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リル・ファーナが愛した悪魔  作者: 瀬河 柊
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悪魔が青眼を拾った日


 その頃、アライズは館のある森から出た街道近くにやってきた。目的地は街道から外れた土地に建つ白亜の建物。

 大きめの一軒家で、いかにも手作りといった印象の柵が家を中心に周辺を大きく囲っている。向かって家の左側には家庭菜園としてはだいぶ立派な畑が並び、家の右側にはブランコや滑り台といったこれまた手作り感溢れる遊具が設置されている。

 アライズが家の少し手前で足を止め、その様相を見つめていると不意に家のドアが開いて十数人の子供たちが飛び出してきた。

「あ、アライズだー!」

 すると子供のうち何人かがアライズに気付き、大きな声でそう叫ぶとぶんぶんと手を振ってくる。アライズは苦笑を浮かべ、小さく振り返していると、子供たちの後から出て来た二十代ほどの女性がこちらを見て、あらと声を上げた。

「アライズさん、いらっしゃいませ。」

 女性は優しく微笑むと、アライズを快く迎え入れた。


 遊んでー!と纏わりついてくる子供たちに後でと言い聞かせ、女性に家の中へ通される。

「皆、元気なようでなによりです。夏乃殿。」

 応接間の窓の向こう側ではしゃぎ回る子供たちを、優しげな眼差しで見つめてアライズが言うと、夏乃も窓の外に視線を向けて優しく微笑む。

「はい、アライズさんのおかげで。」

 窓から視線をアライズに移して、夏乃は眩しいものを見るように微笑みを深める。

「今、母さんを呼んできますね。確かお裁縫をしていると言っていたから…。」

「姉さん、畑行ってくるよ…って、アライズさん!」

 その時、部屋の入り口から一人の青年が顔を覗かせた。日に焼けた褐色の肌に、爽やかな笑顔を浮かべるまさに好青年といった印象。

「その前にちょっとだけ子供たち見ててくれない?母さんを呼んだらすぐに行くから。」

「はいよ。アライズさん、ごゆっくりー。」

 青年はニコッと笑顔を見せ、すぐに外へ出て行った。

「賑やかだな。」

 アライズが呟くと、夏乃は困ったような顔をする。

「ホントに。いつまでたっても子供たちと変わらなくて…。」

 ふぅと溜め息をつくと、しかしすぐに表情を変えスカートを翻す。

「じゃあ、母さん呼んできますから少しお待ちくださいね。」

 そう言って、夏乃も部屋を出て行く。途端、部屋の中は静寂が満ちるものの、窓の向こうからは賑やかな声が聞こえてきて、自然とそちらへ目を向けた。

 駆け回る子供たちの大半は黒髪に黄色の眼を持つ。その姿に胸が締め付けられるような痛みを覚えるが、対して明るい子供たちの表情がその痛みを溶かすのも感じる。

 ここは一言で言うなら孤児院である。街では迫害されてしまう子供たちを、この家の住人が育ててくれている。もちろん定期的に様子は見に来ているし、必要な援助は惜しまない。

 少しでもこの事情ゆえに苦しむ子供たちを減らしたい、その一心で支え続けた場所だが、窓の向こうの子供たちは少なくともアライズや契架のような苦しみは味わっていないようでほっとする。

安堵の息を小さく吐いた時、部屋の入り口から足音がした。

「お待たせ、アライズ君!」

 明るい声と共に入ってきたのは、四十代ほどの女性。肩ほどの長さの髪を無造作に後ろで一つに縛って、両手に裁縫道具や布などを抱えている。

「チビどもの服を作ってたんだ、あいつらすぐダメにするから。」

 そんな事を言いながら快活な笑みを見せ、備え付けられた棚の中に順次片付けていく。その傍らで夏乃がさっと二人分の紅茶を運んできて、テーブルにことりと置いた。

「ありがとうございます。」

「いいえ、お気になさらず。」

 礼を述べると夏乃はにこりと微笑み、日向の分の紅茶とクッキーが乗った皿を並べる。

「じゃあ私は子供達を見ているから。アライズさん、ごゆっくり。」

 お盆を片付けると、前半は日向に視線を向けて、後半はアライズに視線を向けて言う。

「お気遣い、痛み入ります。夏乃殿。」

 アライズにぺこりと頭を下げると、夏乃は足早に部屋を後にした。

 パタンと玄関が閉まる音がするまで夏乃が出て行った方を見ていたアライズが視線を戻すと、向かいのソファに座っている日向が何とも言えない表情でアライズを見ていた。

「…何だ?言いたい事があるなら、言えばいいだろう。黙っているなど日向らしくも無い。」

 その表情に思わず眉を寄せつつも、いつものように遠慮のない言葉を向け夏乃が淹れてくれた紅茶を煽る。

「アライズ君のウチの子供たちに対する態度って、私に対する態度と大分違うよね。」

 じとっとした視線を向けたまま言う日向に、アライズが小さく反応し視線を逸らした。

「私には小さい頃から父さんに接するのと同じ距離感で接してくれたけど、ウチの子供たちには生まれた時からそうやって距離のある関わり方だよね。」

 アライズは否定も肯定もしなかった。カタリとカップをソーサーに戻す音が部屋の静寂に響く。

「…怖いんだよね?」

 日向が真っ直ぐな眼差しで呟くように問うが、アライズは視線を逸らしたまま答えない。

「失ってしまうことが、同じ時間軸で生きていけない事が、置いていかれることが。だから距離を取りたがる。」

 しばしの沈黙が流れ、アライズが小さく溜息を吐いた。逸らしたままの視線を少しだけ日向の方へ向けた。

「変わらないな、日向は。…晴人によく似ている。」

 その懐かしい相手の面影に郷愁が胸をよぎる。急に芯を突くような事を言ってくるのだ。本当によく似ていて思わず苦笑が零れる。

 アライズの言葉に日向は肩をすくめ、それまでの空気などまるで感じないように呆れた笑みを浮かべた。

「それ母さんにもよく言われるよ。自分じゃ父さんに似てるつもり無いんだけどなぁ。」

 あっけらかんとした笑顔はまさに記憶にある晴人と同じで、アライズの抱える闇も事情もまるで気にしていないことを伝えてくる。

「私はどちらかというと、アライズ君の子供が見てみたいな。むすっとした顔とか、そっくりになりそうじゃない?私が生きてるうちに見せてよ」

 唐突に紡がれる遠慮のない言葉に、アライズは思わず面食らう。

「…まさか。馬鹿な事を言うな。我にそんな事が出来るものか。」

 結婚も子供も、アライズには想像もつかないほど遠い。そんな事は望んでもいないし、望むべくもない。

「…早いもんだね。」

 すると再び神妙な声で日向が言う。アライズが顔を上げると、こちらを見つめてくる彼女と視線がぶつかった。

「もうあの子を拾ってから五年だっけ?」

 その眼の中には慈しむような光が宿っているが、その奥に微かに哀れむような色が見えた気がして、アライズは眼を伏せた。

「あぁ…。」

 小さく答えながら、目の前のこの人物はそんな風にアライズたちを見たりしないと知っているのに、それでもそう感じてしまう自分に嫌気が差す。


 アライズがリルを拾ったのは今から五年ほど前だった。

 その日は気が向いたとしか言いようのない事だが、珍しく館周辺の森を契架と散歩していた。そんな事をしたのは後にも先にもこの時くらいなもので何故そんな気になったのかなどアライズ本人も説明できないが、何かを意識の外側で感じていたのかもしれない。

 木々の隙間から優しい陽光が差し込む森の中を特に宛てもなく歩いている時、ふと前方にある一際大きな木の麓に何かが置かれていることにアライズと契架はほぼ同時に気付いた。

「アライズ様、何かありますよ。」

 そう言うとアライズより一歩先を歩いていた契架は止める間もなく「何か」に向かって駆けて行った。とは言え、ここは通称「悪魔の森」。踏み込んで来る者自体ロクにおらず、それゆえ危険な物である可能性は低かったので、アライズもそれほど警戒することなくそれまでと変わらぬ歩調で契架の後を追う。

先に辿り着いた契架はそれを覗き込み、あっと驚きの声を上げた。

「子供が…!」

 その言葉にアライズも眉を寄せ、契架の背から覗き込むと確かに粗末な箱の中には身動きしない黒髪の赤子が一人。申し訳程度の毛布と共に入れられていた。ざっと中を確認するが、さして大きくもない箱の中に入っている物は、他には何も無い。

「こんな所に置いていくなんて…。」

 契架が悲しげなトーンで呟く。

「捨てられたのだろうな。ましてや拾われることを期待されたわけでもあるまい。」

 無慈悲なようだが、悪魔の森に人は基本的に立ち入らない。拾われて欲しいのであれば、少なくとも此処に捨て置いたりはしないだろう。悪魔の森に置いて行かれる、黒髪の赤子。恐らくは…。

 アライズがそこまで考えた傍らで、契架がそっと手を赤子に手を伸ばす。すると驚いたことに赤子はその小さな手できゅっと掴んだ。途端、契架の目が丸くなる。

「アライズ様、まだ生きてます!」

 どうやらじっと身動き一つしなかった赤子は死んでいたわけではなく、眠っていただけのようだった。くるっと大きくつぶらな青い眼が二人を…あるいはアライズを捕らえる。

「青眼…!」

 今度はアライズが眼を見開く番だった。

「青眼…?」

 契架はアライズの驚きの意味が分からないようで、その言葉をただ繰り返した。赤子はその間も契架の手を握ったり引いたりと忙しなく動いている。

「君、捨てられちゃったのか…。」

 契架は泣き笑いのような表情を浮かべて、自らの手をおもちゃ代わりに遊ぶ赤子を、あるいはその姿を通して何処か遠くを見つめる。ぽつりと呟かれた言葉には、恐らくこの赤子と数年前までの自分を重ね合わせているのであろうことが容易に感じられた。

 そんな様子を見ながらアライズは胸の奥がキリキリと痛むのを感じた。捨てられていることに対しての痛みではない。願っていたことが叶ってしまったことへ対する痛み。

 長く長くただそうなることを望み続け、しかし一方でその瞬間が訪れなければいいとも願い続けた。そして今、その歪んだ対照的な二つの願いが叶ってしまった。

 アライズは強く奥歯を噛み締め、そしてすっと赤子へ手を伸ばした。

「え…?」

 契架が予想もしなかったアライズの行動に驚きの声を上げる。

 そっと赤子を毛布ごと抱き上げると、アライズの腕の中で青眼が大きく瞬いた。その様子をいかんとも形容しがたい表情で見つめると、アライズは一度その満月のような色の目を瞑り、そして意を決したように開く。

「館へ、帰るぞ。」

 そのまま契架の返事を待たずに、赤子を抱いたまま来た道を戻りだす。

 契架はしばし驚きで固まっていたが、アライズの背を見て嬉しそうに笑った。

「はいっ!」

 大きく返事をして、小走りでアライズを追う。二人で歩いた道を三人で帰っていった。



「アライズ君がいきなり子供育てるって言った時は、びっくりしたなー。」

 日向はその時を思い出したのか、おかしそうに笑う。

「不機嫌そうな顔なんかそっくりで、ホントにアライズ君の子じゃないかと思ったよ。」

 アライズの反応などまるで気にせずに、日向は楽しそうに続けながらカップに入った紅茶を口へ運ぶ。

「何にせよ、元気に育って良かったじゃない?すっかりアライズ君に懐いてるんでしょ?」

「…あぁ。」

「何?嬉しくないの?」

 アライズの返事のトーンが思うより暗かったことに日向は敏感に気付く。細かい心の機微などにはまるで疎そうに見えて、その実かなり鋭い。そんなところも紛れもなく晴人に似ているのだ。

「…そういうわけでは…。」

 煮えきらず呟くアライズに日向は首を傾げると、空になったカップをそのままテーブルに戻し、そっとアライズへ歩み寄る。

「アライズ君、君は何でもかんでも一人で抱え込みすぎだよ。」

 諭すような穏やかなトーンでそう告げる。

「そんなんじゃ、いつか潰れちゃうよ。君の周りには私たちや契架君や姫ちゃんもいるんだから、もっと周りに頼りなさい。」

 そう言って眉が寄っているアライズの眉間をツンと突く。

「せっかくの綺麗な顔も眉間に皺ばっかり寄せてたらもったいないよ。」

 からかうようにそう付け足して、ニコッと何のてらいもなく笑ってみせた。


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