのは事実のみだ。なにも言い淀むことなくそう言うと瑞稀は極めて小さい声を上げた。
そうして目を泳がせながら、瑞稀は続けた。
「えっ、嘘だよね……?引越すから片付けたとかじゃなくて?だってお兄ちゃん……」
「本当だよ、なんでわざわざそんな嘘つかなきゃいけないんだ?」
まったくもって意味が分からず、俺はただ首を傾げることしかできない。
「そんな……だって、結々美ちゃんは?好きだったんじゃないの?」
「好きだったけど、それだけだ……もういいだろ、いちいち古傷を抉るような真似すんな。さっさと出てくれ、目障りだ」
これ以上の詮索はただただ不愉快なので、そう言って瑞稀を部屋から追い出す。
存外抵抗はなく、あっさりと出て行ったことに気味の悪さを感じるものの、ほっとひと安心だ。
あれだけ散々逃げられ避けられ拒絶されて、いまさら家族ごっこの仲良しこよしなんてできるわけないんだよ。とてもそんな気持ちになれない。
たった一人の家族といっても過言じゃなかった瑞稀の力になってやりたくて、できることをやろうとした。自分にとっては必死で。
それでもその全部がただの独り善がりで、結果として瑞稀に嫌われていたと、そう諦めていたんだ。
でも、そうだとしたらなんで引っ越すことに悲しそうな反応をしたのかが分からない。段々とイライラしてくる。ふと感じる不快感。
感情がなければ、こんな気持ちにならなくて済んだのにな……そうすれば、先程の悶着だって起きなかったはずだ。
なんだか燃費が悪いもんだなぁと、俺は勉強を再開しようと椅子に座った。