魔界の決定
現ディストゥリクト家当主ツヴァイラが入室すると、その背後で仰々しい扉が閉められた。既に卓上には他の名家の当主が席についているが、ツヴァイラは待たせた事など気にする風も無く、扉から真正面に位置する七名家代表の席に座っているアライズを見て口の端に笑みを浮かべた。
ツヴァイラは現在の七名家当主の中でも最年長にして最古参、誰一人とてその遅参に苦言を呈せる者などいなかった。
「遅くなったな、始めてくれ。」
自分の席につくと口先だけの謝罪を述べ、議事の進行を促す。それにアライズは軽く目を閉じて応じると、意を決して口を開いた。
「それでは、七名家当主による代表会議を始める。」
場所は魔界のほぼ中央に位置する総統院の大会議場。部屋の広さのわりに、用意されているのは豪勢な一台の大きなテーブルと七脚の椅子のみ。この場所は七名家当主による代表会議の場としてしか使われることはない。アライズ自身、この部屋に足を踏み入れたのも今日が初めてであり些かの緊張も覚えたが、それ以上に今日の議題に意識を集中させていた。今日の会議が失敗に終わってしまえば、今までの全てが無駄になってしまうのだから。
「まず会議に先立って、この場に居られる全当主に感謝の意を述べたい。皆様方のお陰で私は当主の座に就く事が出来、心より感謝申し上げる。」
言葉と共に立ち上がり、頭を下げる。その行動に室内には少なからずどよめきが起こった。
アライズはこの場においては最年少、加えて当主暦もまだほんの少しだ。それでも七名家中一、二の地位を誇るディスカナンの当主である、普通に考えてそう簡単に頭を下げたりはしない。更に付け加えれば、悪魔は自尊心も高い事が多いので尚更である。
しかし長い人界での生活はアライズの意識を大きく変えた。従って、アライズにしてみれば当然の行動に過ぎなかった。とは言え、この行動が他の当主達にとって、アライズの印象向上に一役買った事も感じていた。
「こんな若輩の私ではあるが、魔界の今後の為に一つ大きな提案をさせて頂きたく、本日はご参集頂いた次第である。」
これに続く言葉を知っているのは、アライズの追放取り消しの書状に印を貰う際、この話を交渉ネタとして持ちかけたツヴァイラ一人である。他の名家にはまだこの話を持ち掛けた事がない。従ってここからの議論が難航するであろう事に察しは付くが、それでも変えていかなければならないのだ。
アライズの決意に満ちた表情に、ツヴァイラだけが小さく鼻を鳴らした。
「私は魔界と人界の和平を結ぼうと思っている。」
一瞬の静寂の後、会議室に満ちたどよめきは先刻の比では無かった。
「…悪魔、か。」
譲葉の呟きは小さかったが、璃琉と二人しかいない部屋の中ではぽつりと響き渡った。
「どうしたの?」
窓辺に立っていた璃琉が振り返り、譲葉を見つめる。譲葉は手入れをしていた愛剣を自分の脇に無造作に置くと、そのまま腰掛けていたベッドへ背中から倒れこんだ。
「別にー。どうってこともないんだけど、さ。」
此処は青騎士の寄宿舎にある二人部屋で、璃琉と譲葉は同室で暮らしている。
「昔はホントに憎かったんだけど…、今はなんかもう、何で青騎士なんてやってるのかな…って。」
譲葉は天井を見つめたまま溜め息をつく。
「…ご両親の仇、だっけ。」
璃琉の言葉に小さく頷く。璃琉も窓際から離れ、向かい合わせの自分のベッドへと腰掛けた。
「そう…。悪魔が魔力を放って私の村を破壊した。お母さんははぐれてしまって、どうなったのかさえ分からない。お父さんは私を助ける為に死んじゃった。全部全部悪魔が悪い、私から全てを奪った悪魔が憎い、ってずっと思ってきた。」
譲葉の言葉に璃琉は僅かに俯く。
「でも、今は悲しい出来事だったとは思うけど、だからって悪魔って理由だけで殺したりはしたく無いよ。」
璃琉の顔を覗きこんで言うと、璃琉は穏やかな笑みを浮かべた。
「うん、…分かってるよ。だって譲葉の顔、あの頃と比べて凄く穏やかになったもん。」
「そうかな…?」
璃琉の記憶が戻って以来、二人が出会った頃の話をすることも増えた。今も璃琉の言う「あの頃」とは、譲葉が初めて悪魔の森を訪れた頃の事を指している。
「契架のおかげ?」
突然出て来た名前に一瞬ポカンとなり、続いてカッと頬に熱が上るのを感じた。
「なっ…!何でそこで契架が出てくるのよ!」
譲葉は首をぶんぶん振る。
「ないない、関係ないからっ!大体、契架なんてちっとも男らしくないし、タイプじゃないから!」
余分なことまで勝手に捲し立てる譲葉を、璃琉は面白げなニヤニヤ笑いを浮かべて見ている。
「…もうっ!璃琉ってば、そういう表情とかお母さんにそっくり!」
すると今度は璃琉がポカンとする番だった。
「お母さん?譲葉の?」
「そう。よくそうやって私を困らせるような事言ってニヤニヤしてた。」
譲葉の言葉が何処かで聞いたフレーズだと思い、璃琉は自分の顔に手を当てて記憶を引っ張り出す。その答えは比較的すぐに出て来た。
「そうだ、王様だ。」
「は?」
突然の呟きに譲葉が再び璃琉の顔を覗きこむ。
「私がお母さんに似てるって前にも誰かに言われたなぁって思って。王様が言ってたんだ。」
「ふーん。…十分国王様にも似てると思うけど。」
言いながら譲葉は璃琉のベッドに並んで腰掛ける。
「え。それはちょっと…。」
「イヤなの?」
「そういう訳じゃないけど…、あんまりお父さんって感じもしないし。そもそも私、お父さんとかお母さんとかって感覚がよく分からないから。」
璃琉はさらっと口にするが、譲葉はその言葉に言いようのない気持ちになる。
親を亡くしている自分とは違い、璃琉の父である国王は健在している。しかし両親に愛されて育った自分とは違い、璃琉は肉親の愛情という物を注がれていない。不幸自慢がしたいわけではない。それでもどっちがマシだろうとたまに考えてしまう。
「ねぇ、お父さんって呼ばないの?」
ふと思いついて訪ねると璃琉は目を丸くした。
「呼ばないよ!そんな、恐れ多い。それにね、国王様と親子として一緒にいると感じるの。」
璃琉はじっと天井を見上げた。
「国王様が想っているのは娘である私じゃなくて、私に似てるっていうお母さんのことだなって。私を見ているようで、私を通してお母さんを見てる。」
「璃琉のお母さんって、結局誰なの?」
璃琉は静かに首を横に振った。
「知らない。時々聞かせてくれる話から総合すると、何処か辺境の村に住んでいた一般女性みたい。一目惚れして、丁度大怪我を負っていたところを見つけて連れて帰ったんだけど、どうしても好いてもらえなくて何処かへ逃げてしまったんだって。」
「へぇー…。」
国王に好かれるという事が幸せなのかどうか、この話を聞く限りは一概にそうでもないと思わせる。王妃という立場は魅力的にも聞こえるが、しかしあの国王の妻だと考えるとちょっと遠慮したいかもしれない。決して悪い人では無いのだが、大事にしてもらえる気がしないというか。
「それで?国王様は探さなかったの?」
「うん…、『やはりな』って思って、追わなかったんだって。そういう自分を曲げない意志の強さに惚れたとかって…。」
「…あははは!」
譲葉が急に笑い出したので、璃琉はギョッとして距離を取る。
「何…?」
「その『やはりな』ってモノマネ…、すっごい、そっくり…っ!」
璃琉としてはそこまで極端に真似たつもりはなかったのだが、何かがツボに入ったらしく、譲葉はお腹を抱えて爆笑している。
「もう…、真面目な話をしてたのに。」
璃琉は小さく呟いて、譲葉が笑い止むまでほっとこうと決め、立ち上がり窓から外を見る。
悠然とした満月の浮かぶ夜空は、アライズと再会したあの日を思い出させる。この空の下にいるのだろうか、アライズも。会いたい、と痛切に感じる。
両親を知らぬ頃、両親に会いたいと思ったことはなかった。そもそも「親」という存在はおろか言葉さえ知らなかったのだから当然かもしれない。今も母に会いたいとは特別感じない。母の話を国王に聞いたのも、単純な興味でしかない。
悪魔。その言葉が意味するところを知った今でも、璃琉は悪魔に敵意やそれに類する気持ちは生まれなかった。幼い頃からアライズと共に生活していたし、記憶が消されている間も孤児院には悪魔やハーフの子達は大勢いた。だから余計に恐ろしい事などしないと思うのだろう。
実際のところ、悪魔は魔力を持って人間の生活を簡単に破壊する事が出来る。それはかつてアライズ自身が行った事だ。その話を直接アライズから聞いたことはない。璃琉が知っているのは契架から聞いた話だけだ。
だけど、璃琉は思う。きっとそんな事を勢いに任せてしてしまった事、アライズは深く後悔しているのだと。
璃琉の知っているアライズは、強い悪魔なんかじゃなかった。強い力を持っていることに怯え、いつも何処か傷付いたような目をして、自らを罰したいと願う、そんな弱さを持っていた。
その腕に守られている安心感と共に、僕が守ってあげなきゃと強く感じさせる。そんなアライズだからこそ、こんなにも惹かれるのだ。
「…待ってるよ。」
あの満月の晩の言葉を信じて、璃琉はいつまででも待ち続ける。いつかリルとしてあの腕の中に戻れる日を。
タン…と静かな室内に、書状に印を押す音が響いた。初めて足を踏み入れた時には僅かな緊張を感じたこの大会議場も、気の遠くなるほどの会議を重ねるうちに何とも思いはしなくなった。
豪勢なテーブルの中央には七名家の印が押された書状が置かれている。たった一枚の紙切れに過ぎないが、この紙が持つ意味は今までのどれよりも大きいだろう。
アライズは手を伸ばして書状を取ると、しげしげと色んな思いの籠った眼差しで見つめた。
「それではこの書状を持って、本議案…人界との和平交渉は可決とする。」
アライズが述べると、各当主から控えめな拍手が上がった。これで魔界は史上最も大きな一歩を踏み出した。
「今後はこの書状を持って、私が人界の王と和平交渉を進める。進展は逐次この場にて報告を致します。」
「…本当に人界は、我々との和平など結ぶのか?」
七名家として和平の実施で意見はまとまったが、人界がそれを呑むのかと懐疑の声は書状が成った今でも確かに存在している。しかしその言葉に返したのは、アライズではなくツヴァイラだった。
「問題なかろう。何せ向こうと交渉するためのカードを持っておる。なぁ、坊や?我らを口説いた時と同じ様にな。」
坊や呼ばわりされアライズはやや面食らった。しかしツヴァイラの言葉には各自思い当たる節があり、誰もがそれ以上何も言えなくなる。
「…必ずや、成して見せましょう。」
大切な者たちの為に何が何としても成さねばならないのだから。




