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感情という錘  作者: 隆頭
第四章 胸の痛み

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百話 楓の苛立ち

 しばらく(かえで)を抱き締めたあと、彼女はゆっくりと離れて俺の目を見つめた。どこか寂しげに優しく微笑んだ彼女は、目を逸らすことなく告げた。


「私、待ってるね。いつか(しずく)くんが私ともう一度付き合ってくれること」


(かえで)は、こんな俺を選んでくれるのか?」


「うん。だって、どんな(しずく)くんだって大好きだから。それに私だっていくらでも欠点くらいあるし、それこそ嘘ついたりしたじゃん?」


 (かえで)は優しくそう言った。

 嘘とは、一昨日の電話でしたことを言っているのだろう。でも、そんな彼女に不快感は一切なく、好意が消え失せることはない。

 前ほどの好意はないとしても。


「別にそんなこと気にしてないよ。それに、(かえで)が知りたいなら、俺が隠しごとをしなきゃ良い話だからな」


「そうだよ!(しずく)くんってば抱え込んじゃうから、いつだって私に話していいんだよ。そうじゃないと、いきなり別れるって言われて、すごくショックだったんだからね?」


「それは──」


 ──ごめんと言おうとしたところで、(かえで)は俺の唇に人差し指を当てた。指の感触が唇から伝わってくる。


「謝ってほしいわけじゃないの。たしかにショックだったけど、なによりお姉ちゃんが(しずく)くんに酷いことを言ったのが許せないだけだから。だからこのあと、しっかり話をするよ。内緒って言うのは無理があるからさ」


「それは……」


「悪いけど、これは私と(しずく)くんの問題だけじゃなくて、お姉ちゃんも関わってるの。そこまで話を聞いて黙ってはいられないから」


 力強くそう告げた(かえで)に、俺はなにも言えなくなり、頷くことしかできなくなる。

 彼女がそこまで言うのなら、俺がなにを言うべきでもないだろう。


「分かった」


「うん。とは言ってもお姉ちゃん、なにか意図があって言ったわけじゃないらしいけどね」


「え?」


 (かえで)の言葉の意味が分からず、首を傾げる。意図がないということは……どういうことだ?理解ができない。


「ほら、(しずく)くんと麻沼(あさぬま)先輩が一緒にいることがどうのこうのって言ってたでしょ?それで勝手に悪く考えて、暴走しただけなの。だってお姉ちゃん自分がなに言ったのか、覚えてないって言ってたし」


 意味が、分からなかった。美白(みしろ)さんはあれだけイライラしていて、ひどく顔色も悪かった。

 俺がなにか悪いことをしたから、彼女を傷付けてしまったのかと思っていたのに、そんなことなかったってことか?


 そう考えると、なんだかすごくやるせない。


「なんかほんとにごめんね、(しずく)くん……」


「うん、大丈夫……」


 気を遣ってくれる(かえで)に、俺は力なく返すことしかできなかった。



 ──────────



 思えばアタシは、麻沼(あさぬま)としっかり向き合ってこなかった。なんとなく軽薄そうだからと、彼のアプローチを無視して遠ざかり、彼を好む女の子たちを横目で見ながら、どこか軽蔑していた。


 でもそれはただの食わず嫌いと大差なく、実際に麻沼(あさぬま)と関わってみると存外楽しかった。

 いつも気楽にしているようで、その実 苦労を隠していたり、自分の立ち振舞いに気を遣っていた。そんな気疲れを隠すために、彼はいつもにこやかにしていたのだ。


 そんな意外性というのは、思いの外魅力的に感じるのだ。だからこそ、アタシの心は揺れていた。

 どうせ可能性のない(しずく)くんを好きでいるより、好きでいてくれる麻沼(あさぬま)と仲良くした方がずっと幸せになれるだろう。


 先ほど麻沼(あさぬま)とカフェでのデートを終えて、家に帰ってきたところだ。恋愛経験のないアタシは、たったこれだけのことに浮わついた心を抑えられずに余韻に浸っていた。

 着替えを終えると、部屋の扉が開かれた。


「おかえり、ずいぶん遅かったね。もう日が落ちたけど、生徒会ってこんな時間までやることあったっけ?」


 扉を開けた張本人である(かえで)が、扉の枠にもたれながら、不機嫌を隠しもせずに言った。


「ただいま。ちょっと用事があっただけだよ」


「へぇ。まぁいいけど、(しずく)くんと話してきたよ。ずいぶん言いたい放題したみたいじゃん」


 せっかくの余韻も、(かえで)の物言いで台無しになる。しかし、それも過去のアタシが(しずく)くんをひどく罵ったことが原因である。

 (かえで)の物言いに思わず怯むけど、なんとか受け答えに努める。


「それは、うん……(しずく)くんには悪いことをしたよ。ちゃんと謝りたいと思う」


「謝る?それで許されるとは思えないけどね、謝るどころか土下座しても足りないよ?私が(しずく)くんを振るだなんて、バカなこと言ったみたいじゃん」


 呆れたように告げた(かえで)に、アタシは息が詰まりそうだった。いくら勢いだけとはいえ、言っていいこと悪いことをというものがあるはずだ。

 勝手に嫉妬に狂って暴走して、そんなことを言ったのかと、情けない気持ちになる。


「後さ、(しずく)くんと麻沼(あさぬま)先輩が一緒にいるとこを見たって言ってたけど、あれってただ先輩と偶然会ったから喋ってただけらしいけど?」


「え、そうなの?でも麻沼(あさぬま)は、(しずく)くんを気に入ってたみたいだけど……」


「だから?じゃあなに、(しずく)くん嘘吐いて(ついて)るって言いたいの?」


 なんとなく気になったものの、(かえで)の言い分はもっともだった。(しずく)くんならばたしかに、誰に気に入られてもおかしくないだろう。


「そっそう言うわけじゃない!」


「……まぁいいや。それで、これだけのこと言って本気で考えてませんでしたで誤魔化すつもり?」


「誤魔化してるわけじゃない。本当に感情に振り回されていただけなんだ。もちろんそれで許されるなんて思ってはいないし、(しずく)くんに素直に謝ろうとおもってるけど」


 どんな理屈だと、自分でもそのおかしさに恥ずかしくなる。アタシの言い分は(かえで)からすると、おかしいことこの上ないだろう。

 納得させるなんて、不可能といっても過言じゃないだろう。


 本当に、気が重くなる。

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