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リル・ファーナが愛した悪魔  作者: 瀬河 柊
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ぼくの大切な


 養成学校を卒業して程なく経った頃。ついに王からの命令を受け、璃琉は譲葉と共に悪魔の森へ向かう日が来た。とりあえず最初は偵察だけという譲葉の言葉に頷き、ついでに他の勅命を持つ青騎士たちに面通しをしてから行く事にした。

 行く先々で出会う青騎士たちは璃琉の優秀な噂を聞きつけており、卒業したてで勅命を賜った璃琉のことを非常に好意的に受け入れてくれた。そうこうと方々で話し込んでいるうちに時間は過ぎ、二人が森へ向かう頃には空に冴え冴えとした満月が浮かんでいた。

「すっかり遅くなっちゃったね。」

 並んで歩きながら隣を行く譲葉に話しかけると、苦笑が返ってくる。

「でもまぁ、みんなも璃琉に直接会えたことを喜んでくれてたし、いいんじゃない?もともと今日は森の偵察だけだしね。」

 他愛もない話をしながら満月に照らされた森の中の道を進む。その時、ふとした違和感が璃琉を包み思わず足を止めた。

「どうしたの?」

 璃琉が止まった事に遅れて気付いた譲葉が数歩先で同じく足を止め振り返る。

 違和感、というよりは既視感。初めて足を踏み入れたはずの悪魔の森。なのに、そう、この風景を知っている…?

「私…、僕、は…この森を…?」

 璃琉の目は何処かを見ているようで、何も映していないようにも見える。うわごとのように呟く様子に譲葉の内心に焦りが生まれた。

「璃琉っ!」

 少し強めに呼ぶと、璃琉はハッとしたように譲葉を見た。

「あ…、ごめん。何かちょっと妙な感じがして…。」

 とりあえず璃琉の様子が戻った事にほっとしながらも、それを悟らせないように敢えて呆れたような口調を作る。

「もう、しっかりしてよね。こんなじゃ先が思いやられる。さぁ、行くよ?」

 そう言って先を歩き出した譲葉に璃琉の足音が続く。

 やはりこの森は璃琉の記憶を揺さぶる場所のようだ。迂闊に進んで思い出させるわけには行かない。譲葉は何気ない様子を装いながら、細心の注意を払って森の中を進んだ。


 いつの間にか満月は薄い雲に覆われていた。しかし上空は風の流れが速いようで、月を隠した雲が忙しなく流れていく。西の空を仰げば雲はもう無いことから、程なく再び満月が輝くだろうことが窺えた。

「悪魔、出ないね。」

 譲葉の一歩後ろを歩く璃琉が話しかけてくる。あの後、璃琉の様子に変化は無く、記憶が戻ったわけでは無さそうだった。

「そりゃあね。そうそう出てたら、とっくに討伐されてるって。」

「譲葉はこの森に出る悪魔に遭遇した事あるの?」

 その璃琉の問いに、思わず答えに詰まる。しかし不自然に思われるより早く口を開く。

「何度かは、ね…。」

 何度、などという回数どころか、その住まいを自ら幾度も訪れてるとは流石に言うわけにもいかない。

 そんな譲葉の葛藤を知ってか知らずか、璃琉はふぅんと呟いただけで言及はしてこなかった。

 ふとした会話の中にボロを出さないようにしないと…、と意識をそちちらに向けた譲葉は、己の足が無意識のうちに向かっている方向に気付かなかった。

 木々の隙間を一瞬強めの風が吹きぬけた。

 木立をざわざわと揺らし、その音に譲葉が顔を上げると満月に掛かった雲が流され、その輝きが姿を現した瞬間だった。

「あ…。」

 その小さな呟きは璃琉のものだった。視線は譲葉と同じく遠くに向けられていたが、月にではない。

 満月の明かりを受けて、木立の向こう側に頭を覗かせたのは大きな洋館。

 その屋上部分に立つ一人の人影。遠目でも分かる長身と風にはためくローブ。ふわりと風にさらわれたフードから流れる長髪。

「……ア、ライズ…。」

 璃琉の声が確かにその名を呼んだ。吹きぬける風音に掻き消えそうなほどか細く、だがしっかりとした芯を持って。

「璃琉…!」

 譲葉が慌ててその手を掴もうとしたが、それより一瞬早く璃琉は駆け出した。

「アライズっ…!」

 その足は寸分違うことなく館へと向かって。もうその背は璃琉のものではない。この森で彼らと共に過ごしたリルの姿だった。

 突然の出来事に璃琉を止めようと手を伸ばしたままでフリーズしていた譲葉だったが、リルの足音が森の中に消えてしまってからようやく我に返る。

「どうしよう…、璃琉を追いかけなきゃ…!」

 迷っている暇は無い。館への道なら譲葉だって分かるのだから。満月が照らす森の中を譲葉も駆け出した。



 今日が満月だと言う事に気付き、何となく散策したくなって契架は森の中を歩いていた。慣れない人からは何処も同じ木立に見えるだろう道なき道を迷う事も無く進む。

 途中月は雲に隠れてしまったが、先ほど再びその姿を現した。アライズの、あるいは自分の目のような色の満月。鮮やかなその黄色を見上げながら歩いていると、不意に横から飛び出してきた何かと思いっきり激突した。

「いった…、何…!?」

 この森に激突するほどの勢いで飛び出してくる動物など生息していないはずなのだが。そう思ってぶつかってきた何かの方へ視線を向ける。そこには長い黒髪の少女が額の辺りを押さえていた。

「っつ…。」

 小さくうめいているところから、ぶつかってきたのは彼女で間違い無さそうだ。心配すべきか、ハーフだとバレる前に逃げるべきか、文句を言うべきか、正体を問いただすべきか…、痛みも忘れ予想外の出来事への対処法を契架が悩み出すと、少女は涙目になりながら顔を上げた。

 二人の視線がぶつかった瞬間。

 どちらも痛みどころか言葉さえ忘れたかのように、時間が止まった。

「…契、架。」

 その唇が小さく紡いだ音で、契架の中の可能性が確信に変わる。

「リル…?」

 昔から長かった黒髪の印象はそのままだが、それ以外の全てが成長している。もちろん契架だって同じだけ年を重ねたが、それでも別れた時はまだ幼子だったリルは、今や立派な少女になった。

「…契架、久しぶりだね。えっと…、元気そうで良かった。」

 少し困ったような笑みを浮かべながら、あの頃のたどたどしさは微塵も無い話し方でリルが言う。

「あ、うん…。リルも大きくなったね…。」

 思わず普通に受け答えてから、契架はハッとする。

「リルっ、記憶が…!?」

 その言葉にリルは口を引き結んでコクリと頷く。

「そんなに急いで何処へ…、まさか、アライズ様のところへ…?」

 再びリルの首が縦に振られる。

「アライズに会うの。」

「ダメだっ、そんな…!」

 リルのきっぱりとした言葉に契架は思わず声を上げる。しかしリルだって引き下がりはしない。

「いいの、会うの!私だってもうあの頃の子供のままじゃない…、分かってるよ!」

 リルの予想外の剣幕に契架が言葉に詰まる。

「私が…、僕が何も覚えてなかったのは、アライズの術によるものなんでしょう?何らかの理由があって、アライズが僕の記憶を消して日向に預けたんだよね?」

 契架は咄嗟に肯定も否定も出来なかった。

「でも、それでも、もう僕は思い出したんだ。無かった事には出来ない。アライズに会うの。例えその結果がどうなったとしても、この気持ちは無かった事になんて出来ない!」

 リルの青い眼には力強い意志が宿っている。それはあの頃から全く変わらない真っ直ぐな眼差し。小さな身体に秘めた強い意志の輝き、これこそアライズがずっと恋焦がれていたものなのだから。

「…分かった、これ以上は止めたりしない。」

 契架が穏やかな声音で言う。

「リルがそう決めたのなら、貫いておいで。」

 声と同じ穏やかな笑みを浮かべて、リルの背を館の方へそっと押す。

「…うんっ。ありがとう、契架!」

 契架の後押しを受け、リルは再び駆け出した。満月に照らされたその背を見つめながら、契架は小さく呟いた。

「アライズ様も、会いたいと望んでいらっしゃるよ…。」


「でも、それでも、もう僕は思い出したんだ。無かった事には出来ない。アライズに会うの。例えその結果がどうなったとしても、この気持ちは無かった事になんて出来ない!」

 館に向かって走る譲葉の耳に、前方からそんな声が聞こえてきた。

「璃琉…!」

 声の響きからしてそう遠くないところにいることにホッとし、僅かにスピードを緩める。すると次なる疑問が沸く。璃琉は誰と話しているのか?その答えもすぐにわかった。

「…分かった、これ以上は止めたりしない。リルがそう決めたのなら、貫いておいで。」

 穏やかな声が譲葉の耳にも届く。

「契架…?」

 木立の向こう側に二つの人影が見えてくる。

「…うんっ。ありがとう、契架!」

 しかし譲葉が辿り着くより先に、璃琉は再び走り出してしまった。

「アライズ様も、会いたいと望んでいらっしゃるよ…。」

 その背を何処か切なげな視線で見つめながら、契架は小さく呟いた。

「…それでも、止めなくてよかったの?」

 譲葉が声をかけると、契架が大袈裟なくらいビクッとする。そして譲葉に気付き、はぁーっと安堵の溜め息。

「譲葉…。もう、いいんじゃないかな…って。」

 契架は再び遠ざかるリルの背に視線を向ける。

「会いたいと思い合う二人をこれ以上、引き離す事ないよ…きっと。」

 そう言って、契架は穏やかで何処か切なげな笑顔を譲葉に向ける。

「行かせてあげよう…?」

「…その顔、ずるい。」

 譲葉が契架に聞こえない程度の声でポツリと呟く。そんな顔を見せられたら、止めるべきだなんてもう言えるはずも無かった。

「え、何か言った?」

「何でもない!」

 照れ隠しにそう言うと、譲葉は館に向かって歩き出す。

「ほら、私たちもゆっくり行こう!」

「うん。」

 先行する譲葉の隣へ契架は小走りで駆け寄ると、そこから歩調を合わせて歩き出す。

「…ごめん。結局、思い出させちゃったみたいで…。」

 しばらく無言で並んで歩いていた二人だったが、やがて譲葉が小さく言った。しかし契架は苦笑を見せる。

「譲葉のせいじゃないよ。きっといつか、どこかで思い出してた。」

 譲葉が契架の満月に照らされた横顔に視線を向ける。契架は真っ直ぐ前を見ていた。

「だって、アライズ様もリルも…あんなに想い合ってるんだから、さ。」

 その横顔は今まで見た契架のどの表情より大人びていて、不覚にも譲葉の心臓は一つ大きく鳴った。


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