2 終わり始まり
目を開けるとそこには見たことのない景色が広がっていた。
「っ……」
本当に驚いたときに絶句するというのはどうやら事実らしい。あらゆる感情が胸の中に広がっていくのを感じる。
周囲は森で困れていた。しかし、知っている森ではない。木の大きさも尋常じゃなければ、木の種類も見当がつかない。それになにより、木の陰にいる生き物。それが生き物であるかすらわからないのだが、何か動く物体がいた。
「あれは、なんだ……」
木の陰から慎重に様子をうかがう。危険なものかどうかはわからないが、わからない以上警戒しておくに越したことはない。
「何か、食べているのか」
その生き物は確かに食べているように地面に頭を下げていた。肉を裂く音。ぐちゅぐちゅとえぐるような音が聞こえてくる。
さらに慎重に近づいてみるとようやくその生き物の全容があらわになった。その肌はくすんだ緑色をしており明らかに人ではない。大きさとしては大きいわけではない。身長にするとおおよそ120センチくらいだろうか。その目は鋭く目の形が人とは違う。爪も長く鋭い。くらいついている動物らしきものの肉をその爪で簡単に切り裂いていた。そしてもう一か所明らかに違う部分。頭の部分からは、長さ20センチほどの白くとがった『角』が生えていた。
「なんだ、あれ……」
思わず零れた言葉にその生き物は耳をピクリと動かした。
慌ててはっと口元を抑え木の陰に身を隠す。
(マジで、なんなんだあれ。明らかに人じゃないだろ。それにここも一体どこだっていうんだよ)
頭を抱えながら小さくため息をついた。頬をつねってみても何も変わらない。ただ痛いという普通の反応を体が示すだけだ。それならと目をつぶってみても木々のざわめく音、風の唸る音、自身の呼吸の音のすべてがここが現実なのだと非情にもたたきつけてきた。
現状を理解する間もなく、先ほどの緑物の生物はあたりをきょろきょろと見渡し始めた。やはり先ほどの声が聞こえていたらしい。貪る手を止めゆっくりとこちらへ向かってくる。
木々を踏みしめるぎしぎしとした音が少しずつ近くなってきた。
口元に手を当て息をひそめる。
(あれが何なのかはさっぱりわからないが関わらないに越したことはないよな)
思考を巡らせるその刹那、鈍い音とともに視界がゆがんだ。
「がはっ……」
体は吹き飛ばされ地面に転がる。
「くそっ、いったい何が……」
地面に這いつくばり何とか頭をあげる。
「……嘘、だろ……」
目の前には先ほどまで生き物を貪っていた緑色の生き物、とは別に、もう一体緑色の生き物が立っていた。その手にはこん棒のようなものを持ちニヤッと不気味な笑みを浮かべている。
初めから一体であるなんて確証はどこにもなかった。ただこのあり得ない光景に呆然としていた。考えが及ばなかった。
おそらくあのこん棒で殴り飛ばされたのだろう。ずきずきと痛む額に手を当てるとどろっとした感触が手にあった。手は赤く染まりぽたぽたと血が流れる。
「こんだけ血が出るってことはいよいよ現実ってことか。ははっ、笑っちまうよな。何がどうなってこうなったのかさっぱりわからないが俺はまた死にそうってことだけはわかるぜ」
ふらふらと立ち上がり血で染まる手をぐっと握る。目の前の2体の怪物はお互いに顔を合わせ下品な笑い声をあげた。これからごちそうにありつけると言わんばかりに舌なめずりをし、その口からはよだれがこぼれる。
「よくわからんがこれは最近はやりのあれか、異世界転生とかってやつなのかもな。見たことない景色、見たことない化け物……ははっ」
自分で言ったことにもかかわらず、突拍子の無いこと過ぎて自分でも笑ってしまう。
「だがな、転生だっていうんだったら俺はもう死ぬ気はない。つうか生まれたばっかで死ねるかよ!」
額の傷を手で拭う。額に当てた瞬間手が淡い緑色の光に包まれていくのを感じる。どことなく暖かく不思議な感覚だった。
「なんだこれは?」
数秒間光に包まれたかと思うと体が軽くなった感じがした。それに先ほどまで感じていたずきずきとした痛みも感じない。拭った手を見てみると先ほどまであった血の跡もなくなっていた。
「どういうことだ……」
半信半疑で傷跡をそっとなでる。さらっとした感触。血が流れるどころかその傷跡すら完璧になくなっていた。
「……回復した?魔法ってやつなのか」
魔法、ゲームなどではよく耳にする言葉だった。攻撃魔法だったり、防御魔法だったり、回復魔法だったり。どういう原理で発動しているかはわからないがMPなるものを消費して魔法を使うゲームはよくあった。
「まあ、異世界っていえば魔法がつきものだってのはなんとなくわかるけど、まさか本当にあるとはな」
一瞬のうちにして傷を治してしまった自分の手をじっと眺め、ぐっと握りしめる。
「だがこれなら!」
怪物に手を向け力を込める。頭の中で攻撃するための魔法をイメージし力強く叫んだ。
「ファイア!」
イメージでは完璧だった。怪物の体に直撃し炎で燃え上がる。うめき声をあげながら地面をのたうち回る。
しかし、結果として何も起こらなかった。
「イメージが足りなかったか……それとも炎の魔法は適正?ってやつが俺にはないのか。それともレベルが足りないとか、そもそも覚えていないとかいろいろあるってことか」
なけなしのゲーム知識からそれっぽいことを引っ張り出す。今はのんびり考えている暇はない。怪物たちは魔法の不発をげらげらと笑っていた。
「じゃあこれなら!」
もう一度怪物に向けて手を挙げる。
「ブリーズ!何も出ないか、じゃあ、サンダー!これもだめかよ。ウインド!ウォーター!」
それっぽい言葉を連呼しても結果は変わらない。その挙げた手からは何も出ることはなかった。
「くそっ」
この世界のことをあまりにも知らなさすぎる。発動に必要な条件すらわかりやしない。だが、目の前の怪物たちは考えることを許してはくれなかった。
一瞬のうちに目の前まで詰め寄りこん棒を振り上げる。もう一体も鋭い爪を光らせながら向かってきていた。
「魔法もなんもなしにやるしかないってことかよ!こんなとこで死ぬわけにはいかねえからな!」
もはや考えることを放棄した。先ほどまで感じていた恐怖心もどこかに行ってしまっている。そんなことを考えるよりも今自分に向かってきている命の危機を何とかする方が先だ。
目の前で振り上げられたこん棒を間一髪でかわす。地面には振り下ろされた跡が広がっていた。
「こんなもん振り回してんじゃねえよ!」
化け物の腕に向かって蹴りを入れる。体が若干へこみ化け物の表情が少し曇る。化け物というから体が鉄のように固いとか最悪のことも考えていたがさすがにそこまでではないらしい。
蹴りを入れられた化け物は飛びのくともう一体に目線を送る。小さく頷くとお互いに方向を変え挟み込むようにして向かってきた。
「ちょっと待てよ!そんなのせこいだろ!」
こん棒持ちの化け物の攻撃を先ほどと同じ要領で躱しカウンターを入れる。しかし、それと同時に鋭い痛みが走る。
「くっ」
服は破れ、大きな切り傷ができる。血がじわっとにじみ服には赤い染みができていた。
爪についた血を舐め、げらげらと笑う。それに同調するように蹴り飛ばした化け物も笑っていた。
「なんで、化け物のくせにそんな連携とるん、だよ……」
痛みに表情をゆがめながら冷汗が垂れるのを感じた。痛みをこらえながら先ほど額を直したイメージで背中に触れる。
「これは、いけんのか……?」
試そうとしたほかの魔法同様に発動しないとなれば本格的に死を覚悟するしかない。MP的なものが足りなく発動しないということだったなら回復も無理なはずだ。
その不安は杞憂で終わった。触れたと同時に先ほどのような淡い緑の光に包まれた。傷跡はきれいになくなり、痛みも感じない。
「これは、使えるのか……どういう原理かはわからないがとりあえず回復はできるらしいな」
しかし、安心してもいられない。発動条件がはっきりしない限りもう使えない可能性も全然あり得るのだ。
(ひとまずなるべくケガしない方向で何とか戦うしかないってことか。まったくダメージが入ってないってこともなさそうだしな。だが、こんな化け物が連携取るってどういうことなんだよ)
愚痴をこぼしながらも生きるためには戦うしかない。それは理屈とかではなく肌でひしひしと感じていた。
化け物の攻撃はかわせないというレベルではなかった。確かにスピードは速くその力も驚異的だ。だがモーションは大きくしっかりと見ていればかわすことはできる。一体分なら。
(くそっ、一体だけなら攻撃はかわせる。気を抜かなければしっかりとカウンターも入れられる、だがっ)
化け物の攻撃の連携は完璧だった。タイミングを合わせ死角を確実についてくる。致命傷はかろうじて避けていても傷を負うことはまぬかれない。
そんな状況だったが化け物側にも確実にダメージは入っているようだ。こん棒持ちの方に集中し一体だけを攻撃し続ける。余裕そうな表情をはじめこそ浮かべていたが次第にその表情も曇りだす。
(このままいけば倒せるか。とはいえ俺の方ももうボロボロだ。ここらで回復を入れた方がよさそうだな)
回復を使うのは抑えていた。やはり使える確証がない以上使いすぎてはいけないと思っていたからだ。化け物と距離を取り体に触れる。
「なっ……」
しかし、体には何も起こらなかった。傷は傷のまま生々しく血が滴る。全身が軋むように痛い。傷口はもちろん、武器も何もなく殴ったり蹴ったりしていたのだから手も足も痛い。
(このタイミングでこれってマジかよ……)
回復が発動しないことで動揺してしまった。気が付いた時には距離を詰められ、頭上からこん棒を振り下ろされた。意識が飛びそうになる。痛みと衝撃とが合わさり感覚すらなくなりかけていた。
(……転生だとしてすぐにこれって神様も優しくないもんだな……)
消えゆく意識の中最後の力を振り絞りこぶしを振り上げた。手の感覚はすでになくなっている。それでも最後のパンチが当たっていたということは、吹き飛んでいった怪物の姿で分かった。怪物の体はもう起き上がることはない。淡い光とともに少しずつ消えていった。
(何とか……一体は倒せたな……さすがにもう体が動かない……)
体の力が抜けていく。全身に痛みが襲い掛かってくるがそれすらはっきりとしない。
鉛のように重くなっていく瞼の向こうで化け物が近づいてくる。
(短い2回目の人生だったな……)
ビュンッ!
唸るような音が一瞬だけ聞こえた気がした。
おぼろげな意識の中、化け物を何かが貫くのが見えた。
「ちょっと君!大丈夫!」
そんな声が聞こえたような気がしたがはっきりとはわからない。
そこで意識はプツンと途絶えてしまった。