百一話 沸々
楓と腹を割って話をした翌日、学校で彼女から、美白さんが謝りたいと言っていたと聞いた。あの人がそう思っているのは理解したが、とはいえ顔を合わせるのは少し怖い。
「別に無視しても良いからね。雫くんの気が向いたら、お姉ちゃんを呼びつけるからさ。だからそれまではお姉ちゃんが雫くんに近付かないように言っとくね」
「ごめん、楓。迷惑かけるよ」
「そんな!お姉ちゃんがバカな妄想してバカなこと言ったから悪いの!」
美白さんの行いに怒った楓は、そう声を張り上げる。
そして頬杖をついて、不機嫌そうに言った。
「それにアイツ、なんか浮かれてるし。たぶん色恋沙汰かもね、むかつく」
「え、どういうこと?」
楓の言葉が理解できず、思わず聞き返してしまう。彼女は眉尻を下げて、ばつの悪そうに言った。
「昨日、帰ってくるのが遅かったの。私が雫くんの家に帰ったとき、割と暗い時間だったでしょ?」
「だな。すっかり日が暮れてた」
少なくとも夕日は半分ほど沈んでおり、あれから日没まで三十分もなかっただろう。生徒会の仕事にしたって、たしかに遅すぎる。
「それなのに、私が帰ってもお姉ちゃんまだ帰ってきてなかったの。それに帰ってきたと思えば、なんか色気出しちゃってさ。気持ち悪い。もちろん勘ではあるけど、あながち間違ってるとは思えないんだよね、外れててほしいけど」
もしそうなのだとしたら、気分は複雑である。相手が誰なのかは知らないが、それを知ったら麻沼はどう思うだろうか?というか、美白さんってそんなに軽い人だったっけ?
あまりに意味が分からなくなり、頭がショートしそうだ。目が回るぞ。
そんな俺のスマホに届いたのは、とある人物からの呼び出しであった。
時間が飛んで、今は一時限目を終えた放課後。とある空き教室にきた俺は、呼び出した本人を待っていた。
すると、ガラガラと扉の開く音が聞こえて、その人が姿を表した。
「呼び出しといてごめん。待たせちゃったね、寺川くん」
「いえ、いま来たばっかですよ。麻沼先輩」
そう、呼び出したのは麻沼であった。朝のHRが始まる前に俺のスマホに届いたのは、彼からの呼び出しメッセージだったのだ。
「そっか……っと、手短に済ませるんだけどさ、答えたくなかったら答えなくて良いからね」
「はい」
俺の肩に手を添えた麻沼が、ぎこちないものの、優しく微笑んでそう言った。
「あれから、彼女さんとはどうだい?」
「あー……まぁその、別れました」
俺の答えに、麻沼が顔を歪めた。まるで悔やむような、そんな表情であった。
「そうか……大丈夫かい?もし辛かったら話だけでも聞かせてほしい、吐き出すだけでも楽になると思うからさ」
「ありがとうございます。楓とは別れても仲良くしてますから、大丈夫です」
「ほんと?辛いなら我慢しなくて良いからね。寺川くんには恩があるからさ」
「恩?」
俺が麻沼にしたのは、せいぜい相談に乗ったくらいのことだ。しかしふと思い出すのは、今朝に楓が言っていた予想。
「ほら、俺の相談を聞いてくれただろ?あんな情けない姿を見せたのに、バカにすることもなくさ。話を聞いてもらうだけでも、意外とバカにならないって分かったよ。だからキミには、ほんとに感謝してる」
麻沼は気まずそうに頬を掻いてそう言った。律儀なのかは知らないが、どうやら彼なりに感謝はしているらしい。
「そのことだったんですね。そういえば、美白さんに相手ができたって楓から聞いたんですけど、先輩はなにか知ってます?」
「えっあっ……まぁ、ね」
俺に質問に、麻沼が気まずそうに目を逸らす。この様子だと、知らないとかっていうよりも、答えづらい感じだな。
それも、当事者として。
「もしかして、上手くいきました?」
もしかしてと思い口角を上げて尋ねてみると、麻沼は答えににくそうに目を泳がせる。そして、観念したように口を開いた。
「いっいや、その……今の寺川くんに言っちゃダメなんだけどね。お陰さまでその、それなりに良い感じにはなったよ。米倉の妹さんなら聞いてるかもだけど、昨日はカフェデートをしてね。それも、こないだ俺たちが行った店に……っとごめん、調子に乗ったね。こんな話をするつもりじゃなかったんだ」
「いやいや、上手くいって良かったですよ。俺たちのことはこっちでなんとかしますから、先輩はお幸せにしてください。でも、変にがっついちゃダメですからね」
「その心配はないよ。ビビりすぎてできないからさ。でもほんとに、ありがとね。今度またお礼をするよ」
いきなりの呼び出しだったが、そんな平和的な空気感で話を終えた。楓にも土産話ができたし、麻沼から聞いたことを伝えるとしよう。
放課後の帰り道、楓二人で歩くその時に、麻沼から聞いたことを伝えた。彼と美白さんが良い関係になって、昨日はデートをしたという話。
「ふーん。自分は一組のカップル別れさせといて呑気にデートですか。アイツほんとに頭おかしいよ、先輩は事情を知らないから仕方ないとして、お姉ちゃんはダメだよね。なんの清算もしてないくせして、自分はちゃっかり彼氏作り?気持ち悪いなぁほんとに」
怒り心頭といった楓が、ぶつぶつとなにやらハッキリ呟いている。その内容はちゃんと聞き取れてしまったため、怒っていることがよく分かる。
「ほんとにもう……ほんっとにごめんなさい!見苦しくて仕方ないよもう!」
足を止めた楓が、頭を下げてそう言った。
「いやいや、楓が悪いってわけじゃないから、謝るのはやめてくれ。マジで」
「だぁってぇ、あんなんでも一応姉だもん。家族として頭は下げるでしょ?」
楓の言い分は理解できるので、それをあまり否定することはできないが、とはいえ気まずいことに変わりはない。
「これはまた説教案件だなぁ。いくらなんでも節度ってものがあるでしょ、せめて雫に頭を下げてから麻沼先輩とデートするべきだと思うな」
怒ってくれるその気持ちは寄り添ってくれるが故のもの。それを理解しているからこそ、嬉しい気持ちはある。
とはいえ、血圧が上がりすぎないように気を付けて欲しいと、そんな的外れなことを思うばかりであった。




