5 近くて遠い
日が昇る少し前、竜斗は鳥の声で目が覚めた。
隣を見てみると、布団にいたはずのシルビーが掛け布団にくるまって転がっている。
少し遠く、壁際まで転がっていっているようだ。
「寝相はなかなかだな……くっ」
笑うとケガしたところに痛みが走る。
「昨日話してた時はケガのことなんてすっかり忘れてたんだけどな」
そっと服をまくり上げると巻かれた包帯に血が滲んでいた。
「やっぱ結構痛いな。シルビーの話では3日くらいで治るってことだったけど本当に治るのかこれ?」
昨日シルビーからもらったポーションが竜斗に使ってほしそうに傍らに置いてあった。
「そういえば昨日もらって結局使わなかったんだよな」
おいしくないと言われたから使わなかったわけではない。なんだかもったいない気がして使えなかったという方が正しかった。
それに、竜斗には試してみたいこともあった。
神様から魔法の話を聞いた際に、魔力が必要ということだった。そしてその魔力は十分な休息、魔力ポーション、時間経過などで回復するらしい。
つまり昨日襲われた際に使えなかったのは単に魔力切れが原因だったのではないかと竜斗は気になっていた。
「回復魔法が存在しないと言われた以上俺のあの力が何なのかわからないが、回復に近しいものでもあるということはわかる。発動条件とか必要な魔力量とかそういうのは検証必要だがとりあえず試してみるか」
シルビーが向こうを向いて転がってるのを確認し、大きく深呼吸する。
そして、ゆっくりと傷口に手を近づける。初めにあの現象が発動した時の感覚を思い出し、頭の中でイメージする。
「さて、どうなるか……」
手が傷に触れた瞬間、淡い緑色の光に包まれた。あの時は戦闘中で確認できなかったが、ケガが治るというよりはケガ自体がなくなっていくような感覚だった。
そしてもう一つ、前はわからなかった感覚があった。全身がなんとなくだるくなっていくような感覚。
魔力とは精神力に似たものらしいので、これが魔力を消費する感覚なのかと竜斗は直感的に感じた。
「となると、やっぱ魔法ってことだよな。それにしても結構だるくなるもんだな……」
ゲームのように魔法だの魔力だのレベルだのあるんだったら、ステータスくらいあってもいいだろ、と一人で突っ込みを入れる。
「……ん、ううん」
さっきの光でシルビーのことを起こしてしまったようだ。簀巻きのように布団にくるまれていたシルビーがそのまま竜斗の方に転がってきた。
「……おはよう、ずいぶん起きるの早いんだね」
「ああ、おはよう。ちょっと目が覚めちゃってな」
時計がないので正確な時間はわからないが、日が昇り切っていないことから4時くらいだろうか。
「まあ、街に行くんだったら早い方いいかもだし、私も起きようかな」
目元をこすり眠そうな表情のまま上体を起こす。大きく伸びをしてそのまま欠伸をした。
「はあ、まったく警戒心のかけらもないんだな……」
そのあられもない姿に思わず笑ってしまう。
「ふぇ?」
気の抜けたような返事をするシルビーに対し、竜斗は無言のまま手を出すと、下下とジェスチャーをする。
ぼーっとした表情のまま、ゆっくりと視線を下ろしていく。
着ていた服がずれ、肩が露わになっている。服がめくれ腰のくびれも官能的だった。その色っぽさと少し幼い見た目から背徳感が強くなっていた。
自分の状態が理解できたのか、シルビーは慌てて布団で自分の体を隠すと恥ずかしそうにえへへっと笑った。
ぱぱっと身だしなみを整え、軽く朝食をとることにする。だいぶ早い時間だったが、種族の問題もありあまり人に見られたくないそうだ。
「さてと、じゃあ行こうか!」
緑を基調としたトップス。ウエスト部分には控えめにスカートのような装飾が施されている。
ベルトによってウエスト部分がきゅっと引き締まっていた。ところどころに刺繍が入れられ、簡素ながらも高級感のある様相を呈している。
その上から頭を覆うフードが付いたロングコートのようなものを羽織る。エルフの特徴としてエルフ耳があるためそれを隠す目的だろう。
足元には白いハイソックスとロングブーツ。動きやすいように靴底はだいぶ平らに近い形になっている。
エルフといえばこんな感じという大体想像通りの服装だった。ただ想像と違うのは弓を背負っていなかったところだ。
「あれ、シルビーの武器って弓だったよな?」
「うん、そうだよ。ちゃんとバックに入れてるから」
そういってベルトにつけてあるバックに手を伸ばす。中からは明らかにバックよりも大きな弓が取り出された。
「ふふん、びっくりしたでしょ! これは魔法バックって言ってほぼ無制限に入れられるバックなんだよ! 高度な魔法が必要だから私には作れないんだけどエルフの里の職人に作ってもらったんだ」
嬉しそうに、そして自慢げに見せびらかしてくる。少しうっとうしく思いながらもこればっかりは素直にうらやましかった。
今の竜斗はバックはおろかまともな装備すら持っておらず、着ていた服に関してもボロボロである。もらったポーションすらどうしようか困っているくらいだった。
「それはうらやましいな。今後アイテムも増えていくだろうしあったら便利だよな。っていうことでとりあえずこれ預かってもらってもいいか」
昨日もらったポーションを渡す。
「ああ、そっか、竜斗バック持ってなかったね。じゃあなおさら早く街に行って装備も整えないとね」
シルビーはポーションを受け取りバックにしまう。そしてそのままバックをごそごそ漁ると一本の剣を取り出した。
「武器もないと大変だし、余ってたので申し訳ないけどとりあえずこれ使って」
なんの変哲もない剣。少し剣先が長くちょうど剣道の竹刀と同じくらいの長さだった。
「ありがとう、素手だとちょっとな」
受け取って握りを確かめる。鉄製なので結構な重さはあったが問題なく使えそうだった。
「あんまり見ない形だけど様になってるね」
「ああ……なんだかすっと手になじむ感じがするんだ」
剣道をやっていた経験が活きる。まさか本物の剣を握ることになるとは到底思ってもみなかったが、こうなってくるといろいろと学んでいてよかったのかもしれないと竜斗は思った。
鞘つきの帯刀ベルトも一緒にもらい身につける。どっしりとした重さを感じ、少し嬉しくなっていた。
「うん、これで武器も大丈夫。服に関しては私も持ってないから街で買うとして、あとはシールドの魔法についてだね」
シルビーは手をすっと差し出す。
「ちょっと触っててね」
「……? ああ、わかった」
よくわからないまま言われた通りシルビーの手に触れる。何のことはない普通に柔らかい感覚が手に広がる。
「じゃあ、いくよ」
シルビーがそう宣言した途端、手の感覚が固いものに触れている時のそれに変わる。
「なんだこれ!?」
「びっくりしたでしょ! これがシールドだよ。体に魔力を纏わせて薄い膜を作ってるみたいな感じ。これがあるおかげで体が傷つくまでのケガはなかなかしないんだよ」
なるほどなと竜斗は納得した。確かにこれを常に使っているとしたらケガなんてそんなにしないはずだ。
「今使ってるのは一番簡単なのでだいたい5分くらいしか持たないから、その都度使うって感じだね」
「魔力の消費量的にはそんなにない感じなのか?」
「そうだね、この簡単なのだとほとんど消費しないかな。魔力量の値としてMPっていうのがあるんだけど2くらいしか使わないからね。魔法が使えない一般の人でもMPは10はあるから、ほんとに全員使える魔法って感じなんだよ」
MPという単語が出てきてゲーム感が急に強くなった。
「なるほどな、とりあえずそれを使えるようにするのが最優先って感じか。まあ、その辺もおいおい覚えていくことにするよ」
シールドのことやまだまだ聞きたいことはあったがこれ以上話し込んでいたら早い時間に出発しようとした意味がなくなってしまう。
部屋の片づけを手伝い、ようやく小屋を後にする。
「さてと、それじゃあ行こう! リヴィーザルまではそんなに遠くないから1時間くらいで着けると思うよ」
昨日と同じ森だというのにシルビーがいるだけで安心感が違う。気のせいか森が明るくさえ見えるようだった。
「この森のモンスターの平均レベルは5だから竜斗にはちょっと高いかもだけど、私もいるし出てくるのは多分ゴブリンくらいだから全然余裕だよ」
基本的にモンスターは自分よりも明らかに強いものに対しては勝負を挑まないそうだ。ただそんな知能すらもたないゴブリンやスライムなどは誰彼構わず攻撃してくる。昨日のポーンゴブリンは知能が高く襲ってくることはないらしい。
「ちなみにシルビーのレベルってどれくらいなんだ?」
「ん? 里を出てくるときには確か30だったかな。それ以降あんまり強いモンスターと戦ってないからたぶんレベル上がってないと思うし」
レベル30。竜斗にはそれがどの程度の強さかわからなかったが、そんなのが初心者の森にいたんじゃモンスターもたまったもんじゃないよな、と少しモンスターに同情する。
「まあ、私の場合は小さいころから鍛えられてたし、レベルが上がりやすいタイプでもあるからね」
「レベルの上がり方にも差があるのか。まだまだ知らないことは多そうだな」
この世界のルールについて、魔法について、種族の問題について、歴史について、いろいろと学べることは多そうだった。
明確にやりたいことはまだ決まっていないが早く街に行きたいという気持ちが強くなっていく。
自然と足取りが早くなり、そんな様子をシルビーは微笑ましく眺めていた。
歩き始めて15分、木にはリスがいたり、川辺には鹿がいたりと動物の生態系としては日本とあまり変わりないようだった。
モンスターに関しては本当にまったく現れなかった。遠くに見える時もあるのだが、シルビーを見て逃げていくようだ。
そもそも昼間の方がモンスターも弱くおとなしい。
夜になるにつれモンスターは活発になり、襲撃する見境もなくなるそうだ。
暗闇に乗じて戦闘を仕掛ける方が勝率が高いということを本能的に理解しているため、レベル差はあまり関係なくなる。
そのため明かりをつけておくだけでもそういった襲撃の確率は減るらしい。
「そういえばシルビーはそんなにレベル高いのに何でこんな森にいたんだ?」
レベルを上げるためというならもう少し強いモンスターがでるところでないと意味がない。ずっと気になっていたことを問いかける。
「あー、えっと、なんていうかなあ」
少しバツが悪そうに目線を逸らす。
「いや、無理して言う必要はないけどさ。どんな理由であれこうしてシルビーに出会えたのは幸運だったからな」
「うーん、本当に大した理由じゃないんだけど……まあ、簡単に言えば家出してきたんだよね」
えへへ、と冗談めかして笑う。
「危ないところに行って何かあったらさすがにまずいから、比較的安全なこの森にいたってわけ」
笑ってはいるがどこか寂しそうな感じがした。家出ということは家庭の事情なのでそこまで踏み込んで聞くことはできない。
聞いてしまったことを竜斗は少し後悔しつつも口を開く。
「余計な事言わせて悪かった……どんな事情があるかわからないけどシルビーが家族のこと大切に思ってるのは伝わってくる。きっと両親も心配してると思うぞ」
「それは……うん、心配かけてるのはわかってるんだけどね……ちゃんと謝らないとなぁ……」
「まあ、もし何か言いたいこととか相談あったら聞くだけ聞くから、話してくれよ。俺に言ったところで何ができるってわけでもないけどさ」
はは、とわざと明るく笑って見せる。
困っているとき、落ち込んでいるとき、近くにいて一番嬉しいのはアドバイスをくれることじゃない。相談に乗ってくれることでもない。ただ話を聞いてくれるだけでいい。
「うん、ありがとう……ちょっと気持ちが楽になったよ」
そうは言いつつもシルビーは何かを迷っている様子だった。暗い雰囲気にしてしまったことに責任を感じ竜斗は話題を変える。
「そういえば、リヴィーザルはどんな街なんだ? 初心者が多い街って言ってたけど」
「あ、えっとねえ、正確には王国なんだけど……まあ、たいてい街って呼んでるからいいや。一言で説明すると本当に始まりの街って感じ。冒険者ギルド以外にも魔導士ギルドもあるし、騎士養成学校とか魔導士養成学校とか、植物研究所とか、お店もいろいろあって……まあいろいろあるって感じ」
ものすごく曖昧な説明だったが、おそらく曖昧になるくらいいろいろあるということなのだろう。
ラグナリア大陸の南東に位置するリヴィーザル王国。
そして現在いるのはそのリヴィーザル王国領内のブレイトの森というところらしい。
ではなぜ王国を街と言っていたのかというと、冒険者のくくりでは規模が大きい集落を街、小さいところを村と言うようだ。
そもそも街だろうが国だろうが目的さえ果たせればよく、区別するのが面倒だという理由から呼ばなくなったそうだ。
王国内においても都市のようなもので詳細に区分されているわけでもなく、東部・南部・西部・北部・中央部とかなりざっくりと定められていた。
ラグナリア大陸内にはいくつもの国が存在しているがリヴィーザルが最大規模の国であり、比較的安全なことから周囲の村や街から移住してくる者も多い。
冒険者ギルドというのはどの街にも必ず存在するが、魔導士ギルドや養成学校というのは大きい街や国にしか存在しない。
冒険者ギルドでできることは、クエスト受注、冒険者登録、アイテム保管、パーティ作成、ステータス確認などがある。
ステータス確認では次のレベルまでの必要経験値を知ることもできる。冒険者登録時に冒険者カードを作ることができ、それを使ってもステータス確認はできるが更新はギルドでしか行えず最後の更新時のままだったり、必要経験値に関しては知ることができなかったりとあまり使い勝手のいいものではない。旅であった人に冒険者ランクを示すためくらいにしかほとんど使われていなかった。
「それにしてもさすがに一体もモンスターと会わないのはまずいかもなあ。リヴィーザルに入るためには入国税みたいのがかかるんだろ?」
竜斗は、ズボンのポケットに入っている銅貨をちゃらんといじりながら言った。
今手元にあるのは昨日ポーンゴブリンを一体倒した時に手に入れたであろう銅貨10枚だけだった。
竜斗が倒したポーンゴブリンから出たお金をシルビーが拾ってくれていたらしい。
「そうだね、入国だけでも銅貨15枚から25枚くらいするし、買い物したりってなるとお金は必要だね」
神様から聞いていた相場よりもだいぶ高い。
竜斗は、神様にあった第一印象を思い出し、結構適当なのではないかと不安になっていた。
実のところあまり相場を理解していないからとにかくお金は必要だ、と言っていたのかもしれない。
そうなるとやはりモンスターが逃げていくというのは死活問題である。
「うーん、ちょっと距離開けて行動してみるか。シルビーが強すぎてモンスターも寄り付かない感あるからなあ」
竜斗は、遠目に見えるモンスターがやはりシルビーを見つけては逃げていくのを確認し言った。
「あはは、ごめんね。じゃあ私はちょっと隠れながら行くね。危なそうなときはちゃんと助けるからね」
バックから弓を取り出し、矢を打つふりをする。そして軽く微笑むと森の中に消えていった。
「あっという間にいなくなったな……さすがレベル30……」
手品のように消えていったシルビーを見てぼそっと本音が漏れる。
というのもつかの間、先ほどまで逃げるだけだったはずのモンスターの目の色が変わる。
遠くに見えたゴブリンとスライムがどんどんと近づいてきていた。
竜斗は、懐に納められている剣に手をかけ構える。
モンスターと戦うということに多少の恐怖こそあれ竜斗の精神は穏やかだった。
昨日のように不意打ちされるわけでもないし、武器もある。なにより危なくなればシルビーが助けてくれるというのが安心この上ない。
数メートルさきまでゴブリンが近づいてきたところで竜斗は攻撃を仕掛ける。
少し遅れて近づいてきているスライムに対しても警戒は怠らない。
ゴブリンに対して剣を振り下ろすとゴツンという鈍い音とともにこん棒によって阻まれる。防ぐためにゴブリンは両腕をあげており脇の部分ががら空きになった。そこを見逃さないと竜斗はすぐさま刃を返し、脇腹に切りかかる。赤い血しぶきを上げゴブリンは倒れた。
それと同時に手が届く距離にまで接近してきていたスライムに蹴りを叩き込むとそのまま吹き飛んでいった。
倒れたモンスター2体は淡い光を放つ。消滅したかと思ったが、光を放っただけで存在自体はそのままだった。その代わりと言っては何だが、どこから現れたのか、銅貨が数枚その場に転がっていた。
「昨日倒したモンスターは消えたわけじゃなかったんだな。先に俺の意識の方が消えたってか……ふふ」
いや、さすがに気持ち悪いな。
口に出さなかったことは褒めるべきだろう。竜斗は自分のしたくだらない思考に対し、後悔と恥ずかしさを感じていた。
「落ちた銅貨はたったの6枚か。これはかなり渋いな……だがこれで一つはっきりしたことがある……神様情報はあてにならない」
竜斗は落ちた銅貨を拾いながらそんなことを考えていた。
「しかし、倒したモンスターはどうすればいいんだろうな。アイテムを売ることもできるらしいけど持ち帰ることすらできなそうだ」
ふとシルビーが持っていたバックを思い出す。
「ああいうバックがあれば持ち運びも便利なんだろうが、普通に高そうだよな……今の優先順位はとりあえず街に行くことだしモンスターのアイテムは諦めよう」
森を抜け、整備された道に出ていたので、道は石畳で舗装されていた。
モンスターの死体が時間経過による消滅なのか、その場に残り続けるのかわからない以上、道のど真ん中に放置はできなかった。
「見た目ちっこいのに結構重いもんだな。スライムでも5キロくらいはあるんじゃないか」
ゴブリンとスライム両方の死体を持っていこうとしたが、想像以上の重さにゴブリンはひとまずその場に置いておく。
スライムだけ持ち森の方まで向かい木の下あたりにそっと置いた。
殺した感覚というはあまりなく、モンスターを倒したという方が感覚に近かった。
それでも命を奪ったことには変わりない。
竜斗は、後悔はしていないし、今後も自分が生きるためにモンスターを殺さなくてはいけないことも理解している。
だからこそ、供養する気持ち、命に対する感謝を忘れたくないと思った。
「とはいえ、このサイズの穴を掘るのも難しいしどうしたもんか……」
竜斗が悩んでいると不意に頭の上から声がかかる。
「モンスターはそのままでも大丈夫だよ」
シルビーは、いつの間に近づいてきたのか、太い枝に腰かけながら言った。
「そうなのか? じゃああのままでもよかったか」
「ううん。消えるっていっても30分くらいはその場に残ってるから避けておくのは正解だと思うよ。冒険者とかは圧縮の魔法かけてアイテムとして持ち帰ってるけどね」
「圧縮? シルビーの持ってるバックに入れる感じとは違うのか?」
竜斗には、シルビーのバックからわざわざ圧縮しているという印象も受けなかった。
「私のバックはそのまま入れても容量がほぼ無限にあるって感じ。冒険者のバックはバック自体の容量は変わらないからできるだけ圧縮してたくさん入れようって感じ」
「なるほどなあ。重量もその分軽くなるってことか?」
「そうそう、圧縮した分だけ重さも小さくなるの。だからいっぱい入れすぎるとさすがに重いみたい。私のバックに関しては重量も感じないようになってるからいくらでも入るけどね!」
どやっ、とシルビーは自慢げにバックを見せびらかしてくる。心なしか表情も煽っているようだった。
しかし、このバックに関しては正直うらやましい以外の何物でもない。出発前も思っていたがその気持ちがより強くなっていた。
「……じゃあ圧縮の魔法も冒険者をやるなら必須ってことであってるか?」
「なんか今の間が気になるけど、そうだね。でも圧縮にも適性があって誰でも使えるわけじゃないから普通はパーティ組んで使える人に使ってもらう感じだと思うよ」
魔法の内容的にはほぼ必須に近い魔法なのに適性があるとはこれまたいかに。
竜斗は、まだ魔法の適性があるかすらわからなかったがせめてこの魔法の適性くらいはあってほしいと切に願った。
前世の失敗の経験と後悔からこの世界ではできる限り人と関わろうと思っていたが、それでも不特定多数と関わる自信はない。
パーティを組むことも今後の流れとしておそらく必須であると理解はしているが、とりあえずソロで臨もうと思っていたので圧縮が使えないといろいろと困りそうだ。
「実際には圧縮の魔法適正ってわけじゃないんだよ。風と水の二種類の魔法を使ってるんだよ」
「二種類?」
「そう、違う種類の魔法を組み合わせることで新たな魔法を生み出してるんだよ。今でもいろんな組み合わせが試されて新しい魔法はどんどんできてるからね」
竜斗が魔法の属性について知りたいと言うのでシルビーはしょうがないなあ、と嬉しそうに言って説明を始める。
「まず、魔法の属性は大きく分けて火・水・風・土・雷・光・闇の7種類。光と闇は結構珍しくてあんまり持ってる人はいないかな。大体魔法適正持ってる人は3から4属性くらいは普通に持ってて、優秀な人だと5種類くらい、それ以上だともう賢者と呼ばれる人とかそんなレベル」
シルビーの説明はそのまま15分ほど続いた。
属性までは教えてくれなかったが自分は5種類使えるから優秀だとか、竜斗を運ぶ際に使った風魔法は実は調整が難しく使える人があまりいないとか、ポーションの生成にも魔法を使い緑ポーションを作るのはなかなか大変だ、とか。
自慢話がほとんどだったが嬉しそうなので竜斗は何も言わずに黙って聞いていた。
実際には有用な話もあり、適正があっても得意不得意があり魔法の強度は同じではない、光属性にはシールドを強化するタイプの魔法が使えるようで適正持ちは引く手あまただとか。
実際には魔力量が多ければ人に対してシールドを重ね掛けすることができるので、パーティに光属性持ちがいない場合にはそうするらしいのだが時間効率、費用対効果が悪いらしい。
「魔法も奥が深いんだなあ。マジで覚えること多すぎて混乱しそうだ」
腕を組みながらうんうん唸っている竜斗をシルビーはにやにやと眺めていた。
そんな時遠くから怒鳴っているような声が聞こえてくる。
「ちっ、こんなところにゴブリンの死体なんか放置してよ、回収するかどけるかしろよ。道のど真ん中に邪魔くせえ」
竜斗には思い当たる節がありすぎた。スライムといっしょに持ってくるはずだったゴブリンをつい放置したままにしていた。
「やばい。あれじゃあ文句言われても仕方ねえ」
急いで元の場所に向かう。
シルビーは少し表情を暗くし、コートのフードを被る。そして少し距離を置いて竜斗の後についていった。
「すいません、すぐによけますんで」
文句を言っていた主は馬車に乗っていた。
その男は全身を鉄のようなもので作られた鎧で覆い、背中には大剣を背負う見るからに戦士風な男。
その他には屈強な肉体を持ち拳にはテーピングが巻かれている武闘家タイプの男に、杖を持った魔法使い風の女が二人、二人ほど大きくはないが小さめの杖と腰には短剣を携えた男が一人。
パーティメンバー上限は5人までなのでおそらくパーティだろう。
「……生意気な目しやがって、こんな雑魚放置してんじゃねえよ」
不機嫌だということは判断するまでもない。こういう相手とはなるべく関わらない方がいいと竜斗は直感で理解した。
「なにぶん初心者なもんで大目に見てくださいよ」
ペコリと頭を下げながらゴブリンの死体を持ち上げる。幸いなことに馬車にいた他のメンバーは気にしているそぶりはなかった。
竜斗は、さっさといなくなろうとしたが視界に入った違和感に気づいてしまった。
馬車は馬が引くから馬車。じゃあこれは……
視界に入ったのは馬車の後ろの部分、荷車の部分を優に超え2メートル以上の巨体を持った存在。
顔のつくりは人に似ているがそれぞれのパーツは膨らんでいるように大きい。表情はなく常にぼーっとしている状態に近かった。
「てめえ、何見てんだよ。ん? ああこれが珍しいのか。まあ初心者には縁遠いものだろうな。こいつは愚かにも俺たちに挑んできたトロールだ。こんなやつでも車引くくらいは使い道あるしな。いらなくなれば捨てればいいし便利な奴隷ってわけだ」
ゲラゲラ下品に笑う姿に竜斗は嫌悪感を隠すのでやっとだった。
モンスターやトロールに対して思い入れがあるわけではないがただ目の前の男が不快でしかたなかった。
ぐっとこらえゴブリンをずらし終える。
「雑魚は片づけんのもおせえんだな。それにしてもさっきから不満げにこっち見やがってよ。今日は久しぶりの帰国だから勘弁してやるが、次会う時は態度に気を付けるんだな」
車を引くトロールに鞭を入れるとゆっくりと動き出した。
横を通過する際わざとらしく大きく舌打ちをする。馬車の中からも竜斗を馬鹿にするような声が聞こえていた。
「なあ……この世界では奴隷は一般的なのか?」
遠くからでも確認できるトロールの背中を見て、竜斗はシルビーに問いかける。
シルビーは自分自身の体をぐっと抱きながら答えた。
「……奴隷制度自体は普通にある……オーガとかトロールとかは人間よりも力があるからね。肉体労働的な仕事は奴隷を使うことも多いよ……」
異種族に対する嫌悪がある以上ひどい扱いを受けているのは明白だった。
さっきのトロールにしてもほぼ使い捨てのようなことを先ほどの男が言っていた。
「それにエルフもね……エルフは特に魔力が多い種族だからその魔力を狙っている人間はいるよ」
「そ、そんな……でもそう簡単に捕まるもんじゃないだろ。シルビーの動き見てたら捕まるとは思えないんだが」
「私とか戦士は別なんだ。そう簡単に捕まらないし、一般の冒険者なんて相手にならないけど普通は違う。魔力が高くたって戦闘に活かせるわけじゃない」
悲しそうなシルビーに対しかける言葉が思い浮かばない。
そんな竜斗の様子を察してかシルビーは明るく言った。
「でも魔力は休めば回復するから殺されるようなことはないし最低限の暮らしは保障されてる。それに異種族を嫌悪していることもあるから人間の慰み者にされることもない。そういう意味では貞操も安心だし大丈夫だよ……」
「大丈夫なわけないだろ!」
シルビーが無理をしているということがひしひしと伝わっていた。
そして、それを竜斗自身が言わせてしまったということも分かっていた。
だからつい語気が強くなってしまう。
「人間との間にどんなことがあったかはわからない。別に嫌っていてもいいと思う。でも、だからって奴隷にするって、そんなのおかしいだろ! 人間はそんなに偉いのかよ……」
「偉いとか偉くないとかきっとそういうんじゃないんだよ。みんながそうだからそう。昔から言われてきたからそう、みたいな感じ……でもね……」
シルビーはほんのりと頬を赤く染め、竜斗のことを見る。
見上げる形になるためフードによって隠れているが少し照れているのがわかる。
「竜斗はみんなと仲良くしてくれると嬉しいな。私たちエルフとも、それ以外とも……竜斗は普通の人と違う気がするから……」
竜斗は思っていた、もちろん人間からだけではなく、人間に対して嫌悪を抱いている種族もいるだろう。
それでもエルフと人間とでも流通があったり、他にも関りたいと思っている種族はいるのかもしれない。
これまでの軋轢をなくすことはほぼ不可能だろう。でもれそれに自分が乗っかる必要はない。
それに何より、奴隷、その言葉が死ぬほど不快だった。
「……わかった。きっとすぐには受け入れられないだろうし、そんなことを言う人間をよく思わない者もいるだろう。それでも俺はこんな世界でいいとは思えない……奴隷制なんてあっていいわけがない。俺はこの世界から奴隷をなくしたい……」
竜斗にとっては奴隷なんて言葉はなじみがなく悪そのものでしかなかった。
この世界では生活のために仲間を奴隷として売るようなこともあるのかもしれない。
必ずしも悪だとは言い切れない事情があるのかもしれない。
「だから、俺は奴隷を解放するために世界を回る! 大した目標もなく冒険者になるつもりだったが今目標ができた。異端だと思われても気にしない! 俺が胸張ってやれることを全力でやりぬいてやる!」
竜斗の宣言を聞いてシルビーはフードを取った。
「いい顔してるね竜斗!」
満面の笑みを浮かべながら言うシルビーに、竜斗は力強く返事をした。
「シルビーもな!」
少しの間二人は笑いあっていた。
竜斗は、この世界で最初に会ったのがシルビーでよかったと改めて思った。
そしてあわよくばこれからの旅も共にできればとひそかに思っていた。
「そういうことなら、私も竜斗についていくことにするよ!」
「へ?」
ひそかに思っていたことが簡単に叶ってしまい、気の抜けた声が漏れる。
「私がたきつけたようなところもあるし、竜斗と一緒にいたらいろいろと楽しそうだしね!」
シルビーは竜斗の腕に抱き着くと、からかうように笑った。
そしてすぐにぱっと離れる。
「それじゃあまずはお金稼ぐことからだね。私はまた木の陰から見てるから頑張って」
また一瞬のうちに居なくなるシルビーに自然とため息が漏れる。
呆れにも近い感情から出たため息だったが、竜斗の気持ちはどこか心地よかった。
「さてと、それじゃあモンスター退治といきますか」
竜斗は、かたわらに置いたゴブリンとスライムの死体に対し小さく手を合わせ、道の方に戻っていった。
森の中の方がモンスターは多かったが視界が悪い。
まだシールドを使いこなせない竜斗にとって不意打ちを受けることは危険を伴う。
モンスターを見つけては道からそれた方向に誘導し倒す。
道の真ん中で戦闘し、また変なやつに絡まれたらたまったもんじゃない。
竜斗はそんなことを考えながら、モンスターを倒していった。
モンスターとの戦闘を重ねていくうちにモンスターに与えることができるダメージは一定ではないことがわかってきた。
人間に急所があるようにモンスターにも弱点と呼ばれる部分があるらしい。
「まあ、とりあえずはこんなもんか」
結局現れたモンスターはゴブリンが4体とスライムが3体。
昨日倒したポーンゴブリンと今日倒したゴブリン計5体、スライム4体と合わせて銅貨は38枚になった。
少し心もとなかったがもう視界の先に街の外壁が見えてしまっていた。
高さ4メートルほどの石造りの外壁。街をぐるっと囲むように作られているが、その曲線部すら見えてこないほど巨大である。
所々櫓が設置されており、弓を携えた守備兵が待機している。ただあまり警戒している様子はなく、形だけいるという様子に見える。
正面には大きな木製の門が見える。馬車などの車が入れるくらいの正門とその横に人用の入り口が両側に一つずつ。
それぞれに門衛が付き入国料を徴収している。正門では車を引く者も多く、持ち込み品の検品も行われていた。
こちらも先ほどの守備兵と同様にあまりやる気は感じられない。とりあえずやっているだけという雰囲気が遠目からでもわかった。
「いくらこの辺のモンスターが弱いからって気抜きすぎじゃないのか」
街に近づくにつれ確かにモンスターの数も減っていた。
竜斗でもあまり苦労することなく倒せるモンスターだから、きちんと鍛錬した者にとっては何体来ても問題ないのだろう。
「モンスターが弱いのだけが理由じゃないんだよ」
またいつの間に現れたのかシルビーが答える。
「急に出てくるのやめてくれよ。びっくりするだろ……それで他の理由って何なんだ?」
「リヴィーザルみたいに大きな街はモンスターが入れないように結界を張ってるからね。だから気が抜けるのもしょうがないよ」
シルビーは外壁の方を指さし、視線を促した。
その通りに壁の方を見ると、一体のモンスターが見えない壁に阻まれ街に近づけないでいた。
見えない壁に沿って進んでいくうちに諦め森の方へ帰っていく。
「なるほど……確かにあんな感じなら気が抜けても仕方ないかもな」
「定期的に魔力の供給が必要だけど、この街には魔導士ギルドもあるし養成学校もあるから。養成学校では実習の一環として魔力供給をやらせるって聞いたことあるよ」
さらに詳しく話そうとするシルビーに対し、もうこれ以上覚えられないから、と竜斗は制止した。
そっか、と少し残念そうだったがシルビーは納得してくれたようだ。
「あ、そういえば……」
竜斗はシルビーに聞きたいことがあったのだと思い出した。
出会い方は最悪だったとはいえ、この世界に来て初めて人間を見て思ったことがあった。
「俺って……目つき悪いか?」
鏡もなく、自分の顔を確認する機会もなかった。
竜斗はそこまで知識があるわけではないが、異世界転生では容姿や性別も変わることがあるという。
コンプレックスだった目つきの悪さも、もしかしたら変わっているかもしれないと淡い期待を抱いていた。
しかし、さっきの嫌味な男からの、生意気な目、という言葉のせいで気になってしまったのだ。
「うーん……そうだねえ……」
若干言いづらそうに渋っていたが、うん、と一人納得して頷くと、
「でも私は好きだから大丈夫!」
ぐっ、とサムズアップしにこやかに微笑む。
その言葉がすべてを物語っていた。
「そうか……」
「で、でもねちょっと目がこう吊り上がってて、怒ってるぽく見えるだけで、格好いいと思うよ! それに笑ってる顔はすごく優しそうだし!」
竜斗が落ち込んでいるのを察してか必死に取り繕うように言葉を並べる。
様々なことについて説明している姿は少し大人っぽい雰囲気があるのだが、時折見せる姿は見た目相応に幼かった。
「まあ、こればっかりは仕方ないしな……変なこと聞いて悪かった……」
「ううん、全然大丈夫だよ! あっ、そういえばお金はどれくらいたまった?」
「ああ、まだ実は銅貨40枚もないんだよ。もう少し稼いでからっていうのが本音だが……」
シルビーが話題を変えようとしてくれているようなので竜斗もそれに乗っかる。
お金が足りないというのは紛れもない事実だったが、すでに太陽はかなり高い位置に来ていた。
1時間くらいで着くと言われたのに関わらずもう少なくとも3時間は経過していたのだ。
モンスターとの戦闘やら、魔法についての説明やら、様々なことに時間を取られてしまっていた。
案外近いようで遠かった。朝食をとったとはいえ少しお腹もすいてきている。
「だったら、入国料だけ自分の分出してくれればあとは私がおごるよ! これから一緒にいるんだったらおごってもらう機会だってあるだろうしね」
シルビーはいっしっしといたずらっぽく微笑む。
「任せとけ。今日出してもらった倍以上にして必ず返してやるからな」
意気揚々と返事をし、微笑み返す。
竜斗が、これから一緒にいる、という言葉に得も言われぬ喜びを感じていたのはシルビーにもなんとなく理解できたのだろう。
ずっとにやにやと笑っているシルビーを横目に見ながら、正門に向けて歩き出した。
フードを深くかぶりなおし、シルビーも竜斗の後を追う。
近づくにつれ街の喧騒が大きくなっていき、先ほどまでの森の静けさとは一変していった。
初めての街に高揚感を覚えながら竜斗は歩く。
早歩きになってたよ、と笑いながらシルビーに言われ恥ずかしくなったのは、また後の話である。
説明多めで少し長くなってしまいました。
竜斗たちの現在地
ラグナリア大陸 リヴィーザル王国 リヴィーザル王国領内 ブレイトの森
森を抜けてもう少しで入国するところ