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リル・ファーナが愛した悪魔  作者: 瀬河 柊
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譲葉の告白


 あくる日。青騎士の訓練を終えてから二人が館に訪れた時には、既に日が沈もうとしているところだった。

「ほら、行こう。」

 先ほどから門の前で足を止めたまま進もうとしない譲葉の手を、璃琉は引っ張る。

「こうしていても仕方ないでしょ。ちゃんと伝えなきゃ。」

 譲葉の手を引いたまま璃琉が門の内側に足を踏み入れると、譲葉もようやく顔を上げ歩み始めた。

「…よし、行こう。」

 譲葉の言葉に先を歩く璃琉はくすりと笑みを浮かべた。恋する乙女は可愛いものだ、なんて本人に言ったら真っ赤になって怒るだろう事を思いながら慣れた足取りで大広間へと向かった。

「リル、譲葉。いらっしゃい。今日はどうしたの?」

 広間の奥の台所で何やら作業をしていた契架が、二人に気付きこちらへやって来た。そのいつもと変わらない笑顔で出迎えてくれる様子にさえ、譲葉は胸がきゅんとなるのを感じた。

「うん、契架に話があってね。」

 璃琉が言うと、契架は首を傾げた。

「僕に?じゃあ、ちょっと座って待っててね。」

 いつものテーブルを示してそう言うと、再び台所へ引っ込む。二人が椅子に腰掛けてしばらくすると、契架はお盆を持って戻ってきた。

「はい、今日作ったシフォンケーキだよ。」

 そう言いながら手早く二人の前に紅茶のカップとシフォンケーキが並ぶ。その動作の無駄の無さと言い、料理の腕前と言い、けちのつけようが無い。

「相変わらず、こういうの上手だよね。」

 璃琉がしみじみと言いながら、出されたケーキを頬張った。

「ありがとう。最近はアライズ様も滅多に居られないから、誰かに食べてもらうのは久しぶりで嬉しいよ。」

 はにかむように微笑みながら、契架も自分の分に手を付ける。

「…アライズ、帰ってきてないの?」

「夜遅くには戻ってこられる日もあるよ。だけどほとんどお出掛けになられて、あんまり館にはいらっしゃらないかな。」

 つまり今もアライズは留守ってことだ。

「そう。」

 この喜ばしい事実を自分の口で伝えたかったのだが、今日も会えない。アライズがたまにしか帰ってこないのは、こうして館を訪れる自分と遭遇しないようにしているのではないかという邪推が脳裏をよぎる。

 実際あの夜以降、璃琉は幾度と無くこの館を譲葉と共に訪れているが、アライズと遭遇した事は一度も無い。その事実がより一層璃琉の考えを肯定しているように思えてならない。

 そんな璃琉の様子を敏感に察知した契架と譲葉だったが、二人が口を開くより早く、璃琉はケーキを食べきり勢いよく立ち上がった。

「私、屋上に行って来るね!譲葉、ちゃんと伝えなよ?」

「ちょっ…、璃琉っ!?」

 戸惑った声を上げる譲葉に悪戯っぽいウインクを決めると、璃琉はそのまま広間を飛び出した。

 残された契架はポカンとした表情でドアを見つめていたが、説明を求めるように譲葉へと視線を移した。

「どういう事?」

 契架の黄色い目が不思議そうに譲葉を見つめる。その瞬間、心臓が大きく跳ねたのは璃琉の言葉のせいだと、胸の中で母に似た悪戯っぽい笑みに悪態をつく。しかし、それこそがここに来た本来の目的でもあるのだ。意を決さねばならない。

「あー…、そう、契架に大事な事を伝えにね。来たのですよ。はい。」

「譲葉?」

 明らかに動揺して、口調がおかしい。契架もすぐさま気付き、更に不思議そうな視線を向けてくる。誤魔化している場合ではない。伝えなければ、来た意味も無いのだ。覚悟を決める。

「あのね、…来月に人界と魔界で和平を結ぶ事が決まったんだって!」

 覚悟は決まらなかった。

「…ホントに!?」

 契架の顔にみるみる驚きが広がっていく。その様子を見ながら、譲葉は僅かに肩を落とした。もちろん自分の意気地の無さに対してだ。

「凄いね!そうなったらきっと、いつかは人と悪魔も分かり合える日が来るかもしれないね。」

 無邪気に喜ぶ契架に頷きながら、これも伝えるべき事の一つだったし、こんなに喜んでるんだからいいんだと、譲葉は自分自身に言い訳をする。

「そんな日が来るとは思わなかったなぁ…。」

 嬉しそうにしみじみと呟き、契架は真っ直ぐに譲葉を見た。

「ありがとう、伝えにきてくれて。凄く嬉しい。」

 その穏やかでほんわかした笑顔に、譲葉はいいようのない感情を覚える。嬉しいのに、胸が締め付けられるような。そう、きっと、これが愛しいという気持ち。

「…契架。もう一つ、聞いて欲しい事がある。」

「うん?なあに?」

 出会った頃に比べれば、二人とも成人し見た目も中身も成長した。それでもまるで変わらない少年のような笑顔と優しげな口調。外見も内面も男らしいとは程遠いし、未だにその顔には幼さが残っている。譲葉の理想とはまるで違う、違いすぎて思わず笑ってしまうほどだ。それでも変わった部分、変わらない部分、全てを含めて好きだと感じる。

「…私、契架のことが好き。」

 譲葉は契架の目を真っ直ぐ捉えて、ありったけの気持ちを込めた。

「初めて会った時は大嫌いだった。だけど話してみるうちに、私が思ってもみない考え方をする契架に惹かれていった。和平が結ばれればきっと青騎士は解隊される、そうなれば此処へ来る理由もなくなっちゃう。」

 譲葉は今度こそ覚悟を決めた。

「でも私はこれからも契架と一緒にいたい。…契架が好きなの。」

 譲葉が言い切ると、室内は静寂に包まれた。契架のただでさえ丸い目が、これ以上に無いくらい真ん丸くなって呆けたように譲葉を見つめている。

 沈黙。自分の顔に熱が上るのを感じながらも譲葉は必死に契架を見つめる。

 …沈黙。徐々に耐え切れなくなって、視線が助けを求めるように右往左往するが、この場には二人以外誰もいない。

 ……沈黙、契架の顔を見ていられなくなり、耳まで真っ赤になりながら譲葉は俯いた。普段聞こえる鳥や虫の鳴き声さえもない静寂。

 ………沈黙。

「…っ、もう、無し、無し!今の無しっ!何でもないからっ!」

 続く沈黙に耐え切れなくなり、譲葉はバンッとテーブルを叩きながら立ち上がった。もうダメだ。両思いかもなんて幻想も甚だしい。その証拠がこの沈黙だ。悲しいやら恥ずかしいやら居た堪れないやらで、もう譲葉は一秒とてこの場にいられなかった。

「何でもないから、忘れてっ!」

 契架の後ろを走り抜けて広間の扉から飛び出そうとした時、腕を掴まれ予想外の力で引っ張られた。

「わっ…!」

 急なことにバランスを崩した譲葉だったが、倒れることなく抱き留められる。誰の腕の中かなんて分かりすぎてて分からないほど。

「ごめん、そうじゃないんだ。」

 譲葉の頭の少し上から少年っぽさの残る声が降って来る。

「ただ驚いただけなんだ。譲葉がそんな風に思ってくれてたことに。悪魔が大嫌いな譲葉が、ハーフである僕を思っていてくれてたなんて、想像もしなかった。」

 背中から抱き留めていた腕が解かれ、そっと振り返させられる。そこには譲葉が思うよりずっと近くに契架の顔があった。小さいと思っていた背はそれでも譲葉より頭一個分ほど大きい。先ほど抱きとめられた腕も意外なくらいしっかりとしていた。契架はやっぱり男なのだと改めて実感してしまい、再び心臓が跳ねる。この先に続く展開が、どうか願うままであると信じたい。

「…いいよね?」

 契架の目が穏やかさの奥に真剣な輝きを帯びた。何の許可かと譲葉が考えたときには、唇に柔らかく温かい感触。

 それはほんの一瞬で離れたが、今までに無いくらい近くに契架の顔がある。

「ありがとう。譲葉がそう言ってくれた事、本当に嬉しい。そんな事言ってもらえる日がくるなんて、思わなかった。」

 そして契架が優しく微笑んだ。

「僕も好きだよ。ずっとずっと好きだった。」

 その言葉に今度は譲葉が止まる。その言葉が頭に届いたのであろうタイミングで、譲葉は目にこみ上げてくる涙を堪える事は出来なかった。思わず契架の胸に顔を埋める。契架は笑みを浮かべながら、優しく譲葉の頭を撫でた。この奇跡のような喜びは、二人の胸に中に満ちていた。


 屋上に出ると地上よりも幾分強めに風が吹いていた。璃琉はいつぞやの夜、アライズが立っていたその場所で足を止める。屋上の縁に立ち、そこからの景色へ視線を巡らす間も風は璃琉の長い黒髪を大きく揺らす。月がいつものように空に浮かんでいる。満月にも思えるが、僅かに欠けている十六夜。それが後一歩、近付けない自分たちの距離を表しているようにも思える。

 きっと譲葉の思いは届いただろう。そもそも契架はリルが共に暮らしていた頃から、譲葉の事を思っていたようだから。それでも契架から踏み出さなかったのは、譲葉の悪魔への憎しみを推し量っての事だろう。ハーフである自分が譲葉を傷つけることの無いように、契架は譲葉が望む距離感を取っていたのだ。だから譲葉から踏み込めば、契架は受け止めてくれる。

「…いいな。」

 我知らず、ぽつりと言葉が零れた。璃琉は屋上の縁に立ったまま、十六夜の月を見上げる。

「私の記憶が無い間、貴方はここで何を思ってたの…?」

 呟きに答えるものは無い。ただ風が吹くばかりだった。


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