4 命の恩人
エルフ。存在としてはとても有名であり様々なゲームや物語に登場する。人と容姿にそこまで大きな差はないが、異なる点としてやはり耳が特徴的だ。そのとがった耳はエルフ耳と呼ばれることもある。
エルフは美男美女で語られることが多く、実際目の前にいるシルビーもとても整った容姿をしていた。
神様とはまた違う美しさである。神様が大人の女性的な美しさだったのに対し、シルビーはどこか子供っぽさも兼ね備えた、愛らしい美しさだった。もっとも神様も見た目が大人っぽいだけで中身は十分子供っぽい部分もあったのだが。
「助けていただいてありがとうございました。俺……私は神崎竜斗といいます」
体を起こし、ゆっくり立ち上がろうとするが体がふらついてしまう。
「ああ、まだ起きない方がいいですよ。結構ケガもひどいみたいですから。ああ、ちょっと触ってしまってごめんなさい」
竜斗が立ち上がろうとしたところをシルビーに抑え込まれそのまましりもちをついた。ケガをした左の脇腹辺りには包帯が巻かれていたが少しまだ痛む。
改めてシルビーを見ると思っていた以上に小柄だった。身長は150センチくらいだろうか。竜斗とはちょうど頭一つ分くらい違いそうだった。
「すみません、ご迷惑をおかけしてしまって。ケガの治療のためにここまで運んでくれたんですよね? シルビーさんは命の恩人です」
意識を失った人間というのは体重以上に運ぶのは大変だ。それなのにこんな小柄な少女が運んでくれたのだと思うと竜斗はますます申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「いえいえ、風魔法を使ったので運ぶこと自体はそんなに大変じゃなかったですよ。ちゃんと宙に浮かして運びましたから。それにしてもなんであんな場所にいたんですか?」
魔法という言葉がさらっとでるあたりやはり異世界である。
「それが……どうやら記憶に問題があるようであまり覚えていないんです。街に行こうとしていたことはなんとなく覚えているんですけど……」
適当な嘘はすぐにばれる。そのことを竜斗もわかってはいたが、現状を乗り切るためには追及されない方法、記憶喪失という逃げ道しか思いつかなかった。騙すようで心苦しかったが、異世界から来ましたとでも言えば異端者だとこの場で殺されないとも言い切れない。
「覚えていない、ですか……」
視線を下ろし、表情が暗くなる。小さくため息のようなものをつくと肩をわなわなと震わせた。
「あの……シルビーさん?」
恐る恐る下から顔を覗き込もうとする。そんな竜斗の肩をがっと勢いよく掴み、
「それは、大変でしたね! あんな、森で、ぇぐ。たった、一人でぇ……」
そう言うシルビーの瞳からは大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちていた。
見ず知らずの人のためにこんなに泣いてくれる。そんな姿を見て竜斗はますます申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。
「……ぐす、でももう大丈夫です! 竜斗さんが街に行くまではしっかりと私が案内しますので!」
肩にかけていた手をすっと下ろし、竜斗の両手を力強く抑え込んだ。言葉はないが、任せてください!、そう目で訴えかけているようだった。
「あ、ありがとうございます」
少し気圧されながら竜斗は答える。涙と笑顔が混じったようななんとも言えない表情のシルビーを見ると自然と顔はほころんでいた。
シルビーが落ち着くまで数分かかったがその間も竜斗の手を離してはくれなかった。その小柄なサイズ感も相まって、妹がいたらこんな感じなのか、と内心思っていたのは内緒である。
「……はあ、すみません、お見苦しい姿をお見せしました。それに手も握ってしまってごめんなさい……とりあえず今日はもう遅いのでよければここに泊まっていってください。エルフ用の中継所みたいなものでちょっと狭いですけど、ここは安全ですので」
今更になってあたりを見ると、確かに少し狭めなところだった。木材でできた小屋、という表現が適当である。
「それは、とてもありがたいですけど、いいんですか? 俺は一応男なんですが……」
竜斗に手を出す気など全くなかったがさすがにこの狭さに二人で一泊というのは問題がある気がした。むしろ男のプライド的には問題があると言ってほしかった。
「えっと、むしろ竜斗さんの方こそ私のこと大丈夫なんですか……? こちらから提案しておいて言うのもなんですけど……」
大丈夫、という言葉の意味が竜斗にはわからなかった。危ないところを救ってくれ、ケガの手当までしてくれ、さらには泊めてくれると言い、さらにさらには街まで案内してくれるという恩人に対して”大丈夫”とはどういうことだろうか。
「私のこと大丈夫ってどういうことですかね? 襲うつもりだとしたら助けるなんてことしないと思いますし……むしろ迷惑かけてるのはこっちの方だと思うんですけど……」
「いえ、私の方が迷惑かけてしまっているかと……勝手に手当した上に、こんなところに連れてきて、他の人間に見られたら竜斗さんがどうなるか……」
どうも話がかみ合わないと竜斗は感じる。そんな様子を察したのかシルビーはあのーっと口を開いた。
「もしかして、竜斗さんは異種族が平気なんですか?」
「いや、全然大丈夫です、けど?」
よく意味を考える間もなく、竜斗は反射的にそう答える。
「えっ?」
シルビーは目を丸くして驚きを隠せない様子だったが、竜斗の方も驚きを隠せなかった。
「ええと、普通はダメなものなんですか?」
「え、ええ、もちろんです。私たちエルフやその他の種族も人間からは嫌悪の対象とされています。商人同士の取引等少しは人間との関りもありますがそれくらいです。近づこうとする人間などいません……」
少し悲しそうな表情を浮かべているシルビーに胸がぎゅっと締め付けられるような思いだった。
「触れられると呪いがうつる、天災はこいつらがもたらしている、魔物が現れるのはお前たちのせいだ。いろいろ言われることもありました……」
竜斗にはこの世界の文化はわからない。この世界での常識だと言われればそれまででしかないが、どうしても納得できなかった。
「俺は、大丈夫です!」
シルビーの手を今度は竜斗の方から握る。
「え、あの、ちょっと!」
焦っている様子のシルビーに対して構わず続ける。
「普通がどうとか俺には関係ない! むしろさっき手を握ってくれたりとか嬉しいくらいだったし!」
興奮気味に手を握ってしまったことを後悔して竜斗は手を離した。
「あっ、ごめん。俺から触れるのはまた別だよな」
しかし、その手は離れることなく暖かい感覚に包まれた。
「…………あの、本当に嫌じゃないんですか?」
竜斗の手を包み込んだシルビーの手は小さく震えている。
異種族を虐げてきた背景があったなら竜斗を救う行為も一歩間違えば自殺行為だ。
それでも助けてくれた、人間たちにどう思われているか知っているのに明るくエルフだと名乗り、優しく接してくれた。
答えるべき竜斗の言葉はただ一言。
「もちろん」
満面の笑みを浮かべながらそう答える。
シルビーの手の震えは少しずつおさまっていった。握る手にもさっきよりも力が入っているようだ。安堵する様子を竜斗は手の温もりから感じていた。
シルビーが落ち着くのを待って、ここがどことかそういう話を聞いた。
「今私たちがいるのはラグナリア大陸、リヴィーザル領というところになります。比較的出てくるモンスターのレベルも低く、初心者の冒険者も多くいますね」
「ということは、俺を襲ってきたモンスターも低レベルってことですか?」
質問をしておいて、竜斗は背筋に寒気を感じる。いくらこの世界に来たばかりとはいえ低レベルモンスター相手に簡単に死にそうになる世界は恐ろしすぎる。
「竜斗さんを襲っていたのはポーンゴブリンです。確かにレベルは低かったですが、普通のゴブリンやスライムに比べればはるかに厄介なので気を落とすことはないですよ」
竜斗の落ち込む気配を察してか優しい言葉を投げかける。竜斗は少しだけほっとしていた。
「とりあえずリヴィーザルの街に着くまでは私も一緒に行きますので安全は保障しますよ」
胸を張り、こぶしをぽんぽんと叩いて見せる。
「そういうことならお願いします」
竜斗はシルビーに対して頭を下げる。
ぐぅ~。
はっとして顔を赤らめる竜斗に、
「先にご飯にしましょうか」
ふふっと笑いながらシルビーは答えた。
シルビーの作る食事はとてもおいしかった。異世界ということで食事の概念すら違うのではないかと心配していたが杞憂だった。
キノコのステーキや、薬草のサラダ。木の実のコンポートなど素材の味を活かしつつもしっかりと料理になっている。
「エルフは肉や魚、卵は食べることができないのでちょっと物足りないかもしれないですけど」
「いや、すごくおいしいです!キノコのステーキとか肉厚で歯切れもよくて、いくらでも食べられそうです!」
空腹ということも重なり、ナイフとフォークが止まらない。
そんな竜斗のことを嬉しそうに見ていたシルビーだったが、少しバツが悪そうにもじもじしだす。
「シルビーさん、どうかしたんですか?」
「あの、ちょっとお願いがありまして……」
「……はい?」
少し目線を泳がせたあと意を決したというように正面を向く。
「……敬語、やめていただいてもいいですか?」
竜斗にとっては拍子抜けだった。何をお願いされるものかと身構えていたがその力も抜ける。
人間に虐げられてきた歴史がある以上、敬語というのは慣れないのかもしれない。
「俺としては、命の恩人に対して礼儀をもってと思ってたけど、お願いされたら断るわけにもいかないですね」
ごほんと、小さく咳をする。改めてとなると少し緊張してしまう。
「本当に助けてくれてありがとう、シルビー」
しかし竜斗はどうしても納得できないところがあった。
「俺は、シルビーに助けてもらって本当に感謝してる。種族とか国とかいろいろなしがらみがあってすぐには無理かもしれないけど、少なくとも俺に対しては対等でいてほしいと思ってる」
精神の根幹に植え付けられている劣等感。それをいきなりなくせと言っても無理があるのは竜斗も理解している。それでもこのままではいたくないと、そう心から思った。
「えっと、それはどういういうことですか?」
シルビーの困惑気味な問いに対し間髪入れずに竜斗は答える。
「俺に対しての敬語もなくしてほしい」
きっぱり言う竜斗の様子にシルビーの困惑具合は加速していた。でも、と口を開こうとするがまっすぐ真剣な表情のままな竜斗を見て口をつぐむ。
そして、意を決しゆっくりと口を開いた。
「あ、ありがとうござい、ううん、ありがとう、竜斗」
少し照れながらふふっと笑う。その姿はさっきまでのしっかりした印象から急に幼く感じる。やっぱり妹みたいだなと思っている竜斗だったが、
「わたし兄弟いないから、弟いたらこんな感じなのかもって一瞬考えちゃった」
「弟かい!」
思わず突っ込まずにはいられなかった。
顔を見合わせお互いに笑顔がこぼれる。自然と落ち着くそんな感じだった。
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他愛のない会話を楽しんでいるといつの間にか夜になっていた。明日に向けてもう寝ようという時に、シルビーはそうだ、と思い出したように続ける。
「竜斗には特別にこれを差し上げます!」
シルビーは意気揚々と宣言すると、横においてあるカバンから小さな瓶を取り出した。
「たららたったらー。ポーション!」
聞き覚えのあるようなリズムでカバンから取り出す。青く透明な瓶の中に液体が入っている。
「ポーションって聞いたことあるけどどういうものなんだ?」
「ポーションはね、回復薬なんだよ。緑、青、紫、赤の順で質が高くなるんだ。普段はそんなに使わないけどね、竜斗の場合はケガまでしちゃってるから」
「普段そんなに使わないってどうしてなんだ? 冒険してたらケガくらいするものじゃないのか?」
そんなに使わないのが、高価だからという理由でないことを竜斗は願う。くれると言われても貸しを作りすぎてしまう。
「冒険する人はねみんな体の表面にシールドっていう魔法をかけてるの。このシールドだけは適正関係なく全員が使えるんだよ。もちろんシールドの強さには個人差があるけどね。それで、モンスターからの攻撃はこのシールドが守ってくれるの」
その後もシルビーはシールドについての説明を続けた。
竜斗は聞いた内容を簡単に整理する。
シールドは誰にでも使える魔法である。使用する魔力量によって強度に差が生まれる。シールドを強化する支援魔法も存在し魔法が苦手な者や前線で戦う戦士などには支援魔法をかけて戦闘を行う。モンスターの攻撃はシールドがある限りはシールドが受け、直接的に肉体へのダメージはない。しかし、衝撃などは存在し吹き飛ばされることもあり、シールド以上のダメージをくらうとシールドを貫通してダメージを受ける。また炎や氷の魔法などの温度変化はシールド関わらず体に直接影響を及ぼす。
そして最後にシルビーが告げたことが竜斗にとって一番衝撃的だった。
「そして最後に、シールド貫通してケガしたときは薬草を使うか、ポーション使うか、自然と治るのを待つかしかないからね。魔法って便利だけどケガを治すものはないからね、あったらいいんだけど……まあでもケガするまで戦わない、それが一番大事なことだよ。引き際を見極めるのも冒険者としての心得だから」
シルビーは一通り説明を終えると満足そうな表情を浮かべていた。そして中ば強引に竜斗の手にポーションを渡す。
「竜斗のケガはあと3日くらいで治ると思うから、無理して飲まなくてもいいからね。ポーションっておいしくないんだよ」
うへ、と舌を出しおいしくないのポーズをとる。
シルビーはもう一度ふふっと笑うと寝床の準備を始めた。
(ケガを治す魔法はない……じゃあ俺のこの力はなんだっていうんだ……)
ゴブリンとの戦闘で起きたあの不思議な現象。てっきり回復魔法だと思っていただけにこの事実は衝撃的だった。
「どうしたの竜斗? やっぱり傷痛む?」
ぼーっと固まっている竜斗にシルビーは心配そうに声をかける。
「いや、大丈夫だ。ポーションがどんだけまずいんだろうって思ってただけだから」
「あは、なるほどね。苦いっていうか渋いっていうか、とにかくおいしくないから」
(まあ、あの光については今気にしても仕方ないか。そのうちわかるかもしれないし)
竜斗は一旦あのよくわからない力については考えるのをやめた。
「ちょっとこれはどういうことだ……」
「え、何がですか?」
「ごまかそうと敬語になってるんだが」
寝床の準備をしていたシルビーだったが、布団を敷き終えたようで布団の中に体を入れている。
それだけだったらいたって普通の光景だった。
「なんで布団一つなんだよ。ちょっと大きめでスペース的には余裕あるけど、しかも枕の位置も近くないか」
ちょっと大きめの敷布団に二つ感覚を開けずにおかれた枕。その一つの場所はシルビーが陣取っていた。
「そもそもここは一人用だからね。布団はもともと一枚しかないんだよ。枕はいつも二個使ってるから余ってただけ」
何か問題ありますか、といった様子でつらつらと答えるシルビーに竜斗は反論する気もなくしていた。
「はあ、まあシルビーがいいならいいけどさ。男としては複雑だよ……」
「竜斗はすごく魅力的でかっこいいから安心して! でもやっぱり弟みたいなものだからね!」
適当にあしらわれている感が強いが竜斗はまあしょうがないかという気持ちだった。
(まあ、俺からしても妹みたいな感じだしな。妹に手をだすやつは、いないよな……)
やれやれと布団に入る。その様子に納得したのか少しシルビーは嬉しそうだ。
明かりを消すと一気に空気が変わった。外の木々が揺れる音、葉が擦れる音、風が通り抜ける音。
長い一日がようやく終わる。そして新しい日々がこれから始まるのだと竜斗はしみじみ感じていた。
すると不意に体の右側に熱を感じる。顔を向けるとシルビーの顔がすぐ横にあった。
「ねえ……ちょっとだけくっついててもいい? ……寝るまでの間だけだから」
ああ、と短く返事をすると、安心したようで腕にぎゅっと抱きついてくる。
しばらくするとシルビーの呼吸はすーすーと寝息に変わった。
姉ぶって振舞っていたがその寝顔はまだ少女そのものだった。
「やっぱり、妹だよな……うーん、妹よりかは甘えたがりの娘かね……子供いないけど……」
竜斗にはシルビーが単に甘えたいだけではない事情があるように見えた。この様子を見ているとさっきまでが無理して振舞っているように思えてくる。
「前の世界では一人でいることが多かったけど、この世界ではだれかと一緒にいられたらいいなあ」
シルビーの頭を軽くなでる。寝息が一瞬止まり、口がもごもごと動いた。
そんな様子をふふっと笑い、静かに呟く。
「おやすみ」
怒涛の一日を締めくくるのはそんな優しい言葉だった。
10時か22時投稿です。
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