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リル・ファーナが愛した悪魔  作者: 瀬河 柊
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魔界筆頭名家「ディスカナン」


 契架が青騎士の少女と遭遇してから数日。特に日常には何という変化も無く、一応穏やかに日々は流れている。

 この時期にしては珍しく今にも雨が降り出しそうな曇天の下、アライズはいつものようにセルリアとの面会場所と定めている森の一角に足を運んでいた。

 とりあえずはあの日以降何事も無いが、この森の悪魔への討伐指示が出たのであれば遠からず自分を殺すべく青騎士はまた現れるだろう。

 実を言うとアライズにとって、そんなことはどうでも良かった。本当に殺しに来たとしてもあしらえる程度の能力はあるし、例え殺されたとしても、それはそれで構わなかった。

 問題はそこではなく、リルの言葉と自分の中に芽生えているのかもしれない感情。だがそれを認めることは決して出来ない。それがリルの為でもあるし、アライズ自身の願いの為でもある。

 いつの間にかこの三人での生活を心の何処かで楽しいと思っている自分がいることを否定出来ないことに、いまさらになって気付いたのだ。しかしそれではいけない。もう時を選んでいる場合ではないのかもしれない。

「…一刻も早く、終焉を…。」

 アライズが小さく呟いた時、程近い樹の麓に一陣の風が巻き起こった。考えているうちにセルリアとの待ち合わせ場所まで辿り着いていたのだった。風が止むと同時にその場にはセルリアの姿が出現する。

「アライズ様、お待たせいたしました。」

「…あぁ。」

 急に現実に引き戻され、アライズはやや気のない返事を返す。

「如何されましたか?」

 そんなアライズの妙な様子に幼少から仕えているセルリアは敏感に気付くが、アライズはフードの下で小さく頭を横に振っただけだった。

「…それではご報告の方からですが。」

 これ以上言葉を重ねてもアライズが答えないであろう事を理解しているセルリアは速やかに話を進めだしたのだが。

「…待て。」

 いつもは黙って聞いているアライズが唐突にセルリアの言葉を止めた。

「はい?何か…?」

 そんな事は初めてでセルリアも戸惑ったように、開いていた手帳から顔を上げた。しかしアライズは斜め下を見つめたまま続きの言葉はない。

「アライズ様…?」

 訝しげに呼びかけるが、アライズは顔を上げない。しばしの沈黙の内に垂れ込めていた曇天からポツリポツリと雫が落ち始める。

「…ない。」

「え?」

 それは降り出した粒の大きい雨が木の葉を弾く音にさえ掻き消されそうなほどの細い声だった。

「我はもう、魔界に興味は無い。」

 幾らも経たぬうちに勢いを増していく雨の中、アライズが吐き捨てるように冷えた声でそう言い切った。

「報告にももう来なくていい。向こうがどうなろうと知ったことではない。…もう、どうでもいい。」

 アライズは顔を上げない。セルリアの立つ場所は丁度生い茂った木々の葉が傘となりさほど濡れないが、アライズのローブは既にじっとりと水分を含んでいる。フードから僅かにはみ出している艶やかな黒髪からも絶え間なく雫が落ちていく。

「アライズ様!何故、そんなことを仰られるのですか!?」

 もう何年もこうしてアライズの元を訪れ、数知れぬほど報告と魔界へ戻るよう説得を続けてきた。その都度素気無くあしらわれてきてはいるものの、これほど冷たく切り捨てるような言い方をされたことは一度だって無い。

「魔界も人界も、もうどうだっていい。我には関係ない。」

「アライズ様!」

 しかしアライズはこれ以上に話は無いと言わんばかりに、くるりと身を翻す。そして一度もセルリアと目を合わせぬまま、雨を吸いより一層濃い色合いになったローブを大きくはためかせ、その場から転移してしまった。


 不意に降り出した雨に契架は慌てて館に向かって走り出した。青騎士の少女との遭遇以来、何となく気持ちが落ち着かず宛てもなく森を散策することが増えていた。酷くなる前に帰ろうと出来る限り足の回転速度を上げて走るが、無常にもあっという間に雨は勢いを増していく。その時だった。

「アライズ様!何故、そんなことを仰られるのですか!?」

 雨音の中、動揺を含んだ声が契架の耳に届き、思わず足を止めた。もちろん止まったのは聞こえた声が動揺に揺れていたからでも、凛とした女性の声だったからでもなく、その名前に反応したのだ。

「アライズ様…?」

 思わず雨のことも忘れ、声のした方に足を進める。森の道から外れ少しばかり進んだ先に、木々の開けた場所があることに気付く。その場所に立っているのは雨に濡れ、より濃い色合いになった馴染みの濃紺色のローブを羽織る長身。間違いなくアライズその人である。そしてその正面に生える木の麓に立っている女性には見覚えがないが、恐らく契架の耳に届いた声の主であろう。

 特に足音を押さえたりはせずに近付いているが、雨音のせいかそれともその状況のせいかは不明なれど、二人とも契架に気付く様子はない。

「魔界も人界も、もうどうだっていい。我には関係ない。」

「アライズ様!」

 契架が聞いたこともないような冷たく冷え切った声音でアライズはそう言うと、どこかへ…恐らくは館へだろうが、転移してしまった。残された女性はしばし固まったままだったが、少ししてから俯いた。その整った顔は驚きと悲しみの表情に歪んでいる。

 契架はしばし躊躇ったが、ひょっとしたらアライズが自分たちには決して話してくれない側面を知れるかもしれないと考え、女性の方へと再び歩き出した。木々の開けたその場所に契架が踏み込む頃になって、ようやく草を踏みしめる音に気付いたのか女性がバッと顔を上げた。二人の黄色い眼がぶつかり、女性は大きく目を見開いた。

「…ハーフ?」

「あの…、盗み聞きしてごめんなさい。僕、契架って言います。」

 ここで警戒されては元も子もないと、契架は慎重に言葉を選ぶ。

「えっと、アライズ様に拾っていただいて一緒に暮らしています。」

 契架がそう告げると、女性はあぁと音なく口を動かした。

「貴方がアライズ様と生活しているハーフの子でしたか…。」

 そう言って、女性は立ち姿を正した。

「私はセルリアと申します。魔界でディスカナン家の使用人として働いており、アライズ様の付き人をしています…いえ、していました、ですね。」

 最後の方は悲しさと自嘲が入り混じった声で言った。

「そこは濡れますよ、こちらへ。」

 そして自分のすぐ隣…木立が茂り、あまり雨の当たらない木の下を示すので、契架は示されるままセルリアの隣へ移動した。しかしいざこうなると何からどう聞いていいのか分からない。

「…アライズ様が、あんな風に冷たく物を言うところ初めて見ました。」

「私もです。アライズ様の事は幼少から存じておりますが、あのような物言いは初めてです。」

 ぽつりと契架が呟くように言うと、セルリアも小さく答えた。

「幼少…?」

「はい。お互いが物心付く頃には、私はアライズ様の付き人としてディスカナンの家におりましたので。」

 先程から繰り返される「ディスカナン」の名には、ほんの少し聞き覚えがある。アライズに拾われたその時に、一度だけ教えられた長いフルネームにそのワードが入っていたように思う。

「使用人がいるなんて、アライズ様のお家は裕福なんですか?それとも魔界では使用人がいるのが普通…?」

 単純に疑問に思ったことを口に出しただけの契架だったが、それを聞いたセルリアは驚きの表情を浮かべた。

「ディスカナンと言えば、魔界でも一、二を争う名家中の名家ですよ。」

 口調はあくまで丁寧さを保っているが、その声には信じられないという色がありありと現れている。

「魔界で一、二の名家…って、魔界を統治するっていう七名家と関係が…?」

「ディスカナンは七名家の筆頭です。」

 その言葉に今度は契架が驚愕する番だった。

「…アライズ様って、魔界では物凄く偉いんだ…。」

 契架は生まれた時から人界しか知らない。アライズがハーフではなく真の悪魔であることは知っていたが、それでも当然のように人界に住んでいるから、てっきり契架と同じような魔界の地を踏んだことがないかと思っていたのだった。

「魔界筆頭名家ディスカナンの嫡子にして、唯一の正統なるディスカナンの継承者であられます。」

 予想外の事実に言葉もすぐには出ず、契架はぼんやりと考えた。アライズから魔界の話を聞いたのはつい数日前の話が初めてで、共に暮らし始めてからこれまで一度も出生に関わる事や魔界についての話など聞いたこともない。

「それなら何で、アライズ様はここで暮らしておられるのですか…?」

 するとセルリアは急に言いにくそうに目を逸らした。

「それは…アライズ様の叔父上に「追放」されたからに他なりません。」

「追放…。」

 その言葉も先日、アライズから聞いたばかりだ。魔界での最も重い罰。

「アライズ様が何か、追放されるほどの悪いことをしたということですか!?」

 自分やリルを拾い育ててくれているアライズには、契架たちの知らない顔がある事には気付いているものの、処罰されるほどの悪いことをするような人物には到底見えない。思わず契架の語気が強まるが、セルリアも大きく首を横に振った。

「まさか!そのような事実はございません。アライズ様を追放することは、叔父上…現当主の策略だったのです。」

「え…何で…。」

 契架は親の顔すら知らない。従って血縁関係のある者へ抱く感情というものは分からない。それでも自らの叔父の策略により重罰を与えられるなど、想像も出来なかった。家族とは自分たち三人のように心を許し、仲良く共に時を重ねる相手ではないのか。

「私も詳細は知りません。ただ叔父上により追放され、当主の座を盗られたとしか。」

 そう言ってセルリアは自嘲的に笑った。

「アライズ様の付き人として私も共に行くつもりでした。ですが、私は『ディスカナン次期当主』の付き人だったのです。次期当主が代われば主も代わる。アライズ様の追放が決定された瞬間に、私はアライズ様の付き人から叔父上の付き人になっていたのです。」

 その言葉の端々から深い後悔が伝わってくるようで、契架はセルリアの顔を見つめた。セルリアは表情を歪ませぎゅっと目を閉じ、しばしの後開いた時には後悔の色は無理矢理振り払われていた。

「…私はそろそろ帰らねばなりません。」

 そう言って、セルリアは契架に向き直る。

「契架殿、お話できて光栄でした。アライズ様があのように仰るので、当分こちらへは参れません。…アライズ様をお願いいたします。」

 自分より背の低い契架に向かって深々と頭を下げた。契架はどうしたらいいのかとあたふたしたが、やがて意を決したように姿勢を正す。

「はい、任せてください。」

 きっぱりと言うと、顔を上げたセルリアは微笑を浮かべた。

「それでは失礼します。」

 短く言ってから、転移の術式を唱える。アライズの時と同じ一陣の風が巻き起こり、収まった時にはもう木の下には契架一人だった。


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