我が娘よ、カオスに育て!
リビングのソファに沈み込みながら、俺はスマホをいじりつつ、そっと嫁の腹にイヤホンを当てた。
「ほら、ほらほら!これ!ブラストビートが胎動に良いって説もあるんだぜ?」
「いやいやいや、どこ情報だよそれ!?絶対ウソでしょ!」
嫁が目を剥いてイヤホンをひったくる。
「ナパーム・デスって!これ、胎教で聞かせる音楽じゃないから!しかも次はメイヘム!?絶対悪夢見るやつ!」
「メイヘムの『De Mysteriis Dom Sathanas』はマジで荘厳なんだって!クラシックみたいなもんだろ!」
「いやいや、ボーカルが内臓ぶちまけたみたいな声してんじゃん!クラシック関係ないし!」
「むしろ胎教にグラインドコアは最適だと思うんだよな。アナール・ナスラックとか、アグレッションの極みっていうかさ……」
「アナール・ナスラックはまず名前がアウトだっての!」
嫁は腹をさすりながら、ふうっと息をついた。
「ていうか、こっちのヒップホップ胎教だって効果絶大なんだから!昨日からずっとM.O.P.とOnyx流してるんだよ!」
「それ、むしろ妊娠中の母体に悪影響なんじゃ……」
「やだなー、リル・キムの『Hard Core』とかめちゃくちゃパンチあるし!この子、将来ギャングスタ女子間違いなしだわ!」
「それを嫌がってるんだけどな!いや、俺はアナーキスト女子にしたいわけよ!」
「……アナーキストって、あんたねえ」
「ほら、生まれたらまず萩原恭次郎の『死刑宣告』を音読させるし、大杉栄の『日本脱出記』も読み聞かせするし!」
「やめてよ!絶対保育園で浮くじゃん!こっちはラップバトルで無双するB-girlに育てたいんだよ!」
「おまえ……どこで育て違えたんだ……」
「こっちのセリフだし!ていうか、生まれたらすぐにブレイクダンスの基礎叩き込むから。マジで頭突っ込んでヘッドスピンとかやらせる!」
「やめろ!首も座ってないのに!」
「いや、スピードが命でしょ?ZULU NATIONの精神、教え込むから!」
「じゃあ俺はデュシャンの『泉』のコピー作らせるわ。ダダイズム精神、注入!」
「いやだからそれ、どこで役立つのよ!」
「世界を疑う目が育つだろ?あと、モンティ・パイソン全部見せる」
「うわ……それはちょっと見たい……」
「だろ?イギリス式ブラックユーモアは必須」
「……まあ、笑いのセンスは大事かも。でもうちの子はホラー映画もバッチリいける子にするよ。スティーブン・キング原作コンプリート!」
「シャイニングとか見せてトラウマ作る気か!」
「むしろ恐怖に耐えられる強い子にするんだよ。クトゥルフ神話も教え込むし!」
「お前がSAN値削りにいってどうする!?」
「ふふん、いずれダークヒーローの世界観でラップ作る日が来るから!」
「そっちのが怖えわ!」
二人で言い合いながら、テーブルの上に散らばったCDと書籍を見つめる。
「……でもさ、このままだと絶対、娘がとんでもない残念女子になるよな」
「うん、なんかすごいオシャレなカオスになる予感しかしない」
「高校生くらいで、学校に黒いヴェールかぶって萩原恭次郎暗唱しながら、アナーキズムラップ披露とかしそう」
「B-boy泣かせのパンチライン決めまくる娘……怖いけど、ちょっとカッコいい……」
「ていうか、一人で美術館巡りしてデュシャン見ては鼻で笑ってそう」
「でも夜はクトゥルフTRPGでマスターしてるんだよ」
「友達いなくね?」
「でも信頼されてるタイプだよ。たぶん」
二人でしばし無言になる。
嫁がぽん、と腹を撫でた。
「……でもさ、根は優しくてさ、誰か困ってたら手を差し伸べられる子になってほしいよね」
「うん。人の痛みがわかる、強くて優しい子」
「芯があって、でも誰かに優しくできる子」
「そんな娘に、俺たちが育てるんだよな」
「……やべ、楽しみになってきた」
「だな!」
二人でお腹に耳を寄せる。遠くから、なにかノイズが聞こえた気がした。
俺は小さく笑ってつぶやく。
「絶対、いい子にするぞ」
「うん!絶対!」
二人でガッツポーズを決めた。
それは、きっとこの子が生まれる前の、最初の共同作業だった。