和平の決定
「国王様、急な面会の申し入れが…。」
王の執務室に入ってきた秘書が困惑した顔で国王に告げる。
「断れ。」
そんな秘書をチラリと一瞥し、王は素っ気無く一言返した。
「それが…、そう仰られると思い、一度お断りしたのですが…。」
秘書が珍しく歯切れの悪い物言いをするので、王は書類に向かっていた手を止め、顔を上げる。
「すると国王様にこう伝えろと。リル・ファーナに関わる話がある、と。」
「璃琉…?」
存在するとさえ思っていなかった実の娘、かつて愛したかの少女が人知れず産み落とした唯一の王女。その名前を引き合いに出してまで、予定に無かった面会を取り付けようとする相手に興味が湧いた。その口に冷徹な笑みが浮かぶ。
「よかろう、通せ。但し、こう伝えるがいい。もしも璃琉の名を騙って、仕様も無い話だったらその命は無いと思え。」
秘書はまるでその言葉が自分に向けられたかのように、肩を震わせながら頷いた。
「了解いたしました。それと、もう一つ。面会に当たっては人払いを要求されていますが、いかが致しましょう?」
「よい。この階から全ての者を追い出しておけ。」
手をつけていた書類だけ面会の前に片そうと視線を落としながら言うと、秘書は深く頭を下げ部屋を出て行った。
急な面会を申し入れ、璃琉の名を持ち出し、あまつさえ人払いまで要求してくる来訪者は久々に楽しませてくれるかもしれない。そう思うと口の端に獰猛な笑みが浮かぶのを押えられなかった。
書類を片し、一息ついたところでドアがノックされた。
「国王様、お客様をお連れ致しました。」
「入れろ。お前も含め、下の階に降りていろ。」
人払いも済んでいるはずだが、一応要求の通りに秘書も追い出す。此処に来たという事は、こちらの出した要求を呑んだということに他ならない、こちらも誰一人とて残すわけにはいかない。
かしこまりましたと声がし、秘書が扉を開け、客を入れるとすぐに去っていく足音が響いた。
かくして入って来た客の様相に心当たりは無かった。足元まで覆い隠す長いローブを羽織っていて服装は窺えない。長身の細身だという事から男だとは推察できるが、その顔もフードを深く引き下げているので口元しか見えない。仮にも人界の国王に面会をするにふさわしい格好とはとてもじゃないが言えやしない。
そんな客は恐らく秘書が十分に去るのを待っているのだろう、その場から動き出す様子さえない。とりあえず王はそんな様子を面白げに見つめていた。
十分すぎるほどの時間が経って、ようやくスッと足が歩み出した。
「お初にお目にかかります。人界の王よ。」
言葉と同時に部屋の中ほどで足を止めると、ローブの前をはだけさせフードを外す。現れたその黒髪と黄色い眼に珍しく王は驚きを見せた。それと同時にその背に黒々とした大きな翼が出現する。
「我の名はアライズ・トレスフィア・リズラヴァーゼ・ディスカナン。魔界七名家の代表として、人界の国王に話があり参上した次第だ。」
「まさか悪魔が訪ねてくるとはな…。」
呟きながらも王は納得がいった。悪魔が公式な面会を望んでも叶うわけがないから急な面会となり、摘み出されない為の人払いだったのだ。
しかし王がアライズに抱いたのは恐怖ではなく、面白いという感情だった。この人界の中枢に正体を隠し、単身で乗り込んできてまでしたかった話に興味が湧いた。
「して、どのような用向きだ。事によっては青騎士を出動させていただく。」
「それには及ばない。我はそなたにも人界にも危害を加えるつもりは無い。」
アライズは明言して、王のデスク正面まで足を進めると懐から書状を取り出した。
「魔界と人界で和平を結びたい。この交渉をする為にここを訪れた。」
書状をデスクの上に置いて、アライズは真っ直ぐに国王を見た。王は出された書状をじっと読んだ後、顔を上げる。アライズの黄色い眼と視線があった。
「…本気で言っているのか。」
「我は本気だ。魔界の意志もそこに示されている通りだ。」
王も一応は魔界の七名家による統治については知っている。ゆえにこの書状が魔界の総意であると判断できる。
「いきなり和平となっても、それぞれの民の間にある禍根はすぐには消えない。だがそれでも、いがみあうより手を取り合い進んでいきたい。その為の交渉をしたい。」
アライズの眼に宿る輝きは真剣な物で、謀っているわけではなさそうだと思える。
「…よかろう。そちらの話を聞こう。だがその前に一つ。」
王はデスクから立ち上がり、アライズを正面から捕らえる。
「これと璃琉と何の関係がある。答えによっては事前に伝えた通りにさせてもらう。」
王の冷徹な視線がアライズに刺さる。だがアライズもまた、その視線を真っ向から受け止めた。
「リルは我が赤子の時に悪魔の森で拾った。それから青騎士に連れられるまで、我や我の知人の下で悪魔やハーフの子らと暮らしていた。故に彼女は悪魔と人間との明るい未来を望んでいる。我は彼女の未来の為にも、人と悪魔の新しい関係を築きたいと願っている。」
証明できるものがあるわけではないので、信じてもらうほか無い事を分かっているアライズは、精一杯の誠意を視線に込める。
しばし二人の間に静寂が流れた。やがて王はフッと小さな笑みを浮かべた
「…なるほど。」
ぽつりと呟いてアライズから視線を外す。
「悪魔の森へ逃げれば掴まらないと思ったのか。さすがだな…。」
その言葉がアライズに向けられたものでは無い事は分かる。王はさっと顔を上げると来客用のデスクへと足を向けた。
「よく璃琉を、彼女に似てるあの子を育ててくれた。…話を聞こう。」
王の言う彼女が王にとって何者なのか分かりはしなかったが、アライズが切ったカードは思った以上の効果があったようだ。想像より話の分かる人間かもしれない。この交渉はきっと成功すると感じながら、アライズも王の向かいに腰を下ろした。
その日、璃琉は父に呼ばれ共に食卓を囲んでいた。とは言っても日向の家であるような、一つのテーブルに可能な限りの人数が座りワイワイとしながら大皿を突き合うようなものではなく、豪奢で大きすぎるテーブルに二人きり微妙な距離感で腰掛け、並ぶのは想像し得る限りの贅と手工を凝らした品々で、これが同じ「食卓を囲む」という言葉で表される事に、璃琉は毎回疑問を抱かずにはいられない。
一皿ずつ上品に盛られた料理も大変美味ではあるが、見た目から料理名を導き出すことも出来ず、せいぜい粗相だけは無いように気を配りながら、慣れない豪華な食材を楽しむ。この何とも言えない状況にも数を重ねるごとに慣れては来たものの、「温かい食卓」とは程違う空気感に何とも言えない気持ちになってしまう。
賑わう食卓も好ましい。しかしアライズと契架の三人で囲む食卓は、此処と同じく大きなテーブルに三人ばかりではあったが、そこにあったのは日向の孤児院と同じ「温かい食卓」だった。ここから分かるように「温かい食卓」に人数は関係がないと断言できる。であれば何故父との食卓はアライズ達と同じ物にならないのか。そんな事を考えながら、無意識のうちにナイフとフォークを動かしている時だった。
「璃琉。」
不意に呼ばれ、璃琉は現実に引き戻される。
「はい。何でしょうか。」
動かすともなく動かしていたナイフとフォークを一旦止め、皿の上に並べると父に向き直る。
「来月、とある会談で国民への発表を行う。そこにはお前も王女として出てもらう事になる。」
「私も…?分かりましたが、一体何の会談ですか?」
王女と発表をされてからも璃琉は基本的に青騎士の立場を保ったままでおり、また王もそれを認めている。その為、王女としての務めなど心当たりもまるで無い。
日頃、鉄面皮な王だが璃琉の問いを受けにやりと鋭利な笑みを浮かべた。
「…この度、人界と魔界は和平を結ぶ事になった。」
「……え…?」
璃琉の青い眼が零れんばかりに見開かれた。
「和平を結ぶ為、条約の締結を全国民の前で行う。お前も王女としてこの会談に臨むのだ。」
父である人界国王から発せられた衝撃の言葉以降、璃琉は何を食べ、父と何の会話をし、どのように場を辞して何処を歩いて帰ってきたのかもさっぱり覚えていない。
「おかえりー。」
寮に帰ってきた璃琉を迎える譲葉の声に、璃琉は自分を取り戻した。
「え、あ…うん、ただいま。」
「どうかしたの?」
譲葉は機敏に璃琉の様子が変な事に気付き、怪訝な様子で尋ねてくる。
「うん…。」
譲葉の問い掛けに答えようとして、ようやく先ほどの王の言葉が実感を伴ってくるのを感じた。
「あのね…、来月、人界と魔界は和平の条約を結ぶんだって。」
その事実を口に出してみると驚きより喜びが勝っていき、呆けた表情から一転して、笑みが浮かぶのを抑えることなど出来なかった。
「和平…?」
対する譲葉は先ほどの璃琉と同じ様に、ポカンとした表情を浮かべた。
「そう!来月公式の会談で条約を結ぶんだって。もちろんすぐに全ての人々が和解ってわけにはいかないだろうけど、きっとこれは大きな一歩になるよ…。」
璃琉はゆっくりと窓辺に近付き、開け放す。夜空に浮かぶ月に向かって祈るように手を握り、目を瞑る。
「これで人と悪魔が和解できたら、きっと…」
その先は聞こえないほどの小さな呟き。
しばしそのままでいる璃琉の背中を譲葉は見つめながら、璃琉の伝えた知らせを噛み締めていた。悪魔との和解なんて青騎士の多くは受け入れ難い話かもしれない。それでもこの二人だからこそ、事の偉大さと喜びを分かち合えるのだ。
璃琉がくるりと窓から譲葉の方に振り返る。譲葉は喜びを分かち合うべく言葉を発そうとしたが、璃琉の口元に浮かんだ悪戯っぽい笑みに気付いた。
「良かったね、譲葉?」
「…何よ、その笑みは。和平が嬉しいのは私より璃琉のほうじゃないの?これで愛しのアライズ様と一緒になれるかもしれないじゃない。」
譲葉は先手を打ってみたが、璃琉の浮かべる笑みは変わらない。
「契架のこと、好きなんでしょ。」
一瞬、部屋の空気が固まった。
「なっ…!」
続いて、譲葉の顔がみるみる赤くなっていく。璃琉はその変化を面白そうに見つめたまま。
「何を言ってるのよ!何でそこで契架が出てくるの!そもそも私は別にっ…!」
自らの頬に手を当て、しどろもどろになりながら反論を述べる譲葉の隣に璃琉は腰を下ろした。
「好きなんでしょ?いい加減、認めなよ。」
今度はからかってもいない、落ち着いた笑みと口調。じたばたと忙しなく動いていた譲葉がピタリと止まり、次いでストンと肩から力を抜くと、俯いたままコクリと頷いた。その表情は髪に隠れ見えないが、耳の先が赤くなっている事は窺える。
「…好き。」
その小さな呟きに、璃琉は優しい笑みを浮かべた。
「じゃあ、そう言ってあげなよ。きっと契架も喜ぶから。」
「そんなの分かんないじゃん。」
「分かるよ。」
俯いたままの譲葉に、璃琉は自信たっぷりに立ち上がって言い放った。
「分かるよ。契架も同じ気持ちだよ。私が何年契架と一緒に暮らしてたと思ってるの?」
得意げな璃琉の様子を上目遣いで見ていた譲葉だが、やがて意を決したように頷いた。
「…分かった。今度直接言いに行くから、一緒に来て。」




