第268話 悪夢と逃げ。
「ハッハッハ。もう許してくれよ。私も悪かった。でも、期待した方も悪かっただろ。なあ。不幸な出来事だったんだよ」
赤黒い血の色に染まった空間で椅子に座り、目の前に鎮座する腐乱死体を抱えた人物に声を掛ける。
「パウルさんよ。あんたの嫁のローズさんを、あんたが生きている間に、あそこから下ろせなかったことを怒ってるのか。それならしょうが無いだろう。だって、私はあんたの嫁さんが、あそこにいたなんて分からないんだよ。だって、よく考えてみろよ」
恨ましそうにこちらを睨む人物に、若干の焦燥感を抱きながら言うと、
「お前が死ねば良かったのに」
憤慨した声が返ってきた。
(我ながら凄いよな。あの街の死にかけの人間の「ローズ」っていう声だけで、近い声を頭で再生できるなんて)
心中で思いながら、椅子の座枠を掴み、若干前屈みになり、
「嫌だね。私は死なない」
若干、煽るような声で言った。
(最低だな。私。死人に対して)
と思いながら。
「死ね。死ね。死ねよ」
一瞬、目の前の人物はあっけらかんとした表情をし、憤慨を超えた怒りを声に滲ませながら言ってきた。
「まあ、まあ。落ち着きなされよ」
口汚く私を罵倒する声に、制止の声を掛ける。
だが、その声は止むことはなく、私を罵倒し続けた。
「ふっ」
若干、目を細めて嘲笑を漏らす。
(本当にクズだな。私。この人、多分こんなこと言う人間じゃないだろうに)
「殺す。殺す殺す殺す殺す」
怨嗟の言葉が前方から聞こえたと思ったら、
『ガタン』
という言葉と共に、私は赤い水が張ってある地面に叩きつけられた。
「くっう。ゆる、してくれよ。お願いだから」
私は首を折ろうとしているのか、強い力で握る男に声を漏らしながら、
(ハッハッハ)
心中で笑い声を漏らし、
「これで貴方は満足ですか」
微笑みを浮かべて言うと、私の首を握るのに使われていた手が掲げられ、そして振り下ろされた。
「痛いな。これで満足?」
彼に問いかけながら、微笑みを絶やさずにいると、彼は私を地面に押しつけるように、首に体重を乗せて押した。
(あぁ、死ぬな)
喘ぎ声を出しながら、心中で呟く。
すると、地面が下がったのか、それとも水位が上がったのか、私の口、鼻の中に赤い水が入り込んできた。
「うっぐ」
口内、喉、肺が一気に冷えた感覚に、声が漏れる。
(ハハハ。ハア。これで満足かよ。自分。私、もしくは僕よ。これで満足か。もう十分苦しんだだろ。なあ)
自分に問いかける。
だが、返答は帰ってくることはなく、私は無様に赤い水に押しつけられ、顔を歪める男を見続けていた。
(ハハハ。そんなに私のことが憎いのかよ。自分の嫁さんをほっぽるくらいにさ)
私の同じように、床に寝そべっている物を考えながら心中で呟く。
(・・・ハア。もう良いだろ。私も悪いと思ってるんだぜ。それに私以外の人間だって、同じだったと思うぜ。人間は利己的な動物なんだから。)
若干、薄れていく意識の中で呟く。
すると、今度は私の声に返答をするように、場面が変わり、私は鏡の目の前に立っていた。
鏡に映る自分は、真っ赤な服に身を包み、手に、顔に赤黒い物が付着していた。
…………
「・・・」
(馴れたもんだな)
心中で呟きながら、目を開き、すぐに、
(・・・今、何時だ)
疑問に思いながら、窓の外から突き刺すように入ってくる太陽光に目をすぼめる。
(確か、馬車に乗ってるよな)
と思いながら、
「うっ」
欠伸をしながら、目の前に座っている人を見つめる。
(やっぱり馬車か。まだ到着してないのか)
心中で思いながら、
「私、何時間くらい眠っていましたか。アリアさん」
目頭を揉みながら問いかけると、
「10分ほどです」
すぐに返答が返ってきた。
「そうですか。ありがとうございます」
教えてくれたことに御礼を言いつつ、
(10分か。まあ、そうか)
と思った後に、
(あとどれくらいで着くんだ)
気になったので、
「あと、どれくらいで着きそうですか」
欠伸をかみ殺しながら言うと、
「もう少しです。あと5分もあれば到着すると思われます」
と教えてくれた。
(随分ギリギリに起きたな)
と思いながら、
「そうですか。分かりました」
特に変哲もない普通の返事を返した。
私の返事以降、特に会話が起こることはなく、馬車の中にはタイヤの音や、若干聞こえてくる外の喧噪程度だった。
(・・・はあ、これで何連続だろうな。悪夢見るの)
心中で記憶を辿ってみると、4連続目程度だと気付いた。
(案外短い。・・・たった4連続だけなのか。それなのにこんなに疲れるのか)
と思ったところで、私は考え始めた。
この疲れを飛ばす方法や、他人に心配を掛けない方法を。
っで、結果としては、思い付くことが出来た。
説明すると、
(あの時、あそこに行った事実。それを忘れよう。考えないようにしよう)
と言う物だ。
まあ、他にも自分を騙す、記憶を消し去る、等々の方法が浮かんだのだが、ちょっと自分が分からなくなりそうで怖いのでやめたのだ。
地味に、自然に精神が治るのを待つってのもあるな。それも試そう。
私が色々とふざけたことを思案していると、
「お嬢様。到着しました」
目の前からそんな声が聞こえてくるのだった。
主人公の病んでる状態は、多分もう直ぐで終わります。
多分、色々と忘れることは出来ないと思いますが、開き直るでしょう。




