一話 恋人にも疎まれる
スマホの目覚ましが鳴り、いつも通りにそれを止める。
むくりと身体を起こし服を着替えて、荷物を持って部屋から出た。
「おっ、おはよう雫…」
「おはよう母さん」
いつも通りそのまま家から出ようと、玄関に向かう。できるだけ顔を見ないように努めながらその前を通り過ぎ、靴に足を通して紐を結ぶ。
「朝ごはんはいいの…?」
すると母さんが後ろから声を掛けてきた。いつもの事だが、もう放っといて欲しい。
「自分で用意しているからいいよ、じゃあ行ってきます」
あまり顔を合わせたくないし口もききたくないのでさっさと家から出る。いつも朝は仕事でいないのに…珍しい。
どうして俺が不快な思いをしながらさっさと家から出ているのか……
それは俺が母さんと妹…瑞稀が俺の事を疎んでいるからだ。
今のやりとりだけではまるで俺が拒絶しているようにしか見えないが、そりゃ向こうが俺を嫌がってんだからこっちもそうするだろう。
こらソコ、癇癪起こしてるとか言わない。
いつもの場所に歩みを進めていると、次第にその場所が見えてくる。
相変わらず先に来ているのは、俺の恋人である海木原 結々美だ。
「おはよう雫」
「あぁおはよう」
ツインにした茶髪を揺らしながら彼女は俺に向けて手を振った。最近どこかぎこちないが、いつも通り挨拶をする。
今日は彼女の誕生日なのでプレゼントを持ってきているのだが、この後にもう一人の友人がここにやって来るので学校帰りにサプライズで渡そうと思う。恥ずかしいからね。
二人きりにしてもらいたいので、今日はソイツには先に帰ってもらうつもりなのだ。
そんなことを考えていると向こうからそのもう一人がやってきた。
彼は天野 和雪。イケてる笑顔が眩しい彼は、黒髪なのに野暮ったさはない。
「よぉ二人とも!おはよーさん!」
「おはよう和雪くん」
「おはよう」
この二人はなんだかんだ俺と仲良くしてくれている幼馴染だ。良い奴らなんすよ。
和雪が俺の肩に腕を回して、いつも通り学校へ向かう。
「っしゃあ行くか!」
和雪のその言葉を合図にして、俺たちは学校に向かった。
学校に着きそれぞれの席に向かう。
二人には割と友達がいるけど、俺はぼっちだ。
しかしそんな俺でも声をかけてくれる人がいる。トントンとその人が後ろから肩を叩いてくるので振り返った。
「おはよ、寺川くん♪」
「おはよう、今日も元気で素敵だね」
彼女は米倉さん、肩下まであるストレートの黒髪が似合う女の子だ。
快活な女の子なのでとても好印象、こりゃモテるわ。
「ありがと♪寺川くんもカッコイイよ♪」
「そりゃどーも」
周りから浮いている俺に対しても明るく声を掛けてくれる。いやぁ可愛い女の子に優しくしてもらって幸せですわぁ!
「もー、そんなに素っ気ないとモテないぞー?」
「別にいいよ、彼女いるし」
「それもそっか」
ぼちぼちと軽口を叩き合いながら楽しい時間を過ごす。ちょくちょくからかってくるけど、からかい方が上手いのか楽しいんだよね。
特に何がある訳でもなく、無事に学校が終わった。
いつも通り一人でいると、男女ともにボソボソと聞こえるように消えろだの死ねだの何だの言っているが基本スルーをしているだけ。
…うん、いつも通りだな!
時間が経って下校の時間だ。
今日の帰りは教室から出た後に用を足しに行っていたのでちょっと遅れた。
玄関に向かうと和雪が一人で佇んでいた、その表情は固い。
「あれ、結々美は?」
「あぁ…ちょっとな…」
一体どうしたのだろうか?
よく分からないが、待っていれば来るだろうと思い、和雪にこの後のことを話そうと思った。
「和雪、悪いんだけどさ…今日は結々美と二人で帰りたいんだけど、いいかな?」
「え?……あぁそうか今日は……いいぜ!」
僅かな逡巡の後に、和雪が満面の笑みで頷いた。多分察してると思うけど、敢えてぼかす。
和雪はそこまで分かっているのか特に言及して来る様子は無い。サムズアップしてむしろ楽しそうにしている。
けれど、そんな俺たちに反して結々美は、何故か俺の事を人一倍目の敵にしている軽田と共にやってきた。
なぜか互いの手を握りあって……つまり、手を繋いでいたのだ。
「あぁ?なんで寺川がここにいるんだァ?」
ヤツは俺を見るなりヘラヘラと因縁を付けてきた、なんなんだマジで。
キメてるつもりなのか、似合わない茶髪が目立つ。
「なんだっていいだろ、それより結々美……どういうことだソレは?」
言い返したのは俺…ではなく和雪だった。
俺はというと嫌な予感がしており、一瞬だけだが身が竦んでしまっていた。つう…と冷や汗が額を伝う感触がある。
「えっとね…それは…」
彼女は少しだけ顔を俯かせ、ボソボソと呟く。
「どういうことも何もねぇよ天野、俺は海木原の彼氏になったんだ。天野ならともかく、寺川にこれ以上俺の彼女に関わって欲しくねぇんだよ、だからさっさと消えろ」
さっきのを見て何となく…うっすらとだがそんなことは予想していた。誰だって分かるか。
手を繋いで肩まで触れ合うほどに近い距離……それを見れば、つまりそういう事だと誰でも察するだろう。
「なんだと!ざけんな!」
和雪が軽田に掴みかかるが、俺は彼の肩に手を置いてそれを止めた。
…不思議とショックは感じなかったのだ。
「そういう事なら、もういいよ」
「なっ…それで良いのかよ雫!」
「だって結々美がそう決めたんだろ?なら俺たちがとやかく言うことじゃない」
これ以上こんな奴らと関わること自体が無駄なんだ。あまりにも馬鹿らしい。
俺がそう言うと結々美の表情は歪む。
「そんな…だってお前、今日は結々美の…」
「言うな、仕方ないんだよ」
本当は仕方ないだなんて思ってない、ただただ不愉快でコイツらと関わりたくないんだ。
結局人ってのは腹で何考えてるか分からないもんなんだ。特に女子ってのは。
「あぁよく分かってんじゃん、じゃあ早く消えろや」
ヤツらをこれ以上視界にいれたくないので、さっさと背を向ける。不愉快な気持ちにこれ以上拍車をかけたくない。
「…悪い和雪、今日は一人にしてくれ」
「あ…あぁ、分かったよ…」
申し訳ないが、今日は一人で頭を冷やしたいのだ。決して和雪が嫌になった訳じゃない。
何が悪かったのかは分からない、ただ重い足取りで家に向かう。
家に入ると妹の瑞稀がそこにいた。
「おかえり……えっ、お兄ちゃんどうしたの」
いつもは声をかけてこない癖に、不機嫌な時に限っていちいち声をかけてくる。忌々しい。
不愉快なので無視して部屋に向かう。
どうせ俺が泣いていることを嘲笑いたかったのだろう。まぁどうでもいいけど。
他の奴なら特にどうとも思わなかったのだろう。
しかしよりにもよって、俺を目の敵にしているあの男と、わざとらしく手を繋いでいたのだ、つまり結々美は、何日前なのかは知らないが内心俺に対して小さくない敵意を抱いていたのだろう。そうとしか思えないし、そうに決まってる。
不愉快な気持ちが大きくなるので、彼女との思い出になるものは全て捨てる。思い出せば出すほどに辛くなるから、視界に入れたくないんだ。
物に罪などもちろん無い、悪いのは大人になりきれずに感情なんかを持っている俺なのだ。捨てたくても、その方法が分からない。
部屋に来る前にゴミ袋を持ってきたので、それに物を入れる。
もしちゃんと振られていたのなら、束の間の幸せという名の思い出にできたろう、コレらだっていい思い出の品になったはずだ。だがその関係はあのような終わり方だった。
コレらを見る度に古傷を抉るようなら、無い方がマシだ。
大丈夫、大丈夫だ……いつもの事だ、いつもの事なんだ……
ただ結々美がそうだっただけで、なにも変わらない日常なんだ……
そう心の中でずっと唱えながら、俺は食事もとることさえできずに寝た。
無理矢理に平常心を保ちながら布団の中で目を閉じ、ゆっくりと微睡みの中に意識を落とした。
とめどなく溢れる涙と、深く傷付いた心に気付くことなく、俺は眠りについた。