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リル・ファーナが愛した悪魔  作者: 瀬河 柊
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再会


 館に向かって走りながらリルは屋上を見上げる。そこには変わらず満月の下でさえも漆黒のシルエットが佇んでいる。

「アライズ…!」

 リルははやる気持ちを抑えられなかった。

 アライズは何故、自分の記憶を消して手放したのか。それから何年もどう暮らしてきたのか。今、全てを思い出した自分が現れて、どう想うのか。悪魔を討伐する青騎士になってしまった事を受け入れてくれるのか。

 何も分かりはしない。だけど心が会いたいと叫んでいる。もうあの頃の子供じゃない。悪魔のアライズに敵うだけの力はなくとも、守られてばかりいた幼い自分とは違う。

 だから会わねばならない。会って、伝えなければ。あの頃から変わらずここにある気持ちを。


 何も考えずに走ったが、道に迷うことは無く導かれるように館まで辿り着いた。久しぶりすぎるその佇まいは懐かしさと同時に、自分の帰る場所はこの場所だったという途方も無い安心感が生まれる。この館こそがリルの家なのだ。

 正門を押し開け、その中に踏み込む前にもう一度屋上のシルエットを確認する。深呼吸を一つして敷地に足を踏み入れた。途端にあふれるように記憶が鮮明になっていく。

 走りたくなる気持ちを押さえ込み、意識的にゆっくりとした歩調で館の中へ。懐かしい空気がリルを包み込んだ。

 まるで時間が止まっていたかのように館の中は記憶の中にあるままだった。いや、この場所は本当に時間が止まっていたのかもしれない。何もかもを忘れていた自分は「璃琉」としての生活を作り出せたけど、アライズは何もかもを覚えたままだったのだから。

 懐かしさに思わず足が止まっていたリルだが、気を取り直して屋上へ向かう。屋上へのルートは当時から知っていたが、そこに足を踏み入れた事はほとんどない。屋上はアライズのプライベートスペースだと思っていたからだ。一人になりたいときの場所。

 でも、もう一人にはしない。全てを思い出したリルが望むことはたった一つだから。そのためなら「璃琉」として築いた物がなくなったって構わない。「リル」として生きていきたい。

 その思いを胸にリルは屋上へと続く階段を昇る。もうじき会える、大切な存在へと思いを馳せながら。


 満月に照らされた屋上の淵に立ち、アライズは眼下に広がる景色に眼をやる。その景色は青の牢獄を破壊し、力の限りに魔力を暴走させたあの日、魔力が尽きて落下する際に見た景色と酷似している。まぁ、酷似も何もこの森へと落下したのだから、ある意味では同じと言える。あの時と違うのは重ねた時間の分だけの変化があったことだろう。

 それに比べて、アライズ自身はあの時からの変化はほとんど無いに等しい。空亜が死に、晴人が死に、契架を拾い、リルを手放し。それだけの時間が過ぎても、人の十倍の時間を生きる自分に起きた変化など本当に微々たるものだ。

 それでもあの頃と今の自分では決定的に違う部分もある。あの頃は全てどうにでもなれと思っていた。だが今は人界と魔界の和解を図るべく秘密裏に動き手を回している。まだ成功するかどうかまでは分からない。そこに至るには壁が多すぎる。しかし着実に一つずつ越えて行っているのもまた事実。

 らしくないことをしていると言う自覚はある。しなければならない事が多すぎて、近頃は休む暇もほとんどない。その顔には疲労の色が濃く、この身が寿命以外で死ぬことのない悪魔であって良かったと思うこともある。これだけの労力を注ぎ込んでも未だ必ず成功するとは言えない。

 しかしだけど、彼女が人界の王の娘であるならば、実現できるかもしれない。彼女に平和で穏やかな世界を与えてやりたい。たとえ、自分が隣にいることが叶わなくとも。彼女が自分のことなどまるで覚えて無くても。どこか遠くで彼女が幸せに笑える未来を与えられるのなら、その可能性にかけるのみだ。

 きっとそれが、アライズが追放され、晴人と出会い、契架とリルを拾った意味なのだから。

 ぎゅっと眼を瞑って、アライズは一人呟く。

「…我はきっと成し遂げてみせる…。」


 そのまましばらく目を閉じたままでいたが、いつの間にか風にさらわれたフードに気付き、ぐいっと被りなおした時だった。背後でギイっと音がしてアライズの動きが止まる。

 契架は少し前に散歩に出るといって出掛けて行き、まだ戻った様子は無い。そもそも契架なら戻ったところでよほどのことが無い限り、アライズが屋上にいる時にやってきたりはしない。

 ならば誰が一体扉を開けたのか。アライズは淵に立ったまま体の向きを変える。そしてデジャヴを見た。

 長い黒髪に青い眼。小さな身体にサイズの大きすぎるシャツを一枚着ているだけの姿。その腕には少しくたびれた大き目のウサギのぬいぐるみが抱えられている。

「アライズ…っ!」

 名を呼ばれてアライズはハッと我に返る。それと同時にデジャヴは消える。身に着けている服は青騎士としての正装だろう。譲葉の着ているものと意匠は異なるものの、同種のデザイン性を持っている。長身のアライズと比べれば無論小さいものの、すらりと伸びた手足や体付きはもう幼子のそれではない。しかしそれでもあの頃と変わらない綺麗な黒髪と真っ直ぐな輝きを宿す青い眼。

「リル…。」


 その声はほとんど音にならず空気に溶けていった。フードの下、満月の眼がこれ以上に無いと言うほど驚きに見開かれている。懐かしいアライズの姿は記憶にあるまま何も変わっていないように思えた。いや実際ほぼ変わっていないのだろう。それが悪魔と言うことなのだから。

 リルはもうこみ上げてくる感情を抑えられなかった。溢れてくる涙をその場に置き去りにする勢いで走るとそのまま抱き付いた。

「アライズ、やっと会えた…!」

 飛びついたリルをしかし、アライズはしっかりと受け止めた。屋上の淵に立つ足さえもふらつきはしない。反射的に抱き締め返された腕の中は、記憶のままの懐かしいアライズの匂いがした。しかしその顔はひどく疲れているように見える。共にいた頃にこれ程疲れていることは無かっただろう。

 愛しい人の腕の中、記憶のまま変わらないところ、変わったところ、そのどちらをもリルが感じていると、アライズが不意にリルの身体を離した。

「どうしてここへ…、記憶が、戻ったのか…。」

「アライズ…?」

 リルは改めてアライズの顔を覗きこむ。月明かりの下、やや青ざめた表情を見せるアライズの目をしっかりと見つめる。しかしアライズは困惑したような表情を見せ、そのまま目を逸らした。迷うように黄色い目が揺れた後、横を向いたままアライズは眼を閉じると、意を決したように口を開いた。

「…リル、君は人の世に帰れ。」

 絞り出したようなその声は冷たさを秘めていて、リルは一瞬何を言われたのか理解できなかった。

「我は悪魔だ、人間と同じ時を生きる事は出来ない。…君は我の事など忘れて人間の中で幸せになるんだ。」

 その言葉は時間差を伴ってリルの頭の中に浸透していく。全てが届いた瞬間、リルは大きく頭を振った。

「いやっ!何でそんなこと言うの!?僕の幸せは僕が決めるの!」

 そしてリルは眼を合わそうとしないアライズの眼をそれでも真っ直ぐに見つめる。

「僕はアライズが好きだよ…っ!アライズが好き!ずっと一緒にいたい、一緒に生きていきたいっ…!」

「な…っ!」

 リルがアライズの胸に耳をつけていれば、その瞬間大きく鳴った心臓の音が聞こえたことだろう。

 幼い頃と何も変わらない強い意志の輝きを秘めた真っ直ぐな青い眼が、必死の真剣さをもってアライズに向けられている。幼女だった彼女はいつの間にか少女になっていて、そしてアライズが何より望んだ言葉を投げかけてきた。思わずその眼を見つめ返す。

 真っ白になった思考回路の中、リルの言葉を切っ掛けに封じ込めたはずの愛しさが溢れ出す。その感情のままにリルを抱きすくめようと手が伸ばされる。アライズだって心の底では望んでいる。このままリルを抱き締め、口付けをし、その生涯ごと我が物としてしまうこと。

 しかし運命の悪戯か、その瞬間ふわりと吹いた風が再びアライズのフードを払い落とし、その感覚でアライズはハッと我に返ると同時に、伸ばしかけていた手が止まる。

「…ダメだ。リル、君は人間で我は悪魔だ。それは君にとって幸せでは無い…決して。」

 リルの背に回されようとしていた腕は力なくローブの下へ戻り、アライズは再びリルから目を逸らした。その声には苦悩が表れている。

「そんな事ない!人間と悪魔だって幸せになれるって、僕たちが証明すればいいよ!こうして傍にいて、一緒に歩んでいけるって!幸せになれないなんて事、絶対に無いよ!」

 リルの叫びが静かな夜とアライズの心に、こだまする。しかしアライズは揺れそうになる心を意志の力で凍らせると、顔を上げた。

「…どうしても言う事が聞けないと言うのなら、もう一度その記憶を奪うまでだ。」

 その言葉に青い眼が驚愕に見開かれる。しかしアライズの眼は僅かも揺れない。その眼も声も、凍りついたように冷たかった。再びローブから伸ばされた手がリルに向けられる。しかしそれは抱き締める為ではなく、記憶を消す術を使う為。リルは固まった思考と身体を、強引に動かしてその手から距離を取った。

「やめて!アライズ、僕はもう忘れたくない!」

 屋上の淵から離れ、リルはアライズに呼びかける。

「もし、本当に一緒にいられないとしても、忘れたくなんかないよ!ここで過ごした時間、アライズと過ごした時間は僕にとって、何より大切な時間だもん!」

 長い前髪が黄色い目を隠し、アライズの表情は窺い知れない。転移が出来るのだから何処に逃げようと一瞬でリルを捕まえられるはずなのに、そうしない事に希望があると信じてリルはゆっくりと距離を詰めてくるアライズに向かって思いの丈をぶつげる。

「人間と悪魔が同じ場所で同じ時間を過ごした事、それは確かに幸せな時間だった事。アライズと一緒に生きたいと願っている事、その全てが忘れちゃいけない事だよ!」

 思いを投げかけながらも屋上中を逃げ回るリルの足が屋上の淵を捕らえる。もうこれ以上は下がれない。逃げ場がなくなった事に気付き、リルは一つ深呼吸をし覚悟を決めた。この言葉がアライズに届くと信じて。

「僕はアライズが好きっ…!叶っても叶わなくても、忘れたくなんか無い!」

 思わず眼の端に涙が浮かび、満月に照らされきらりと輝いた。

「アライズが好きだよっ…!」

 アライズの手がリルに伸ばされる。ぎゅっとリルが眼を瞑った瞬間、ふわりと抱き締められる感覚に体が包まれた。

「えっ…?」

 リルが小さな呟きと共に目を開けると、さらりと流れる黒髪が目の前にある。鼻をくすぐるのはアライズの匂い。迷うように優しく回された腕に徐々に力が込められていく。

「…我の事など、忘れたままで良かったのに…!」

 消え入りそうな声でそう言って、アライズの唇がそっとリルの額に触れた。その僅かな感触の後、強く抱き締められリルからアライズの顔は見えなくなった。小さなその呟きは酷く弱弱しい声で、この距離でなければ聞こえなかっただろう。

 幼い頃、凄く大きく強い存在だと感じていたこの人は、いつの間にこんなに脆くか細い存在になっていたのか。でもその弱ささえも愛しいと告げるこの感情が好きと言う事だ。そう強く感じたリルは自らの腕も伸ばし、アライズの身体にそっと抱き付いた。リルの頬を我知らずに一筋の涙が流れていった。


 満月が照らす屋上で二人は離れていた時間を埋めるように、しばらくそのままでいた。

リルの頬を伝った涙が時折吹く風に乾かされた頃、アライズはそっと抱擁を解いた。合わせるようにリルも自らの腕を解くと、真っ直ぐにアライズを見つめる。しかしアライズは視線を外したまま、眼を閉じた。

「…だが、今はまだダメだ。」

「なっ…!?」

 唐突にアライズの口から紡がれた言葉に、リルは言葉が出て来ない。思いは通じ合ったのではなかったのか。

「…今はまだ、ちゃんとした幸せを約束する事が出来ない。」

 そう言って、アライズはそっと眼を開けると、ようやくリルの目を真っ直ぐに見つめた。

「何年と、はっきりした時間までは分からない。だが…。」

 満月と同じ輝きが揺らがずにリルに向けられる。

「数年後、それでもリルの気持ちが変わらなければ迎えに行く。…幸せを約束できる状況を整えた時に、必ず。」

 それは約束。失い続けて何もかもを求めなくなったアライズが、たった一人の少女を手にするための覚悟。

 甘い約束と強い覚悟を感じ、リルも一度眼を閉じてからゆっくりと開く。自分の中の覚悟を固めて。

「…何年でも、ずーっと待ってる。」

 強い意志を宿す青い眼が、しっかりとした覚悟を持って微笑む。しかしアライズはその目尻に浮かぶ涙に気付き、淡く微笑むと手を伸ばしその涙をそっと拭った。

「忘れても構わない。…そのほうが幸せだろう。」

 そう小さく呟くと、アライズは再びリルの額に小さく口付ける。その感触と同時に、ふわりと風が巻き起こりリルの額から唇の感覚が離れたときには、既にアライズの姿も無かった。まるで全て幻だったかのように。

 しかし目尻に触れた冷たい指の温度と、額に触れた暖かな温度。その相反する二つの余熱が確かに現実だったと物語っている。リルは空を仰ぎ、満月を見つめた。アライズの眼と同じ色の輝きを。


 どれほどそうしていたのか、ぎいっと屋上の扉が開く音でリルがそちらに顔を向けると、契架と譲葉が連れ立って現れた。一人佇んでいるリルに気付くと、譲葉がすぐに駆け寄ってくる。

「璃琉、大丈夫っ?」

 やや慌てたような譲葉の声に隠された気遣いの色に、リルは淡く微笑んでみせる。

「大丈夫。」

 短くそう答えると、リルはこちらへと歩いてくる契架へと視線を向ける。

「契架。」

 呼び掛けてから、リルは事のあらましを契架と譲葉に聞かせた。

「そっか…。」

 リルが話し終えると、そう呟いたのは契架だったのか譲葉だったのか。

「…リル、勝手な言い分かも知れないけど、待っててあげて?」

 契架が穏やかな声でそう言う。

「アライズ様はここ最近、何か大きな事をなそうとされている。それがきっと、リルに幸せを約束する為に必要な事なんだと思う。だから、待っててあげて欲しい。」

 アライズと同じ満月の色の眼が、リルに真っ直ぐ向いている。リルはその輝きに強く頷いた。


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