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春から夏に季節が変わり、葵は南の島に到着した。そこで葵が経験したひと夏の思い出とは・・・

第二章 夏の刻

パラパラめくれるアルバムが、次に開いたページは、海を背景に、エプロン姿の私が働いている写真が写っている。

「この写真・・・・・・ 初めて、海の家で働いたときのだぁ・・・・・・ まさか、あそこで再会するとは、思っていなかったな・・・・・・」

写真の私は、少しだけ日焼けし、肌が小麦色になっている。これだけみると、健康そのものにみえるが、夏の炎天下、浜辺の砂から発せられる熱さと合わさって、体や心臓に相当の負担がかかっていた。それに、当時の私は、手と頭に怪我を負っていた。

「ここで無理をしなければ・・・・・・ もう少し長生きできたのかなぁ・・・・・・ なんちゃって」

ふと見上げた青空からは、サンサンと春の日差しが降り注いでいる。春の日差しにしては、暑いぐらいに思う。

その日差しを全身に浴びながら、夏のことを思い出す。


伊神市を出発してから、数週間が過ぎ、私は、日本の最南端の島へ行くため、フェリーの中にいる。

季節は、春から夏へと変わり、ここまで来る道中の街々では、蝉の声がけたたましく鳴り響いていた。

私の体調も季節の変化同様で、伊神市で突発的に起きていた発作は、数週間に一回ぐらいの頻度で起きるようになっていた。着実に病魔は、私の体を蝕んでいることがわかる。

フェリーが港を出発してから約二十五時間。ようやく、日本の最南端の覇那市に到着する。こんなにも長い時間、フェリーに乗ったことがなかった私にとって、体調を悪化させてしまうのではないかと心配をしていたが、思いのほかダメージは少なかった。


生まれて初めて来た南の島。降り注ぐ日差しは、今の季節が夏だぞといわんばかり。周囲の人たちの服装も、まだ六月下旬だというのに、半袖や薄着の格好。私が生まれ育った地域では、この時期だと、もう少し厚着をしていたと思う。

私も周囲の人たちに合わせて、車の中で夏仕様へチェンジ。といいたいところだが、体のことを考えて、少し薄い長袖に着替える。

気分も新たに、どこへ行こうかと考えると、真っ先に思いついたのは、海だった。


港で観光パンフレットをいくつか貰い、車を走らせること約十分。覇那市唯一のビーチに到着。この覇那市は、周囲に空港や港があるため、遊泳できるビーチは私がいる、この一ヶ所しかないと、貰ったパンフレットに記載されていた。

「きれい・・・・・・」

私は伊神市で、毎日のように海を見てきたが、このサラサラの砂浜やコバルトブルーの海。これらを見たら、誰でも同じことを言うと思う。

それに驚いたことがもう一つ。すでに泳いでいる人たちが大勢いるということに。パンフレットをよくよく見てみると、ここでは早ければ、三月ぐらいから海開きが始まるという。さすがは南の島。まだまだ、私の知らないことがたくさんあり、今回の旅に出て、よかったと思う。

そんな感じで、ゆっくりと浜辺を歩いていると。

「えっ」

気づいたときには、すでに遅く、大量の荷物を持っていた人とぶつかっていた。さらに不運は続く、倒れた先には、のぼりを固定する石の土台が。

「いたっ」

「ごめんなさい! 大丈夫ですか。あっ、血が」

とっさに押さえた手には、真っ赤な血が少しだけついている。右手も倒れたときに、体を庇ったためか、少しだけ痺れて動かしづらい。

「本当にごめんなさい。傷の手当てをしますので、母の店に来て下さい。ウチのおばさん、お医者さんなんです。たぶん、この時間ならお店の手伝いをしてくれているはずですから」

彼女に肩を貸してもらいながら、なかば強引に連れていかれる。


連れていかれたのは、私が怪我をした場所から歩いて五分ぐらいな所。砂浜に立ち並ぶ海の家の一軒。

「おばちゃん、おばちゃん。どこ?」

「こら、ふぶき。私のことをおばちゃんって呼ぶなって言っているでしょう。せめて、お姉ちゃんって呼びなさい」

「そんなことはどうでもいいの! それより、この人に怪我させちゃって・・・・・・」

「えっ、縁先生。なんで、ここに?」

おばちゃんと呼ばれていたのは、私が数週間前まで、教師をしていた学校の保健医、幽月ゆづきちよこ先生。ただ、あのときとは少し違い、髪はぼさぼさで、上下ジャージ姿。

「ここじゃ、お客さんもいるから奥に」

幽月先生に案内されたのは、パソコンが一台と冷蔵庫、椅子や机が数台設置された事務所らしき場所。

「縁先生は、ここへ座って。ふぶきは、店の手伝いをしてきてくれる? ここは、私一人で充分だから」

「うん、わかった。それにしても、まさかお二人がお知り合いだったとは・・・・・・」

「その話しは、あとでするから。早く行きなさい!」

「了解であります!」

とたばたと走っていく女性。その行動からでも、彼女が元気一杯、ザッ夏っ子っていう感じを受ける。

「それじゃ、縁先生。この椅子に座ってくれるかしら」

「はい、よろしくお願いします。でも、何で幽月先生がここに? さっきおばちゃんって」

「ああっ、それは、ここが私の実家だからよ。正確に言うと、妹の店なんだけどね。私は、少し早めに夏休み申請をして、実家へ戻ってきているの。ちなみにあなたに怪我を負わせた女の子が、私の姪にあたる幽月ふぶき(ゆづき ふぶき)よ」

「なるほど、それで・・・・・・」

テキパキと治療をしていく幽月先生。さすがは保健医だ。

「さて、治療はこれでおしまい。思っていたほど頭の傷は深くなかったし、二・三日すれば、痛みは引いていくでしょう。右手のほうは、骨には異常はないと思う。まぁ、軽い捻挫でしょうね。普通に生活する分には問題はないと思うけど、激しく動かさないようにね」

「有り難うございました。それじゃ、私はこれで・・・・・・」

今の私の状態を知っている幽月先生のそばにいたら、病院や警察に通報されるかもしれない。そんなことになったら、私の旅は終わってしまう。早くこの場を離れないと。

「別に逃げなくてもいいわよ。病院や警察なんかに連絡したりしないから」

「はい・・・・・・」

「それで、何であなたはここにいるの? 体の状態を考えれば、わかっているわよね。医者としては、治療に専念してほしいんだけどね」

「それは・・・・・・」

私は観念して、自分の病気のこと、旅に出た経緯を詳しく説明する。

「なるほどね・・・・・・ そんな病気があるなんてね・・・・・・ あっ、そうだ。しばらくここに滞在していきなさい。旅を続けていくつもりなら、その右手、完治させておいたほうがいいと思うし、あなたの病気について、何かアドバイスができるかもしれないしね」

「でも、ご迷惑じゃ・・・・・・」

「なに、怪我をさせたのは、こっちなんだから。妹には、私から事情を説明をする。大丈夫よ」

「それでも・・・・・・ いたっ」

「ほらね、決まり。妹なら店にいると思うから行きましょう」

店内に戻ると、大勢のお客さん相手に奮闘する一人の女性の姿が。

「あっ、ちよちゃん。その人の怪我は、大丈夫だった?」

その女性こそ、私に怪我をさせたふぶきちゃん。あらためて見た彼女は、ショートヘアーの黒髪。肌は、小麦色に焼け、夏を全身で満喫している感じ。とても人懐っこい印象を受ける。

「怪我は大丈夫よ。ただそのことで、あやめに話しをしたいことがあるんだけど、呼んできてくれるかしら」

「うん、ちょっと待っててね。お母さ~ん」

「何? ふぶき」

店の奥から出てきたのは、ふぶきちゃん同様にエプロンをした女性。こちらも小麦色に日焼けしているが、口にはタバコらしき何かを咥え、長い黒髪をかきあげながら出てきた姿に、一瞬、怖いと思ってしまった。

「どうしたの、ふぶき? 私、調理中なんだけど」

「ちよちゃんが話したいことがあるって」

「姉さんが。それで何?」

「手が放せないみたいだし、一区切りついたら、事務所に来てくれるかしら」

「わかった」

言葉少なく、再び奥へと消えていく女性。幽月先生とは、正反対の性格に思う。

「ごめんね、ちよちゃん。ウチも仕事に戻るね。お客さん呼んでいるみたいだし」

「うん、ありがとう。縁先生、戻りましょうか」

「はい」

事務所に戻って三十分ぐらい過ぎた頃、ドアがガチャッと開く。

「姉さん、待たせてごめんなさい。ようやく調理が出来る人が来てくれたから。それで話って」

「ごめんね、ちよちゃん」

「うん、まず最初に自己紹介をしておくわね。こっちが、私の妹で、この海の家『憩いの場』のオーナーでもある幽月あやめ(ゆづき あやめ)。それで、あやめ。この人が、私と同じ学校に勤務していた縁葵先生。ふぶきについては、さっき説明をしたからね」

「縁です。よろしくお願いします」

「こちらこそ。それで話ってこれだけ?」

「違うわ」

幽月先生から私とふぶきちゃんに起こったことを詳しく説明してくれる。ただ、私の病気については、二人には話さなかった。

「こら、ふぶき。何で最初に私に報告しないの!」

「だって、また怒られるって思ったから・・・・・・」

「まったく・・・・・・ いつも言っているでしょう。配達をするときは、まわりに気を配りなさいって。それに大量に運んで、落としたらどうするつもり?」

「そのほうが、早く終わるし。お客さんを待たせずに済むかなって思って。待たせたら悪いし」

「はぁ~ 本当にごめんなさい。縁さん、怪我が完治するまで、ここにいていただいてかまいません。たいしたおもてなしも出来ませんが」

「本当にごめんね。葵ちゃん」

「こら、ふぶき!」

「大丈夫です、大丈夫です。怪我は、思っていたほど、酷いわけじゃありませんから」

「ちなみに、ちよちゃんの話だと、同じ学校で働いていたみたいだけど、もしかして、先生?」

「そうだよ」

「本当! ウチ、今度、この地域の教員採用試験を受けるんだ。もしよかったら、ここにいる間だけでも、ウチのアドバイザーになってくれない? ウチ、今、大学四年生で、教員免許は取れそうなんだけど、採用試験ってなってくると、色々と不安で・・・・・・ 筆記や面接が何回かあるって聞くし」

「何を言っているの、ふぶき。迷惑でしょう」

「構いませんよ、私でよかったら。何もせずに居候するのも悪いですから」

「ありがとう、葵ちゃん! よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくね。ふぶきちゃん」

ひょんなことから始まった同居生活。右手の捻挫が完治するまでの間だが、久しぶりに誰かと触れ合うことができる。これが、私の病気に良い影響となればよいのだが・・・・・・


幽月先生の家にお世話になりはじめて数週間が過ぎた。彼女の実家は、あやめさんのお店から歩いて約五分ぐらいのところにある。家の外見は、純和風の一軒家。

数週間一緒にいてわかったことがある。幽月先生たちのご両親は、病気で二人とも亡くなっている。そのため、実家が代々、農家をしていた。その農地をあやめさんが跡を継ぎ、農業に従事している。ただそのことで、幽月先生とあやめさんが揉めているらしい。そして、娘のふぶきちゃんとあやめさんも仲が悪い。こちらは、たぶん就活の問題だと思う。

「おはようございます。いつもすみません」

「謝らないで、怪我をさせたのはふぶきなんだから。それで怪我の具合はどう?」

「はい、幽月先生に適切な処置をしてもらっていますし、痛みもだいぶましになりました」

「へぇ~ 姉さんがね・・・・・・」

幽月先生の名前を出すと、あやめさんの顔は一段と険しくなる。

「おはよう。はぁ~ ねむい・・・・・・」

「こら、ふぶき。あんたはいつも何時に寝ているの? いくら夏休みでも、だらけすぎ」

「うるさいな。休みなんだから、ウチが何時に寝ようが、何時に起きようが、お母さんに関係ないでしょう」

「五月蝿いとは何、五月蝿いとは! 母親にむかって。あんたもうじき教員採用試験でしょう。大丈夫なの?」

「それこそウチの問題よ! お母さんには関係ない。あぁもぅ、朝ごはんいらない。ウチ、少し出かけてくる」

勢いよく出て行くふぶきちゃん。あやめさんは、いつものことだと言わんばかりに、朝ごはんの支度を続けている。

「ふぶきちゃん、待って!」

「葵さん、べつに追わなくていいわ。どうせ、すぐに戻ってくるから」

「でも・・・・・・」

「あの子の言う通り、あの子の人生です。自分で決めたことなら、自分で何とかするでしょう。葵さん、席について下さい。朝ごはんが出来ましたから」

「なら、幽月先生も起こしてこないと」

「いいですよ。たぶん姉さん、昨夜も寝るのが遅かったはずですから、そのまま寝かしておいて、大丈夫です」

「ならいいんですけど・・・・・・」

幽月先生が起きてきたのは、私たちが朝ごはんを済ませた一時間以上あとのことだった。


朝ごはんを済ませた私は、あやめさんの手伝いで田んぼへ。最初に手伝いを申し出たときは断られたが、右手のリハビリということで、簡単な手伝いをさせてもらっている。

あやめさんが管理している田んぼは、全部で五反たんぐらいある。この反という単位は、サイズ的にいうと、千平方メートルぐらいの大きさ。つまり、全部で五千平方メートルということになる。ただ、この田んぼたち、担い手不足の影響なのか、年々増えてきているそうだ。これ以外にも店の裏側で、複数の野菜などを育てている。

「あやめさん、抜いた草、ここへ集めておけばいいですか」

「ありがとうね。それでお願いします。はぁ~ 暑い」

あやめさんがおこなっている米作りは、無農薬栽培。本来、雑草を駆除するときには、農薬を使う。でも、体や健康面のことを考えて、あやめさんは農薬を一斉使っていない。そのため、雑草などは、一本、一本、手作業で対応していくが、これが大変なのだ。特に夏の暑い日は。

ちなみに、南の島であるこの地域は、一年を通して、温暖な気候であるため、三月下旬ぐらいから田植えを行い、五月中旬ぐらいには、収穫をする。そして、六月に新米として出荷をする。本来なら、ここで、また来年の田植えにむけた準備をするのだが、この地域では、六月中旬ぐらいから、再び田植えを行い、八月には収穫をして、九月に再び新米として出荷をする二期作というシステムをとっていると、最初に手伝いをしたときに、あやめさんから教えてもらった。

「ごめんなさいね、葵さん。こんな暑い中、いつも手伝ってもらっちゃって」

「いえいえ、田んぼの中に足を突っ込んでいると涼しいですし、泥のぬめりが、妙に心地いいですから。私は、苦になりませんよ」

そうは言うものの、夏特有の蒸し暑さと、日頃やったことがない農作業の影響なのかわからないが、体にかかる負担は大きく、すぐに息が上がり、心臓がチクリと痛む。今は、幽月先生が毎晩、検診をしてくれているので、発作は起きていないが、いつ起きてもおかしくない状態だ。

「それにしても大変ですね。この作業、いつも一人でやっているんでしょう?」

「えぇ、昔は、ふぶきも手伝ってくれていたんですけど、あの子、もうじき採用試験があるでしょう。そんな大切な時期に手伝わせるわけにはいきませんから。あの子は、絶対に良い先生になるはずです。そのためにも、私も頑張らないといけないんです。だから、葵さん。ふぶきのこと宜しくお願いします」

「はい、私に出来ることはさせてもらいますから」

再び、作業に戻り、小休憩をはさみながら、その後、約三時間ぐらい作業を続けた。昼から海の家があるため、ここまでとなった。


海の家『憩いの場』に場所を移し、ここでの私の担当は、完全なる裏方作業。右手の捻挫があるため、お客さんのオーダーを聞くことや運んだり、料理を作ったりは出来ない。だから、主に皿洗いなどをしている。

「葵さん、ごめんね。この皿もお願いできるかな」

「了解です」

皿洗いといっても簡単にできるものではない。そして、それらを本当は、早く対応しなければいけないのだが、一気にしてしまうと、右手にかかる負担がすごい。そのため、自分で対応できるスピードで洗っていく。本来なら対応しきれずに迷惑をかけるはず。でも、そうならないのには理由がある。

「やっぱり、暇ですね・・・・・・」

「うん・・・・・・ 本当は、もう少し賑わってくれるといいんだけどね・・・・・・」

店の目の前には、海水浴を楽しむ、たくさんのお客さんたちで賑わっている。ただ、このお客さんが向かう先は、海岸に建ち並ぶ海の家ではなく・・・・・・

「お母さん、やっぱり何か対策を考えないとヤバイよ。ほとんどのお客さん、海岸の複合施設にとられちゃっているよ」

そうなのだ。海岸に建ち並ぶ海の家から約五十メートル後方に、市か誘致した複合商業施設がある。そこは、大型駐車場が完備されており、水着のまま入店することができる。施設内には、フードコートから、買い物・プールやレンタルに至るまで、何でもある。そのため、ほとんどのお客さんの足は、そちらへむかってしまう。

「わかっているわよ。他のお店の人たちと色々協議はしているけど、なかなか」

あやめさんも何も対策をしていないわけではない。この憩いの場で、提供しているほとんどの料理は、あやめさんが作っている南の島特有の野菜などを使用している。そのため味も鮮度も抜群なのだか。

「問題は、このことを、どう発信したらいいのかっていうことなのよ。なにぶん、私は、そういうことが苦手だから」

結局、今のところ対応策は、まるでなかった。


次の日、私は、ふぶきちゃんの部屋で、来月に迫った教員採用試験の一次試験対策を話し合っていた。

「まず大事なのは、全問解こうとしないこと。人には、得意・不得意がある。わからない問題に時間を使って、わかる問題を解く時間がなくなっては意味がない。一般教養や教職教養・専門教養試験は、択一試験。つまり、五択の中に必ず正解がある。なら、答えを読んで正解を導くことも一つの方法ね。まぁ、それでもわからないときは、カンね。ちなみにふぶきちゃんは、何が苦手なの?」

「ウチは、英語ですね。あとは教育法規です」

「私も英語が苦手。でも、話すことができたらいいなって思う。結局は、聞く力・聞き分ける力が大事になってくると思うよ。あとは、暗記することかな。出てくる単語の意味がわからないと、何もならないから。その点は、教育法規も同じかな。法律や規則は、暗記すれば覚えられるからね」

「でも、授業じゃ使いませんよね」

「まぁね。でも、知っているのと知らないのとでは、何かをするときに変わってくると思うから」

「そうですよね・・・・・・ よし! やれることからやっていきますか」

「うん、今からふぶきちゃんがしなくてはいけないことは、過去問をいっぱい解くこと。ようは、試験に慣れることね。わからない問題や意味なんかがわからないことがあったら聞いてね。私もわかる範囲で答えるから」

「お願いします」

実際のところ、ふぶきちゃんは、試験に出題されることに関して、ほとんど理解をしている。ただ問題があるとすれば、小さなミス。計算式の途中が間違っていたり、専門用語などが、急にとんでしまったりと、落ち着いて対処すれば、なくなるミスばかり。

「葵ちゃん。ここがわからないんだけど・・・・・・」

「どこ? ここはね・・・・・・」

その後、約二時間。ふぶきちゃんがわからない問題や解き方のコツみたいなことを教えていく。そんなこんなで、気づいたら昼過ぎ。

「もうこんな時間かぁ。ありがとうね、葵ちゃん。またお願いできる?」

「うん。私はかまわないけど、午後からもする?」

「ううん。ウチ、お店の手伝いをしなくちゃいけないから」

「今の時期ぐらい、休んだら? ふぶきちゃんにとって、一番大事な時期だよ」

「お母さんにも言われたよ。でも、ウチは、自分がしたいからしているの。それに、お母さんには、学費や学校の件で、色々迷惑をかけたから。だから、少しでもお母さんの役に立ちたくて」

昨日と今日とで、聞いた二人の言葉。そこに嘘はないと思う。ただすれ違っている二人を何とかしたいと思っている自分と、余計なお節介だと思う自分がいる。どうしたものやら・・・・・・


そんなことを思いつつ、数日が過ぎたある日。居間で、パソコンで何かを作成している幽月先生を見つける。

「幽月先生、何をしているんですか」

「うわっ! 何だ、縁先生か・・・・・・ 近づいてくるときは、足音たてて、怖いから」

そこまで気配を消していたつもりはなかったのだが。

「それで何を?」

「うん、ちょっとね・・・・・・ ちなみに縁先生は、パソコンとか得意?」

「えぇ、まぁ。人並み程度には」

「そうなんだ・・・・・・ よし、少し協力してくれないかしら? 私、こういう機械類が苦手でね。これなんだけど・・・・・・」

そう言って見せてくれたパソコンの画面には、誰かが作成したと思われるホームページ。そこには、色々なメニューや写真が見てとれる。よくよく見てみると、全てがあやめさんのお店のこと。

「これって、もしかして・・・・・・」

「うん。ほら、近くに複合商業施設が出来たじゃない。あれのせいで、あやめのお店の売り上げが落ちてきているって聞いてね。それで、少しでもお店の宣伝になればいいのかなって思って。あの子、私と同じで、こういう作業は苦手だから」

「なるほど、そういうことですか・・・・・・」

数日前に感じたことが、現実味を帯びてくる。本当は、この三人、仲が良く、互いにすれ違っているだけなんだということを。

「それなら、メニューの材料名を記載したらどうですか。そうすれば、アレルギーがある人たちにもわかりやすいですし、材料がどうゆうふうに作られているシーンや調理風景を動画で撮影してアップするとか。他には感想とか意見などを書き込めるところをつくったりとかはどうですか」

「なるほど・・・・・・ ただ、そうなってくると、あやめに協力を頼まなくちゃいけないわね。あの子には、ばれたくないのよ。ちゃんと成果が出たら知らせたいから」

「そうですね・・・・・・ なら、ふぶきちゃんに協力をしてもらうのはどうですか」

「ふぶきかぁ。そうね、あの子なら大丈夫だと思うけど、もうじき教員採用試験でしょう。無理じゃない?」

「私から話してみますよ。ふぶきちゃんがお店を手伝っている時間を利用すれば大丈夫だと思いますよ。農作業の方は、私が対応しますから」

「ううん、話をするなら、私が頼むわ。これは、私が勝手にやっていること。でも、縁先生、農作業の撮影は、お願いできる?」

「はい。喜んで」

その後、二人で、お店の売り上げ向上作戦について話し合った。この結果が全てを良い方向へ進んでくれることを信じながら


そんなことで一週間が経ち、いつものようにふぶきちゃんと試験対策をしていると居間の方から、あやめさんと幽月先生が怒鳴り合う声が聞こえてくる。

「えっ! 何事?」

二人揃って、居間に行くと、あやめさんが幽月先生にくってかかっている姿が。

「お母さん、ちよちゃん。何をしているの!」

「ふぶきは黙っていなさい。ねぇ姉さん。あの子にとって、今の時期が、一番大切なのは知っているわようね」

「それは、わかっているわ」

「なら、なんで、ふぶきに何かを撮影させたり、何かを作らせたり、調べさせたりしているのよ。そんなこと姉さんでもできるでしょう!」

「それは・・・・・・」

「姉さんはいつもそう。いつも自分のことばかり。お母さんたちが亡くなったあと、私がどういう気持ちでいるかも知らないくせに」

「だから、私なりにっ」

「お母さん! ちよちゃんから相談されて、自分からやるって決めたことなの。だから、ちよちゃんは悪くない」

「ふぶき、自分がおかれている状況わかっているの? あんたは、自分のことだけを考えていればいいの。わかった?」

「なんで、そんな言い方するの! ウチは・・・・・・ もう知らない!」

そう言って、家から飛び出していくふぶきちゃん。

「待って、ふぶっ、うっ」

こんなときに限って、胸の痛みが再発してしまう。ふぶきちゃんを追いかけたくても、痛みが強く、それが出来ない。

「縁先生!」

「救急車! 姉さん、早く」

「大丈夫よ、私が診るから。あやめは運ぶのを手伝って」

「でも・・・・・・」

「いいから! 私を信じなさい」

二人に肩を貸してもらいながら、部屋に戻ると、布団に寝かされる。

「ここは私に任せて。あなたは、ふぶきを追いなさい。あの子にとって、一番大事な時期でしょう」

「うん、わかった。姉さん、葵さんをお願いね」

あやめさんが出ていくのを見送ると、あからさまなため息をつく幽月先生。

「まったくあなたという人は、自分が病人だという自覚ある?」

「すみません」

「まぁいいわ。あやめには、日頃の疲れが出たとでも説明をしておくわ。ひとまず検診するから、座ってくれる?」

「はい・・・・・・ お願いします」

幽月先生の検診結果は、心臓の鼓動がとても小さくなっているという。そのため、心臓から送り出されている血液などの量が減り、それに伴って、酸素量や体の免疫力が低下している。ただあくまで、簡単な検診のため、詳しいことまでわからないとのこと。

「本当なら、今すぐ病院へ行って、精密検査を受けてほしいところなんだけど」

「それは嫌です」

「そう言うと思っていたわ。ひとまず、今日や明日中に何かが起きることは、たぶんないと思うけど、薬だけは、ちゃんと飲むように」

「ありがとうございます・・・・・・」

「それと、ごめんなさいね。私たちの問題に巻き込んじゃって」

「謝らないで下さい。協力するって言ったのは、私なんですから」

「ありがとうね。はぁ~ なんで私って、いつも空回りばかりなんだろう・・・・・・ もう何が正しくて間違っているのか、わからなくなってきたわ」

「一つだけアドバイスです。何が正しいのか、間違っているのを決めるのは、自分じゃないと思います。それを判断するのは、別の誰かであって。大事なのは、自分が正しいと思うことをすることだとっ、うっ、いたっ」

「病人がなに生意気なことを言っているのよ。薬を飲んで、寝なさい。それとありがとう・・・・・・」

「はい・・・・・・ お休みなさい」

薬を飲むと、すぐに睡魔が襲ってくる。それに身を任せるように眠りにつく。


次の日、起きて知ったことだが、ふぶきちゃんが家出をしたそうだ。あやめさんの話だと、友達の家に世話になっているという。もうじき試験だというのに、心配でならない。


ふぶきちゃんが家出をして、三日が過ぎた本日。今日は、あやめさんの手伝いで田んぼに来ている。

「本当に、こんな作業だけをしている風景を撮影した動画が、教材なんかになるの?」

「はい、もちろん。今の子どもたちは、自分たちが食べている野菜やお米・お魚がどういうふうに作られているか知らない子どもたちが多いんです。本当は、実際に体験をしてもらうのが、一番良いことなんですが、それはなかなかできませんので。こういう動画を見てもらって、イメージしてもらうことも大事なんです」

「それならいいんですけど・・・・・・」

あやめさんには、今回の動画撮影について、私が、学校の先生に戻ったときに、授業で使う参考資料としての撮影だと言ってある。本当の理由を話してしまうと、断られたり、嫌な顔をされたりで、トラブルになる可能性があったからだ。

「次はどうします?」

「そうね・・・・・・」

その後、約二時間、田んぼの中の草を抜いたり、機械が入らない隅のエリアを手作業で植えたりと、色々な作業を行い、あやめさんからの提案で、休憩をとることに。

「体は大丈夫?」

「はい、幽月先生によくしていただいていますから」

「そう・・・・・・ なら、いいんだけど。ちなみに、あなたといるときの姉さんは、どんな感じ?」

「そうですね・・・・・・ 何事に対しても一生懸命で、人の持っている能力というか魅力を最大限引き出そうとしてくれる人ですかね。まぁ、自分の欲望に正直な人でもあるっていうところですか」

「たしかにそれはあってるかな。あの人を見ていると、もう少し、私も自分に正直に生きていいのかなって思えるの。だから、あの海の家、私が始めたんだけど、絶対に成功させたいと思っているの。そのためにも葵さん、協力してくれるかしら?」

「はい、喜んで♪」

「ありがとう」

しばらくの間、二人で色々なことを話した。その話を聞いて、なお一層、幽月先生たちが考えるあやめさんのお店売上アップ作戦は、必ず成功させたいと思う。

休憩後、少しだけ農作業を続け、あやめさんはお店に行き、私は、市内観光をするため、ここで別れることに。


あやめさんと別れ、車を走らせること約十分。目的地に到着。

目の前にあるのは、ただの喫茶店。なぜ、あやめさんに嘘をついてまで、ここへ来たのには、理由がある。

「すみません。お待たせしました」

「まだ約束の時間まで、少しあるわ。いらっしゃい、縁先生」

汗ばんだ体を、店内の冷房が少し落ち着かせてくれる。

「お疲れ、葵ちゃん」

「ふぶきちゃん!」

幽月先生の他に、ふぶきちゃんがいることに驚いた。メールで、近況は知ってはいたが、見た感じ、元気そうでよかった。

「私が呼んだのよ。ふぶきにも今回の件で、協力してもらっているからね」

「ふぶきちゃんは、家に帰ってこないの?」

「ウチにも意地はある。まぁ、お母さんが帰ってきてほしいって頼むなら、帰ってもいいけど」

「あやめが頭を下げると思えないんだけど」

「なら、ウチは帰らない」

まだふぶきちゃんの家出は、長引きそうだ。採用試験も近いから、合格するためにも、何とかしたいと思うのだが。

「ウチのことはいいよ。今日集まったのは、お母さんのお店の売上アップについてでしょう」

「そうね。縁先生が、農作業の様子や調理風景を撮影してくれたおかげで、素材はたくさん手に入ったわ。あとは、これをホームページに上げるだけなんだけど、できたら、動画を加工したいのよ。字幕や音をつけたりすると、見てくれた人たちにもわかりやすいと思うんだ」

「それ、ウチがやってもいいかな? 撮影に関して、ウチ、何も協力できていないから」

「でも、ふぶきちゃん。試験があるし、大丈夫?」

「試験前の息抜きでやりたいの。試験まで二週間を切っているし、今さら、じたばたしても始まらないから。それに、ウチもお母さんのために何かしたいの。お願い!」

「わかったわ。動画の編集は、ふぶきに任せる。あと問題があるとすれば・・・・・・」

「どうやって、この動画というか、情報を多くの人たちに知ってもらうのかってことですよね」

そうなのだ。いくらホームページなどに情報動画を上げたとしても、そこに動画が上がっていることを誰も知らなくては、意味がない。

「方法としては、チラシを配ったり、友達なんかに頼んで、情報を拡散してもらうかかな。あとは、お母さんのお店に来てくれた人たちに口コミで広めてもらうとか」

「う~ん、それぐらいしか方法はないかなぁ。一番は、この地域に来てくれる観光客の人たちに知ってもらうことなんだけど・・・・・・ 例のあの計画、やってみますか」

「幽月先生、例の計画とは?」

「まだ内緒。ふぶきは数日以内に動画を編集して、縁先生は、私が作成したチラシを海岸で多くの人たちに配ってくれる?」

「はい、了解です」

「うん、わかったよ。ちよちゃん」

幽月先生指導のもと、それぞれが今できることをやっていくことに。ただ、喫茶店からは、この地域へむかう大型台風の情報が流れていた。


私がお店のチラシを配り始めて、一週間が過ぎ、その効果かわからないが、少しづつお客さんの足が戻ってきた。

「お客さん、増えてきましたね」

「うん。理由はわからないけど。でも、あの施設ができる前に比べるとね・・・・・・それにしても葵さん、よく日焼けしているね。顔色もずいぶん良くなったみたいだし」

「そうですか」

言われて、自分の体をまじまじと見てみる。服などで隠れているところは、白いままだが、顔や手・足などは、小麦色によく日焼けしている。ただ、売上に関しては、あやめさんの言う通り、前に暇な時間だったところが、少しだけ忙しくなっただけのこと。向上したとはいいがたい。

「店長、台風の対策はどうしますか」

「そうね。テレビの情報だと、明後日ぐらいから酷くなってくるみたいだから。ひとまず、窓なんかは、木材で固定して。店の中に仕舞えない物は、ロープで固定しましょう。飛んで、他に被害が出たらいけないから」

朝のニュースでも、台風が、この地域に勢力を衰えることなく、近づいてきていると言っていた。そのため、今日は朝からその対策に追われている。

「葵さん、こっちを持ってもらえる?」

「了解です。台風の影響が少ないといいですね」

「本当よ。私、自分の店の対策が終わったら、他の店の様子を見てくるわ。悪いんだけど、葵さんも一緒に来てもらえる?」

「わかりました」

その後、他の海の家の人たちとともに、海岸に建ち並ぶ海の家に台風対策を施していった。あとは、被害が最小限になることを祈るばかり。


私が、幽月先生の家にお世話になりはじめて、約一ヶ月が過ぎた。今日は、朝から雨風が矢の如く、窓や壁に激しく打ちつける。天気予報どおりなら、台風はこの地域を通過する見込みだ。あやめさんの話だと、いくつかのエリアで、すでに浸水しているところがでてきているとのこと。

「台風、ますます激しくなってきていますね」

「毎年のことだけど、本当に来てほしくないわ。お店は開店出来ないし、農作物には、被害が出るしで、良いことなんて、全くないわ」

あやめさんの言う通りで、午前中に二人で農地を見に行ったのだが、田んぼは、池のような状態になっていた。ただ、植えている稲は、こういう状況に強いもののため、影響は少ないが、被害は出るとのこと。

「あと問題は、海の家の方ね・・・・・・」

海の家は、農地と違い、吹き抜ける雨風と高潮の影響で、海岸さえ近づけなかった。

「大丈夫ですよ。台風への備えは、ちゃんとしたんですから」

「うん、そうだよね。今さら、狼狽えてもしょうがないもんね・・・・・・ あっ、そういえば、姉さんは?」

「詳しくはわかりませんが、朝早くから、用事があるとかで、出かけて行きましたよ」

「この台風の中、何を考えているの! まったく、あの人は・・・・・・」

たぶん、例の計画とやらに関係していることだと思うのだが、幽月先生からは、何も聞かされていない。

ー♪♪♪♪♪ー

雨風の轟音に混じって、携帯電話の着信メロディが聞こえてくる。

「あっ、私のだ。誰だ、こんなときに・・・・・・ ふぶきの友達のお母さんかぁ。はい、もしもし。えっ! ふぶきが、はい、はい。わかりました。こちらでも連絡をしてみます。わざわざ有り難うございました」

「どうしたんですか」

「ふぶきが、朝、出かけたきり、戻ってきていないんだって・・・・・・ どうしよう。葵さん、あの子に何かあったら、私、私・・・・・・」

あやめさんの顔は、完全に血の気が引いている。このまま、一人で行動させたら、ヤバイ状態。

「ひとまず、落ち着いて下さい。まだ何かあったわけじゃありません。私が、車で周辺を見てきますから、あやめさんは、警察と幽月先生に連絡をして下さい」

「なら、私もっ」

「駄目です。もしかしたら、ふぶきちゃんが帰ってくるかもしれません。そのとき、家に誰もいなかったら、確認しようがないじゃないですか。それに、こういうのは、先生の仕事です。だから、信じて下さい」

「わかったわ。そっちはお願いね。何かわかったら、連絡をすること。私も連絡するから。それと一応、お店の鍵を渡しておくわ」

「了解です」

部屋に戻り、車の鍵を持ち、ふと窓の外を見ると、庭の松の木が、風に激しく揺れている。

「行ってきます」

「気をつけてね」


暴風の中、車を走らせ、繁華街やこの前行った喫茶店、ふぶきちゃんが通っている大学など、色々なところを見てまわったが、ふぶきちゃんを見つけることができなかった。

ー♪♪♪♪♪ー

私の携帯電話に表示されていたのは、幽月先生の番号。

「はい、もしもし」

「縁先生、ふぶきは見つかった?」

「いえ、まだ・・・・・・ 色々見てまわったんですが、なかなか。幽月先生は、ふぶきちゃんが、行きそうな所、心当たりありませんか」

「そうね・・・・・・ あっ、もしかしたら、海の家は? あやめの話だと、お店の様子は見に行っていないんでしょう?」

「ええっ、可能性はありますね・・・・・・ わかりました。私、見に行ってきます」

「待ちなさい! 見に行くって、この暴風の中よ。それに、あなた、自分の体の状態わかっているの?」

「はい♪」

「はいって・・・・・・ まったく、私もあとから行くから、無理はしないこと。いい?」

「了解であります」

携帯を切ると、一路、海の家を目指す。

海の家に到着する頃には、より一層激しさを増す。そのためか、海岸に建ち並ぶ海の家たちは、いつ吹き飛ばされてもおかしくないほどに。

カッパを着込み、ふぶきちゃんがいないか見に行くと、あやめさんのお店の裏から何かが聞こえてくる。

「ふぶきちゃん!」

「葵ちゃん! どうしてここに?」

「どうしたもこうしたも、あなたが、朝から帰って来ないって、あやめさんの携帯電話に連絡がきて、そんなことよりも、帰るよ」

「待って、葵ちゃんも手伝って。このままじゃ、お母さんのお店が壊れちゃう!」

ふぶきちゃんに言われて初めて気がついた。お店の壁の一部が、何かがぶつかったような大きな穴が開いている。

「このままじゃ、雨が入っちゃう。中に入った風の影響で、お母さんのお店の屋根、飛んじゃうかもしれない。何かで塞がないと」

「わかった。お店の中に、残った木材があったはず。運ぶの手伝って」

「うん! ありがとう、葵ちゃん・・・・・・」

急ぎ、木材で穴を塞いでいく。ただ、二人とも、こういう作業に慣れていないこともあり、完全に穴を塞ぐのに、三十分ほどかかった。

次に、ふぶきちゃんの提案で、屋根の上に土嚢を置くことに。屋根は、風で吹き飛ばされないように、四方をロープで、浜辺と固定してあるものの、風が吹くたびにガタガタ揺れ、心持たない。ただ、この風の中、屋根に上がるのは自殺行為。ふぶきちゃんに止めるように説得したのだが、聞いてはくれなかった。

「ウチが上がるから、梯子押さえててくれる?」

「かまわないけど、やっぱり止めない?」

「いや!」

先程から、この調子。試験が一週間後に迫っているので、ふぶきちゃんには、絶対に無理はしないように注意し、上がってもらうことに。

「気をつけてね」

「わかっている。ウチに任せなさいって」

屋根の上で、テキパキと土嚢を置いていくふぶきちゃん。これなら、すぐに終わるだろうと思った、その時、感じた中で、一番の突風が吹く。

「キャァァァァァ」

「ふぶきちゃん!」

悲鳴とともに、何かが地面に落ちる、ドスッという音。

まさかと思い、音がした方へむかうと、地面にうずくまるふぶきちゃんの姿が。

「ふぶきちゃん、大丈夫!」

「いたたたたっ、大丈夫、大丈夫。ちょっと、左肩を打ったたけだから・・・・・・ いたっ」

「大丈夫なわけないでしょう。ひとまず、お店の中に入って。私、応急処置ぐらいならできるから」

ふぶきちゃんを助け起こし、お店の中に入る。中は、真っ暗。その影響なのか、壁や窓に打ちつける雨風が、さらなる恐怖を増長させる。ただ、電気だけはきているらしく、点灯させる。それと、体が冷えないようにエアコンもつける。

「痛むところ見せてくれる?」

「大丈夫だって」

「ここで恥ずかしがってどうするの。試験も近いんだから、早くする」

「はい・・・・・・」

服を脱いで、見せてくれた左肩は、真っ赤に腫れていた。すぐさま、冷凍庫から氷を持ってきて冷やす。

「つめたっ、でも気持ちいい・・・・・・」

「ひとまず、骨に異常があるかどうかは、私じゃわからない。幽月先生でもいてくれたら、良かったんだけど」

この台風の中、来てはくれると言っていた幽月先生。ただ、台風の強さは、時間が進むにつれて、その威力を増している。こちらから出向くという手もあるのだが、ふぶきちゃんの怪我を考えると、無茶は出来ない。

「ウチって、何で失敗ばかりなんだろう・・・・・・ いつも叱られてばっかりで・・・・・・ ウチね、葵ちゃん。子どもたちに、ちゃんと叱ることができる先生になりたいんだぁ。ほら、今の親って、子どもが何か悪戯みたいなことをしても、無関心の人が多いでしょう。でも、自信なくなちゃった・・・・・・」

「失敗することは、別に恥ずかしいことじゃないと思うんだ。人って失敗をする生き物だもん。私が思うに、大事なのは、失敗を失敗として認める勇気が大切なんじゃないかな。そうすることで、そこから学び、成長する。だから、ふぶきちゃんは、まだまだ成長できるよ。これからも」

「葵ちゃん・・・・・・ ありがとう。これからも一緒に頑張ろう」

「うん・・・・・・」

その後、二人で、台風が過ぎるまでの間、色々なことを話した。時間にして、二・三時間。気がつくと、外から聞こえていた雨風は、息を潜めたように静かになっていた。

外に出てみると、厚い雨雲は消え去り、太陽が水平線のむこう側へ、沈んでいくところだった。

「ふぶき、葵さん!」

声のする方へ顔をむけると、こちらへ駆けてくるあやめさんと幽月先生の姿が。すると、ふぶきちゃんは、私の後ろで小さくなる。

「ふぶきちゃん?」

「無事だったみたいだね。縁先生は、体調大丈夫?」

「ええっ、私は・・・・・・」

「葵さん! ふぶきは?」

私の後ろで、びくっとなるふぶきちゃん。その怯える姿が、子猫のようで可愛い。

「ふぶきちゃん、隠れていないで、出ておいで」

「お母さん・・・・・・」

ふぶきちゃんの姿を見るやいなや、あやめさんの強烈なビンタが、彼女の顔にヒット。

「ばか! 私が、今日一日、どんな気持ちでいたかわかる!」

「だって・・・・・・ ウチ・・・・・・」

泣きそうになるふぶきちゃんを、ぎゅっと抱き締めるあやめさん。

「無事でよかった。あなたに何かあったら、私、私・・・・・・」

「お母さん・・・・・・ うわぁぁん」

泣きながら、抱き締めあう二人を見ていると、この二人の間にあった確執やわだかまりは消え去ったんだということがわかると同時に、私には、そういった関係の人が、もういないんだと、少し寂しくなる。

「はい、はい。いい大人が、いつまで泣いているの。それで、ふぶきと縁先生は怪我はなかったの?」

「そうだ、ふぶきちゃん。肩の怪我」

「見せて・・・・・・ うん、腫れてはいるけど、たぶん骨には異常はないわね。ただ、念のために、病院でレントゲン検査をしてもらいなさい。試験に影響が出たらまずいから」

「ふぶき、ちゃんと行くのよ」

「わかっているよ」

二人の間には、笑顔しかなかった・・・・・・


台風が過ぎ去った次の日は、まだ台風の影響が残っているのか、海が時化ているらしく、海水浴は中止に。そのため、台風で壊れたところを修繕していった。そして、翌日・・・・・・

「ねぇ、ふぶきちゃん。何で、こんなにお客さん多いの?」

「知らないわよ。それは、ウチも聞きたいよ!」

いつもなら、お昼を過ぎる頃になると、お客さんの数は、ぐんと減る。でも、今日は、その時間帯になっても、お客さんの数は、減るどころか、増すばかり。そのため、私も店内で慣れないフロア業務に悪戦苦闘中だ。

しばらくすると、少しつづだが、お客さんは減ってきた。それでもまだまだ多い。

「ふぶき、葵さん。二人は、あがってくれていいわ。バイトの子が来てくれたから」

「わかりました。お疲れさまです」

二人揃って、お店を出ると、あやめさんのお店以外も大繁盛。

「なんでいきなり、こんなにお客さんが」

「動画の再生数やホームページへのアクセス数も、かなり伸びているんだよね。ただ、いくら地道にチラシ配りをしていたとしても、ここまで伸びるとは思えないんだけど」

実際、私は、かなりの数を海水浴に来ている観光客の人たちに配ってはいたが、それで、ここまでの集客率につながるとは思えない。それ以外に要因があるはず。

「すみません。海の家『憩いの場』のスタッフの方ですか」

「うん、そうですけど・・・・・・」

「幽月ちよこさんは、今日、お店に来ていますか」

「ちよちゃんのお知り合いの方?」

「いいえ、ファンです」

「ファン!」

その人に詳しい話を聞いてみると、幽月先生は、大学生時代にアルバイトで、ラジオのパーソナリティをしていたらしく、聴覚を刺激して、相手を気持ち良くさせる、例えば、耳掻きや吐息などの音を出す放送や雑談放送などのトーク力が合間って、爆発的な人気が出たという。でも、保険医になったことで、辞めてしまったらしい。それが、数週間前ぐらいから、期間限定で再開。その放送中に、この海の家たちのことを言っていたらしく、この女性は来たとのこと。

「幽月先生、そんなことをしていたんですね・・・・・・ そうか、例の計画って、このことだったんだ」

「たぶん、そうね」

「それで、ちよこさんは来ているんでしょうか」

「今日は、まだ来ていませんね。幽月先生、この辺りに来るのは、稀ですから」

「そうですか・・・・・・ わかりました。お店の席は、まだ空いていますか」

「大丈夫だと思いますよ」

「有り難うございます。お昼だけでも食べていきます」

「一名様、ご案内♪」


そのお客さんと別れたあと、明日に迫るふぶきちゃんの試験対策のため、家で詰めの作業。

「ありがとうね、葵ちゃん。葵ちゃんのお陰で、試験対策もバッチリよ」

「お礼は、合格してから。でも、左肩の怪我、たいしたことがなくてよかったね」

「うん、病院で診てもらったけど、打ち身程度で。骨や筋肉には、何の異常もないって。たぶんだけど、砂浜が衝撃を吸収してくれたことと、初期治療が良かったんじゃないかって、お医者さんが言ってた」

「本当よ、見ていた私が、一番怖かったんだからね」

「ごめん、ごめん・・・・・・ よし、もうひひ踏ん張りしますか」

「わからないことがあったら、何でも聞いてね」

「うん」

それから二・三時間、ふぶきちゃんと試験対策を進めていく。すると、玄関のドアが開く音。

「ふぅ~ 疲れたぁ」

「おかえりなさい、お母さん」

「ただいま、どう試験の調子は?」

「うん♪ 葵ちゃんのおかげで、バッチリよ。必ず合格できると思う」

「そう♪ なら、お母さん、今日はご馳走作っちゃう」

「気が早いって。でも、ありがとう」

夕食を食べながら、今日あったことをあやめさんに話す。

「なるほど・・・・・・ それで最近、お店の集客率がアップしてきていたわけね。まったく、姉さんたら、余計なことを」

「幽月先生は、あやめさんのことを思って、やっているんだと思います」

「そうよ。ちよちゃんはっ」

「わかっています。何年、あの人と姉妹をしていると思っているの。まったく、姉さんたら♪ でも、これは利用できるかもしれないわね」

「利用って、何に?」

「うん、近所の複合商業施設から、今度開催する夏祭りに、私のお店も出店しないかっていう話がきていてね」

「それって、宣戦布告なんじゃ」

「そこまで大袈裟ではないけど、施設のフードコートエリアのお店も数店、出店するらしくてね。そこで、差を見せつけることができれば、お店の売り上げアップにもつながると思うから」

「やりましょう、あやめさん。このチャンス、逃す手はないです」

「ありがとうね、葵さん。二人とも協力してくれる?」

「もちろんよ、お母さん」

「ありがとう♪」

三人で夏祭りの対策について話をしていると、再びドアが開く音。

「ただいま」

「おかえりなさい、姉さん」

「あれ、あやめの方が早いなんて、めずらしい」

「うん、お店の商品売り切れちゃって」

「そう、よかったね。私、疲れているから、先に寝るね」

「待って、姉さん」

「うん、何?」

なかなか次の言葉が出てこないあやめさん。

「ほら、お母さん」

「うん・・・・・・ いつも、私のことを考えてくれて、ありがとう・・・・・・」

「何よ、気持ち悪い」

「姉さんに頼みたいことがあるの」

「頼み?」

居間に戻ってくると、先程の話を幽月先生に聞かせる。

「まさか、私のファンみたいな人がいるとは・・・・・・ でも、お店の売り上げアップにつながっているなら、私もやったかいがあるわ」

「それで、姉さん。さっきの話の件なんだけど、協力をしてくれる?」

「当たり前じゃない。こんな面白そうな話、関わらないなんてもったいない。私も全面的に協力をさせてもらうわ」

「ありがとう、ちよちゃん」

こうして、夏祭りまで一週間ちょっと。出来ることは限られているものの、今までわだかまりがあった三人の顔には、笑顔が広がっている。そしていよいよ、明日は、ふぶきちゃんの試験当日。うまいこといってくれることを祈るばかり。


ふぶきちゃんの試験当日の朝を迎える。

「ふぶき、ちゃんと受験票持った? 忘れ物とかない?」

「大丈夫だよ。子どもじゃないんだから」

「ふぶきちゃん、いつも通りにやったら、絶対に大丈夫だから」

「うん、ありがとう。葵ちゃん」

「あと、これを持っていきなさい」

そう言って渡したのは、お守りと、ふぶきちゃんの亡くなったお父さんの写真。

「お母さん・・・・・・ ありがとう。行ってきます」

「いってらっしゃい」

ふぶきちゃんは、お守りと写真をスーツのポケットにしまうと、元気よく出ていった。

「葵さん・・・・・・ ふぶきは大丈夫ですよね?」

「大丈夫です! あとは、ふぶきちゃんを信じて待つだけです」

「そうね・・・・・・」

ふぶきちゃんを送り出したあと、私とあやめさんは、お店に出勤するが、何をやってもあやめさんが、失敗ばかりしてしまう。あげくのはてに、バイトの子に、調理場から追い出されてしまう。

それは、朝からラジオの打ち合わせで出かけていた幽月先生も同じらしく、合流後、お店の手伝いをしてくれてはいるものの、皿洗いをすれば、皿を割り。注文を聞きに行けば、オーダーミスを出したりと様々。結局、二人とも、ふぶきちゃんの動向が気になっているということだろう。

ふぶきちゃんが帰ってきたのは、午後四時過ぎ。

「ただいまぁ~」

「おかえりなさい。どうだった?」

「すぐに結果が出るわけばいでしょう。でも・・・・・・」

ふぶきちゃんの手が、勝利のサインに。

「よかったね。合格の前祝いだ!」

「まだ早いよ。でも、覚えているかぎりの問題を、あとから確認したら、ほとんど正解していたの。これも全部、葵ちゃんのおかげだよ。ありがとう」

「お礼を言うのは、まだ早いかな♪ でも、よく頑張った♪」

「うん♪」

ふぶきちゃんの試験は、本人の予想以上の出来栄えになったらしい。一次試験の結果が出るのは八月中旬ごろ。まだ約一ヶ月先だが、ふぶきちゃんの感じだと合格しているだろう。そしていよいよ、再来週には、夏祭りが開催される。今度は、そこへむけて集中していかなくては。

夏祭りが開催されるまでの二週間あまり、私たちは、それぞれが出来ることをした。あやめさんは、夏祭りで出す新メニューの開発といきたかったが、時間がなく、今あるメニューのアレンジを開発。ふぶきちゃんは、その光景を撮影して、編集し、アップの作業。幽月先生は、自分がパーソナリティーを勤めているラジオ番組で、今回の夏祭りとお店の宣伝。そして、私は、いつものように浜辺でチラシ配りをしようとしたが、思いのほか、体調が優れず、お店の手伝いを少ししただけにとどまる。

そんなこんなで、いよいよ夏祭りが開催される日となった。

「さて、いよいよ夏祭り本番となりました。怪我だけには気をつけて、売って、売りまくるぞ!」

あやめさんのかけ声と夏祭りの開催を告げる花火を合図に、夏祭りが開戦する。まず、あやめさんは、調理全般を担当。メニューとして、食べ歩きが出来るものを主に提供。これが食べやすさと味が抜群で大人気。幽月先生は、夏祭りの特設ステージで、公開録音に挑戦中。これも軽快なトークで、会場を盛り上げている。そして、私とふぶきちゃんは・・・・・・

「いらっしゃいませ。二名様ですね、空いている席にどうぞ。あっ、葵ちゃん、そっちのテーブルを片づけてくれる?」

「了解」

いくら夏祭りに出店しているとはいえ、『憩いの場』を開店しないわけにはいかない。そのため、私とふぶきちゃんは、こっちで奮闘中。

「あの、すみません・・・・・・」

「はい、何でしょうか」

「今日、オーナーの方は、いらっしゃいますか」

「すみません。あやめさんは、夏祭り会場の方へ行っていまして、あやめさんのお知り合いの方ですか」

「いえ、私、西都市せんとしで、料理旅館を経営しています芒見すきみといいます。この料理のレシピを教えてもらえたらって、思いまして」

「そうですか。もしよろしかったら、このアドレスに、パソコンからアクセスしてみて下さい。このアドレス、このお店のホームページのものなんですけど、そこに、お店で提供しているいくつかのメニューのレシピや材料・調理風景などがのっていますので」

「そうですか♪ 有り難うございます。オーナーの方に、美味しかったと伝えて下さい」

「わかりました。必ず伝えます」

それだけ言い残し、二人組のお客さんは、帰っていった。

お昼を過ぎてもお客さんの足は途絶えることがない。むしろ、増えているような感じすらする。

「葵ちゃん、大丈夫?」

「うん・・・・・・ 大丈夫、大丈夫。閉店まであと少しだし、もうひとふんばりいきましょうか」

自分自身に気合いを入れるものの、体がついてこない。ここ最近、台風や夏祭り・受験対策と色々なことをしていたため、体力の限界が近づきつつある。そして、そこにこのラッシュ。相当にきつく、胸が痛い。

閉店まで、一時間に迫る中、夏祭りのお店が一段落したのか、あやめさんが戻ってきてくれた。あとふぶきちゃんが、私の体を気遣ってくれたおかげで、何とか乗りきれそうだ。そして、いよいよ閉店のとき。

「みんな、よく頑張ってくれました。おかげで、夏祭り会場のお店も大繁盛の内に、終わることが出来ました。売上計算は、まだしていないけど、過去最高だと思います♪ 本当に有り難うございました」

「ここまでありがとうね、あおい・・・・・・ 葵ちゃん、大丈夫! 誰か、ちよちゃんを呼んできて! 早く」

閉店を見届けた私は、完全に意識が途絶えていた。


気がつくと、私は、布団の中にいた。

「目が覚めたかしら、私の可愛い患者さん♪」

「幽月先生・・・・・・ 私は、一体・・・・・・」

「あなた、夏祭りが終了したと同時に、意識を失ったのよ。覚えている?」

そう言われて、思い出してみるが、閉店一時間ぐらいから、頭や体がぼぉーとしていたらしく、ほとんど覚えていない。

「まぁ、その体で、あのハードワークだからね。倒れてもしょうがないとは思うけど。ひとまず、検診するから、見せてくれる?」

「はい・・・・・・ お願いします」

私を検診している幽月先生の顔は、いっこうに晴れない。それだけでも、私の今の状態がヤバイことがわかる。

「どうですか?」

「ここで嘘を言ってもしょうがないから、正直に言うけど、縁先生の心音が、かなり弱く、小さくなっている。私があなたの診察をした中で、一番小さいわね。はっきり言って、病院に、今すぐ入院することを薦めるわ」

「そうですか・・・・・・ 時間がないと・・・・・・」

「そうね・・・・・・ まさか、あなた、その体で、旅を続けるつもりじゃないでしょうね?」

「はい、そのつもりです♪」

「バカ! 今の状態をわかっているの? 本当に死ぬわよ!」

「私は、旅を始める前に親友に言ったんです。目を閉じて、耳を塞いで、口を閉ざし、死を待つだけに生きていくのは嫌って。だから、私は・・・・・・」

「そんなに続けたいのなら、どこへでも好きな所に行きなさい。そして、野垂れ死にをしたらいいわ。でもね、縁先生。これだけは覚えておきなさい。あなたが死んで、悲しむ人間が、少なくとも四人はいるということを・・・・・・」

「ありがとうございます・・・・・・」

「それじゃ、私は行くわ。あやめやふぶきには、私の方から伝えておく。頑張りなさいよ、私の可愛い、可愛い、生徒さん・・・・・・」

「はいっ」

幽月先生が部屋からいなくなると、私は、鞄の中に服や薬などを詰め込んでいく。体調などを考えると、しばらく休んだ方がいいとは思うが、今は一分一秒がおしい。

鞄に全ての荷物を詰め込み、それを車のトランクへ。そのまま、運転席に乗り込むと、エンジンを始動させる。ふと、助手席を見ると、数十枚の写真たち。

そこに写っていたのは、小麦色に日焼けし、あやめさんやふぶきちゃん・幽月先生たちと笑っている私の姿。その写真を見て気づく。心のどこかで私は、ここを離れたくないと思う自分がいることに。でも、それはできない。これ以上、あの三人に迷惑をかけることだけはしたくない。

日の出とともに、一路、北を目指して、車を走らせる。


手に何かの感触を感じ、目を覚ますと、私の目の前に一頭の黒い蝶が、ふわふわと飛んでいる。

「無事に・・・・・・ 合格をしていれば・・・・・・ いいんだけど」

あやめさんやふぶきちゃんには何も告げずに出てきた私。ふと見たアルバムの写真の中の三人は、キラキラと輝いている。たぶんだが、あの三人なら、たとえどんな壁が建ちはだかろうとも、突破していくにちがいない。

私を何かに誘うかのように飛んでいた黒い蝶が、アルバムの上にちょこんととまる。その態度がまるで、アルバムをめくれと言っているように思う。

私は、すでに動かなくなりつつある右手で、アルバムをめくる。

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