人間と悪魔
契架はローブの裾を揺らしながら去っていく少女の背に言葉を投げかけようとしたが、何を言ったらいいか見つけられず吸い込んだ息をゆっくりと吐き出した。
少女は言った、アライズを殺すと。
そんな事はあってはならない。それに契架には意味がよく分からないことも言っていた。「青騎士は悪魔を殺す」と。青騎士とは一体何なのだろう。もしかして人界には契架が思うより、組織だって悪魔を排除しようとする者たちがいるのだろうか。
とにかく一刻も早くアライズに報告すべく、少女の背が木立に消えるまで待ち、戻ってこないことが確信出来たところで館に向かって一目散に駆け出した。
「アライズ様!お話がっ!」
館まで駆けてきた事で乱れた呼吸を整えるより先に大広間の扉を開け放って叫ぶように言うと、中にいたアライズとリルがぽかんとしたように契架を見つめた。
「どうした?」
「契架、おちつけ?」
アライズが普段と変わらないトーンで問い、契架のところへ歩み寄ってきたリルは上着の裾を引きながらその顔を見上げてくる。そのいつもと変わらぬ様子に、やや勢いを削がれ契架は深呼吸をした。
「そ、そうだね。」
短くリルに答え頭をくしゃっと撫でてやると、アライズの元まで歩み寄る。
「今まで森にいたんですが、そしたら「青騎士」と名乗る女の子と遭遇しまして…。」
するとアライズの眉がピクッと持ち上がる。
「そしたら…、ですね…。」
「我を殺しに来た、と。」
契架がその先をどう言ったものかと口ごもると、アライズの無感情な声がその先を口にした。契架とリルが各々理由の異なる驚きを抱き、同時に目を瞠る。そして契架は躊躇いがちにこくりと頷いた。
「青騎士がこの森に来たならば、それ以外に考えられまい。」
その声にはいかなる感情も見つけられない。
「なんでアライズをころすの!?」
アライズの足に纏わりついていたリルが怒ったような声で言うと、アライズは苦笑を浮かべリルを抱き上げた。
「我が悪魔だからだ。」
そのまま契架にも座るように目で促し、契架は手近な椅子に腰を下ろした。
「お前たちには話したことが無かったな。…人界と悪魔について。」
この世界は大きく分けると、人間たちが住む「人界」と悪魔たちの住む「魔界」、そして両者に隔たれたどちらにも属さず定住する者もいない土地の中立域に分かれる。魔界に住む人間はいないが、人界に住む悪魔は幾らかいる。そこにはアライズも含まれるように。
とは言え、人間と悪魔は互いに仲が良いとはお世辞にも言えない。種族の違いは相互理解よりも無用の争いの種になりがちであるように、互いが各々の領域を侵す他種族を殺したりするのも当然の出来事だった。この場合、悪魔が人間を殺すのは比較的容易だった。悪魔は「魔力」を持っているので、その力を奮い呆気なく人間の命を奪ってしまえる。だが、その逆となるとそう簡単にはいかない。魔力に対抗する能力を持たない人間が悪魔を殺すと言うのはほぼほぼ不可能であった。従って、どうしても世界は強者の悪魔と弱者の人間という構図に収まってしまうのだ。
魔界を統治するのは「七名家」と呼ばれる、魔界でも古くからの七つの名家の現当主である。基本的に悪魔は人間あるいは人界に然したる興味もない。その理由としては魔力を持ち、人間の十倍近い時間を生きる悪魔のほうが人間より上の種であるという、いわば自尊心からだ。
しかし、ごく一部の悪魔においては魔力による圧倒的な力の差を良い事に、敵対する確固たる理由がなくとも人界を襲うことがある。それが人間と悪魔の火種といっても過言ではない。
魔界全体としても人界への興味はさして無いとはいえ、必要以上に人界や人間を刺激し反感を買うのは好ましいとは言い難い。しかし、七名家はこういった暴力行為に及んだ悪魔を処罰することはない。
それは暴力行為に及ぶ悪魔のほとんどが、すでに処罰された悪魔たちだからである。
魔界において最も重い罰は、魔界からの「追放」だ。追放されたものは二度と魔界に足を踏み入れることを許されなくなり、その命尽きるまで人界あるいは中立域で過ごさねばならない。その腹いせに人界を襲う悪魔が生まれるのだが、その悪魔は既に魔界から見放されている為、魔界からの干渉は一切ないのだった。
そんな脅威から人界を守るべく統治するのが「王」である。絶対君主制の人界ではたった一人の国王がその全てを治めている。そして襲い来る悪魔と戦う為の王直轄部隊、それが「青騎士」だ。
青騎士は人界にある唯一悪魔を殺せる武器「青の至宝」の使い手の集まりで、その素質を秘めた者たちが「青騎士養成学院」なる場所で学び、その能力に応じた武器や立場を与えられる。青騎士となった者は担当区域の警備や、人界にいる悪魔を探して場合によっては捕え、場合によっては殺すことが務めとなる。
「だから青騎士が我を殺しにくるのは、自然な流れに過ぎない。」
アライズは静かにそう話を締め括った。契架にとってもリルにとっても初めて聞く、悪魔と人間の話。ここで…この館でアライズに守られながら平和に暮らしている限り、全く知ることもなかった世界の仕組み。
「でも、何で今更…。」
アライズがここに住んでどのくらいになるのかは契架も知らないが、共に生活を始めてからでももう十年近い。アライズを殺しに来る者など初めてなのだ。
「この森に噂のレベルではなく、確実に悪魔が住んでいると人界が把握したのだろう。目撃による情報源は恐らく、先日遭遇した二人組か…。」
アライズは話を続けながらも、契架のことも膝の上のリルのことも見ようとはしない。
「確実にいると分かった悪魔を討伐出来るだけの才の持ち主がいたのだろうな。」
それがあの少女だと言うのだろうか。契架と変わらない年頃の少女が、悪魔を…アライズを殺せる存在だとはにわかに信じられない。
「アライズはぼくがまもる!」
契架が困惑していると、それまで黙って話を聞いていたリルが声高にそう叫んだ。
「え…?」
「アライズはぼくがまもるよ。だからだいじょうぶ!」
アライズの膝の上でリルは決然とした表情でそう言う。正直面食らったのは、アライズも契架も同様だ。
「僕も…僕もお守りします。」
慌てたように契架も言う。少女がどういう理由で自分を見逃したかは定かではないが、ハーフでは意味が無いと言っていた。ならば自分なら殺されないだろうし、ひょっとしたら先ほどの反応から考えると、話をする余地さえあり得るかもしれない。
そんな二人の言葉にしばし呆気にとられていたアライズだったが、やがて小さく苦笑を浮かべた。その表情はしかし何処が痛々しげにも見え、だが掛ける言葉も見つけられない。
するとまたしても先に動いたのはリルだった。アライズの顔をじっと下から覗き込むと、不意に顔を寄せその頬に小さく口付ける。
今度こそアライズさえも決定的に固まった。
「…リル…、何のつもりで…。」
珍しいくらいに動揺した声で、膝の上で向かい合わせにちょこんと座る少女に問うと、リルは首をかしげた。
「すきなひとにこうすると、わらってくれるってほんにかいてあった。」
『何の本だよっ!?』と契架は思わず声に出しそうになったが、場の雰囲気を考えどうにか内心で叫ぶに留めた。そんな本が一体何処にあっただろうか…、契架が記憶の蔵書リスト内を捜索しているとアライズが小さく呟いた。
「好きな人…?」
それは誰に問うたともない呟き。しかしリルは迷わず大きく頷く。するとアライズの表情がみるみる険しくなっていく。膝の上でにこりと笑う少女。とある理由により気紛れで拾ったに過ぎない人間の子供。
「アライズ?」
真っ直ぐに見つめてくる瞳と、自分を呼ぶ声。
アライズは慌てたようにぎこちない笑みを浮かべると、リルを下ろした。
「…こういうことは、簡単にすべきではない。」
そう言うと、アライズは広間を出て行ってしまった。リルは何が違っているのか問うように契架の方を向く。残された契架はさすがにこの時ばかりは、どう答えたものかと酷く困惑したのは言うまでもない。




